学びのかたち
2021.12.29
「学びの未来」について考えるF.I.N編集部では、弟子が師匠から学ぶ「師弟関係」に着目しました。この学びのシステムが現代まで連綿と続いているのはなぜなのか? さまざまな業界で師弟関係は存在しますが、今回フォーカスするのは将棋の世界の師弟関係。棋士の師弟関係とは、一体どんなものなのか。長い間棋士として活躍する、谷川浩司九段にお話を伺いました。
(文:宮原沙紀/写真:小野真太郎)
谷川さんの美しい対局姿勢をつくった師匠の教え。
5歳から将棋をはじめ、中学2年生でプロ棋士デビュー。21歳で史上最年少名人となった谷川浩司九段。若くして才能を発揮し将棋界の階段を駆け上がっていった谷川さんは、棋士の若松政和さんに師事しました。プロの棋士を目指すためには、師匠につかなければならないのが将棋界の慣例だといいます。
「私が将棋を始めたのは5歳のときです。その頃、兄と私の兄弟喧嘩が頻繁にあったため父親が二人で仲良く遊べる方法はないかと考え、将棋盤を買ってきてくれたことがきっかけでした。当時は今のようにゲームなどの遊びがなかったので、すぐに夢中になりました。勝ち負けがはっきりするという点が魅力的でしたね。小学校にあがった頃からは将棋大会に出るようになり、将棋道場にも通い始めました。いよいよ本格的に学びたくなり、小学校2年生のときに若松政和先生の教室に入会。ちょうど家から30分ほどで行ける距離にあったということもあり、楽しく通っていました。小学2年生のときにアマチュア4級だったので、もう一度基本から習う必要がありました。最初は飛角落ちで教わりました」
プロの棋士になるためには、日本将棋連盟のプロ棋士の養成機関である「奨励会」に入らなければいけません。入会するためには、必ず師匠が必要とされています。谷川さんは小学校5年生になる直前、師匠の勧めで奨励会に入るための試験を受けます。その時に、自然な流れで若松さんに弟子入りしました。プロ棋士として活躍するために、若松さんが谷川さんに伝えたのはどんなことだったのでしょう。
「小学校低学年の頃は、自分の対局中でも他人の対局が気になってしまい、キョロキョロとしていると注意されました。将棋の師弟関係とは、技術の継承はあまりしないんです。得意戦法など、その人の将棋の特徴を棋風といいます。師弟関係で棋風が似るわけではありません。華道や茶道などは流派があり、それを受け継ぐというイメージがありますが、将棋の師弟関係はそういったものではないんです。あまり師匠の考えを押し付けると弟子の良さを消してしまうことになりかねない。もちろん『こんな考え方もある』ということは伝えられますが、たくさんの選択肢のなかから結論は本人が出す。だから技術的なことを教えるというより、精神的なものを伝えることが多いです。師匠からも礼儀を重んじることや、姿勢を良くするようにとよく言われました」
谷川さんの将棋への取り組みや謙虚さ、そして対局中の背筋が伸びた姿勢。その所作の美しさは、棋士の模範とされています。幼い頃からの師匠の教えが、こういった端々に現れているのかもしれません。
駆け抜けるように昇級していった谷川さんは、14 歳のとき約3年8ヶ月の奨励会の在籍でプロ入りを決めました。中学生棋士として注目を集めながらデビューし、その後も順調にキャリアを重ね21歳で史上最年少名人の称号を手にします。1984年には九段に昇段。92年にはタイトル四冠を達成。97年には十七世名人の資格を獲得しました。
プロ棋士生活24年目で初めてとった弟子。
「10代、20代は自分の将棋のことばかり考えていました。しかし36歳のときに子供が産まれ、その後母が病気で入院するなどプライベートでの変化があったんです。三十代後半になって家族のことや、この先の人生を考えることが増えました」
そんな時、谷川さんの元に届いた一通の手紙。それは当時小学校5年生だった都成竜馬さんからでした。都成さんは第25回小学生将棋名人戦で優勝し、憧れの谷川さんに弟子入りを志願する手紙を書きました。
「子どもなりに一生懸命書いてくれた手紙だったと思います。小学生名人になるくらいなので実力はあるだろうと思いましたし、都成君の誕生日は1990年1月17日。阪神・淡路大震災の5年前に生まれたということで運命的なものを感じました。1月17日は神戸の人間にとっては特別な日です。それと、彼は宮崎県に住んでいて、宮崎出身の棋士は多くないので、私がもし断ったら、また誰か師匠を探さなければならない。いろんなことを想像して、受けることを決めました」
自分だけのことを考えるのではなく、人を育てる時期がきたのかもしれないと感じた谷川さんは初めての弟子を取りました。
「子育ては親が試行錯誤しながら奮闘しますが、弟子の育成も同じ感覚でした。都成君は当時宮崎県在住だったので、奨励会の対局のときに飛行機で大阪へ来て終わったら帰るという生活です。なかなか直接教える機会がないので、奨励会の棋譜を彼にとらせ、それに感想をつけて送ってもらう。それをこちら見て返すというやりとりを何年か続けていました。最初は彼の性格を掴んでおらず褒めた方がいいのか、厳しくした方がいいのかわかっていないところがありました。最初の頃に厳しく接したので彼の負担になってしまったかもしれません」
慣れない頃は何が正解なのか、なかなかわからなかったという谷川さん。しかし都成さんが試練のときは、師匠として励まし続けました。
「彼は17歳で三段になりました。四段になれはプロ棋士なのですが、あと一つの昇級がなかなか難しく8年以上かかりました。奨励会には年齢制限があり、26歳までに四段になれないと奨励会をやめなければならない。つまりプロ棋士を諦めないといけないということ。そんななかで師匠が厳しいことを言ったらますます追い詰めてしまう。『君は強いんだから、自信を持ちなさい』と伝えていました」
2016年、都成さんは晴れてプロ棋士に。現在、師匠として都成さんに伝えていることは何でしょうか。
「将棋ファンや、主催者があって私たちは対局に専念できる。棋士は常に肝に銘じていますが、ついつい忘れがちになってしまいます。若いうちは我を忘れるほど将棋に打ち込むことも大切ですが、人の支えがあって対局ができるというのは幸せなこと。それを忘れないようにという話をしています」
孤独な戦いを続ける人生だからこそ、師匠の存在は大きい。
現在は、都成さんとお互いに学びあう関係だと谷川さんはいいます。
「弟子は都成君一人ですが、プロ棋士を育てたということは、将棋界に対する責任を果たせたかなと思っています。彼はまだ31歳ですが、いずれ彼も弟子をとって棋士を育てる。そうすることによって将棋が繋がれていく。最近都成君もそんな気持ちがあると言っていましたので、頼もしく思っています。今は月に1回ほど定期的に研究会を開いていて、弟子も入れて後輩3人が私の自宅に来て1日3局将棋を指しています。私は若い世代の新しい考え方や感覚を学べますし、後輩には私がタイトル戦に出たときの経験なども話ができる。お互いに学びがあります。誰でも調子が良い時は自然と将棋盤に向かえますが、成績が悪いときにも同じようにできるかどうか。毎日の積み重ねを自然と続けられるように導くのも師匠の役目だと思います」
棋士の師匠とは、奨励会に入るための保証人という側面があることはもちろん、過酷な勝負の現場での心の支えという部分が大きいのかもれません。師匠にとっても弟子にとっても、お互いの存在が長い棋士人生を送る上で必要不可欠になっているようです。
「棋士の師弟関係とは特殊なものかもしれません。相撲界の親方は引退していますが、将棋の場合は現役の棋士が弟子を取るので実際の公式戦で戦うこともあります。弟子が強くなって師匠に公式戦で勝つことを『恩返し』なんて呼ぶことも。弟子と公式戦で戦ったことは一度あります。2019年に行われた第60期王位戦予選決勝。これは挑戦者決定リーグ入りがかかった大きな一番で、勝てばその後5局が約束されるものです。その時は私が勝ち嬉しい反面、弟子が強くなるチャンスを奪ったような複雑な気持ちになりました。今後もそういう機会はあるかもしれません。複雑な思いはしますが、公式戦で勝負ができるというのはやはり嬉しいことです」
テクノロジーの進化や時代の変化によって変わっていく将棋界。そのなかでも師弟関係は変わらないだろうと谷川さんは語ります。
「以前の将棋は将棋盤を挟んでからが勝負でした。しかしAIなどの発達により、事前研究の度合いがどんどん大きくなってきています。研究ともうひとつ、将棋において大切なのは考えること。藤井聡太さんの強さの秘密は、考え抜くことにあります。あらゆる選択肢や可能性を時間いっぱい使って考える。勝負のときにはひとりで考え答えを出す。孤独な戦いのようですが、やはりそこには師匠や応援してくれる人の存在があるんです。将棋界では師匠を変えるということはないので、将棋の師弟関係はとても長く続きます。自分は師匠がいて、いつも優しく厳しく見守ってくれているんだと思えることがどんな場面でも自信になると感じています」
谷川浩司(たにがわ・こうじ)
1962年兵庫県出身。将棋棋士。十七世名人の資格保持者。2018年公式戦通算1300勝を達成。竜王4、名人5など獲得したタイトルは計27。対局の終盤に、最短の手順で相手玉を寄せるスタイルは「光速の寄せ」と呼ばれる。著書に『藤井聡太論 将棋の未来』(講談社)など多数。
【編集後記】
「師匠と弟子」と聞くと、師匠の技術や型を伝承するものだと思い込んでいましたが、将棋の世界ではそうではないことに驚きました。
お話を聞いていて、伝えてくものは、いかに将棋に向かいあい、日々棋士としてどのように生きていくのかといった、棋士人生の道標の様なものだと思いました。
将棋の世界にも人工知能が入り、対局のスタイルが変わっていくなかで、昔ながらの師匠と弟子の関係は、変わることなく受け継がれていく気がします。
(未来定番研究所 織田)