2020.10.22

偶発的な音との出会いをアートに。 スーザン・フィリップスさんの挑戦。

撮影:山田梨詠
コーディネーター:浦江由美子

 

人々の暮らし方や働き方、価値観など、様々な面で多様化が進む今、時代をダイレクトに反映するアートも例外ではありません。例えば、国際的に活躍するスコットランド人アーティストのスーザン・フィリップスさんが手がけるのは、屋外、屋内問わず日常の空間にスピーカーを使って音を投入するサウンド・インスタレーション。キャリアのスタートは、自分がアカペラで歌った歌を録音し、雑音も混在するスーパーマーケット、バス停、橋の下や通路など特に音を聞く目的ではない場所で作品を響かせ、居合わせた人たちの注意をひくというものだったといいます。独自の視点で身近な音と身近な場所をつなぎ、アート作品に昇華させ続けるスーザンさんの活動には、未来のアートを考えるヒントがありそうです。今回は、ベルリン、シェーネベルク地区にある彼女のご自宅に伺い、創作への想いを聞くことで、これからのアートを考えてみました。

 

F.I.N.編集部

スーザンさんが表現の手段として音を選んだのはなぜでしょうか?

スーザン・フィリップスさん(以下、スーザンさん)

もともと音楽は好きで、色々なジャンルを聞いていました。子供の頃は合唱団に入っていましたが、美大で専攻したのは彫刻でしたし、特別に音楽レッスンを受けた経験もありません。しかし、アートに向き合い様々な表現方法を試みる中で、身体の呼吸のような音の響きを入れるだけで、ある空間の環境をガラリと変えることに気がついたのです。以来、音を表現のモチーフに選ぶようになりました。しかし、私の音へのアプローチは、建築家や彫刻家が制作過程を図面に描いて設計するように、直感的というよりも、あくまで音を手段にして図を描くように構築的に作品を組みたてていきます。私の手がけているサウンド・インスタレーション作品の発表の場が、建築物内や屋外と広がっているのも、その場所の環境に合った音を構築するという姿勢があってこそ実現できているのかもしれません。自分の声だけでなく、楽器を演奏してもらい、その後の音編集など全ての作業を完了するポストプロダクションまで行ってもらうこともあります。その音源も加工することはなく、すべてはアナログ音を録音したものを作品にしています。

F.I.N.編集部

音を通してどのような体験を促したいと考えていますか?

スーザンさん

例えば、スーパーマーケットで突然、特にトレーニングを受けていないアマチュアの女性の歌う声が聴こえたり、美術館で壊れた楽器の演奏の録音を聴いたりすることは、コンサートでわざわざ、これから音楽を聴くという前提がある状態とは違います。思いがけずに聴いた音に、人は何だろうと必ず興味を示します。面白がらせるための企てでもありません。音は耳から入ってきて、心理的に自分の記憶や経験と関連づけようとします。特別なシチュエーションでなくても、飛び込んできた音を聞いて、まずは興味を持ってもらいたいと思っています。

F.I.N.編集部

心理的には、音はどのような変化をもたらすと思いますか?

スーザンさん

スコットランドには、16世紀に生まれ、船乗りや漁師によって何世紀も歌い継がれてきた〈LowLands〉というバラード曲があります。この曲にあるのは、3つの歌詞。すべて、海で溺れ死んでしまった恋人が幽霊になって、もう2度と会えないことを伝える悲しい内容です。これを私は、グラスゴーのクライド川に架かる3つの橋の下にそれぞれ異なる3バージョンを響かせてサウンドインスタレーション作品を作りました。川というものは、普段、市民にとって親みの湧く場所であり、思い出深い場所だと思います。しかし、偶然、橋を通りかかって私の作品を聴いた人は、歌詞にでてくる川を挟んで離れ離れになる悲しい感覚やその距離を連想するのではないでしょうか。同じ場所に立っても、音や声によって意識するものが異なれば、風景も違って見え、異なる心理状態になると思います。

写真:〈Lowlands〉3チャンネル・サウンド・インスタレーション。8分30秒。

Photo Eoghan McTigue © Susan Philipsz.

F.I.N.編集部

スーザンさんの初期と近年の作品ではどんな変化がありましたか?

スーザンさん

グラスゴー、ダンディー、ベルファースト、ニューヨークを経て、ベルリンに移住して20年になりますが、拠点をベルリンに移したことで、より一層、場所に関連した歴史や物語を深く掘り下げられるきっかけが増えたと思います。

私の作品には一貫して、発表の場がとても重要です。例えば、2012年にはドイツのカッセルで4年に一度行われる国際現代アート展「ドクメンタ13」に招待されました。カッセルは綺麗な景観の場所ばかりで、ここに自分の作品が本当にフィットするのかと心配でした。しかし、色々と見てまわって、ふいにたどり着いた中央駅のプラットファームにあったのは、静けさ。丘が遠くに見えてどこかメランコリックで。その後、調べるとナチス時代の重要な軍需工場のそばで、カッセルは第二次世界大戦で壊滅的な被害を受けた事実を知ることになります。この駅からユダヤ人がテレージエンシュタット強制収容所に連行されたことも知りました。だから、この場所で作品を発表することを決めました。発表した作品〈Study for Strings〉はアウシュヴィッツで亡くなったユダヤ人作曲家パヴェル・ハースの弦楽器オーケストラ曲を断片化し、チェロとヴィオラの録音で24のスピーカーを長いプラットフォームの広範囲に分散したピースです。単なるホロコーストについての作品ではありません。負の遺産を思い起こさせながら、線路を走る音を彷彿とさせる抽象化した音の体験をすることになります。その場にいて遠くから聞こえる何か、どこか連れ去られるような、その緊張感にとても惹かれるのです。

写真:〈Study for Strings〉2012年。24チャンネル・サウンド・インスタレーション。ドクメンタ13のカッセル中央駅からの展示風景。Photo Eoghan McTigue © Susan Philipsz.

F.I.N.編集部

サウンド・アーティストとして、繊細な音に対しても敏感でいらっしゃると思うのですが、人間の耳には聞こえにくいとされる高周波数の音を作品に取り入れたことはありますか?

スーザンさん

高周波はどこにもあることは意識しています。年をとってくると感覚も鈍る、ティーンエイジャーの方がよく聞こえるのではないでしょうか。身体のすべてで、どう感じるかも変えることができますよね。

ウィーンで2018年に発表した〈The Voice〉は1938年11月9日にユダヤ人が強制連行されたクリスタルナハト(水晶の夜)の追悼のための作品です。ヒットラーが演説をした歴史のある新王宮のバルコニーから英雄広場に向けて4チャンネルのラジオ放送をしました。色々な音が入るのですが、私はいくつかのクリスタル・ワイングラスに水を入れて、ふちを擦って微かに聞こえる高周波の繊細な音を作りました。その音は人間の声のようです。被害者の声を安易に再現するよりも、抽象的な表現です。The Voice(声)はグラスも壊すほどの強いメッセージが込められていることと共鳴しています。

F.I.N.編集部

5年先の未来はどうなっているでしょうか?

スーザンさんはどんな作品を実現したいですか?

スーザンさん

今まで、サイロや貯蔵タンク、ワイン畑など色々な状況の音響効果のある場所で音作りにチャンレンジしてきました。貯蔵タンクなどはとても効果的でしたが、常に場所に音を合わせて行く必要があります。将来は自分の作品のためだけの空間や建築を完成させたい。ロンドンのセント・ポール寺院など壁に近づくと微妙なバイブレーションを感じるウィスパリング(ささやく)ギャラリーを建築家やエンジニアなどとのコラボレーションによって実現したいですね。

 

絵画、彫刻、インスタレーション、写真、演劇などアートの境界線はどんどんと曖昧なものになっていると言われて久しいです。アートは歴史的に人々の意識や価値観を変える大きな役割を担ってきました。スーザンさんの音を取り入れたインスタレーションは、完成されたメロディーのある曲を意識して聴くという従来の常識とは異なり、ものがたりのある空間や特別な場所に仕掛けられた思いがけない音を偶発的に聴くことが作品となっています。それは、オーケストラの演奏に高揚するような感動ではなく、日本人が古くから親しんできた、夏のコオロギや秋の夜の鈴虫の声といった自然に発生する季節の音を楽しむ感覚に近い気がします。IT化、ヴァーチャル化が進む中、心理を探り、喜怒哀楽を刺激するスーザンさんのような作品。未来にはよりアート表現の領域が広まり、再び人間らしい感情の豊かさが戻ってくるのではないでしょうか。

Profile

スーザン・フィリップス

特定の場所に音を響かせることで新たな体験をもたらすサウンド・インスタレーション作家。1965年イギリス、グラスゴー生まれ。ダンカン・オブ・ジョーダンストン・カレッジ・オブ・アート&デザイン、アルスター大学にて彫刻を学ぶ。2000年、ニューヨーク近代美術館(MoMA)PS1レジデンスアーティスト。2010年〈Lowlands〉で音を取り入れたサウンド・インスタレーションとしては初めてイギリスの現代美術賞、ターナー賞を受賞。2014年英国美術への貢献を称えられ、大英帝国勲章の将校の受章。

スーザン・フィリップス(Susan Philipsz)《Wind Wood》2019 年 ポーラ美術館蔵 撮影:木奥恵三

印象派作品を多数収蔵する箱根、ポーラ美術館の森の遊歩道に小説家ジェームス・ジョイスの娘で1920年代のパリで活躍したダンサー、ルチア・ジョイスへのオマージュとして作曲家モーリス・ラヴェルの歌曲「魔法の笛」をフルート曲にした作品。森林浴を楽しみながら、11台のスピーカーから流れる音は「森でダンスをしているよう」と語るスーザンさん。体現されていない音を体験するインスタレーション。2020年、同館が国内でははじめての美術館コレクションとして貯蔵。11月30日(月)までの展示。

編集後記

様々な場所で、「五感」は大事という言葉を聞きますし、そのとおりだと思います。
季節を目で感じる日本料理や、太陽の香りがする布団に入る瞬間は、想像するだけで笑みがこぼれます。スーザンさんの活動から「音」も、いろいろな感情を豊かにしてくれる要素だということを知りました。そこで重要なのは、その要素が環境と溶け合っいるか否かということ。彼女の活動から、大切な事を教えてもらいました。

(未来定番研究所 富田)