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2024.03.11
地元の見る目を変えた47人。
「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。
第22回にご登場いただくのは、和歌山県の有田川町でぶどう山椒を栽培、加工、販売している〈かんじゃ山椒園〉の永岡冬樹さん。地元の特産であったぶどう山椒の魅力をもっと多くの人に知ってほしいと2006年から〈かんじゃ山椒園〉を始めました。2010年には〈田舎カフェかんじゃ〉をオープン。山椒のおいしい食べ方を提案しています。なぜ永岡さんはぶどう山椒を作り始めたのか、ぶどう山椒の魅力、今後の展望などをお聞きしました。
(文:宮原沙紀)
永岡冬樹さん(ながおか・ふゆき)
和歌山県有田川町生まれ。〈株式会社かんじゃ山椒園(以下〈かんじゃ山椒園〉)〉代表取締役。有田川町の商工会で10年働いた後、県外に出て農業に携わる。2006年にUターンし、〈かんじゃ山椒園〉を開業。ぶどう山椒の栽培から加工品づくり、インターネットでの販売を一貫して行う。山椒のさまざまな楽しみ方を提案するため、2010年に〈田舎カフェかんじゃ〉をオープン。有田川町への移住希望者のサポートも積極的に行っている。
生産量日本一
和歌山の特産物・山椒
和歌山県は山椒の全国有数の生産地。その生産量は全国の約6割を占めています。なかでもぶどう山椒という品種は、粒が大きく香りも良い最高級品として世界的にも注目されています。
このぶどう山椒の魅力を広めたいと活動しているのが、〈かんじゃ山椒園〉の永岡冬樹さん。和歌山県有田川町の出身です。
「有田川町は紀伊山地の山の中。子どもの頃、西部劇を観て目の前に草原が広がる風景に憧れていました。だからここの山に囲まれた環境を、狭く感じていたんです」
そう語る永岡さん。大学進学のために京都府へ出るまでは、有田川町に住んでいました。大学卒業後はまた地元で働き始めます。
「大学を卒業する時期になってもなかなか就職先が決まらず、地元の商工会が人を募集していたのでタイミングよくそこに入りました。でもその時は地元が大好きだから帰りたいという気持ちを持っていたわけではありませんでした」
約10年間商工会に勤め、村おこし事業や、地方創生の事業に携わっていました。
「商工会では過疎化していく地域をなんとかしようと活動していました。しかしだんだんと国の政策や行政が行うような町づくりで、果たして成果が出るのだろうかと思い始めたんです。本当にこれでみんなにとって良い町になるのかと疑問を抱きました」
もっと自分の生き方を探究したいという思いもあり、家族と一緒に県外に出て農業や畜産業に従事しました。農に携わることで、自然とともに生きていく大切さを自分なりに勉強したと言います。
「県外で働いた時間は、人生の勉強期間でした。その経験を経て、自分の心の中には故郷の存在が常にあると気づいたんです。なんとか地元を元気づけたいという思いを実現しようと地元に戻ることを決めました」
地元に埋もれていた宝
「ぶどう山椒」
地元に戻ってから始めたのが、山椒の栽培です。
「廃村になってしまいそうな地域でどうやって生きていくか、地域を生かしていけるかを考え、古くから土地に根づいた方法が良いのではないかと思いました。ここには日本一の生産物がありました。それが山椒。山椒の可能性を信じて、これを生業にすることを決めたんです」
山椒の歴史は古く、その記述が初めて登場したのは平安時代。永岡さんは有田川町の山椒の歴史について教えてくれました。
「平安時代の書物『延喜式』に紀州山椒の記述がありました。その頃は栽培していたわけではなく、自然に生えていたんだと思います。この辺りは高野山の文化圏なので、もしかしたら空海もこの地域を歩き回って自生している山椒を食べていたのではないか、なんて想像しています。そして江戸時代の天保年間(1831年〜1845年)、ある農家の庭先ですごく実の大きな山椒ができました。それがぶどう山椒です。突然変異でできたぶどう山椒は、ぶどうの房のようにたくさんの大粒の実をつけ、香りもとても良いもの。地域の人々はいろんな方法で増やしていって、受け継いできました。そして昭和の高度経済成長期に入ると、国は米の生産量を調整するために減反政策を開始。有田川町にもたくさんあった棚田に何かを植えようと考え、昔から作り続けている山椒を植えることに。山椒は漢方に使われるので、主に薬用として高値で取引されていました。しかし高値で売れるがゆえに、多くの人が一斉に山椒を作ったため、2006年頃に価格が暴落してしまいました。せっかく古くから生産してきた山椒が商売にならなくなってしまったという時に、なんとかしようと〈かんじゃ山椒園〉を開きました」
永岡さんは山椒の本来のおいしさを知ってもらえれば、必ず多くの人に必要とされると信じていました。
「山椒というと、うなぎにかけるものというイメージしか持っていない人が少なくありません。黒く乾燥した木屑のようなもので辛い。苦手だという人も多くいました。しかし乾燥したてのフレッシュな山椒は、柑橘のような良い香りがします。この香りをそのまま届けられたら、きっと喜んでくれる人がいると思いました」
そこで永岡さんが開発したのが、乾燥山椒や粉山椒などの加工品。新鮮さにこだわり、それをインターネットで販売し始めました。
「オンラインでの販売のほかに、駅のコンコースに場所を借りて加工品を並べて売りました。お客さまは実際に香りを嗅ぐと、すごく良い香りだと驚いてくれるんです。『山椒って本当は、こんな良い香りがするんだ』と徐々にその魅力を知ってくれる人が増えていきました」
2010年には自宅の一部を改装し、〈田舎カフェかんじゃ〉をオープンします。山椒を使ったさまざまな料理やデザートを中心に、山の恵みを味わえるカフェです。
「ぶどう山椒が良いものだということはわかったけれど、使い方がわからないという人がほとんど。実はぶどう山椒はいろんなお料理に使える万能なスパイス。カレーにかけてもおいしいし、パスタにも合う。デザートにも使えるんです。ちょうど家の敷地があったのでカフェをオープンして、実際に山椒の料理を味わってもらおうと思いました」
海外からも注目される
日本のスパイス
永岡さんの活動はメディアにも取り上げられるようになり、ぶどう山椒の知名度が少しずつ上がっていきました。
「これまで地元の人は、それほど山椒に価値を感じていなかったと思います。でもテレビやメディアでの取材が増えてきて、それを見た地元の人の中には山椒の価値を見直してくれる人も増えてきました」
そしてぶどう山椒は、地元、日本国内のみならず海外の有名シェフなどが、その品質を評価し海外でも注目を集めるようになっていったのです。
「日本貿易振興機構(JETRO)が、ぶどう山椒を欧米で紹介してくれたことがきっかけ。最初は2016年にベルギーで行われたイベントでした。そこでは多くの方がぶどう山椒に興味を持ってくれて、ヨーロッパのレストランやスパイス店での契約が決まりました。その後も海外のイベントで紹介する機会をいただいて、その度に良い反応を感じられます。JETROが、かつて「世界一予約が取れないレストラン」と呼ばれた、スペイン・バルセロナの〈エル・ブジ〉のシェフ、フェラン・アドリアを招いて、私の山椒を紹介してくれたこともあります。あれよあれよという間に世界的にも有名なシェフにまで届いていました。欧米には昔からスパイス文化があり、山椒に対する先入観もないので、新しい日本のスパイスとして魅力を感じてくれたようです。現代では山椒を使ったチョコレートも人気があるようで、ショコラティエの方々も使ってくれています」
意図せずとも、世界にまで広がっていったぶどう山椒。それは永岡さんが信念を持って作り続けてきた結果でした。
「私は当初から、良いものさえ作っていたら世界中から買いに来てくれるという確信を持っていました。例えば、フランスの小さなワイナリーに海外からたくさんの人が買い付けに来るという現象は、良いものは広がっていくといういい例ですよね。世界に誇れる品質のワインを作っているから、多くの人に評価されているんです。私は営業や宣伝が苦手。宣伝した方が早いとも思うけれども、品質を上げれば確実に広がっていくと信じて、品質の向上に努めました」
山間部で自立して暮らすために
今では有田川町も協力し、山椒の栽培やPRに力を入れています。ぶどう山椒が特産品として、これからも続いていくためには「地域に根を下ろして、山椒の栽培を生業とする人を増やしていくこと」が大切だと永岡さんは語ります。そのために有田川町に住みたいという方のサポートもしています。
「私は農業を営むなかで、自然と動物との関わりを学びました。動物や人間が生きていく上で、自然は欠かせませんし、一番気持ちが楽でいられる場所だと思うんです。今の時代は、リモートワークという手段もあるので、有田川町のような都市部から離れた場所でも仕事がしやすい。自然の中で生活をすることは、想像力を養うことにも繋がりますし、自然と向き合ってこそ良い生活ができると思っています。さらに、有田川町のような山間部には、元々木や薪などからつくる自然エネルギーがあり、食べ物も豊富。人間が豊かに暮らせる場所です。そんな環境の中で、特産を生業にするような暮らし方は、本来あるべき姿ではないでしょうか。もし有田川町で暮らしたいという人がいれば、力になりたいと思っています」
山椒が世界的に評価されたこともあり、有田川町の山椒農家には徐々に若い担い手が現れ始めています。
「〈かんじゃ山椒園〉で2年ほど研修を兼ね働いてくれた若者が、今は独立して意欲的に山椒を作っています。また副業としての山椒農家を後継しようと栽培に取り組んでいる若者もいました。彼はとても意欲があったので、フランスの見本市に一緒に出ようと誘いました。現地では私たちのブースに人だかりができ、お客さんの反応もとても良かった。そんな様子を見た彼は帰国後、専業で山椒農家となり自身で加工と販売を始めました。とても嬉しかったです」
地元の産業の価値を信じ続けたことで、結果的に地域を世界にPRすることにまでつながりました。最後に、永岡さんの今後の目標をお聞きしました。
「ぶどう山椒の需要は増えていて、ここ2、3年で価格が高騰し以前の3倍ほどの価格になっています。しかし『お金になるから山椒を植えよう』と短絡的に植えても、それは昭和の時と同じ道を辿ることになってしまいます。ぶどう山椒の魅力の伝え方をよく考えて生産することが大事。また、山椒の産地は日本の他の地域にもありますし、中国など日本以外でも作られていますから、有田川町産の個性を磨いていく必要があります。〈かんじゃ山椒園〉では、伝統のあるニッキ、赤じそ、ゆずなどの作物も育てていて、それらを組み合わせた加工品を販売し、料理をカフェで提供しています。そういった山村の良さを生かした作物を作りながら、世界に通用する品質を追求していきたい。そういう人たちが増えてきたらこの土地はもっと自立して、魅力のある場所になっていくと考えています」
〈かんじゃ山椒園、田舎カフェかんじゃ〉
和歌山県有田郡有田川町宮川129
営業日 : 土・日曜日、祝日 11:00~17:00
HP:https://www.sansyou-en.com/index.html
Instagram:@kanja_sanshoen
【編集後記】
永岡さんの地元への深い愛情とぶどう山椒への強い信念が世界に広める活動に表れていると感じました。
かつて地域で当たり前に存在していた山椒が、世界的な注目を浴びるほどの価値ある商品へと変貌を遂げたことで、地元の方々にとっても有田川町の魅力を再認識するきっかけになっているのではないかと思います。
地域における持続可能な発展について示唆に富む貴重なお話を聞くことができました。
(未来定番研究所 榎)
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