2024.02.09

学びのかたち

若者の切実さをぶつけ合える場を。10代とクリエイターが関係を結んで創造に向かう「GAKU」が追求するこれからの学び。

2020年、渋谷PARCOに10代の若者たちがクリエイティブの原点に出合える「学び」の集積地が誕生しました。「GAKU」と名付けられたその場所では、アート、映像、音楽、建築、料理など、幅広い領域の第一線で活躍するクリエイターが講師となり、若者と一緒にクリエイションを追求するユニークな学びを展開しています。

 

GAKUの事務局長を務める熊井晃史さんは、子どもたちの創造的な学びの環境を提供する NPO法人〈CANVAS〉で長年プロデューサーを務め、独立後の現在もさまざまな学びの場をつくるプロジェクトの企画・運営を手掛けるディレクターとして幅広く活躍しています。学びの目利きである熊井さんと、GAKUの事務局スタッフでファッションマガジンの編集者でもある杉田聖司さんに、GAKUでの学びの特徴や、学びの未来について伺いました。

 

(文:末吉陽子/写真:後藤洋平)

心に何かを宿し、関係性を構築する。

そもそもを問うGAKUの学び

F.I.N.編集部

GAKUでは、第一線で活躍するクリエイターが講師を務め、10代の若者にクリエイティブな学びを提供されています。座学だけではなく、クリエイターと若者が一緒に試行錯誤しながらクリエイションと向き合っている点が新しく、ユニークだと感じています。GAKUの学びには、どのような特徴があるのでしょうか?

熊井さん

クラスのジャンルは建築、ファッション、デザイン、映像など多岐にわたるのですが、共通しているのは、生徒の皆さんが必ず何かしらのアウトプットをすることです。

 

簡単に言うと「クリエイティブ教育」となってしまうのですが、もう少し踏み込んで説明をさせていただくならば、何かをクリエイションする手前の「宿す」ことも大切にしたいという想いが強くあります。

 

何かをクリエイションする手前には、「気持ちを宿す」「発想が宿る」のような営みがありますよね。ともすればアウトプットばかりに目が向きがちですが、それに先立っている事柄こそを意識しています。一方で、そのアウトプットされたものを実際に展示したり、冊子にまとめたりといった形で、いかにGAKUの教室だけに留めておかずにいるかということも大切にしています。

左から杉田さん、熊井さん。取材は学校帰りの子どもたちが集まるGAKUで実施した

熊井さん

「宿し、宿される」というのは、人と人の「関係性」の中で何かを学び、クリエイションすることを重要視しているということでもあります。そのため、クラスごとにスタイルはまちまちですが、できるだけ少人数制にしています。多くのクリエイターの方々が講師を務めてくださっているのですが、みなさん本当に親身になって生徒と向き合い、その時間を大切にしてくれています。そういった育まれている信頼関係がすべての基盤であるようにも思います。そのなかで、それがすぐに理解できないとしても「この人の語っていることは、きっと大切なことに違いない」と感じることができたり、自身の考えと違っていたとしても「そういう視点もあるんだな」と受け止めることができたりする。つまり、学びを深めていくことができるんです。

 

逆に言うと、そういった関係性を築けていないのに、あれこれ言われても、なかなかスイッチは入らないですよね。それは、本来、年齢を問わずにみんなそうだと思うんです。そして、生徒と講師となるクリエイターの関係のみならず、生徒同士の関係や私たち事務局との関係であるとか、さまざまなゆるやかな関係を大切にしていきたいと考えています。

 

さらに言うと、その関係性というものはこちらから無理に迫るものではないと思うんですね。それはかえって鬱陶しいものになりがちだと思います。自分たちが10代の頃を思い出せば、大人もそれが分かるはずですよね。そこにおいても、GAKUでは、クリエイター自身も明確な答えを持っていない問いだったり、切実な課題感だったりを晒しているということが重要な要素であると考えています。なぜなら、絶対的な答えがないものに対しては、クリエイターも生徒もフラットで平等だからです。

 

なので、GAKUでは、さまざまなクリエイション領域のクラスがありますが、いずれも基本的にそもそものところを問うかたちになっています。例えば、そもそも人はなぜ、装うのか、建築をつくるのか、音楽を鳴らすのか。それをみんなでクリエイションに向かいながら考えていく。そうすることで、自分の中にあった「そもそも」にも気がついていくようにも思います。

新幹線でGAKUに通う若者の「切実さ」。

切実さに向き合う場の希少性

F.I.N.編集部

GAKUで学んでいる若者は、好奇心旺盛で学習意欲が高い気がしています。実際、若者たちはどのようなモチベーションで授業を受けているのでしょうか?

熊井さん

モチベーションは色々なパターンがあると思いますが、「切実さ」に突き動かされてGAKUで学んでいる方が多い気がします。

F.I.N.編集部

「切実さ」とは、どういうことでしょうか?

杉田さん

例えば、僕が立ち上げを担当したヘアメイクの授業は、関西から新幹線で通っている男の子がいました。彼は当時中学生でメイクが好きだったのですが、自分が暮らす街や学校では共感されない感覚を抱いていたようです。授業は2週間に1回の頻度で実施していて、毎回上京して参加していました。

杉田さん

クラスでは、同じ興味を持つ近い年齢の方々と出会い、それも後押しになり、彼は自分の世界観を思いっきり表現してくれました。その後、クラスを通じて、ファッションにも興味を持ったようで、現在は東京に引越してヘアメイクやファッションを学べる高校に通っています。

 

あとは、演劇のクラスに通っていた子の中には、「学校の演劇部に所属していたけど、つまらなくてやめました」と話す子もいました。表現したいことを実現する場所がない、探しているという若者は少なくないですね。GAKUの授業自体は半年程度で計画していますが、GAKUで繋がった縁で、卒業生が劇団を立ち上げるという嬉しいニュースも出てきています。

「贅沢貧乏」主宰の山田由梨さんを講師にお迎えした講義「新しい演劇のつくり方」(2022年)の様子。講義の後、クラスから生まれた劇団は、公募型演劇ショーケースにも参加した

F.I.N.編集部

GAKUの存在価値がよく分かるエピソードですね。同時に、日本の社会の画一性や、都会と地方の機会の不均衡が顕在化したエピソードのようにも思えるのですが、いかがでしょうか?

熊井さん

日本社会の画一性という問題はずっと言われてきた話ですよね。実際にそういう側面はあるのだと思います。ただ、それを鬼の首を取ったかのように、ことさら取り上げたいという気持ちはありません。「切実さ」というのは、本人にとってそうせざるを得ないというもので、私は結構ポジティブな意味で使っています。と言うのも、その「切実さ」をポジティブなものに昇華していくことが、教育や藝術と呼ばれているものの領域の営みがあることの意味や意義であるように思いますし、人それぞれみんなが持ち合わせているものだとも感じています。

 

また、体験機会の不平等というものも関心があるテーマです。GAKUとしては、できるだけ受講料を安価にしていたり、強い意欲さえがあれば無償になるという特待生のような制度もクラスによっては設けたりしています。また、オンラインでの取り組みも展開してきました。そういったことを前置きしつつ、ここまで便宜上、講師のことをクリエイターという言葉をつかってきましたが、創意工夫をしてさえいれば、みんながクリエイターであるとも言えると考えています。クリエイションというものは一部の専門家が独占できるものではないはずです。

 

その意味でも、地方でも、いや地方のほうが、例えば伝統的な催事に参加できたり、暮らしの営みが豊かだったり、人とのつながりが活発だったりする場合もあると思います。あるいは、安価で土地や店舗を借りることができたりするかもしれません。そこで、いろんなことをできるじゃないですか。それらも一つの可能性だと思います。そして、それらも「クリエイションの学び」と言っても良いものであろうとも感じます。体験機会を含むすべての不平等といったものからは、目を背けてはいけないと思いますが、一方で、その土地土地の可能性をしっかりみていければとも感じます。

熊井さんの活動拠点でもある東京都小金井市の「丸田ストアー」。1階は八百屋さん・お花屋さん・珈琲屋さん・整体院といった個人店が集まり、2階は子どもたちや地域の人たちが集まるためのオープンな場所として開放。土地や建物の特徴を活かして、人と人の関係性を育んだり、「クリエイションの学び」が生まれたりする場を提供している

契約的な学びと一線を画す、

わからなさに踏み込む学びのかたち

F.I.N.編集部

10代で自分の「切実さ」をぶつけあえる場は、かなり限られていますよね。GAKUのようなコミュニティの場に身を置くことは、その先の人生にどのような影響を与えると思いますか?

熊井さん

「GAKUでこの経験をしたから未来は必ずこう変わります」とは言えないと思います。極端に言ってしまえば、「GAKUに来ても来なくても、みなさんはきっと必ず大丈夫」と言い切りたい気持ちさえあります。それが、10代を信じ抜くということだと思うからです。

 

ただまあ、いろんな知識や情報をインプットして、技術もある程度磨きつつ、アウトプットしたものを他者に伝えていくといった活動をGAKUでは繰り返すので、一歩踏み出す勇気みたいなものは感じやすくなるかもしれません。僕としては、自分たちが向き合った10代の若者たちにはより良い人生を歩んでほしいと、祈るような気持ちではあります。

F.I.N.編集部

なるほど、確かにそうですね……。「GAKUで学ぶことでどんなメリットがあるのだろう」と思ってしまいがちですが、メリットデメリットの話ではないですよね。

熊井さん

うーん。学びを契約関係で語っていいのか?という議論は重要ですね。必ずこうなります、しますといった未来を確定的に語るような意味での「契約」なんですが、本来、クリエイションの学びって、どうなるかわからないところに足を踏み入れていくといったニュアンスがありますからね。その「わからなさ」がとても大切なものだったりするんですが、不確かさと可能性というものは表裏一体のようなものがあって、更に言うと、全身全霊で賭けていくのようなものですらある。だから、メリット デメリットの次元ではない領域があるように思います。

直線的な学びではなく、

立ち止まることをも肯定するような学びの場

F.I.N.編集部

現在、そして未来に向けて、どのような学びを展開してきたいですか?

熊井さん

うーん。寄り道も回り道も、立ち止まることをも肯定するような学びの場にしていきたいですね。一つのゴールに向かって直線的に走り抜けなければならないとなると、早いか遅いかみたいな話になってくるじゃないですか。さらには、引かれたコースから外れると、エラーになってしまう。そうじゃなくて、そのコースすら自分でつくっていけるための場所という感じでしょうか。

杉田さん

僕自身、一般的な学校に通ってきたので、まっすぐ走り抜ける姿勢を求められていた実感がありますし、そこには違和感もありました。双子なので、こっちの方が足速いねとか、ちょっと成績が悪いねみたいな、わかりやすい基準で評価される状況にお互い「嫌だな」と思っていました。

 

でも、GAKUはこの人が優れていて、この人が劣っているという評価を下される場所ではなく、クリエイターが10代の一人ひとりと向き合って、「あなたは何が作りたい?」という問いかけから始まるコミュニケーションが成立している場所。人と人との関係性、表現者同士の関係性を育む場という意味で、当時僕が通っていた学校とは全く     違いますし、今の10代にとっても必要な場所になっているんじゃないかなと思います。そしてそういう場がもっと必要だなとも感じています。

Profile

熊井晃史さん(くまい・あきふみ)

GAKU事務局長の他、学芸大こども未来研究所・教育支援フェローや小金井のギャラリー「とをが」を主宰する。NPO法人〈CANVAS〉プロデューサーなどを経て、2017年に独立し現在に至る。

Profile

杉田聖司さん(すぎた・せいじ)

1999年生まれ。事務局スタッフとして、演劇、ヘアメイク、プロダクトデザインなどのクラスの企画・運営を担当する。ポッドキャスト『ガクジン』の編集担当。外部では、ファッションマガジン『apartment』を発行するなど、ファッションを中心としたエディター、フォトグラファーとして活動中。

【編集後記】

取材の中で熊井さん、杉田さんは「切実さ」を「そうせざるを得なさ」とも言い換え、それを自覚することが自身の人生の羅針盤の獲得につながる、とも仰られていました。このお話は、10代の若者だけでなく、全世代のあらゆる人にも当てはまるように思います。そうせざるを得ない気持ちと、それを開放しきれず葛藤した経験を持つ大人も少なくないのではないでしょうか?もしかしたら、無意識に見ないふりをしていた「切実さ」もあるかもしれません。お二人のお話を通して、それらを丁寧に見つめなおした先に、自身の人生が豊かになる学びの入り口があるのではないか?と思うことができました。また、そうすることで他者の「切実さ」も称え、認め合える寛容さを持つ社会を目指せるように感じました。

(未来定番研究所 中島)