地元の見る目を変えた47人。
2023.09.15
勝ち負けの今
テストや運動会で順位をつけない小・中学校が増えているという近年の教育現場。「勝ち負けをつけない」「競わせない」ことで劣等感は消えるかもしれませんが、競争心を刺激しないことは子どもたちの成長にどう作用するのでしょうか。そんな疑問を抱えたF.I.N.編集部は、鎌倉・浄明寺エリアで小学生が放課後に集まって学習する〈マナビノキ〉へ。こちらでは子どもたちの「知りたい!やりたい!」という知的好奇心を伸ばすため、「探究型学習」を取り入れています。今回は〈マナビノキ〉代表の末原絵美さんに、今の教育現場における「競争心」や「勝ち負け」、そしてそうした教育が子どもたちにもたらす影響について伺いました。
(文:船橋麻貴/写真:嶋崎征弘)
末原絵美さん(すえはら・えみ)
1982年生まれ。兵庫県神戸市出身。兵庫県立兵庫高校、大阪教育大学教育学部人文社会課程卒。大学で哲学・倫理学を学んだ後、神奈川県公立小学校教諭として10年勤務。その後、鎌倉にある横浜国大附属小に転じ、生活科、総合的な学習の時間の研究・実践に取り組む。学校でのカリキュラムを越えた体験活動的な学び、教科の枠にとらわれず、自分の「?」を解決するような「探究的な学び」を独自に研究するため、2019年に教育事業〈NPO法人マナビノキ〉を設立。
予測不能な社会だからこそ、
自らが問う「探究型学習」が必要
F.I.N.編集部
国公立の小学校で教員をされていた末原さんが、アフタースクール〈マナビノキ〉を開設したのはなぜですか?
末原さん
そもそもの原点は、川崎の小学校教員時代に生活科や総合的な学習の時間の研究・実践をしていたことですね。この生活科や総合的な学習というのは教科書がないので、学校から出て地域でフィールドワークを行っていたんです。例えばキレイな桜並木が気になれば、みんなで桜保存会の方にお話を伺ったりして。私はこの学びが大好きだったんですよ。なぜかというと、国語・算数・理科・社会という教科をシームレスに学べるから。河川について研究すれば、その土地の歴史を知れて社会の学びになるし、川の水質を調べたら理科も学べる。研究結果をまとめれば国語や算数の学びにもなる。好奇心を持って楽しく学習することは、ものごとを深く掘り下げて学ぶためのタネになるんですよね。
そして、2020年に文部科学省が行う学習指導要領の改訂に向けて、2010年ごろから自ら問いを立てて学ぶ「探究型学習」という言葉が出てきました。生活科や総合的な学習を研究するなかで、この「探究型学習」はやはり、子どもたちが人・もの・ことと向き合って自分の「解」を見つけられるから、教科書を使って教えるよりもめちゃくちゃ面白い。その後、「探究型学習」の研究を深めるために鎌倉の小学校に赴任し地域学習を行ううちに、歴史や自然などの教育材の豊かさに魅了されてしまって。学校のカリキュラムや教科の他に、子どもたちに出会わせたい人・もの・ことがいっぱいある。学校ではできることに限りがあるので、教員をやめて私自身も学校の外にでたわけです。
F.I.N.編集部
それで〈マナビノキ〉を設立されたのですね。
末原さん
いえ、実は設立前の半年間くらいは、青空教室でフィールドワークをしていました。子どもたちと山の中で秘密基地を作るワークショップを行ってみたり。そこで「やりたい!」という好奇心や実行力、友達と協働する楽しさ、創造する喜びを享受している子どもたちの姿を目の当たりにしました。体験に勝る学びはない。そう確信して、「探究型学習」を取り入れたアフタースクール〈マナビノキ〉を2019年に始めました。
F.I.N.編集部
末原さんはどうして今、子どもたちの教育に「探究型学習」が必要だと考えているのでしょうか?
末原さん
IT化やコロナ禍の訪れなど、この10年で社会変容が急加速したと思います。社会が目まぐるしく変わっていくなかで、私たちが教えたことはすぐに古い価値観になるじゃないですか。要は予測不能で変化の激しい社会になった今、これまでのような詰め込み型の前へならえの教育では太刀打ちできない。問いや正解が常に変わる多様な社会でもあるので、自分で答えを導く必要がある。だから「探究型学習」で自ら体験し、調査し、思考し、判断する力を幼い頃から磨くことが大切だと思うんです。
F.I.N.編集部
なるほど。〈マナビノキ〉の「探究型学習」では具体的にどんなことを学ぶのですか?
末原さん
先ほどお話しした文部科学省の学習指導要領は10年に一度改定されますが、次の2030年に向けたキーワードは、一人ひとりに合わせた「個別最適な学び」。だから、〈マナビノキ〉では、「探究型学習」と「個別最適な学び」を掛け合わせた『MY PROJECT』、通称『マイプロ』を取り入れています。『マイプロ』をわかりやすくご説明すると、夏休みの宿題に自由研究ってあったじゃないですか。あれを通年やるイメージです。学習のテーマは子どもたち自身が決めますが、興味関心もそれぞれ。だから、星が好きだから星について調べる子もいれば、弟や妹のためにおいしいドーナツ作りの研究をしている子もいます。なかには、釣り好きが高じて、釣竿や魚の剥製を作った子も。『マイプロ』は始まりも終わりも自分で決めてもらいますが、回数を重ねるごとに好奇心が駆り立てられて、学びがどんどん深まっていく場合が多いですね。
F.I.N.編集部
実際に『マイプロ』を行うと、子どもたちにはどんな変化が起こるのですか?
末原さん
自分が知らないことを深く知れたり、できなかったことができるようになったりするので、多くの子は自信を持つようになります。『マイプロ』では他の子と比べることは一切ないので、卑屈にもならないですし、マウントも取らなくなるんですよ。入ってきたばかりだと、「その漢字書ける」「そんな計算すぐできる」と他の子たちの上に立ちたがるんですけど、〈マナビノキ〉ではそんなことは関係ない。テストの点数よりも、自分が立てた問いに対してどれだけ深く研究できているかが大事なんです。自分の好き嫌いや得意不得意を知り、「このジャンルだったら誰にも負けない」という自信を持てるから、同じことを行っている他の子を認めるようにもなれますね。
F.I.N.編集部
自分の好き嫌いや得意不得意を小学生のうちに知れていると、大人になってから役に立つことはあるのでしょうか?
末原さん
私自身、自分の好き嫌いや得意不得意を知ったのは、社会に出てから。教員をしていた時の教え子やうちの20代の職員も同じように感じているみたいなんですよ。自分の好き嫌いや得意不得意がわからないから、「自分が何をしたらいいかわからない」と言っていて。その原因はやっぱり、自分に向き合う経験が少なかったからだと思うんです。もし「探究型学習」と「個別最適な学び」をしていれば、就職活動や社会に出た時に慌てて自分を見つめ直さなくてよくなるはず。だって、ずっと自分の「好き」を見つめ、学びのタネを育てた子どもたちは、大人になって自分が何をしたいかを改めて考えなくたってもう知っていますから。
誰も飛び抜けない、誰も落第しない。
「勝ち負けをつけない」「競わせない」教育
F.I.N.編集部
ここからは末原さんに、教育現場の「勝ち負け」や「競争心」についてお伺いします。テストや運動会で順位をつけなくなったりと、「勝ち負けをつけない」「競わせない」といったことが起こり始めたのは、いつ頃なのでしょうか。
末原さん
私の感覚では2000年代初頭に始まったと思います。SMAPの楽曲『世界に一つだけの花』がヒットしましたが、「No.1にならなくてもいい」「もともと特別なonly one」という歌詞は共感を呼び、教育現場でも多く使われていました。もちろん、とてもいい曲だとは思いますが、私としては自分で自分の限界を決めず、目の前のことに精一杯チャレンジしてほしいという気持ちの方が大きいですね。なぜなら、幼い頃って自分の限界なんてわからないじゃないですか。諦めそうになった時、「あなたはもっとできる」ということを伝え、子どもたちを引き上げてあげるのも、教育の役目だと思うんですよね。
F.I.N.編集部
その後、「勝ち負けをつけない」「競わせない」という教育がさらに加速していったのですね。
末原さん
そうですね。テストで100点を取った子を壁に掲示しようとしたら、「人権侵害よ」って管理職の上司に怒られたりもしましたね……。反対に提出物が遅れている生徒の名前を黒板に書くといった行為も、完全にNGになりました。2010年代には、「勝ち負けをつけない」「競わせない」といった教育が定着していた気がします。現在も続いていて、学芸会の主役が何人もいたりしますよね。これまではオーディションで主役争いをしていたけど、今は競わせず、やりたい人みんなでやるという方針の学校が多いです。
あっ、そういえば今から20年近く前、私が新任の時に受けた体育の研修では、短距離走が遅い子もゴールテープを切れるように、足の早い遅いでスタート地点を変えることもありました。
F.I.N.編集部
足の遅い子はゴールテープを切る楽しさを知れる一方で、足の早い子としては損した気持ちになりませんか?
末原さん
子どもだって、もちろん気付きますよね。「このくらいの感じでやればいいのか」って思う子も増えていると思います。あとは何かに秀でることが苦手になって、学校で目立たないように過ごしてしまうし、人の目や評価を気にして、無難でいようとしてしまう。これは「勝ち負けをつけない」「競わせない」教育の欠点だと思います。誰も飛び抜けないよう、落第点を取らないように、平均的な教育を推し進めた結果ですよね。
この「勝ち負けをつけない」「競わせない」教育は、子どもの自尊心を傷つけないいい方法ではあるとは思いますが、私が問題に感じているのは競うカテゴリーの少なさ。小学校では勉強や運動ができる子が目立ちますが、そのカテゴリーのなかに釣りやレゴなど、もっとマニアックなものが入ってもいいと思うんです。子どもには必ず、得意なことがありますから。
比べる相手は、過去の自分。
「勝ち負け」と「競争心」の必要性
F.I.N.編集部
ここで改めて伺いたいのですが、子どもたちの教育において、「勝ち負け」や「競争心」は必要だと思いますか?
末原さん
そう思います。やはり「1位になりたい」「選抜に選ばれたい」といった目標や目的があるとモチベーションになるし、そこに向かって頑張れますから。先ほどの体育の話で言うと、手加減された状態でずっとゴールテープを切っていて楽しいわけがありませんよね。子どもというか、人間は簡単にできたことを褒められても、さほど嬉しくないんです。それよりも、苦手なことを努力してできるようになる方が幸せを感じられる。だから「勝ち負け」や「競争心」は必要だけど、その相手は他者でなくて自分自身。これまでの自分と比べ、今の自分が成長できているかどうか。それが大切だと思います。
F.I.N.編集部
〈マナビノキ〉の探究型学習では、他の子たちと競ったり、比べたりすることはないでしょうか。
末原さん
競争相手は自分自身なので、他の子と比べることは絶対にありません。『マイプロ』では、同じテーマを繰り返し掘り下げていく子が多いんです。一つのテーマについて知ると、前回よりももっと深く学びたいと思うみたいで。そこで私たち大人ができるのは、前回よりもできたこと、成長したことを見つけてあげること。そうすることで学ぶ楽しさ、成長する喜びに子どもたち自身が気づき、「あれもやりたい! これもやりたい!」と自分の可能性に期待するようになるんです。
F.I.N.編集部
現在は文部科学省が「探究型学習」と「個別最適な学び」を推し進めていますが、〈マナビノキ〉のように、しっかりと取り入れるのは難しいものでしょうか?
末原さん
うちで預かっているのは、1日10人程度。「探究型学習」と「個別最適な学び」は一人ひとりに並走する必要があるので、公立の小学校のような30人以上のクラスではどうしても難しい。私も小学校の教員時代に同じことをやれたかといえば、やっぱり無理だったと思います。ですが、私たちのような外部機関がそういう教育を提供することで、子どもたち自体が変わっていけば、国公立小学校の現場も少しずつ変わっていくと信じています。
F.I.N.編集部
では最後にお伺いします。末原さんは5年先の未来、どんな教育が広がっていることを望みますか?
末原さん
5年先って、2028年かぁ……。2030年に向けて「探究型学習」と「個別最適な学び」が進んでいる最中ですが、しっかりと浸透しているといいなと思います。そうした学習を通して、自分なりの「解」を出せる子どもが増えていると嬉しいですね。予測不能な社会のなかで困難にぶつかった時、どう打破していくか。それを考えられるような教育が広がってほしい。これからますます多様化して選択肢が増えていく社会になると思いますが、子どもたちには自分が納得して選んだ答えを出してほしいですね。それには正解も不正解もないと思うし、自分の選択に自信を持てるような教育が当たり前になっていたらいいですね。
【編集後記】
競う/競わないと考えると頭の中で自動的に相手の対象となる「誰か」を連想していた自分にハッとしました。大事なのは「誰か」と競って一喜一憂するのではなく「自分」と競うことなんだと。VUCAという言葉通りに、自分の身も取り巻く環境もいつ何が起こるか分からない時代になりました。ぐらぐらと不安定な今を生きる私たちが、豊かに生きていくヒントは「自分」と競争して、ぶれない自信を築き、自分をよく知っていくことなのだと感じました。
(未来定番研究所 小林)
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