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2022.11.09

地元の見る目を変えた47人。

第7回| 日本酒から、諏訪の自然と風土、文化を広めていく。〈宮坂醸造〉宮坂勝彦さん。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。地元の人がそう誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第7回にご登場いただくのは、長野県諏訪市の老舗酒造メーカー、〈宮坂醸造〉の継承者・宮坂勝彦さん。代表銘柄「真澄」のリブランディングを推し進め、その味わいを一新したことで多くのメディアにも取り上げられています。古くからのやり方が重んじられる老舗の中で革新的な取り組みに臨んだ宮坂さんは、日本酒造りに深く携わるうちに地元・諏訪の自然環境保護はもちろん、酒蔵を中心に街を盛り上げることも「酒蔵の使命だと考えるようになった」と言います。その思いに則った諏訪の街づくりの現在と、その将来のビジョンをお聞きしました。

 

(文:本嶋るりこ)

Profile

宮坂勝彦(みやさかかつひこ)さん

〈宮坂醸造株式会社〉 社長室室長。

1985年長野県生まれ。 慶應義塾大学を卒業後、株式会社三越伊勢丹に入社し、2年間勤務。その後、バックパッカーとしてヨーロッパで旅をしながら各国の食文化を学ぶ。2011年に家業の〈宮坂醸造株式会社〉に入社し、製造部で清酒の製造に携わる。2012年からはイギリスの販売代理店「World Sake Imports」に出向し、研修。米英向けに自社の銘酒「真澄」をはじめ日本酒の販促を行う。2013年に帰国し、〈宮坂醸造株式会社〉の企画部に所属。商品や販売戦略、PRなどの幅広い業務に携わる。

イギリスでの経験で、当時の「真澄」の

在り方に疑問を抱いたのがきっかけ。

1662年に創業し、「協会七号」発祥の酒蔵として有名な〈宮坂醸造〉。看板銘柄「真澄」の純米大吟醸である「夢殿」「七號」「山花」の全面リニューアルに踏み切りました。自身の酒蔵が発祥の「七号酵母」が作る、飽きのこない酒の味わいに立ち返った2019年のリニューアルは、宮坂さんが家業に戻る前に経験したことからスタートしたと言います。

 

「僕は2011年に〈宮坂醸造〉に入社して、2012年からはイギリスに渡って現地の販売代理店で1年間の研修をしていたんです。イギリスでは、現地の飲食店に向けて日本酒を販促する業務に携わったんですが、そこでうちのお酒しか知らなかった僕がほかの酒蔵の商品も取り扱うことになって。

 

飲食店のアイドルタイムに30〜40分ほどいただき、店主にいろいろな日本酒を実際に試飲してもらいながらプレゼンしていました。そんな中ふと『真澄』の特徴ってなんだろう?と疑問に思ったことが一つのきっかけです。『真澄』に共通して存在する特徴というものが、一貫性を持って感じられる商品になっていない気がしたんですよね」

 

日本酒の主な原料は、米、水、そして酵母。その味わいは製法によって違いますが、使用する酵母の種類によっても大きく変わるそう。当時の日本酒のマーケットの潮流、そして真澄の商品戦略は売れ筋の商品を真似ること。いわゆる人気銘柄や商品を参考にしつつ、それをコピーしたような商品が数多く生まれるような状況だったそうです。そんな中、当時の〈宮坂醸造〉もトレンドの味わいを追いかける酒造りをしていたと言います。

本当に強いブランドは一貫したスタイルがある。

「真澄」もそうなるべきだと思った。

宮坂さんが客観的な視点で自社を見ることができた理由としては、酒造りに携わる以前の経験にもあったそう。宮坂さんは大学卒業後すぐには家業を継がず、都内百貨店で2年ほど勤務していたそうです。その経験が「当時の〈宮坂醸造〉の在り方に疑問を持つきっかけになった」と語ります。

 

「婦人服の売場は、とても学びが多かったですね。次から次へとトレンドが入れ替わるファッション業界ですが、本当に強いブランドというのは、多少はトレンドを取り入れるものの一貫したスタイルを持っているんです。

 

一方で、2010年頃から台頭してきたファストファッションの世界では、ブランドのスタイルは持たずトレンドをコピーしたものづくりをしている。『真澄』として、そのどちらのベクトルでものづくりをしていくべきかを考えたとき、僕としてはファストファッション的な考え方には全く共感ができなかったんです。それよりもブランドの美学や思想、その姿勢を落とし込んだものづくりに惹かれました」

 

「僕自身好きなスタイルはその対象がアパレルやインテリアでも、華美なものよりも一見質素で控えめでありつつ日常に馴染む上質なものが好きなんです。七号酵母は、近年開発された新種の酵母に比べると華やかな酒質を作り上げるには不向きかもしれませんが、七号酵母の醸し出す穏やかな味わいの中にこそ、僕が表現したい世界観があります」

 

「誰もがやっていることには全く惹かれず、美学や信念に共感する方々に届けたいと思っています。自らのこだわり、いわば偏愛を突き詰めることは、自分のモチベーションにもなります。心が折れそうな時でも、自分の好きなものを常に認識し続けることで乗り切ることができます」

良質な「七号酵母」を見つける一歩から、

老舗のやり方を変えていった。

「七号酵母に原点回帰して、真澄の味わいを変えたい」。2013年にイギリスから帰国し、その思いが日に日に強くなった宮坂さんでしたが、たとえ後継ぎ息子でも自分の生まれる前から働いている社員もいる環境では、すぐにリニューアルに対していい返事をもらうことは難しかったと言います。

 

「最初の3、4年は社内で理解が得られず、もどかしい気持ちでしたね。外から戻ってきた僕から見て『時代に合っていない』『もっとこうすればいいのに』と感じることがあったとしても、内には内のルールと空気があって、簡単には受け入れてもらえない。どこの組織にもあるかもしれませんが、まず『うちらしい、うちらしくない』というすごくふわっとした言葉で済まされてしまうところがあって。それは非常にもどかしかったですね」

 

宮坂さんの中に「真澄」が目指すべき理想は明確にあったものの、「今売れているフルーティーで華やかな味わいにして、勝負できるものを作らないと」という社内の声が大きな壁に。

 

「僕が作ろうとしていた酒質は、これまで話したとおり、地味なものではありますから。反発は大きかったですね。でも『日常を彩る上質なお酒』が作りたかったので、僕も譲りませんでした。これからの時代のいいお酒というのは、各酒蔵がちゃんと自分たちの歴史や風土などを自ら解釈して物語として紡ぎ、ものづくりに落とし込んだものだと思っていましたので」

 

リニューアルの鍵になると考えたのは、自身の蔵が発祥の「七号酵母」。1946年に自社の諏訪蔵にある発酵中のモロミから発見されたこの酵母は、戦前から戦後にかけて品評会で上位を独占していた「真澄」への評価と相まって、たちまち優良清酒酵母として全国に広まりました。しかし、そこから70年以上経って、新しい酵母が開発される中、当の「真澄」も「七号酵母」以外の酵母を使った流行のアイテムをどんどん出すようになっていました。

「真澄」リニューアルの鍵となった七号酵母

「僕自身、この『七号酵母』で作るお酒の味が一番好きで。あるとき、たまたま飲食店で飲んだ奈良県の『風の森』(油長酒造)という日本酒に衝撃を受けたことがありました。こういう日本酒があるなら『真澄』でももっと若い人に興味を持ってもらえるお酒が作れるんじゃないかと思えた衝撃的な体験でした。

 

あとから知ったんですが、『風の森』はすべてのお酒を『七号酵母』で作っていたんです。うちの杜氏からは『七号酵母」は『地元向けの古くからのお客さん、年配の方向けの商品には向いているけど、若い人には受けない』と言われていたんですが、決してそんなことはないと確信しました」

 

そして宮坂さんは、若手を中心としたメンバーと共に他社の見学をしたり、自社・他社のお酒を揃えた唎酒を定例的に実施したり、また、一方で現状に甘えず目指すべき方向性を議論する時間も設けました。そうすることで徐々に社内での七号酵母に対する見方が変わってきたと言います。

 

「社内で試飲会があったんですが、華やかな香りのお酒は一口目はいいんですが、二口、三口と飲み進めていくと鼻や口が疲れてしまうんですよね。飲み疲れてきた頃、若手チームで仕込んだ『七号酵母』のお酒に社長やほかの社員たちが興味を持って、それを飲み始めました。そうしたら『七号酵母』の持つ上品で穏やかな飲み疲れしない味わいにみんな感動してくれたんです。この酵母が作り出す酒質に可能性を感じてもらえたことが非常に大きかったですね。」

 

宮坂さんの帰国から6年後の2019年、「真澄」として七号酵母への原点回帰を決意。ついにリニューアルされた「真澄」が世にお披露目されました。

 

「『七号酵母』で醸した『真澄』は、飲み疲れしないように、そして食事に合うように、以前と比べると香りはかなり抑えめになっています。ゆっくりと語らいながらの食中酒として、楽しんでほしいですね。今、若い方がお酒を飲まなくなったと言われていますが、子は親の背中を見て育つと言いますから、家庭で両親と子どもが食事をするシーンでも、食卓の上に置いてあるようなお酒になったら嬉しい」

2019年、リニューアルを迎えた「真澄」の「夢殿」「山花」「七號」

諏訪だからこそ「真澄」の味が生まれる。

酒造りの環境を守ることも責務。

そんな風に理想の日本酒の味を追い求める中で、宮坂さんは地元・諏訪の自然環境への問題意識もどんどん強まっていったと言います。

 

「諏訪は酒造りにとても最適な環境なんです。長野県といえば雪が多く降ると思われがちですが、周囲が高い山々に囲まれていることもあり、湿気を持った寒気は諏訪に届く前に雪を落としてしまいます。諏訪は降雪量が少ない場所なんです。空気が乾いているので、建物としての酒蔵にもカビなどが付きにくく、お酒もとても透明感のある味わいになるんです」

 

「工場と原料・材料さえあれば、どこでもものづくりができる企業を狩猟型だとすれば、その土地でないとその商品を作れない企業は農耕型。僕たちのような酒蔵は、地域に根ざす農耕型企業の最たるものだと思っています。ワインやウイスキーもそうですが、日本酒もまたその土地で生まれるからこその個性が出る商品です。例え同じ材料と製法で作ったとしても、北海道や新潟では『真澄』は作れない。長野県の諏訪という土地だからこそ生まれる味わいがあると思っています。だからこそ、僕たち酒蔵はこの土地を守り、もっといい状態にして次世代に渡す責務があると考えています」

かつての諏訪湖は人が泳げるような美しい水質だったそうですが、戦後の開発で工場排水や生活排水が垂れ流され、一時期よりは水質が向上したとはいえ生物が暮らす環境としてはまだまだだと言います。「一度進んだ環境破壊をもとに戻すには、長い時間と膨大なエネルギーが必要だと実感しています」と宮坂さん。

 

「この土地を愛することは、地元に根ざす会社の運命。でも、問題は山のようにあります。やりたいことを少しずつ始めていかないと、と思っています。目下、課題として認識しているのが、日本酒に使う米作りで使う肥料のコーティングに使われるマイクロプラスチックの問題。ビー玉サイズの肥料が薄いプラスチックでコーティングされていて、田んぼに撒くとそのコーティングが破れて肥料が出てくる仕組みなんですが、その際にたくさんのプラスチックがゴミとして土壌に残ったり、用水路から川、海に流れていく。この問題はなんとか早く解決したいと思って、肥料メーカーの方と話し合っているところです」

酒蔵を中心とした魅力的な街づくり。

住人たちも巻き込んでツーリズムの拠点に。

1997年に誕生した蔵元ショップ「Cella MASUMI」

「日本全体で人口が減っていますが、特に地方では、人口減少が急激に進んだことで活気がなくなっています。ロードサイドには全国規模のチェーンストアが立ち並び、地域としての文化やプライドも失われているような気がします。人生の中で長い時間を過ごす土地が文化的・精勤的に豊かであることが、仕事やものづくりの品質にも影響を与えますので、諏訪という場所を人や文化、豊かな自然環境に触れられる街にしていきたいんです」

 

「街を歩いていたら友達と会えるとか、その友達とコーヒーを飲めるいい感じのカフェがあるとか、いい本と出合える趣味のいい書店があるというのでもいい。人生には、人との出会いや文化的な豊かさも必要だと思っています」

同じ長野県内で老舗旅館を営む金宇さんとの対談。「Masumi dialogue」では分野は違えど、同じ方向を向き、共に文化を耕していく仲間たちと語り合うシリーズを展開中

諏訪の地を魅力的にしていった先には、さらなる宮坂さんの目指す理想があると言います。

 

「日本酒業界でもヨーロッパのワイナリーツーリズムのように、酒蔵とその周辺を巡るツーリズムをやっていこうという動きがありますが、諏訪でも将来的にはそういうことができたらというビジョンは持っています。その前提として、地域の方々にもっと地域にプライドを持ってもらいたいし、そうした意味でも、酒蔵のある街を地域の人たちにとっての誇りにしていただけるような取り組みをしていきたいなと思っています」

日本酒はこれからさらに海外へ。

「真澄」をきっかけに、諏訪の魅力を伝えたい。

「日本酒は、これから海外にも大きな需要があると思っています。健康志向で日本食に熱い視線が注がれている中、日本文化の象徴の一つである日本酒を世界に発信して、長期的な事業の成長を成し遂げたい。世界にはそうした需要があることは見えていますし、あとはいかに私たちが本気でその舞台を目指すかに掛かっています」

 

「お酒というのは、あらゆる飲料や食材の中でも特別な商品ではないでしょうか。多くの食材は調理の過程でパッケージが剥ぎ取られ、レストランのメニューで食材名が記されることも一部を除いてほとんどありません。お酒はパッケージが付いたまま、レストランでは商品名がそのままメニューに掲載されお客様に選ばれます。『今日はこの食事だからボルドーのこのワインを開けよう』というように、地名や作り手の名前を含めて語られる数少ない商品でもあります。だからこそ、土地の魅力をボトルに詰めて世界に発信して、地域を世界的に知ってもらうようにするのは、これからの酒蔵の責務だと思っています。

 

そうやって日本酒をきっかけに諏訪を知って訪れてくれた方々には『いい街だったからまた来たいな』と思ってもらえるような、そして彼らが自身のコミュニティに戻って『長野県の諏訪市に行ったけど、すごくよかったよ』と諏訪の魅力を伝えたいと思ってもらえるような街づくりができれば、僕自身、満足ができるかなと思っています」

【編集後記】

他業種や海外でのお仕事の経験が、自分の国のオリジナリティや地域の良さを突き詰めるきっかけになっているのは、興味深いお話です。 地域の風土にあった、独自の製法、酵母選びをすることで、諏訪でしかできない、「真澄」でしか味わえないようなお酒が生まれている理由がよく分かります。

地域の唯一無二のお酒造りから、移住コミュニティ、ツーリズムとその周辺の問題解決につながっている姿は、魅力的な街づくりのひとつのかたちなのかもしれません。

(未来定番研究所 窪)

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