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2024.07.26

F.I.N.的新語辞典

第92回| アートジャーナルセラピー

F.I.N.編集部が未来の定番になると予想する言葉を取り上げて、その言葉に精通するプロの見解と合わせながら、新しい未来の考え方を紐解いていきます。今回は「アートジャーナルセラピー」をご紹介します。

 

(文:大芦実穂)

アートジーナルセラピー【あーとじゃーなるせらぴー/Art Journal Therapy】

創造すること(アート)と書くこと(ジャーナル)によって、ストレスや不安の緩和を図るセルフケアの一種。手帳やノートブックにイラストや文字を書いたり、写真を貼ったりして、「コラージュ絵日記」のようなものをつくる。また、つくったものはソーシャルメディアなどで親しい人とシェアをして楽しむことが多い。主にZ世代やミレニアル世代に人気。

「アートジャーナルセラピーは、自分の感情や経験を俯瞰的、そして複合的に捉え直すこと」と話すのは、キュレーターで心理療法士の西原珉(にしはら・みん)さん。ロサンゼルスでソーシャルワーカー兼心理療法士として働いていた西原さんに、アートジャーナルセラピーが生まれた背景や、アートを介したケアが盛んなアメリカやイギリスの状況、また日本におけるケアの課題などについても伺いました。

 

まず、言葉の背景を知るために、「アートセラピー」と「ジャーナル(日記)」の2つに着目してほしいと西原さんは話します。

 

「70年代からアートセラピーと呼ばれる心理療法が広く実施され始めて、ダンスや絵画、粘土、演劇といったさまざまな表現方法がセラピーとして用いられてきました。『創造する』というポジティブなエネルギーを引き出すことで、その人が抱えている葛藤や感情の乱れなどが緩和することが主な目的の1つです」

 

ただ、アートセラピーというと、「アートは苦手だから……」と創作することに対して自信が持てない人もいると西原さん。その点、アートジャーナルセラピーに使うコラージュは、誰もが簡単にできるところがいいといいます。コラージュ用の素材選びや、素材の配置に、その人が潜在的に考えている世界観などが現れることが多いそうです。

西原さん自身のアートジャーナル、2024年制作

また、「日記(ジャーナル)」も認知行動療法(*)などでよく使われる手法のひとつだそう。

 

*認知行動療法・・・感情や行動に影響を及ぼしている「ものの見方」や「現実の受け取り方」に働きかけ、ストレスを軽減していく治療法。

 

「日記は自分の認知の歪みを知るのに効果的です。自分が物事をどのように捉えているのか、日記に書くことによって、もう一度語りなおすことになるわけです。すると、実はこれって思い込みだった、などということにも気づく。ストレスの原因が、自分の考え方や行動にあったとわかるんですね」

 

この「アートセラピー」と「ジャーナル」の2つを掛け合わせたのが、「アートジャーナルセラピー」。この言葉が流行り始めたのは、2020年以降。メンタルヘルスとも向き合ってきたZ世代から生まれたムーブメントです。その背景にはどんな理由があるのでしょうか?

 

「Z世代は『配慮の世代』だと感じます。自分にも他者にもとても配慮していますよね。だからコミュニケーションにもすごく気を遣う。正しいことを言わなければいけない、正しいことをしなければいけないというプレッシャーもあるでしょう。さらに、SNSが普及したことにより他人の意見や考えを意識せざるを得ない環境になっていることは、世界でも大きなテーマになっています。だからこそセルフケアが必要なのだと思います。特に日本は、アメリカのように気軽にカウンセリングに行く文化もない。自分で自分をケアしてあげないといけないですよね。アートジャーナルセラピーはそのような世代にはぴったりはまるのではないでしょうか」

 

西原さんが住んでいたアメリカや、福祉国家としても知られるイギリスでは、カウンセリングはもっと身近なものでした。また、「アート」と「ケア」はより密接なものとして考えられてきたといいます。

 

「イギリスでは以前から福祉の問題に対してコミュニティでケアをするという考え方がありました。アメリカでも90年代になると、財政的に医療予算を削減しなければならなくなり、イギリスと同様の動きが出てきました。そのなかでアートに目が向けられていきます。イギリスでは『社会的処方』という、お医者さんが患者さんに対して、コミュニティへ所属する処方箋を書いてくれる政策がつくられました。例えば、孤立して抑うつ状態にある人に、陶芸クラブへ行ってみてくださいとか、ガラス工房に行ってくださいとか。薬だけ投与して終わりではなく、コミュニティでのアクティビティーを通じてメンタルヘルスの問題解決を目指していくという取り組みです。2020年にアメリカ・カリフォルニア州でも試行が始まって注目を集めています。お医者さんと患者さんをつなぐソーシャルワーカーやリンクワーカーと呼ばれる人がその活動をサポートしていますが、日本ではまだ数が少ないので、人材の育成が待たれますね」

 

日本で「アート×ケア」が浸透しないのは、アートが崇高なものだと捉えられていることが要因の1つと西原さん。

 

「アートセラピストがアーティストである必要は決してありません。もちろん訓練を受ける必要はありますが、重要なのはアートのいわゆる『才能』ではないのです。日本ではアートというと、特別なプロフェッショナルがやるものという意識が強すぎるのではと思うことがあります。だからこそ、誰もが気軽にできるアートジャーナルを通じて、創造することで抱えている痛みや苦しみ、辛さが緩和できるということが世間に広まっていくのはうれしいことですよね。それを機にアートとケアへのハードルが下がってくれたらいいな、と思います」

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