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2025.10.24

第42回| 連綿と続く祈りの場所を、未来に。太宰府天満宮宮司・西高辻󠄀信宏さん。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第42回にご登場いただくのは、福岡県・太宰府市にある太宰府天満宮で宮司を務める西高辻󠄀信宏さん。大学で美術史を学んだ経験を生かし、2006年から国内外のアーティストを招いて「太宰府天満宮アートプログラム」を開催。歴史ある神社にアートを取り入れることで、この場所を「祈りの場」であると同時に、文化と創造の拠点として発信し続けています。

 

(文:宮原沙紀)

Profile

西高辻󠄀信宏さん(にしたかつじ・のぶひろ)

1980年福岡県太宰府市生まれ。太宰府天満宮宮司。御祭神・菅原道真公から数えて40代目の子孫にあたる。東京大学文学部歴史文化学科(美術史学)卒業。國學院大學大学院で神職資格と修士号取得。2005年から太宰府天満宮奉職。2012年太宰府天満宮宝物殿館長、同文化研究所所長就任。2019年太宰府天満宮宮司拝命。2006年に立ち上げた「太宰府天満宮アートプログラム」ではディレクターを務める。

1,120年以上続く神社の宝を未来に引き継いでいく

福岡県太宰府市にある太宰府天満宮は、菅原道真公をお祀りする九州最大規模の神社です。道真公の御墓所の上に築かれており、学問・文化芸術・厄除けの神様として、地域の方々はもちろん、国内外から多くの参拝者に親しまれています。

 

40代目の宮司を務めているのは、西高辻󠄀信宏さん。代々菅原道真公の子孫が守り続けてきたこの神社に生まれ育ち、幼い頃から境内が遊び場でした。

 

「神社には宝物殿があり、そこには古くから伝わる宝物や文書が保存されています。そうしたものに触れると、先人が大切にしてきた想いや価値観が伝わってきて、古文書なども含めて受け継ぐ意識が幼い頃から自然と芽生えていったように思います。中学生時代には他の分野に興味を持つこともありましたが、『この神社を守っていく』という思いは常に自分の歩みの前提にありました」

 

1,120年以上の歴史を持つ太宰府天満宮。受け継がれてきた宝物や文化財は、いずれも長い年月を経てきたものばかりです。そうした環境に触れて育った西高辻󠄀さんは、自然と美術への関心を深めていきました。

 

「美術品は、ただ目に見えるものだけではなく、その背景には歴史や、守ってきた人々の思いが詰まっています。ここに存在していることは偶然ではなく、さまざまな要素が結びついた結果であることに強い興味を持ちました。また、学生時代の美術の授業も大きな学びでした。受験勉強ではどうやって答えにたどり着くかを学びますが、美術の授業は物事にはさまざまな見方があることと、その答えを探っていくことの大切さを教えてくれました。1つのものを多角的に見る楽しさを知ったんです」

 

大学に進学した西高辻󠄀さんは、美術史を専攻する道を選びました。大学では、現代アーティストと一緒に展覧会をつくりあげるプロセスも体験。一見全く別のものを編集の力で結びつけることや、文脈や見方を変えることで異なる対象に新たな意味を与えることを学びました。

「九州国立博物館」の誕生

太宰府天満宮に隣接して建つ「九州国立博物館」。その誘致活動は、西高辻󠄀さんの高祖父である西高辻信厳さんが明治時代に始めました。

 

「高祖父は九州の文化財が他地域に流出していく状況を見て、『地域の財産は地域で守らなければならない』と国立博物館の設置を提唱したのです。1887年(明治20年)には事務局を設立し、1893年(明治26年)には国から許可が下り、資金を得て実現するはずでしたが、日清・日露戦争の影響で中断。その想いは私の家や地域の人々に受け継がれ、戦後には祖父が誘致を再開し、1971年(昭和46年)には境内地の3分の1を無償で県に寄附するという大きな決断をしました。父の代でやっと具体化し、2005年(平成17年)に『九州国立博物館』が開館しました」

 

およそ120年にわたり、先人達が想いを受け継ぎ実現した博物館の開館。地元の人により興味を持ってもらうため、西高辻󠄀さんはアートプロジェクトを開催。市民参加型のワークショップを企画しました。

「開館翌年の2006年(平成18年)、アーティストの日比野克彦さんに総合企画演出をお願いし、『アジア代表日本』という展覧会を開催。サッカーワールドカップにあわせてアジアの国をモチーフにした船を、段ボールを用いてワークショップで製作し展示するという企画で、1万人もの方にご参加いただきました。現在でも4年に一度のサッカーワールドカップの年にあわせて日比野さんとテーマを決めて行っています。」

 

「アジア代表日本」を契機に現代アーティストを招聘し、神道や天満宮の取材を通して作品を制作・公開していく「太宰府天満宮アートプログラム」が始まりました。現代美術家のサイモン・フジワラさん、写真家のホンマタカシさんの展示など、さまざまなアプローチを試みています。

 

「神道の考え方や歴史をひもとくことで、多様な表現が生まれていくことを実感しています。アーティストに刺激を受ける一方で、アーティストの表現が広がっていくこともあります。例えばライアン・ガンダーは、『神道の匂いや音があるとすれば?』という問いから作品を制作しました。太宰府天満宮で感じた、樹齢1,000年を超える樟(くすのき)が風に揺れる音が非常に印象的で『風を表現したい』という想いに繋がったそうです。太宰府天満宮での体験は、その後の彼の作品にも影響を与えました。そのようにお互いに良い影響を与え合えることは、とてもうれしく思っています」

デザインの街、太宰府へ

現在、124年ぶりに重要文化財「御本殿」の大改修が行われています。約3年かけて行う大きな工事。改修期間は御本殿前に神事を斎行し参拝者を迎える「仮殿」を建設しています。仮殿の設計は建築家の藤本壮介さんが手掛けています。

 

「仮殿は3年間の限定ではありますが、その間も多くの参拝者が訪れる場所。時代に合ったもので、御祭神にも喜んでいただけるものを、と考えました。藤本さんとは何度も協議を重ね、屋根の植栽は、天満宮の梅林から枝ぶりの良い3本を選び植樹するなど、約60種類の木々を植え込み、今では種子が鳥や風によって運ばれ、新しい種類の樹種も増え、生態系が広がっています。仮殿解体後は、植栽を境内の杜へ移植し、3年間の記憶を未来へ引き継いでいきます」

「仮殿」は2026年5月上旬まで参拝可能。

斎場の御帳(みとばり)と几帳(きちょう)はファッションブランド〈マメ クロゴウチ〉のデザイナー・黒河内真衣子さんが担当し、天満宮のモチーフをテーマに伝統と新たな文化を融合させたデザインを制作。さらにサウンドディレクションはサカナクションの山口一郎さんも参加しました。こうして仮殿はアートと信仰が調和する空間となっています。

 

「これまでもご縁を大切にしてきた方々と一緒に取り組むことで、新しい形を生み出してきました」

 

今ではアートをきっかけに太宰府天満宮を訪れる人も増え、参道や街並みにも変化が見られるようになりました。2011年には建築家・隈研吾さんが設計した〈スターバックスコーヒー〉も参道にオープン。近年はデザイン性の高いおしゃれな店舗が次々と生まれています。地域の中心的存在である天満宮がアートやデザインと真摯に向き合っているからこそ、その姿勢が街にも波及し、新しい文化が芽生えているのです。

 

「昭和30年代に設置した太宰府天満宮の駐車場は、あえて遠くにあります。参拝の時に街を歩いてもらうための工夫で、街づくりには昔から積極的に関わってきました。今では街全体が歩く楽しさを感じられる場所になってきていると思います」

日本の伝統を、生活のなかに息づかせる

アートやデザインで注目されることも多いものの、太宰府天満宮はあくまで「祈りの場所」。その本質を未来に引き継いでいくためにもたくさんのことに力を入れています。その1つが地元の企業と共同で立ち上げたホテル「HOTEL CULTIA 太宰府」。参拝に訪れる昼の時間帯だけでなく、早朝や夜の厳かな雰囲気も感じてほしいと、隣接する古民家を改修してホテルにしました。また、西高辻󠄀さんは、日本の文化を保護するだけでなく、生活に息づかせることも大事だと考えています。

 

「福岡の和菓子店〈鈴懸〉、〈JA八女〉、福岡市のお茶屋さん〈万(よろず)〉と一緒に〈一般社団法人心游舎〉の協力のもと、太宰府天満宮幼稚園の年長・年中組さんを対象とした和菓子と日本茶のワークショップを行っています。本物に触れ、何度も体験していくことで自然と生活のなかに根付き、初めて日本の文化が残っていくと思います。子供たちが和菓子に親しんで、職人になりたいという夢を持ったり、日本茶の淹れ方を教えてもらった子が家族にお茶を淹れたり。こうした活動を通して、文化の担い手を育てたいという気持ちで続けています」

長い歴史を持つからこそ、未来に責任がある

「神道には中今(なかいま)という言葉があり、今という瞬間は過去から未来へと続く連続性のなかの中心であることを指します。1,120年以上の過去があるからこそ、これから1,100年先の未来も考えていかなければならないと思っています」

 

壮大な未来を見つめながら、西高辻󠄀さんは語ります。

 

「人々の生活も地球の環境もどんどん変化しています。例えば、境内には樹齢1,000年を超える樟をはじめ、さまざまな木々で形成されている杜(もり)があります。気候変動の影響で、猛暑や大雨など環境が厳しさを増すなか、この杜をどう守り続けるかも大きな課題。現在、専門家とともに調査を進め、時代に適応した杜づくりに取り組んでいます。時間のかかる作業ですが、未来を見据えているからこそ、今やるべきこととして進めています。自然も、信仰も、そのままにしておけば残るわけではありません。むしろ守り続けるためには手を入れる必要がある。変わらないために変わり続けることが必要なのです」

【編集後記】

太宰府天満宮幼稚園の子供たちが園で過ごす日々のなかで和菓子を大好きになり、家族のためにお茶を淹れるのが日常になる。日本の文化が生活に息づくことが大切、というお話や季節感を大事にされているというお話は、やさしい表現ながら西高辻さんのつよい想いや願いを感じました。

取材の後日、芝浦工業大学での「藤本壮介展ー太宰府天満宮仮殿の軌跡」を観覧することができました。膨大な数の模型やパース画、藤本さんのインタビュー動画を拝見して、この建築がとてつもないさまざまな想いを形にしたものである、その全てに感動しました。ここで使われた材はまた環っていき、未来へ繋がってゆくのも素晴らしいことだと思います。

(未来定番研究所 内野)

太宰府天満宮仮殿の模型

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