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2023.08.30
未来工芸調査隊
器やかご、布など、日本各地にあふれる工芸の数々。F.I.N.編集部では、そういった工芸を愛してやまないメンバーで「未来工芸調査隊」を結成し、その歴史や変遷、さらなる可能性を探っていきます。
今回は、大正時代から106年に渡って博多人形を作り続ける中村人形の四代目・中村弘峰さんにインタビュー。老若男女が憧れ、「現代の英雄」とも言えるアスリートを人形として表現し、一躍注目を集めた中村さん。伝統技術を継承しながら新しい表現を追求する中村人形に生まれ、独自の表現を確立するまでの苦悩や、現代の人形師として大切にしていることなどを伺いました。
(文:川端美穂/写真:森本絢)
中村弘峰さん
中村人形四代目
1986年福岡県福岡市生まれ。2009年、東京藝術大学美術学部彫刻科卒業。2011年、東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了。2011年、人形師で父の中村信喬に師事。太宰府天満宮 干支置物制作、博多祇園山笠 土居流舁山制作。2023年、福岡県文化賞受賞(奨励部門)。
自然と向き合う修行時代は、
「人生の基本のキすらわかっていなかった」。
F.I.N.編集部
中村さんは1917年創業の人形師の家に生まれました。跡継ぎとしての自覚は、いつ頃から持ち始めたのでしょうか?
中村さん
幼い頃から絵を描くのが好きでしたし、物心ついた時には継ぎたいと思っていました。と言うのも、祖父(二代目・衍涯)や父(三代目・信喬)、当時隣に暮らしていた職人さんたちから「おっ、四代目!」なんて呼ばれ、「洗脳」されて育ったんです。子ども心に素直に受け入れ、「周りの友達は何代目なんだろう」って思っていましたね(笑)。だから、伝統工芸も跡継ぎも当たり前のような存在でした。
F.I.N.編集部
その後、東京藝術大学美術学部彫刻科に進学されたのはなぜですか?
中村さん
父のすすめで受験しました。滑り止めも受けてはいけなかったので、芸大進学しか選択肢がない「芸大or Dead」のような状態で送り込まれた感じです(笑)。入学してみると、周囲には伝統工芸の家に生まれた友達も多かったのですが、「将来、継ぐわけない」という人が大半でした。家業を継ぐ気満々の僕にとっては驚きで、むしろ「藝大で学べることはすべて吸収して、家に持って帰って人形制作に生かそう」と考えていました。
F.I.N.編集部
藝大でさまざまな知識や感性に触れ、違う道に進みたくはならなかったのですか?
中村さん
それはなかったです。むしろ、伝統工芸よりもアートの方が上だと感じさせるようなヒエラルキーがあって悔しかったですね。1年生の時、講評会で「将来彫刻家になるなら、こんな作品作ってちゃダメだ」と先生に叱られたので、「僕、彫刻家にならないんで」と言い返したら、「お前んち、人形屋さんだもんな」とちょっと嫌味な言い方をされて(笑)。その時、これからアートについてしっかりと勉強し、伝統工芸とアート、その両方の世界で通用する作家になって、いつか見返したいと思いました。今思えばそこでスイッチが入ったのでありがたい思い出です。
F.I.N.編集部
地元の博多に戻られてからは、どのような修行をされたのでしょうか?
中村さん
父に弟子入りして、まずは精神修行するように言われ、400年以上の歴史を持つ有田の柿右衛門窯で住み込みの丁稚奉公へ。暑い時期に半年間、朝7時から夕方5時まで、広大な土地をひたすら草むしりです。車がないと不便な田舎で、自転車だけで生活していました。当時、入門しないで短期で出ていく人間を初めて受け入れてくださった。それもあって職人さんからは少しいぶかしがられ、最初のうちはなんとなく居場所がありませんでした。打ち解けられるようになったのは、草むしりに励んでいたある日、「お茶にするからほしい」と年配の女性の職人さんに言われ、どくだみをたくさん取って渡したことがきっかけでした。どくだみを渡すと翌日昼ごはんのおかずを分けてくれて、「ああ、居場所をつくるってこういうことか」と腑に落ちました。小さなことでも誰かの役に立ち、喜んでもらうことで人は生きることができる。藝大を出たからと言って、人生の基本のキすらわかっていなかったと痛感しました。
F.I.N.編集部
お父さまはそういう気づきがあることを見越して、弘峰さんを丁稚奉公に出したのですね。
中村さん
そうだと思います。草むしりが終わり、寒い時期になると半年間、太宰府天満宮で梅の木の剪定や正月準備のお手伝いをしました。広大な自然の中で単純作業を行うという、いくらやっても終わりのないことに深い学びがある。いかにも飽きそう、一見退屈そうなことこそ、父曰く修行に打ってつけなんだそうです。よく辛くなかったのかと聞かれるんですが、実はすごく楽しかったんですよね。自然とじっくり対峙するという、今までにない時間を得られました。
F.I.N.編集部
師匠であるお父さまにの元では、どのような経験をされましたか。
中村さん
父は言って教えるようなことはしないので、ひたすら背中を見て学びました。日本画の絵の具の取り扱いはすごく難しく、使いこなすまでには3年かかりましたね。ただ、若い時は何より、自分の哲学がなく、何を表現したらいいかわからない。それをずっと模索し、苦悩していました。
「生きた伝統工芸を作りたい」と、
現代の英雄=アスリートの人形を制作。
F.I.N.編集部
中村人形は伝統の技術や精神を大事にしながら、時代とともに表現を変化させることを認めるという独自の理念で人形づくりをされています。
中村さん
中村人形は新しいもの好きで、親世代とは同じものを繰り返し作らないというような暗黙の了解があるんです。襲名もなく、独立した作家性を親子間でも求め合い、父からは「自分の作品に似た人形を作るな」と言われました。ただ、だからこそやりがいがある。僕にとって一番嫌いな過酷な時間は、父の人形制作を手伝いする時間ですから(笑)。言われたものを作るより、自分の力で人形を作って、家業に貢献する方が何倍も幸せに感じます。
F.I.N.編集部
弟子入り後、ご自身の哲学を持って人形づくりができるようなったのはなぜですか?
中村さん
修行して数年経ち、結婚して子どもが生まれたことがきっかけとなりました。息子のために五月人形を作る時、ありきたりなものではなく、五月人形を再解釈した作品を作りたいと思ったんです。五月人形は桃太郎や武将などの英雄を題材にしていますが、「現代の桃太郎」は誰だろうと考えた時、二刀流で活躍している大谷翔平選手が思い浮かびました。第一線で活躍するアスリートは現代人の憧れ、つまり英雄だ、と。そして、江戸の伝統技法はそのままに、題材を現在のアスリートに置き換えた人形を作り、2018年に「MVP(Most Valuable Prayers)シリーズ」として発表しました。
F.I.N.編集部
現代のアスリートを表現した人形はとても衝撃的でした。これまでの人形師にはあり得ない発想なのでしょうか。
中村さん
いえ、全然あり得ないことではないんです。江戸時代の人形師は、その時代を象徴する英雄を人形にしていましたから。そこから時間が止まり、過去の英雄の人形をずっと作り続けるようになり、時代と作品のギャップが広がっていきました。僕は、止まった時計の針を動かすようなことがしたいと思ったんです。
F.I.N.編集部
昔の英雄を作り続ける風潮に疑問を持っていたのでしょうか。
中村さん
それはそれですごく大事なことだと思います。ただ、社会全体が人形を古いものとして捉えるようになると、国内外で賞賛されにくくなりますよね。僕は「生きた伝統工芸」を作りたい。だから、世の中の見方ではなく、自分自身が変わろうと思ったんです。
F.I.N.編集部
初めて中村さんの人形を見た時、「かっこいい! 家に飾りたい」と心が揺さぶられました。
中村さん
僕はその「かっこいい!」を幼い頃から古い人形に対して思っていたんです。江戸時代にタイムスリップした感じで。大人になって、今の人はそういう見方をしないというのがようやくわかりました。ただ、人形を愛でる日本人の心は、昔も今も変わらないはず。あと何を埋めれば、その土俵にみんなが乗ることができるんだろうと考え続け、アスリートの人形に行きつきました。
F.I.N.編集部
中村さんは過去に、「人形って基本的に、人生で一番要らないもの」と発言されていました。ではなぜ、中村さんは人形師として人形の制作を続けるのですか。
中村さん
掘り下げて考えると、家業とは言え、人形ってマジでいらないって思うんですよ。なくても生きていけますから。ただ、人間って芸術のような心の潤いがなくなると、空っぽの生命体になってしまう。これが、人形が昔から今まで残ってきた理由の1つだと思います。これからも、人形がなぜ必要なのかを考え続けることが僕の使命。その答えを模索しながら作り続け、ようやくわかりかけた頃に寿命が来るのかなと思っています。
日本文化を絶やさないよう、
自分の持ち場を守りたい
F.I.N.編集部
中村さんは次々と現代的な人形を作ってきましたが、伝統工芸の世界に何か変化はありましたか?
中村さん
実感としてはないですね。おそらく工芸界には、僕がアスリートの人形を作っていることを知らない人の方が多いと思います。日本伝統工芸展には比較的伝統的な人形を作って出品していますから。僕自身は伝統工芸に関わらず、作ること全般が好きなんです。プロダクトを制作したり、商品のラベルや会社のロゴをデザインしたり、そのすべてが人形づくりと並列にあります。そもそも戦前の人形師は人形を作るだけでなく、「美術にまつわる何でも屋さん」だったそうなんです。当時は今みたいにデザイナーやイラストレーターがいないので、「あの人、絵が上手だから頼んでみよう」と、人形師にいろいろな依頼が舞い込んだとか。僕はそういう人形師に戻りたいと願っていました。今、それが叶いつつあることはとても嬉しいですね。
F.I.N.編集部
伝統工芸を背負うというより、本来の人形師のように幅広い分野で貢献しているのですね。
中村さん
そうですね。縮小する伝統工芸を何とかしなければという思いはありますが、大きすぎて手に負えないとも感じます。ただ、人形師という持ち場は守らなければと思ってやっています。例えば人形の目は、硯ですった墨を筆に含ませて描きます。この作り方を続けることで、硯や墨、筆を作る職人さんにお金が入り、それぞれの伝統が残っていく。僕が自分だけ儲かればいいと油性ペンを使って目を描き出したら、日本文化が終わってしまう。そういう危機感を持って持ち場を守っています。
F.I.N.編集部
伝統工芸が先細りしている現状については、どうお考えですか?
中村さん
伝統工芸の大半は江戸時代の産業なので、時代の変化とともに減ってしまうことはある程度仕方がないと思っています。むしろ、職人の分母が多いよりは、数が減っても純度が高まるのであればそれはそれでいいのではないか、とも。うちの祖父も「本物だけ残ったらいい」と常々言っていたんです。
F.I.N.編集部
中村さんは、人形は「人の祈りを形にしたもの」と表現されています。祈りを形にする過程で大事にされていることはありますか?
中村さん
人の祈りを自分の中のフィルターに通すのですが、その時に解釈せず、サーッと流して形にするようにしています。合気道のように、攻撃してきた相手の力をうまく利用して技を返すみたいな。そこが大事だと思いますね。
F.I.N.編集部
祈りを受け止めるって大変な責務だと思います。プレッシャーに押しつぶされそうにならないのですか?
中村さん
普段は全く意識していないのですが、キャリア10年目の頃に一度、プレッシャーを自覚したことがあります。2021年に太宰府天満宮で中村人形の展覧会を開催していただいたのですが、そのオープニングのスピーチで感極まってきて号泣してしまったんです。その時、人々の期待に応えなければというプレッシャーを知らず知らずのうちに自分に課していたんだと気づきました。自分の中のフィルターが10年で目詰まりし、号泣してリセットされ、また無心で作れるようになったという感じです。今後も定期的にメンテナンスしながら、作り続けていくと思います。
F.I.N.編集部
ではズバリ、伝統工芸品に現代性を取り入れることは必要ですか?
中村さん
当然そう思います。ただ一方で、クラシック音楽と同様に、後世に伝えるためにそのまま作り続けることも大事だと思います。むしろ、ダサく変化させることが一番良くない。以前、秋元康さんが紹介されていた言葉だと思うんですが、「止まっている時計は、日に2度合う」という名言が言い得て妙だなと思います。少し遅れた時計の針は本当の時刻を絶対に指し示さないですが、止まっている針は1日に2回だけは時間が合うんですよね。つまり、遅れた状態よりも止まっている方が現代にフィットする時が来る。これは伝統工芸にも言えそうですよね。
F.I.N.編集部
そんな中村さんが、現代性を取り入れた作品づくりで大事にされていることは何でしょうか?
中村さん
謙虚さと好奇心、そして知識が職人には必要だと思います。自分の知らない世界に対して、謙虚な姿勢で興味を持って勉強すること。すると、今を生きる人の心に刺さる作品が生まれると思います。
【編集後記】
中村さんの作品を見ると「生きた伝統工芸」を意識していると仰っている意味がよくわかります。脈々と受け継がれてきた「伝統」としての技法を尊重しつつも、現代の人々の生活に調和する姿・かたちとは何かを日々模索し続けており、それが多くの人を魅了する作品を生み出すことに繋がっているのだと思います。
新しい価値や魅力を提供し続けることはとても難しいことですが、まずは日々の1つ1つの機微に目を向けることが大切だと感じました。
(未来定番研究所 榎)
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