2020.10.15

金魚絵師 深堀隆介さんと考える これからのアートの役割。

手のひらサイズの升の中で、優雅に泳ぐ金魚。まるで金魚が生きているかのような情景は、樹脂とアクリル絵の具を使って作り出されています。この作品を作っているのは、金魚絵師とも呼ばれる深堀隆介さん。独創的な創作活動が注目され、国内外から高く評価されています。深堀さん独自の創作活動と、金魚のモチーフについて。そして今後のアートの役割を話してくれました。

多くの人に愛される金魚のモチーフ。

たくさんのファンを惹きつける深堀隆介さんが描く金魚の絵。樹脂と絵の具を使って金魚を描く技法は、深堀さん独自のものです。このスタイルが確立されたのは、今から約20年前のことでした。

 

「会社を辞めて、現代アーティストとして生きていくと決め制作活動を始めたものの、なかなか成果を得られなかった時期がありました。挫折しそうになっていた時、ふと家で飼っていた金魚が目に入ったんです。金魚の姿が、部屋のなかで悶々としている自分に重なりました。この金魚は金魚鉢の外の世界を知らない。まるで自分のようだと感じました」

『金魚酒 命名 夕維』(2019年 パブリックコレクション 独立行政法人国際交流基金 海外巡回展 – 「超絶技巧の日本」展 展示作品)

この体験を深堀さんは「金魚救い」と呼んでいます。今まで気にも留めていなかった金魚が、もがいていた深堀さんに光を与えたのです。

 

「まるで金魚が『僕を描け』と言っているような気がしました。その時に金魚の美しさに気づいて、それを表現しようといろんな方法を試してみたんです。藁にもすがる思いでやっとたどり着いたのが、現在の技法です。この表現方法を見つけた時、まさに金魚が泳ぎ出したような、命を宿したかのような感覚がありました」

『四つの桶』(2009年 パブリックコレクション 毓繡美術館@台湾)

金魚に出会ってから、子どもの頃に感じていた絵を描く楽しさが蘇ってきたといいます。制作時に下書きは一切せず、実際の金魚を見ながら描くわけでもないそう。

 

「子どもの頃は、絵を描くことが大好きでした。でも大学に入ってから嫌いになってしまった。だから学生時代は、オブジェやインスタレーションを制作していました。絵を描くことから遠ざかっていたのに、なぜか金魚の姿だけは描きたくなったんです。描いている金魚は全て想像です。僕が美しいと思う理想の金魚を描いています。『金魚救い』の日に金魚を通じて自分自身をみたように、今でも僕は自分自身を描いているんです」

 

「金魚は自分自身」と語る深堀さんから生み出される金魚は、その時の彼の感情がよく表れているといいます。深堀さん作品が、年代や国を問わず多くの人に支持されているのはなぜでしょうか。

『初出荷和金』(2009年 個人蔵)

「もしも僕がただ美しいものを作りたくて、この作品を制作していたとしたらここまで多くの人に作品を知ってもらうことはなかったかもしれません。私のなかに実際にある『金魚の美しさを知って欲しい』という思いや、金魚に自分を重ねている感覚。内面から湧き出てくるアイデンティティそのものを表現しています」

『美渦』(樹脂作品、2011年 個人蔵)

心を打つアートとは、その造形の美しさが全てではないと深堀さんは教えてくれました。

 

「例えば、僕はモネが好きです。モネの絵には彼が見た色、彼が見た風景が的確に表現されています。僕がモネの絵を鑑賞しているとき、彼の目を通して風景を見ているんです。まるで彼の中に入ってしまったような不思議な感覚を味わいます。もしかしたら、金魚の絵を観てくれた人も、僕が金魚に自分を投影しているように『自分自身がいる』という感覚になってくれているのかもしれません」

『水底の花 有 無』(2014年 個人蔵)

日本でアーティストを志すということ。

香港で行われた展示会「年年有魚3D藝術」

深堀さんは現在「金魚絵師」とも呼ばれ国内外で注目されるアーティストですが、ここまでの道は平坦ではありませんでした。一旦は就職したものの、アーティストになるという夢を諦めきれなかったという過去があります。その挑戦がなければ、今の作品が生まれることもなかったでしょう。アーティストを志すことは、それだけ覚悟がいる決断だったのでしょうか。

イギリスで行われた展示会「Goldfish Salvation」

「自分の生活を取るか、アーティストになるか。ライフかアートかの選択でした。若い時に名古屋で活動していた頃は、若手のアーティスト志望には作品に対するお金がなかなか出ないということも多々。お金にはならないけれど、発表の場にはなるということで自腹を切って活動をしていました。周りにもなかなか理解してもらえず、就職できなかったからしょうがなくアートをやっていると思われていました。海外では、もう少しアーティストが市民権を得ていると思うのですが……」

 

ただ、現状の美術業界も変化は起きているようです。美術館を訪れる人の数も増え、アートが昔より身近になっています。

 

「現在の若いアーティストは、SNSなどで作品を発表できる機会も増えてきています。僕の時代は厳しい環境ではありましたが、それも一つ試練として奮い立ちました。僕の場合は最初から褒められる環境だったら、却ってダメだったかもしれません。『そんなことをして、食べていけるのか』と言われるたびに、絶対に見返してやるという思いが沸々と湧いていたので、逆境も悪いことばかりではないのかもしれません」

NYで行った展示会「Goldfish Salvation in NY」

金魚を通して考える、地球の未来。

深堀さんは、これからも金魚の作品を作り続けていくという決意を語ってくれました。これからの未来、アートはどのような役割を担っていくのか聞いてみました。

 

「オークションで美術作品の値段を釣り上げるような、マネーゲームの手段としてのアートは終わると思います。自分の不安について向き合うきっかけをくれたり、心の癒やしになったり、より人の深いところに届くようなものになっていくのではないでしょうか。本当に価値がある作品には、必ず人の心を打つ理由がある。そういう作品がこれからは評価され、残っていくと思います。今後は作品を鑑賞する際も、メッセージ性が重視されるようになるのではないでしょうか」

2017年に大磯プリンスホテルで行われたワークショップ「金魚水墨館」。参加者それぞれが自由に金魚を描く様子

深堀さん自身が金魚を通して、伝えたいメッセージは、環境の大切さだといいます。

 

「金魚は、餌を食べて糞をして生きています。だんだん金魚鉢の水は糞で汚れて、淀んでいく。水が汚れると有害な菌などが莫大に増え、金魚は病気になってしまいます。最終的には、金魚が絶滅してしまう。そうならないために人間が水を変え、金魚鉢のなかを綺麗に保っているのです。金魚を見ていて、まるで水槽は私たちが住んでいる地球のように感じました。我々も生活をする上で水も空気も汚している。しかし宇宙から新しい水や空気が入ってくるわけではない。このままいったら、汚れた金魚鉢状態になってしまう。環境は破壊され、最終的には人間の住めないような環境になってしまうかもしれません。作品をつくる際に、なるべく下水を汚さない、ゴミを出さないなども徹底しています。作品の背景にあるアーティストの考え方も、大切にされていくと思います」

Profile

深堀隆介

1973年愛知県生まれ。愛知県立芸術大学を卒業し、ディスプレイ会社に就職。26歳の時に、退社しアーティストとして生きることを決意。2000年に金魚に魅了され、金魚を描くようになる。18年に平塚市美術館、刈谷市美術館で個展を開催。2会場で来場者数が10万人を超えた。今年は大丸京都店の大丸ミュージアムにて個展「金魚愛四季 (きんぎょいとしき)」を開催した。

(Photo by Masaru YAGi)

編集後記

私が深堀さんの作品を初めて拝見した展覧会のタイトルは、「和巧絶佳」でした。

日本の伝統文化の価値を問い直す「和」の美、手わざの極致に挑む「巧」の美、工芸素材の美の可能性を探る「絶佳」を組み合わせた言葉という事ですが、まさに深堀作品を象徴していると感じます。

アート作品を見ているのか、キャプションを読みに行っているのわからない美術鑑賞とは無縁な、自然に「どう描いているんだろう」「生きた金魚を閉じ込めたのかな?」「わずか数ミリの厚さで描いてるって嘘でしょ!」「やっぱり金魚には癒やされる」などなど、老若男女の様々な感想が言葉となり、作品に向きあってのコミュニケーションが盛り上がります。

深堀さんの「和巧絶佳の金魚」には、人と人を繋ぎ、幸せにするアートのパワーに溢れています。

(未来定番研究所 出井)