もくじ

2020.09.18

ベルリンにあった、未来のデモの姿。<全2回>

後篇| 若き変革者が描く、未来の社会とは?

ドイツの首都ベルリンで「デモ」は日常茶飯事。「デモ」は危険で過激な行動として捉えている方は多いようですが、市民のあいだでは、DJがターンテーブルを回しながらフロートトラックの音楽に合わせて踊ったり、手作りのプラカードで皮肉を含んで批判したりとカジュアルに楽しみながら抗議するというスタイルもかなり定着しています。後編では、デモに参加する若者の声からベルリンのデモを深掘りし、未来の声の上げ方を紐解きます。

 

コーディネーター:浦江由美子

フォトクレジット:Shinji Minegishi (Pia Haase) , Fridays for Future Deutschland (Fridays for Future)

ドイツには20世紀のナチズム、戦後の旧東ドイツには社会主義と言う名の独裁政治が続いた暗い歴史があります。第二次世界大戦終結75周年を迎えた今年は5月8日を終戦日ではなく、「解放の日」と新たに名付け、過去の過ちを2度と繰り返さないよう警鐘を鳴らしています。若い人たちが誰でもデモに参加できる文化の根本には過去の歴史の教訓から、民主主義を守り抜くことを徹底して教育されてきたという背景があります。

 

2018年8月、15歳だったスウェーデン人環境活動家グレタ・トゥーンベリさんらが政府に気候変動対策を申し立てたストFfF〈フライデーズ・フォー・フューチャー〉の波はその後、たちまちドイツ全土にも広がりました。

FfFベルリンの広報活動メンバーの一人であり、ベルリン芸術大学でファッションデザインを専攻する学生、ピア・ハーゼさんに会い、最近のデモや活動についてお話を伺いました。

 

インタビューはドイツの東西分断により使われなくなった旧貨物駅周辺エリアから、統一後に緑豊かな31.5ヘクタールの巨大な公園へと変わったパーク・アム・グライスドライエックで行われました。

浦江由美子さん
(以下、浦江さん)

そもそも、ピアさんはFfFにいつから関わったのですか?

ピア・ハーゼさん
(以下、ピアさん)

すでにドイツでの活動が大規模になってきていた昨年の初夏でした。テレビでレポートなども見ていて、運営側として参加することに決めました。90年代は東西統一で自由と平和を祝うパーティーのようなデモが盛んでした。2000年以降、豊かな社会になって、自分は自発的に政治に強い関心を持つことができない世代にいました。FfFに参加していくうちに世の中の、気候変動以外の、特に産業国が引き起こしている不平等や理不尽さを知り、日常でも意識するようになりました。気候変動だけでなく、学校では教えてもらえなかったそうした事実を知ることができました。早い時期に、持続可能な社会につながる活動を知ることができて良かったと思っています。

浦江さん

昨年11月、ベルリンのデモに参加しましたが、非常に和やかというか、音楽があったり参加者が踊っていたり、アグレッシブさを感じませんでした。

ピアさん

毎回、警察も多く出動してコントロールはされています。そもそも、私たちのデモは生活の安定した市民が中心となる運動ですから。ベルリンの左翼系のデモはアグレッシブなものもありますよ。

浦江さん

そもそも、金曜日の午後、高校生ら学生が授業に参加せず、気候変動政策に対する抗議デモをすることがFfFのはじまりだったと思いますが、おばあさんやおじいさん世代がFfFに参加している姿もありましたね。

ピアさん

祖父母の世代は、自分たちが築いてきた今の世の中を後悔しているのかもしれません。デモに参加することで、孫世代が直面する未来への希望を一緒にアピールしてくれています。孫や子供がいなくても、個人的に活動に賛同し、デモに来てくれている大人も多いですよ。昨年9月20日にベルリンで行われたデモには、家族ぐるみで参加する人々の姿もありました。偶然、高校時代の先生にも再会しましたね。

ベルリンにて、FfFデモの様子

浦江さん

ご両親の影響はありますか?ピアさんの活動をどう思われていますか?

ピアさん

賛成してくれています。西ベルリン出身の母親は昔、暴力が横行していた時代も知っていますから、平和的な主張をリスペクトしてくれています。

浦江さん

世界の他の地域では、ときに暴力を伴うような過激なデモも見受けられますよね。

ピアさん

暴力のぶつかり合いをしているデモは警察の力が強いからではないでしょうか。抑圧されれば、デモ参加者も怒ってどんどんとエスカレートしていく。FfFは学校へ行かないことで平和的なプロテストをしています。気候変動に対する強い抗議ですが、参加者は誰もが将来、暴力のない公正な社会を望んでいます。

浦江さん

  • それに、ドイツでは集会の自由、言動の自由が法律で定められ、実際にそれらが守られていますよね。

ピアさん

そうですね。昨年、夏に世界の代表者たちの集まりがスイスのローザンヌでありました。友人となった1人のロシア人はその後、自国で街に出てプラカードを持ち、デモ行進をするという、私たちがドイツで行うデモとまったく同じことをしました。しかし、民主主義下でも規制の厳しいロシアでは、刑務所に1週間入れられました。他人の意見に耳を傾けることは民主主義の基本だと思います。批判を受け入れることも大切です。そのために、私たちはコロナ禍でもデモクラシーを保つために、着々と活動を続けています。今年の4月24日には手作りのプラカードを集めて、ライヒスターク(現議会)の前にずらりと並べました。SNSで自分たちの活動が配信されれば、他国の市民の意見も変えられると信じています。その進歩は不安や悩みごとも和らげられるのです。

浦江さん

90年代にあったラプパレードをどう見ていますか?

ピアさん

発起人のドクター・モッテは両親の友人で母親もテクノ年代です。私が母のお腹の中にいる時からテクノを聴いていたので、どこか自分もDNAを受け継いでいるかと思います。ただ、あれはパーティーだった。100万人以上がティアガルテン公園に集まって、大音響で音楽を流し、車をバンバン走らせてゴミも捨て放題。エネルギーの無駄遣いをしていた時代と今とは違います。ドイツ政府はパリ協定の気温上昇を2度未満に控える、2038年までに石炭火力発電所を廃止すると言っていますが遠い先の話です。産業国が取り組む課題は山積みですが、それを次世代に先送りにしています。自分たちが安心して、子供を育てられる自由で平和、そして平等な社会を望んで活動をしていますが、時には、将来どうなってゆくのだろうと不安も感じます。ですので、こうした重いテーマの抗議の時でも、私たちは時に気晴らしに笑ったり、踊ったりすることも必要なのです。

浦江さん

FfFは非常に組織化されていますよね。

ピアさん

デモ自体には誰もが参加できますが、主催する私たちは普段からその準備を各都市や街で行っています。メディアでは写真などを常に更新し、環境見本市に出展、SNSの発信、募金を募るファイナンシング、デモ当日のステージ・セッティングなど技術チームも必要です。今回、こうしてインタビューを受けているのも広報班のオーガナイズです。色々な方向から、日々、環境を意識する発信を常に行っていくことが、賛同者を増やし、ポジティブなデモへの参加を増やす原動力にもなっていると思います。

ここまで、ベルリンのデモの歴史、そして現在の若い世代のデモに対する考え方から、未来に繋がるデモのヒントを探ってきました。ドイツという社会で楽しく自分の意見を主張するデモが発展した根底には、独裁政治という過去の過ちを繰り返さぬよう、徹底された民主主義がありました。互いを尊重し、異なる意見にも耳を傾けることはもちろん、自分の社会をつくるのは自分という意識が前提となって、楽しく声をあげる文化がつくられてきたのです。

 

踊ったり、楽器を演奏したりと暴力を伴わない主張や抵抗のデモは、健全で平和な社会が前提です。過激なデモが起こっている中、自由なデモのあり方はこれから世界中で問われていくものだと思います。しかし、一歩踏みだして声をあげることは、民主主義社会において、より良い未来を望む誰にでも可能なこと。まず私たちはその事実をきちんと自覚し、自分の社会に想いを巡らすことから始められるのではないでしょうか。

Profile

ピア・ハーゼ

2000年ベルリン生まれ。フライデーズ・フォー・フューチャー・ベルリン、プレス担当。現在、ベルリン芸術大学ファッションデザイン課在籍中。さまざまな研修を通して、サステナブルなファッションを目指す。

フライデーズ・フォー・フューチャー・ベルリン

2018 年 8 月にスウェーデン人環境活動家グレタ・トゥーンベリさんらが気候変動 対策を申し立てに賛同した、ベルリンでのストライキ運動。世界の平均気温上昇をマイナス 1.5 度に抑える地球規模でのゴールと共に石油、石炭燃料の廃止、欧州 の農業政策の見直しなど、政府に呼びかけている。2020 年 9 月 25 日には、グローバル気候ストライキ、大規模デモがベルリンでも開催される予定。

https://fridaysforfuture.berlin/

編集後記

本文でも語られているドイツのデモの様子は、日本におけるそれとは大きく異なっており、ドイツでの参加者たちは自分の意見を主張することを楽しみ、よろこんでいるようにも見えました。もちろんドイツで行われるデモがすべて和やかな雰囲気のものばかりではありません。しかし、今回の取材を通して、その喜びは、かつて個人が声をあげることができなかった辛い歴史を教訓としたことに由来している側面もあるとわかり、大変興味深かったです。
日本ではデモというとやや過激な印象がありますが、特定の対象を敵対視するのではなく、主張を楽しむ文化を育むことはより多様な未来を築く可能性に繋がるのではないかと思いました。

(未来定番研究所 中島)

ベルリンにあった、未来のデモの姿。<全2回>

後篇| 若き変革者が描く、未来の社会とは?