2024.02.02

学びのかたち

3人の弟子に聞いた、師匠に学ぶ理由。

近年、SNSやYoutubeが普及したおかげで、学校に通わずともいつでもどこでも学べるようになりました。しかしそんな現代でも、師匠に弟子入りをして学ぼうとする人たちがいます。今回は、さまざまな業界で奮闘する弟子の方々に3つの質問を投げかけました。師匠と弟子という関係だからこそ広がる「学び」とは何かを探っていきます。

 

(文:長谷川希/写真:西谷玖美)

推しから師匠に。“魂が乗る実況”とぶれない知の土台を求めて。

ゲームキャスター・篠原光さん〔師匠:岸大河さん〕

Profile

篠原光さん(しのはら・こう)

1994年、東京都生まれ。ゲームキャスター。2018年にアナウンサーとして日本テレビに入社。情報番組『ZIP!』キャスター、情報バラエティ『ヒルナンデス!』アシスタントなどを経て、2023年に日本テレビを退社。その後はゲームキャスターとして活動中。
Instagram: @ko_shinohara

Q1. 弟子入りを志願したきっかけや理由は何ですか?

昔からとにかくオタク気質で、中学時代に「ニコニコ動画」に出会い、「踊ってみた」「歌ってみた」「ゲーム実況」などのネットカルチャーの中で育ってきました。その後、日本テレビのアナウンサーとして働く中で、ここで学んだスキルを使ってサブカルチャーを発信したいと強く思うようになったんです。それがeスポーツキャスターへの転身のきっかけです。せっかく挑戦するなら“推し”と一緒にやってみたい。そんな思いでeスポーツ実況の第一人者である岸大河さんのもとへ飛び込みました。

 

そもそも岸さんに強い憧れを抱くようになったのは2022年のこと。eスポーツの大会で日本代表が世界3位になった歴史的な瞬間があり、その時に実況を務めていたのが岸さんでした。プロゲーマー出身の方だからこそ、ファン目線に近い、願いを込めた喋りをしていたのが印象的で。目の前で伝えているものに対して100%の熱が入った“声に魂が乗る瞬間”を見て、一瞬で惚れてしまったんです。そこからずっと会いたいと思っていたのですが、運が良いことに岸さんがレギュラーを務めるeスポーツ番組のアシスタントを、日本テレビの先輩アナウンサーが務めていて。岸さんのファンだとアピールをして収録現場を覗かせてもらい、そのまま本人に「ご飯に連れて行ってください!」と声をかけたことがきっかけで現在の師弟関係へと繋がりました。

Q2. 師匠から学んだことは何ですか?

喋るスキルを学ぶために弟子入りしたと勘違いされることが多いのですが、その技術はアナウンサー時代にいろいろな方から教えていただいているし、自分でもたくさん練習したと自信を持って言えます。なので、どちらかというと「岸大河が見てきたゲームの世界を知るために弟子入りをした」という感じです。eスポーツは新しいカルチャーではあるものの、もうすでに10年以上続いている業界なので、その間に何があったのかを知ったかぶりたくない。口で伝える仕事だからこそ、知識の面で自分がぶれないための土台を作りたかったんです。その思いを岸さんに伝えたら「ゲームの歴史や知識を教えることはできるけど、いわゆる“師匠と弟子”の関係は嫌です」とはっきり言われました。そこから長いこと真剣に考えたうえで「僕は偉そうにできる立場ではないので、お互いが学び合える関係でいましょう」と迎え入れてくださったんです。お母さまにも相談してくれたみたいですよ(笑)。

 

歴史や知識を学ぶのは、岸さんとの日常会話の中が一番多いですね。例えば、今盛り上がっている大会を見て「昔は〜〜だったよね」という話が出たら、どれくらいの人が来てどんな場所でやっていたのか、使っていたガジェットは何か、というような質問をたくさん投げかけて教えてもらっています。そうすることで、当時のリアルな姿が見えてくるんです。ネットを使って自力で辿り着ける情報は、瞬間的に切り取られた目立つものだけ。それ以外の部分は、やはりその場にいた人から直接学ぶしかないな、と改めて感じますね。

Q3. その学びを今後どう活かしていきたいですか?

アナウンサーの経験から、誰にでも分かりやすく情報を咀嚼して広く伝えることは得意です。でも歴史に思いを馳せる実況は、やっぱり岸さんをはじめとする業界に長くいる人しかできません。この差は埋められるものではないのですが、これまでの歴史を少しでも多く学ぶことで、あの日見た岸さんのように魂を乗せた実況ができるようになりたいです。

あとは、やっぱりこのゲーム文化をさらに広げていきたいですね。岸さんってものすごく職人気質な方で、自分がやっている仕事のクオリティを追求していく人なんです。例えるなら、町から離れた山奥でめちゃくちゃ良い刀を作る人。僕は、町でその刀を見つけて山奥へと入っていった人。町にいた経験がある僕だからこそ、この世界を知らなかった人たちも呼び込んで輪を広げていく技術があるような気がして。ただし一人ではできないことなので、ゲーム界の伝え手たちとチームを組んで、ゲームの楽しさを伝えていけたらいいなと思います。

ゲーム実況の必需品のiPadには、出場チームの特徴がぎっしり書かれた資料が入っている。実況に向けて篠原さんが独自にリサーチし、まとめたもので、アナウンサー時代からの習慣だという。

家業を継ぐために、外へ出る。ともに悩み、考えてくれる師匠との日々。

〈金井畳店〉二番弟子・望月宝さん〔師匠:金井功さん〕

Profile

望月宝さん(もちづき・たから)

2004年、静岡県生まれ。富士宮市の畳店〈望月畳店〉を営む両親のもとに生まれ、高校卒業後に上京。現在は浅草橋で114年続く〈金井畳店〉で修行に励みながら、畳の職業訓練校にも週2回通っている。
Instagram:@kanai.tatami.ten(金井畳店)

Q1. 弟子入りを志願したきっかけや理由は何ですか?

実家が畳店を営んでいるのですが、小学校の卒業スピーチで話すことがなくて、特に深く考えもせずに「実家を継ぎます」と言ってしまったんです。みんなに宣言しちゃったし、父や祖父が喜んでいる姿を見て「もう自分は畳の道に進むしかないな」と思うようになりました。高校卒業して、いよいよ本格的に家業を継ぐにあたって、「親と一緒だと甘えが出てしまう」という父親の提案で、外に出て修行をすることになったんです。〈金井畳店〉は父が出してくれた選択肢のひとつ。最初は京都の畳店で修行をしたいと思っていたのですが、修行先を決める段階で〈金井畳店〉にも2、3回通わせていただいて。その時に、僕が今後どうなっていくのかというビジョンを紙に書いて渡してくれたんです。一級畳製作技能士を受けられる7年先までのビジョンが書いてあり、そんなに真剣に考えてくれていることがありがたくて、ここで学びたいと思い弟子入りを決めました。今は週2回、畳専門の職業訓練校に通いながら、親方とその上の会長と3人で働いています。

Q2. 師匠から学んだことは何ですか?

関西と関東で畳作りの技術の違いがあって。親方はそのどちらも知っていて、その良いとこ取りをしながら畳作りをしている人。畳職人の中でもこんなに高い技術を持っている方はなかなかいないんです。それもあって、弟子入りしてすぐの頃、新しい技術を学んだことで天狗になっていた部分があったのですが、親方から「技術を持っているからすごいわけではないぞ」と言われた時に、その姿勢は大事だな、とハッとさせられましたね。

 

作業場はいつでも使って良いと言ってくれているし、失敗しても怒らずにたくさんチャレンジをさせてもらえるのはありがたいなと思います。どちらかというと褒めて伸ばしてくれる方で、ヘリの仕上げが上手くできた時に「これはいいんじゃねえか?」と声をかけてくれたり。間違っているときはきちんと指摘をしてくれますが、技術的な部分で質問したことに対して「今までそのやり方について深く考えたことなかったなぁ」と言いながら一緒に考えてくれたりもします。お客さまの前での振る舞いも一から学ばせていただいていて、すごく良い環境の中で過ごしているな、と思いますね。

弟子入りして約9ヶ月が経った望月さんの手。「親方の手はもっと分厚くて、自分はまだまだです」と話す。

Q3. その学びを今後どう活かしていきたいですか?

最初は畳1枚も重くて運べなくて。1年やってみて、どれだけやれば技術がついて来るんだろう、と途方に暮れたこともありました。それでも他の選択肢を蹴って一本でやろうと決めた道。親方の手を抜かない、という姿勢は僕も守りつつ、まずは技術をたくさん学んで、いつかお客さまからのどんなリクエストにも応えられるような畳職人になりたいです。最終的には実家に戻って立派に4代目を務めたいと思っています。

意見することが仕事。小さな声を採用する現場での学び。

映画監督・広瀬奈々子さん〔師匠:是枝裕和さん〕

Profile

広瀬奈々子さん(ひろせ・ななこ)

1987年、神奈川県生まれ。武蔵野美術大学卒業。2011年より「分福」に所属し、是枝裕和監督や西川美和監督のもとで監督助手を務める。2019年に柳楽優弥主演の『夜明け』でオリジナル脚本・監督デビュー。同年12月にドキュメンタリー映画『つつんで、ひらいて』を発表。

Q1. 弟子入りを志願したきっかけや理由は何ですか?

大学を卒業しても就職先が決まらずにアルバイトをしていたんです。そんな中、友人がSNSで是枝監督がアシスタントを募集していると教えてくれて試しに応募したことが始まりです。当時は、卒業制作を送った後に是枝監督と「どんな映画が好きなの?」というような他愛のない会話をするだけの試験で。お話しした時に「同じ言葉の感覚を持っている話しやすい大人だな」と思い、不思議と受かったかもな、という感覚になりました。実際、是枝監督も私と話して採用を決めてくれたと聞いています。

Q2. 師匠から学んだことは何ですか?

「分福」に所属してから早速、「監督助手」というポジションにつきました。おそらく是枝監督が作り出したポジションだと思うのですが、現場を円滑に進めるための進行役である助監督とは違い、「監督助手」は脚本から編集まで監督とずっと一緒に伴走する人。気になることがあったらその都度意見を言うことを一番求められている仕事です。通常の撮影現場に監督助手という役割はないので、そこで堂々と振る舞えるようになるまでが怖かった。つい先日まで和食屋でアルバイトをしていた何も知らない人間が「監督、こう撮ったらどうですか?」と、現場を止めるわけですよ。恐ろしいですよね(笑)。でも是枝監督は、そんな私の意見を驚くほどに採用してくれるんです。監督を通じて、この指示を出すと役者がどう動くのか、ということも見せてもらえる。もちろん上手くいかないときもありますが、いいねと言ってもらえるのがすごく嬉しくて。演出ってこういうものなんだと現場で見て知っていくうちに、漠然と目指していた映画監督という仕事で、自分のやってみたいことが見えてきた感じがしましたね。

 

監督助手をやる中で採用された演出は是枝監督のアイデアだと思うようにしていますが、『そして父になる』で自分の意見が採用された時のことは忘れられません。両親が子どもを置いて車で帰る、という描写を撮影する時に「子どもから遠ざかっていく画を撮るのはどうでしょう」と意見を言ったんです。本来であれば、両親は運転して彼を見ないようにしているからこの目線にはならないので「見えていないはずの視線を撮るのはどうかなぁ」とは言いながらも、やっぱり監督はやってくれて。その後、編集作業していた時に「この場面よかったね」と、映画の中で使われることになりました。予告編にも採用されて、かなり思い出深いシーンです。

 

監督助手としては、西川美和監督の現場へ行くこともありました。是枝監督は、現場で面白い方法を追求するためにわざと余白を残しながら作っていく部分があるのですが、西川監督は、緻密に取材を重ね、自分の中の答えを見つけて現場で迷わないようにするというやり方を長年続けてこられている方。西川監督のおかげで、是枝監督のやり方だけが正しいわけではない、ということにも気付けましたね。

Q3. その学びを今後どう活かしていきたいですか?

その場にあるものを受け入れる柔軟性はこれからも真似をしていきたいです。セリフの語尾が変わるだけでも、そのシーンの印象って違ってくるんですよ。変化を良しとする姿勢は面白いところだと思うので、より柔軟な演出ができるようにスキルアップしていきたいという意識はずっと持っています。映画作りにおける基礎はほぼ是枝監督から学びましたが、今はそこからどう脱却していくのか、というのに悩んでもいます。「広瀬奈々子はこんな作品を撮る人なんだ」というのを知ってもらうためにも、是枝監督にはない部分を売りに出していけるような作り手になっていきたいです。

【編集後記】

3名の弟子の方々にお話を伺いましたが、共通していたのは、従来の「師弟関係」という言葉からイメージするものとは言い表せない新しい師弟の関係性、在り方でした。守破離というように、師から弟へという一方向の学びもありながら、そこには弟から師への新しい気づきや発見(広義に捉えれば学び)も存在しており、互いにとってどちらも師であり弟にもなり得る関係性のように見えました。心の中に師匠はいても、現実の関係性は対等であり、そこに優劣はないように思います。もはや一概に「師弟関係」とは言えないのではないか、そんな感情を抱きました。何かをつくるという目的は一緒なのだから、お互い伴走しながらより良いものを作っていく、大らかで寛容な繋がりがより良い未来を創っていく今の師弟関係なのかもしれません。

(未来定番研究所 小林)