2024.01.12

学びのかたち

アーティストの布施琳太郎さん、「学びの探究心」はどこから来るのですか?

1月のF.I.N.のテーマは、「学びのかたち」。近年、若者向けの新しいかたちの学校が生まれたり、大人のための学びの場ができたりと、いろいろな学びの選択肢が生まれています。学びにまつわる興味深い動きが続々と起きている今、F.I.N.では学びをさまざまな視点から捉え、その最前線にいる目利きたちと一緒に未来につながるタネを見つけていきます。

 

今回ご登場いただくのは、「ラブレターの書き方」や「人間のやめ方」など、独創的な視点とテーマで講義を行っているアーティストの布施琳太郎さん。その手応えとして、「ジャンル名のない探求をできることがわかったし、現代における知のあり方として僕自身が希望を感じる機会となった」と語っています。そもそも独特の探究心はどこから来るのでしょうか? 知のあり方に希望を感じた理由とは? 独自の世界を探究する布施さんの話から、未来の学びのあり方を探ります。

 

(文:船橋麻貴/写真:大崎あゆみ)

Profile

布施琳太郎さん(ふせ・りんたろう)

アーティスト。1994年生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科(油画専攻)を卒業。東京藝術大学大学院映像研究科(メディア映像専攻)を修了。スマートフォンの発売以降の都市で可能な「新しい孤独」や「二人であること」をテーマに、絵画や映像作品、ウェブサイトの制作、批評や詩などの執筆、展覧会企画など幅広い表現を通して、アーティストや詩人、デザイナー、研究者、音楽家、批評家、匿名の人々などと共に制作をしている。2023年には、詩集『涙のカタログ』(PARCO出版)、批評『ラブレターの書き方』(晶文社)を発表。2024年3月に、国立西洋美術館はじめての現代美術展「ここは未来のアーティストたちが眠る部屋となりえてきたか?――国立西洋美術館65年目の自問|現代美術家たちへの問いかけ」を控える。

X:@rintarofuse

ラブレターを題材にしたのは、

いつの時代も普遍的なテーマだから

F.I.N.編集部

昨年、布施さんは「ラブレターの書き方」や「人間のやめ方」など、自主企画の講義を行いました。なぜ、こうした講義を開催しようと思ったのでしょうか?

布施さん

自分自身、先輩アーティストの他、批評家や医師といった専門性を持った人と語り合うことが好きで、そうして新しい「知」に出会う機会が多かったんです。だけど、コロナ禍になり、その機会が減ってしまって。だけどやはり、文化を生み出し育むためには人が集い、コミュニケーションを取る必要がある。そういう人が集まる理由に、自分の活動が寄与できたらいいなと思ったんです。

 

そしてすごく正直な話をすると、講義を始める直前の2022年末、後先考えずにお金を使ってしまい、懐事情が厳しかったんです。それで自分にできることで対価を得られるものは何だろうと考えた結果、人が集う場にもなる「講義」というかたちに辿り着きました。

F.I.N.編集部

講義というかたちにしたのは、世間の人たちが学ぶことに興味関心があると考えたからですか?

布施さん

学ぶこと自体に興味関心があるというより、YouTubeなど動画コンテンツの台頭からもわかるように、現代の人たちは誰かの話を聞くことにめちゃくちゃ慣れていると感じていたんです。推しの動画を見るだけではなく、人の話を聞くことに体力や時間を注げる時代なんじゃないかなって。それで、そういう人たちに向けて興味をそそるような内容を届けられたら、一定数の人たちが僕の講義に興味を持ってくれるかもしれないと考えました。

F.I.N.編集部

なるほど。では最初の講義のテーマに「ラブレターの書き方」を選んだのはなぜですか?

布施さん

そもそもラブレター自体は現代的な「コンテンツ」からはみ出したものだと感じていたんですが、それでも相手に想いを伝えるという純粋さはわかりやすく、どんな時代でも普遍性が高いものだと思ったんです。いわゆる絵や彫刻作品よりもラブレターの方が、色々な人が自分ごととして考えやすいですし、本来自分が考えていきたい芸術の本質も眠っているんじゃないかなって。大きな歴史や文化などの過去を捉え直すためにもすごくいいし、現代において失われつつある人間性を説明するのに適していると思って、ラブレターを題材にすることにしました。

2023年に発表した、詩集『涙のカタログ』(PARCO出版)と制作論『ラブレターの書き方』(晶文社)

何かを持ち帰ることが、

新たな「学び」に繋がる

F.I.N.編集部

「ラブレターの書き方」講義はオンラインとリアルな場で開催され、200人もの参加者が集まったそうですね。どんな講義を行ったのですか?

布施さん

講義は3か月間、2週間に1回程度のペースで行ったんですが、僕は毎回5冊以上の書籍を読んで、100ページほどのスライドを作って挑みました。例えば、「ラブレターの歴史」の回では、渋谷にかつてあった恋文横丁の代筆文化について調べて話したり。あとは実際にラブレターを書いてもらったり。その中には、講義で題材にした歌人・劇作家の寺山修司のラブレターにならって、短歌でラブレターを書いてきてくれる方もいました。

F.I.N.編集部

布施さんご自身の新たな気づきや学びになったことはありましたか?

布施さん

ラブレターは、送った本人と送られた相手、その2人の間だけでしか成立しないことが大事だなと思いました。例えば「心から愛しています」と綴ったとしても、2人が積み重ねてきた過去の関係性があるからこそ、初めて成り立つものなので。だから、細部を引用したり、解釈したりすることが何の意味もなさない。ラブレターは自分と相手の2人だけの時間と社会を行き来するものだと思いました。僕はそこに芸術性を感じるし、惹かれてしまうんです。

 

トータルで10時間以上の講義をしてみると、それは映像作品や展覧会を手掛けてきたこれまでの自分にはない、他人の時間を占有する方法だと思いました。それは受講者も同じで、アート作品であれば観ておしまいですが、講義は長時間に及ぶし、こちらから問いを投げかけたら、講義終了後も思考し続けるかもしれない。現代の「知」のあり方として希望を感じたのは、一つのテーマによって僕と受講者の相互に占有された時間が続く表現もあると気づいたからかもしれません。

F.I.N.編集部

講義を開催したことは、布施さんのアーティスト活動にも大きな影響を与えているのですね。

布施さん

家族や恋人だとしても目の前の人のことを全部理解できないのと同じように、一人の人間のアーティスト活動を全部理解してもらうことはできません。それは当たり前のことだと思います。だけど、作品や展覧会だけでなく、講義も行えば、受け手側には色々な表現の時間を行ったり来たりしてもらうことができる。頭の中で布施琳太郎の全体像を捉えたり、作品や思考の整合性を想像したりするかもしれません。そうした中で、ご自身で何か見つけて何かを持ち帰っていただくことが、「学び」に繋がるのかなと思います。

「学び」の醍醐味は、

人生を変える感動に出会えること

F.I.N.編集部

「ラブレターの書き方」の終了後、「人間のやめ方」を開催したのはなぜでしょうか?

布施さん

継続に意味があると思ったからです。それに僕自身、講義という形態は、学ぶのにとても効率がいいんですよね。2週間に1度講義があるので、半ば強制的に新たな情報を吸収しなければならない。リサーチが上手くなっていく一方で、自分だけで一つの事柄のすべてを理解する必要はないとわかりました。宮沢賢治について講義するとしても、資料や伝記などは山のようにあるじゃないですか。だから僕の場合、1時間くらいで読める入門書を3冊ほど読んで全体像を掴んでから、布施琳太郎にとって重要な原著を読んで講義で話すようにしていました。それでは情報が欠損しているので、今度は参加者の方々が自分で学んで得た情報を教えてくれたりするんです。こうして他の人から学びを得ることで、自分の「知」がどんどん広がっていく感じがしました。

F.I.N.編集部

「ラブレターの書き方」や「人間のやめ方」など、ジャンル名のない分野を探求したと思います。そうした布施さんの探究心はどこから来るのでしょうか?

布施さん

大元を辿ると、大学2年生の時、初めて展覧会を企画したことが大きいかもしれません。展覧会をするための会場を押さえるだけでも数十万円を取られてしまうことがなんだか腑に落ちなくて、建築をしている友人から工事中の施設の一室を借りて展覧会を行ったんです。すると、普段現代美術に触れていない人たちも足を運んでくれて。作品について色々と話すうちに、世の中には知らないことがまだいっぱいあるんだなって。そこから「知」への探究心が強まっていきました。

 

自分の中で「知」への探究心は大きいですが、世界のすべてを知ろうとは思っていないんです。むしろ、探求していく過程で、何か一つでも持ち帰れるものがあったらいいなって。学ぶことの魅力は、人生の価値観を変えるような感動に出会えること。そのことを知ってしまったら、これまでの自分が生きてきた価値観や考え方では生きていけなくなることだと思うんです。

F.I.N.編集部

布施さんご自身がそういうご経験があるのでしょうか?

布施さん

そうですね。ある人との出会いに感動して、そのまま日本一周の旅に出ちゃったことがあります。その間に作品を制作したりして。半年くらい感動し続けた結果、お金も使い果たしてしまったので、今後はもう少し短期的に感動できるものにも出会えたらいいと思っています(笑)。

F.I.N.編集部

今回のテーマは「学びのかたち」です。近年、学びの環境やかたちが変わって来ているかと思いますが、こうした状況を布施さんはどう捉えていますか?

布施さん

たしかに変化が起きていますね。でもこのまま変わっていっていいのかなと感じています。というのも、最近はYouTubeなどで学びを得る人も多いと思いますが、あれは情報が単純化されて発信されているから理解しやすいだけであって、学びが深まっているかというとそうではない気がします。一方で美術館に行ったり、作り込まれた映画を鑑賞したり、小難しい哲学書を読んだりすれば、複雑で濃厚な情報が一気に入ってくる。複雑なものを前にすると混乱するかもしれませんが、その中から一つでも自分にとってだけ大切な「知」を持って帰ってくることができたら儲けものじゃないですか。

F.I.N.編集部

ではこの先、「学びのかたち」はどうなっていくと思いますか?

布施さん

わからないことを他者に開示すれば「知」につなげられると思うので、この先はもっとクローズドな対話形式になっていく気がします。チャットサービスの「Discord」のように新たなプラットフォームに色々と触れると、複線化したコミュニティの中での対話を通して、自分のわからないことに出会えて楽しい。学びは「わからないことを知りたいと思う」ことから始まりますから。

【編集後記】

取材後、編集後記で何を書こうかをずっと悩んでいました。それは、何も思うところがなかったからではなく、むしろ、「共感した」とか「良かった」とか、そういった単純な言葉では表現し切れないような感情や衝撃が、自分自身の中でじわじわと湧き起こっていたからです。この編集後記を書いている今ですらそうなのですが、取材直後から、布施さんの考えや言葉の海に自分自身が漂っているような感覚がずっと続いています。

もしかすると、これこそが布施さんがおっしゃる「学び」や「知」なのかもしれない、とふと思いました。わからないなりに思考を続けたり、言葉にできないモヤモヤとした感情を受け止めたり、すべてをすっきりと理解できなくても、この過程の中から自分自身にとっての気づきを一つでも見つけられれば、それで十分なのだと体感したように思います。

「学び」と聞くと、どうしてもたくさん知識を蓄えて、何もかもを完璧に知っている状態をゴールとしてイメージしてしまいがちですが、もう少し緩やかに捉えることができれば、「学び」のタネは私たちの周りのあらゆるところに転がっているのかもしません。
(未来定番研究所 岡田)

撮影協力:上野下スタジオ