学びのかたち
2021.11.09
ドイツの文豪ヘルマン・ヘッセは小説『シッダールタ』で、特定の教えを受けず、万物に関心を寄せることで開眼した人物を描きました。学びはあらゆるところにあり、それに気づこうとする姿勢にこそ、学びの本質があるのではないでしょうか。日々黙々と学びと向き合う人は、「きのう何を学んだ」のでしょうか。この企画では、勉強家・兼松佳宏さんの学びを1週間にわたりお届けします。
兼松 佳宏(かねまつ・よしひろ)
「グリーンズの学校」編集長/ 勉強家。1979年生まれ。2011年から5年間greenz.jp編集長。16年に京都精華大学特任教員に着任後、21年「グリーンズの学校」編集長として復帰。現在は、地域を旅するオンライン大学「さとのば大学」副学長(仮)、月水金・朝5:30に集まって勉強するコミュニティ「スタディ・リトリートのリズム」ホストなども務める。著書に『ソーシャルデザイン』『beの肩書き』、連載に「空海とソーシャルデザイン」など。
11月13日(金)今日も快晴。
この1週間を振り返りながら。
学びを人生の糧にするには、知識を得る「インプット」だけではなく、得た知識を使って何かに働きかけていく「アウトプット」も大事だと言われている。さらにそのあいだには、頭の中でぐるぐる考えている「スループット」があり、これも重要なプロセスだ。
だから、「いざ、勉強しよう」というとき、本を用意したり、きちんとまとめたりするよりも、わからないことをわからないものにしたまま、ただ白紙のノートに向かうことをおすすめしている。
ということで僕も白紙のドキュメントに向かって、1週間の学びの旅を振り返ってみた。
*
月曜日。家の近くを散歩しながら。
火曜日。着る服を選びながら。
水曜日。ニュースを見て。
木曜日。スーパーで買物をしながら。
金曜日。漆継ぎ教室に参加して。
土曜日。ライ麦の種を撒きながら。
こうしてみると、学びのきっかけは本当に日常にあふれているなあと思う。そして、それはいつも、自分自身のことを思い出すエウトラペリア(気分転換)になっていたことにも改めて気づく。
散歩をしたり、着替えたり、日々の営みの中で感動した瞬間があったとすれば、そのときどんな自分の願いやニーズが満たされたのかを観察すること。ニュースを読むとすれば、ひとつの出来事自体ではなく、たくさんのものの見方に触れながら、自分の世界観を広げること。
ふと気になったことがあるとすれば、その歴史を掘り下げたり、「オレンジワインがあるなら、グリーンワインも? ほかにも?」と妄想のサーフィンをしたりしながら好奇心を満たしていくこと。
あるいは「金継ぎって素敵ですよね」「ライ麦って尊いですね」とアタマで概念的に共感するだけでなく、実際にカラダの実感を通してその本質的な価値を味わい、自分の言葉の糧とすること。
*
「study」の語源は、ラテン語で「情熱」を意味する「studium」なのだそう。とすれば、学びとは、内に秘めた情熱に火を灯すことだといえると思います。みなさんも、きっと静かな情熱を秘めているはずです。それに火を灯すことは、エウトラペリアそのものであり、ひいては忙しい日常のなかで見失いがちな“本来のわたし”を癒やしてくれることにつながるのではないでしょうか。
「どうはじめたらいいの?」と思った方は、目の前にあるもので「◯◯の歴史」「◯◯の由来」と検索してみてください。”諸説あり”なことも織り込んだ上で、たとえば「ポテトチップスの歴史」とググってみると、1本のショートフィルムができそうな物語と出会えます。
あって当たり前のように存在していたモノゴトの表情が変わり、奇跡的なご縁で編まれた世界のなかで自分がいかされていることに気づいたとき、ちょっと大げさですが、それぞれが引き受けようとしている「人生のテーマ」のような何かが、きっと開かれていくと思うのです。
自分とつながる、一日30分のスタディ・リトリート(*)。そんな習慣をつづけてみませんか?
(*)兼松さんが提唱する「学ぶことで本来の自分に戻る、情熱を取り戻す」活動のこと。
【F.I.N.編集部】
あっという間の1週間、兼松さんの濃厚かつ多彩な「学び」を学ぶという贅沢な時間を過ごせました。また個人的には、自分がいかに無知であるか、日を追うごとに再認識する時間でもありました。
だからといって、自分を卑下する気持ちになったわけではありません。それはきっと兼松さんの学びから「世界にはまだまだ自分の知らないおもしろいことがある」と気づけたからです。学ぶことに対して前向きな感覚を持てたことで、いまわたしはとてもワクワクしています。もしかしたら、「自身の内なる情熱にゆっくり火が灯った」のかもしれません。この火が消えないうちに、まずはいま目の前にある「コーヒーの歴史」を調べるところから始めてみます。
11月13日(金)秋晴れ。
畑でライ麦の種をまきながら。
オンラインMTGが当たり前となり、観念的なやりとりが増えれば増えるほど、ますます地に足をつけたくなっていた今日この頃。「ライ麦の種まきをするんですが、どうですか?」というお誘いがあり、さっそく参加することに。「渡りに船」がつづく、よき学びの流れ。
誘ってくれたのは、クラフト作家の上原かなえさん。僕が住む信州浅間山の麓・御代田町は気候が北欧と似ていてライ麦を育てるのにはうってつけ。実際、昔は麦栽培も盛んだったそう。
ここで育てたライ麦は、初夏に近所の子どもたちやボランティアのみなさんと収穫する。パンの原料や馬たちの飼料になるだけでなく、北欧の伝統的な麦わら装飾「ヒンメリ」の材料としても使われる。
そして、もうひとつの大切な使いみちが、プラスチック削減のための代替ストロー。最近注目されている「ライ麦ストロー」だ。薄い皮を剥き、茎の太い部分を20cmほどにカットすると、あっというまに、優しく土に還るエコなストローのできあがり。
ちなみに、御代田産ライ麦ストローは町のふるさと納税の返礼品にもなっていて、昨年度分は完売するほどの大人気(今年度の受付はこれから)。また、ストローをつくる一連の手作業は、福祉施設の利用者のみなさんが担っていて、新しい収入源にもなっているという。聞けば聞くほどほれぼれするような画期的で無理のない仕組み。
そういえば、「ストロー」とはもともと「麦わら」のことだ。もともとの意味を忘れてしまうほど姿を変えてしまった「ストロー」が、再びその意味を取り戻すかのような感覚。でも、御代田に古くから住むおじいちゃんおばあちゃんは、昔よくライ麦ストローを使っていたそう。この土地には、麦のある風景を原体験として持つ人たちがいるのだ。
さて、次は12月の麦踏み。その頃、私たちが蒔いた種は、どんな芽を出しているのかな? きっとそうやって、この場所を愛でたくなった人たちが空いた時間にふと集まり、つれづれな会話を楽しんでいくことだろう。
古くから営みを守ってきた土のような人たちと、新しく引っ越してきた風のような人たち。子どもと大人、障がいのあるなし。そんな垣根をたやすく越えて、藁一本からご縁が広がっていく。
【F.I.N.編集部】
「ライ麦」を中心に自然と広がるコミュニティ。兼松さんは、こんな温かくて素敵な世界の住民として暮らされていのですね。そして、麦わらストローなるものがあるとは!まさに“古きを知って新しきを知る”象徴のようなプロダクトですね。「ストロー 語源」「ストロー 歴史」と調べてみると、麦わらを巡るさまざまなストーリーに出会えました。
いまやサーキュラー・エコノミーを実現するために、多くの企業や団体が新しい方法を探り、試みようとしています。解決の糸口となるヒントを見つけるには、まずは古来からの習わしに目を向けてみることから始めるべきなのかもしれない、と感じました。
11月12日(金)晴れ、風強し。
はじめての漆継ぎ教室にて。
昔からおっちょこちょいで、よくものを壊してしまう。さらに笑えないのは、気負いすぎてしまうせいか、大事なものほど壊しがちなこと。記念にいただいた器だからこそ、手が震えて、割ってしまうことはしばしばだった。大事なものを傷つけるたびに家族との関係もぎくしゃくして、自己肯定感も下がっていく。
だから、「漆継ぎ教室に欠員が出たので、参加しませんか?」というお誘いは渡りに船だった。漆継ぎとは、漆の接着力で器のひびや欠けをつなぎ合わせる伝統的な技法のこと。ちなみに金継ぎとは、漆と金で修復することを言う。
先生は、“サステナブルにめぐる器”のブランド「Zen」を展開する渡辺敦子さん。陶芸作家や窯元のもとで、欠けたり割れたりした製作中の器を譲り受け、金継ぎによって蘇らせた器をオンラインショップで紹介している。
数ヶ月かけて少しずつ直していくのだけど、初回は漆で破片をくっつけるところから。まずは、割れてしまった部分に漆が入りやすくなるように、やすりで削っていく。残念な出来事の象徴として目を背けていた破片を手に取り、じっくり眺める。「ごめんね」と心で語りかけながら、黙々と。そうして心の奥にあった黒い霧が、少しずつ晴れていった。
その後は、漆と小麦粉をこねてつくった接着剤を塗り、パズルのように形を戻していく工程へ。あのとき僕の手からするりと落ちて、器の硬度と着地の角度と地球の重力によって奇跡的にかたどられた軌跡が、漆の茶色によって浮かび上がっていく。最後はテープで固定して、時を戻すように、くっつくのを待つ。
当たり前だけれど、教室では、欠けたり割れたりした器を持ち寄ることになる。そこには、「これはこんな思い出の器で」とか、「子どもがこういうときに割っちゃって」とか、豊かなストーリーが満ちている。欠片を愛でながらそうした思い出を語り合い、モノに真新しい意味といのちを吹き込んでいくプロセスは、まるで語りによって癒やしをもたらすナラティブセラピーのようだ。
振り返れば縄文時代から、私たちは漆を使って壊れた土器を直し、欠けを継いできたのだった。これまでも、きっとこれからも、私たちは「ホモ-ナランス(語る人)」として、痛みのたびに物語を更新していくのだろう。
【F.I.N.編集部】
ふらっと街を歩くと目に飛び込んでくる「サステナブル」の文字。それを見るたびに、地球規模の環境課題を改善しようとする動きの高まりを肌で実感します。でも、同時に「本当の意味でのサステナブルってなんだろう」と自問自答することも。
今回、兼松さんが学ばれた「漆継ぎ」は、まさにサステナブルの根本に通じることなのでは、と思いました。欠片に思いを馳せ、ゆっくりと時間をかけて、モノに新しい意味といのちを与える。そして、この技法を生み出し、受け継いできた人たちがいる。それを認識することでサステナブルを考えるときの視点が、より多角的に奥行きのあるものになりそうです。
また、何かを修復したいという思いと、その思いの対象になるモノには「人それぞれの豊かなストーリーで満ち溢れている」という兼松さんの気づきにハッとさせられました。「そのストーリーに耳を傾けたい、分かち合いたい」と思う気持ちこそが、私たちがホモ-ナランスである証明なのかもしれませんね。
11月11日(木)快晴。
ツルヤのワイン売り場にて。
「たまにはいつもと違うワインでも」と、いつものツルヤのワイン売り場に行くと、オレンジワインなるものが売っていた。
長野に住んでいるとリンゴを使ったワインはよく見かけるので、「なるほど。オレンジでできたワインも悪くないだろう」と買ってみた。そしたらなんとオレンジ色ではあるものの、ブドウでできたオーガニックワインだった。
改めて「オレンジワイン」で調べてみると、「白ブドウを使って赤ワインのようにつくったもの」だそう。黒ブドウを使って白ワインのようにつくったものがロゼワインだから、その反対だ。
起源はワイン発祥の地と言われるジョージア。長らく旧ソ連の支配下にあったこともあり、国際市場に出まわらない“忘れられた”ワインだった。
転機は1990年代後半のこと。イタリアのワイン生産者がオレンジワインを再興すると、またたく間に世界的に流行。いまや赤・白・ロゼに続く第4のワインとして定着するまでになったのだそう。
(「え、とっくに知っているよ」という方、ごめんなさい!)
人気の理由は、亜硫酸の添加を控えることができる自然派ワインだったことらしい。他にも、インド料理など香辛料を使った料理などとの面白いフードペアリングができること、などが挙げられるみたい。
ナチュラルブームやグローバル化など、時代が目まぐるしく移り変わったことで、数千年という歴史を持ちながら忘れ去られていた存在が一周回って日の目を見たわけだ。何とも痛快なストーリーじゃないか。
長き時間に揉まれてきたシンプルで本質的な価値と、人々がもう一度つながりなおす。サステナビリティとは、きっとそこから始まるのかもしれない。
(以下、余談)オレンジワインがあるなら、グリーンワインは?
むむ、「オレンジワインの次は“グリーンワイン”が来る!?」ってすでにいわれているぞ。では、ブルーワインもあるのかな? あ、2015年にスペインで誕生して、すでに話題になっていた。ならば、パープルワインは? おお、こちらもオーストラリアのが大人気に!
インスタ映えカラーワインブーム恐るべし。
じゃあ、ブラックワインは? こちらはルーマニアで古い歴史を持つみたい(「鯉によく合う」ってニッチ)。うーむ、まだ発明されていない色系ワインはないものか。さすがにグレーワインはないだろう… あった… 突然変異のブドウを使っているとな… じゃあ、シルバーワインはどうだ! あ、まだ、ないみたいだぞ。やった!これだ!(なにが?)
【F.I.N.編集部】
つい先日、オレンジワインを飲む機会がありました。そのときのわたしは「おいしいなあ」で終わり。兼松さんの豊かな「学び」を知り、浅はかな自分を恥じまくっています。
自省はここまでにして、サステナビリティは「長き時間に揉まれてきたシンプルで本質的な価値と、もう一度つながりなおすことから始まる」との解釈に大きく納得しました。
近年、地球単位での最重要課題とされる環境問題も、その解決策の多くは「過去の知恵」に基づいたものであるように感じます。それと同じように、もしかしたら今を生きるわたしたちが抱える悩みや迷いも、先人たちが見出した本質的な価値を知ることで、解決の糸口をつかめるのかもしれませんね。
11月10日(水)
晴れ。「大谷翔平選手MVPにノミネート」のニュースを見て。
欧州サッカー、大相撲、MLB、競馬… スキマ時間ができたとき、スポーツ中継をよく観てしまう。
昔から、惜しくも優勝に手が届かない“シルバーコレクター”を応援するのが好きだった。もしかすると、いつまでたっても中途半端な自分の姿を、勝手に重ねていたのかもしれない。
たとえば、偉大すぎる横綱・白鵬に立ち向かい、キャリア終盤で悲願の優勝を果たした稀勢の里。サッカーの名将で知られるユルゲン・クロップ監督は、欧州リーグの主要大会のファイナルに6度進出するも、いずれも涙をのんだ。シルバーコレクターを返上できたのは、2019年にリバプールFCを率いてチャンピオンズリーグ初優勝を果たしたときだった。あるいは、GⅠレースで2着4回、3着2回の惜敗続きながら、最後の最後、50戦目にして初めてGⅠを勝利した競走馬のステイゴールド。
だめだ、書き出したら(涙も)止まらなそう。いや、別に、必ずしも有終の美を迎えなくてもいいんです。時代を背負う絶対王者と同じくらい、百折不撓(ひゃくせつふとう)の挑戦者の背中は、ただ、尊い、ということ。
それからもうひとつ、スポーツを追いかけている理由がある。テクノロジーの進化とともに存在感を増す、スポーツにおける統計学やデータ活用への興味。
最近なら大谷翔平選手。今年、バッターとしてHR46本、100打点、26盗塁。ピッチャーとして9勝2敗、防御率3.18。投打いずれもハイレベルだった大谷選手の公式記録は前代未聞だ。でも、大谷選手の凄みはそれだけではない。
並み居るトップアスリートを抑えて、「一塁到達平均タイム」がメジャー最速であり、さらに、もっともヒットになりやすいと言われる「打球の初速」が98マイル(時速約157・7キロ)以上、打球角度26〜30度で打球を放ったときの指標である「バレル率」も、メジャー歴代2位だという。さまざまなデータをもとに、「今年もっとも価値の高い選手」としてリスペクトされているのである。
バレル率はもちろん、OPS(出塁率+長打率)、WHIP(1投球回あたり何人の走者を出したかを表す数値)、UZR(守備の評価指標)など、野球にはたくさんの指標やデータがある。これらを活用して、選手の評価を客観的に分析する方法は「セイバーメトリクス」と言われている。
セイバーメトリクスによって、「打撃の成績はよくないけれど、守備を通して勝利に貢献している選手」が重宝されることもある。画一的だった評価のものさしが多角的になることで、それぞれのユニークな個性を発揮しやすくなってきているのだ。こうした傾向は、きっと組織づくりにも応用できると思う。
「MTGでの口数は少ないけれど、最後にいいこと言う率」だったり、「わからないことを質問してくれたことで、チーム内に暗黙知が共有された貢献度」だったり。一人ひとりが秘めている可能性に光を当てていく、そんな多様なものさしをあれこれ考えてみたい。
【F.I.N.編集部】
野球では、セイバーメトリクスで選手を多角的に評価しているのですね。本日も大変興味深いです。「テクノロジー」と「人」は、「デジタル」と「アナログ」のように対照的なイメージを持ちますが、お互いを掛け合わせるからこそ、初めてわかる発見もあるよなぁ……と兼松さんのおかげで大きく納得しました。「成果」はスポーツだけではなく、あらゆる仕事で重要な評価基準ですが、兼松さんのアイデアのようにチームメンバーの個性が活きる評価基準を設けることで、より豊かな仕事環境が生まれそうです。ビジネスパーソンのセイバーメトリクス……。「手土産のセンス度合い」や「打ち合わせ時のアイスブレイクスキル」など、どうでしょう?新たな評価基準への妄想は尽きません…。
11月9日(火)
小雨。ワードローブを眺めながら。
30代に入ってから、いつのまにか「白のワイシャツ+ショートパンツ+ビビッドカラーのスニーカー」が定番のスタイルとなった。特に白のワイシャツはシンプルだからこそ、つくり手の価値観や受け継がれてきた大切な何かの結晶が顕れているような気がして、ついこだわってしまう。
最近のお気に入りは、「オール・インクルーシブファッション」を掲げるSOLITのブロードシャツ。「IT’S FOR YOU」のタグが目を引く。
改めてSOLITのウェブサイトを見てみると、ファッションという日々の営みを通じて、「誰でも制限なく純粋に「こうありたい」と思う選択肢」を増やしていくことを目指している、という。(さらにサステナビリティへのこだわりも素晴らしいのだけど、それはまたどこかで)
僕からの注文は、こうだ。
“色はアイボリー。襟はバンドカラー。ボタンはマグネット。裾はラウンドで。右袖のサイズ、ベースと同じ。左袖のサイズも、ベースと同じ。右袖丈、左袖丈、着丈の調整は、とりあえず0cm(なし)で。”
デザインだけでなく、1cm刻みで細かくカスタムできるのは、「身体的制限や機能的制限」を超えて、「あなたの好みと身体に合わせた服」を着てほしいから。
そして、手の力が弱くなった高齢者や身体の不自由な人でも扱えるマグネットボタンは、不器用な僕にとってもありがたい。「そのままでいいよ」と何かが僕を受け入れてくれたような、不思議な温かみがあるのだ。そして何より、磁石がパチンパチンと勢いよくくっついて、何かのヒーローみたいに一瞬で変身できる(逆に、一瞬で脱いだりもできる)ことに、ワクワクが止まらない。
着替えること自体も楽しいことのはずなのに、自己否定につながったり、バリアになってしまったりすることもありうる。そんな「無意識のうちに自分や他人を縛ってしまうさまざまなもの」に、もっと自覚的でありたい。
【F.I.N.編集部】
「誰でも制限なく純粋に“こうありたい”と思う選択肢を増やす」、とても素敵な考え方ですね。“こうありたい”と思うお客様が、より大切な気持ちで洋服を長く着ることができて、ファッションを楽しめるようにするためには、体型やお悩みに合わせ細部までこだわった洋服をつくることが大切なのかもしれませんね。そのためには、消費者と生産者の双方向のコミュニーケーションが必要だと感じました。
大量生産・大量消費が主流の現代、テーラーなどのオーダーメイド服の需要は減ってきています。そうした中で、一人ひとりの個性を大切にする本当の意味でのバリアフリーとは何だろうか?と自分に問いてみるきっかけになりました。
11月8日(月)
秋晴れ。家の近くの林を歩きながら。
MTGとMTGのあいだの余白時間。とても天気がよいので、近所の林に散歩に出掛ける。そのとき出会ったのは、生まれて初めての真白な落ち葉。
雪国、秋田生まれだからだろうか、昔からなぜか白いものに惹かれてしまう。一面の銀世界にひとり倒れ込んで、雪がしんしんと降り積もるのを見上げるのが好きだった。それは僕にとってとても大切な、ゼロに還るような時間。そんなことを思い出しながら、白い落ち葉を拾って部屋に飾ってみる。
さっそく「白い落ち葉」でネットを検索してみると、ポプラの一種「銀泥(ギンドロ)」という樹木が落としたものだとわかった。
銀泥の葉は、濃い緑色の葉表面に対し、裏面は純白のフェルト状の毛でびっしり被われているらしい。風が吹くたびに緑と白が入れ替わってチカチカと瞬く。真偽は定かではないが、銀泥には花言葉があり、それは「夜と昼を象徴する“時”」だという。
アリストテレスは、時代に必要な徳目として「気分転換(直訳的には“好ましき転換”)」を意味する「エウトラペリア」を挙げていたという。それは遊び心であり、重たい雰囲気にヒビを入れてくれる、気の利いた「ウィット」と同義だと思う。とすれば、ギンドロの白は、仕事と仕事のあいだの時を彩りながら、好ましき転換へと誘う合図になるかもしれない。
もしいつか自分の庭ができたら、机から見えるところにギンドロを植えてみよう。突然の真白に恋をした、ある白秋の一日。
【F.I.N.編集部】
ふとした余白時間に偶然出会った新しいモノをささっと調べると、思いもよらないかたちで世界が新しくなるものなんですね。それはきっと、モノをみるときの自分の視点や感じ方に奥行きが生まれるからなのかもしれない……、銀泥の葉と兼松さんとの出会いの場面を目に浮かべながら、そんなことを思いました。
私も「銀泥」を調べてみました。なんと「宮沢賢治が愛した木」として有名なのだとか。宮沢賢治も「銀泥」をみて「気分転換」し「ウィットに富んだ詩」を紡いでいたのかな?と勝手に想像が膨らみました。