2021.02.18

知れば知るほど「知らない」が広がる。それが学びのおもしろさ。

さまざまな分野の物事に興味・関心を抱き、日々学びを重ねる作家の朝吹真理子さん。小説やエッセイの執筆活動に留まらず、月替りでファッションデザイナーを訪問してそのクリエイションの源に迫る雑誌連載や、自身の興味を深めた先に新たな仲間と研究会を企画されるなど、汲めども尽きせぬ知的好奇心で世界を広げています。朝吹さんの姿勢を通じて見えてくる、学ぶことの面白さやその可能性について、お話を伺っていきます。

TOP画像:Photo © T.MINAMOTO

好きなものに、少しでも近づきたい。

「宗達の蓮池水禽図が恋しくて、気づいたら鉢を衝動買いしてしまった」(朝吹真理子Instagramより)

F.I.N編集部

歌舞伎や将棋、香り、発酵などさまざまな分野の物事に関心があるという朝吹さんですが、もともと好奇心旺盛だったのでしょうか。

朝吹さん

特に好奇心が強いと思ったことはないのですが、むかしから、体感する、ことが好きな気がします。子供のころ、鉱物標本が大好きで、眺めるだけでは物足りなくなってきて、触ったり、においを嗅いだり、なめたり、かじったりして、 好きなものに少しでも近づきたいと思っていました。今年の1月にエッセイ集が出来上がったのですが、刷り上がったばかりの見本が手元に届いたときも、タイトルの箔押しを指でなぞって、カバーのすべすべした感触が気持ちよくて頬ずりしました。本当は本をべろんべろんに舐めまわしたいのですが、まだしていません。口唇期が終わっていないのかもしれないです(笑) 好きな物事は多いのですが、いつも漫然と、いろんなことに意識が向いている状態です。

F.I.N編集部

そんな朝吹さんは大学時代に近世歌舞伎を専門に学ばれたそうですが、歌舞伎に興味を持つようになったきっかけは何でしたか。

朝吹さん

ぼんやりした高校生だったのですが、折口信夫や柳田國男の文章を読んで、民俗学に興味を持ったのがきっかけかもしれないです。いまのことや未来について考えるには、過去を振り返って、昔生きていた人々のことを知ることが大切だと思っています。歴史上の人物は、本や資料にたくさん残されているけれど、その背後には、名前は残らずともたしかに存在していた人たちがたくさん生きていた。そのひとたちに関心があります。どんな人生をそれぞれ送ったのか、どんなことを怖いと思っていたのか、どんな夢を見ていたのか、そういうことが知りたかったんです。民俗学の本を読むと、芸能に関心がわいてきて、 歌舞伎もみるようになりました。江戸時代の歌舞伎の台帳は、じっさいに役者が舞台の上で口に出した文字が書き付けてある、と思うと、肉声がきこえてくるような気がして、その役者の声を聞いていた観客たちのこともわかるかもしれない、と思って、学んでみたいと思いました。歌舞伎は、お大名から庶民まで、幅広い客層に楽しまれたものだったので、みているひとの目もたくさんです。いまはもう少し高いと思いますが、私が学生だったころは、天井桟敷から 舞台をみおろせる幕見席が800円~1,300円くらいで、映画1本を観るのとほとんど変わらない値段でした。はじめは義太夫もちんぷんかんぷんで、セリフも聞き取れず、意味がわからなかったのですが、音楽だと思って聞いていると、 グルーブに乗る感じがわかってきて、だんだんライブ会場にいるような感覚になりました。何度か通うと、グルーブが体になじんできて、意味もわかってくるようになりました。ぼんやりと何度も通った時間も大切だった気がします。

F.I.N編集部

歌舞伎を観るようになり、ご自身の中で変化したことはありましたか?

朝吹さん

江戸時代の人たちに近づきたいと思って、自分の部屋を和室にしたんです。 ベッドをお布団に変えて、着物を着て、大学に通いました。そうすると、自然と歩幅も変わるし、所作も変わる。それで江戸時代の人々の何がわかったかと問われると、はっきりしたことは言えませんが、学びたい気持ちが暮らしのすべてにあって、没頭できました。着物をきると、つける香水も変わって、白檀のお線香を焚いたり、伽羅香木にひかれたり。

F.I.N編集部

朝吹さんはたびたびエッセイの中でも香りについて書いてらっしゃいますね。

朝吹さん

香りは好きですね。いいにおい、よからぬにおい、どっちも。好悪はかなり紙一重ですしね。今は香道に関心があります。ただ、香道は香りを嗅ぎ分けるだけではなくて、香炉のなかの灰をお山のように整える必要があり、お香を焚くのも、火加減が難しくて、煙が出たらいけないらしいんですね、あったかい、 けど煙は立たないように、とか、繊細さが必要なのですが、私はものすごく不器用で、一度もうまくできたことがないんです。何度失敗しても許してくれるような寛大な先生に出会えたら、香道を習ってみたいと思っていますが、そういうこと言っている時点で及び腰ですよね(笑)

「普段暮らしている気候のなかで、香りを選べるのはしあわせです。」(朝吹真理子Instagramより)

学びには気持ちのいい渇望がある。

F.I.N編集部

興味を持っている物事が、作品に繋がることはありますか?

朝吹さん

気づいたら作品につながっているということが多いかもしれません。いまお話ししている、歌舞伎や鉱物、香水、興味を寄せているものについてエッセイを書くこともあるんですが、1月に発売した『だいちょうことばめぐり』は、 そのときどきで好きなものとか、身のまわりのことを書いています。もともとは、日本で一番古いタウン誌『銀座百点』に連載していたもので、編集長の田辺さんから「歌舞伎の演目についてのエッセイを連載してほしい」とリクエストをいただいたのですが、私の勉強不足で「歌舞伎について毎月書くのは難しいです」とお話したところ、じゃあ、歌舞伎の演目が1行でも出てくればいいです、という身辺雑記になし崩しになりました(笑)。『銀座百点』はお店のレジ横や入口に置いてあるフリーペーパーで、お洋服を包んでもらっている間とか、料理を待つ時間に読まれることが多いかなと思ったので、気軽に読めるよう、季節のめぐりや食べもののことを書きました。

「すべすべした薄い紙をカバーにしているので、頬擦りしたり撫でたりしていると、すぐにめりめりしてきます」(朝吹真理子Instagramより)

F.I.N編集部

興味のあるもの、好奇心をくすぐられるものについてお話を聞いてきましたが、朝吹さんにとって知らないことを知る、学びのおもしろさはどんなところにありますか。

朝吹さん

知れば知るほど知らなさが広がって、とめどない。そういうところが学びの面白さだと思います。何か一つ知ると、知ったことよりも、知らないことの多さを実感する。それは怖いことでもあるのですが、全部わかることはないとしても、もっと知りたい、もっと近づきたいという、渇望がわいてきます。学問として何かを学ぶことも憧れるのですが、私は、実証を丁寧に重ねることが苦手で、落ちこぼれでした。本当に研究者の方々はすごいなと尊敬しています。歌舞伎研究家・服部幸男さんが天才的な発想と同時に、膨大な資料に当たって書き上げた『さかさまの幽霊』は、本当にすばらしいです。名著です。

F.I.N編集部

興味のあるものは、本で調べるように習慣とされていますか。

朝吹さん

習慣、かもしれないですね。そういえば、このあいだネットニュースで、約100年前のスペイン風邪が流行していた頃に12歳の少女が綴った日記が最近見つかった、と読んで、いま本にしている最中だと書いてあったので、すぐに版元に問い合わせて、本の予約をしました。スペイン風邪が猛威を奮う中、少女がどんなことを考えていたのか、少しでも読んで、知ってみたいなと思っています。過去のものを読むとき、未来のことも書かれているのではないかと思いながら読むので、興味深いです。

不安な時こそかつての言葉に耳を澄ませたい。

「私は湯気に反射する光、トタン屋根ごしの光、そういう一枚ウェールがかかったような感覚に官能をかんじます」(朝吹真理子Instagramより)

F.I.N編集部

現代は、いろいろな情報がネットにあふれていて、朝吹さんのように自分で深堀りをしない人も多いように感じます。

朝吹さん

さきほどの12歳の少女の日記は、私もはじめはネットニュースがきっかけでしたが、気になって調べていくと、いろんなことにであえますよね。知りたい物事が一つでも二つ、増えていくことは、おもしろいですよね。そして、もっと見たい、もっと知りたいという好奇心は、人類の繁栄にもかかわってきたんじゃないかなと思います。好奇心の強い人たちがいたから、人類は一つの場所にとどまらず、移動を続けて世界中に拡散しました。好奇心は、もちろんいいことにも、悪いことにもむいてゆくので、デモーニッシュ(悪魔的)な欲望を呼び起こす、危ない面もあります。たとえば科学者が新しい爆弾を作ったら、落としてみたいと思うんじゃないでしょうか。好奇心は大切だけれど、好奇心が取り返しのつかないことをしてしまう可能性もある。だから、好奇心と理性とのせめぎ合いも重要だなと感じています。

FIN編集部

5年先、朝吹さんご自身と社会は、それぞれどのように変化しているでしょう?

朝吹さん

自分のことはわかりませんが、5年先も小さいお店がいっぱい残っていてほしいなと思います。カウンターしかないようなこじんまりとした店が大好きなのですが、いまは本当に大変だと思うんです。あとは、過去のことを知っていくうちに未来のことが見つかることがあると思っているので、こういった状況だからこそ、かつて書かれた言葉に耳を澄ませたいです。

Profile

朝吹真理子

作家。2009年「流跡」でデビュー。2010年同作で第20回Bunkamuraドゥマゴ文学賞を最年少受賞。2011年「きことわ」で第144回芥川賞を受賞。その他の作品に、小説『TIMELESS』などがある。

『だいちょうことばめぐり』

朝吹真理子さんの最新エッセイ集『だいちょうことばめぐり』(写真=花代)は河出書房新社より絶賛発売中。定価本体1800円(税別)、四六版上製、248ページ、お問い合わせ先=河出書房新社営業部(電話03-3404-1201)

編集後記

朝吹さんの、お話しのされかたや表情がとてもやさしく穏やかである一方、数々のエピソードから伝わってくる探究心の旺盛さに圧倒されっぱなしでした。一般的に「知らない」ということは、つい恐れや恥を連想してしまいます。しかし、朝吹さんはそれを五感すべてでそのおもしろさを味わい尽くしていらっしゃるように感じました。これからの未来、それを自分自身だけでなく他者とも分かち合うことで、さらに学びのおもしろさが増幅していくのではないかと思います。(未来定番研究所 中島)