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2023.07.18

メイドインジャパンを継ぐ人。

第1回| 瓶入りジュースを地域の力に。〈後藤鉱泉所〉森本繁郎さん。

近年衰退傾向にあるとされているメイドインジャパンプロダクトの魅力をたずね、それを継ぐ人の価値観を探る連載企画「メイドインジャパンを継ぐ人」。第1回にご登場いただくのは、広島県尾道市向島にある清涼飲料水製造所〈後藤鉱泉所〉の4代目・森本繁郎さん。日本発祥のラムネをはじめとした瓶入りジュースを守るべく、長く勤めていた市役所を退職し、2021年4月に先代からバトンを受け継ぎました。森本さんはなぜ後継者として名乗りを挙げたのでしょうか。そして瓶入りジュースに感じた可能性とは?

 

(文:船橋麻貴/写真:森本絢)

事業承継で「後継者不足問題」を解決したい

瀬戸内海に浮かぶ小さな島・広島県尾道市向島で、1930(昭和5)年から続く〈後藤鉱泉所〉。創業以来、昔ながらの製法で作るラムネやサイダー、ミルクセーキといった瓶入りジュースを製造・販売しています。これまで親子3代に渡って受け継がれてきた〈後藤鉱泉所〉を2021年4月に承継し4代目に就任したのが、竹原市役所の職員だった森本繁郎さん。約20年に渡る公務員生活から一転、こちらを受け継いだのは、竹原市職員時代に「後継者不足問題」を目の当たりにしてきたから。

 

「地方公務員として文化財の保護などに携わっていたのですが、町の人たちが守りたいと思っているのに、後継者がいないから残せない。そんな場面に何度も直面し、もっと力になれる方法はないかとずっと考えていました。そして人生100年時代と言われる中、自分自身も40代に突入したことも大きいですね。この先の長い人生を考えた時、仕事を通して社会貢献をしたかった。それで事業承継という道を考えるようになりました」

コロナ禍に入る少し前の2019年ごろ、森本さんは自らが後継者となって歴史や文化を残す道を模索し始めます。そして事業承継のマッチングサイトで出会ったのが、ここ〈後藤鉱泉所〉でした。

 

「以前からメディアにも多く取り上げられていたので、もちろん存在自体は知っていました。向島の中でも観光客やサイクリストが集まる場所として人気でしたから。だから後継者不足に直面しているのは少し不思議でしたが、このまま閉業したら島に元気がなくなってしまう。そんな危機感みたいなものを感じました。当時、先代の3代目は80歳手前で、誰かに事業を引き継ぐにはタイミング的にもギリギリ。手を挙げるなら、今しかないと思いました」

 

市役所を退職することを決意した森本さんは、半年かけて先代の元でドリンクの製造技術を習得。そして2021年4月、〈後藤鉱泉所〉の4代目として新たな道を歩み始めます。

オールガラスのラムネ瓶を後世に残すために

森本さんが先代から受け継いだのは、「ラムネ」「マルゴサイダー」「クリームソーダ」「ミルクセーキ」「コーヒー」「ビタヤポネC」の6商品。どの商品も代々受け継いできた瓶を使い、戦前に作られたと言われている機械で製造します。

 

「先代から受け継いだレシピ通りに作るのですが、古い機械なのでちょっとネジを動かしたり、修理しただけでも味が変わってしまうんです。例えばサイダーは、砂糖や酸味料、香料を合わせたシロップと炭酸で作りますが、機械のご機嫌次第で炭酸がキツくなったり、シロップの味が強く出てしまったり……。絶妙なバランスで成り立っているので、そのさじ加減を身体で覚えていくのが大変でした」

先代からレシピと製造方法を受け継いだ「ビタヤポネC」「コーヒー」「ミルクセーキ」「クリームソーダ」「ラムネ」「マルゴサイダー」(左から)

昭和30年代をピークに、紙パックや缶、ペットボトルにとって変わり、衰退の一途を辿ってきた瓶入りジュース。なかでも危機的状況に直面しているのが、日本発祥の炭酸飲料とされるラムネ。オールガラスで製造されるのは〈後藤鉱泉所〉の他、国内でも数カ所のみなのだそう。

 

「〈後藤鉱泉所〉では1ヶ月に1回のペースで製造しています。1回に作れる量は1,200本ほどですが、製造のたびにラムネ瓶はかけたり、ヒビが入ったりしてどんどん減っていくんです。オールガラスのラムネ瓶自体の製造はすでに終了しているので、国内に残っているラムネ瓶を循環させていくしかありません。プラスチック製のラムネもありますが、オールガラスで味わうラムネは、どこか懐かしく、口当たり滑らかでおいしい。このままいけばいつかはなくなってしまうものですが、できる限りそれを先送りにしたい。それくらい魅力と価値のあるものだと感じています」

機械を回転させながらシロップと炭酸を注入し、一本ずつ手作りされるラムネ。炭酸ガスの圧力によって、ビー玉の栓が閉まるのだそう

そのほとんどが手作業で、1種類のジュースを作るのに丸2日はかかるという〈後藤鉱泉所〉の瓶入りジュース。製造の手間だけでなく、機械のメンテナンスなどにも多大な時間を要するけれど、それでもこの製造方法を守っていきたいと森本さん。

 

「倉庫のようなレトロな雰囲気が漂う〈後藤鉱泉所〉で、昔ながらの瓶入りジュースを飲む時間は特別だと思うんです。みなさん笑顔でいらっしゃって、笑顔のまま帰っていきます。そんな笑顔に出会えるなら、手間や時間がいくらかかっても続けていく意味があると思うんです」

「地域の宝を、地域の力に。」持続可能な事業に変える

森本さんは先代から続く定番の6商品に加えて、地元の農家や企業などとコラボして新商品を開発。古き中にも新しさを取り入れるのは、瓶入りジュースに可能性と希望があることを示すため。

 

「最初の1ヶ月は先代からの販売方法を受け継ぎ、昔からの瓶を返却してもらうリターン瓶のドリンクのみを販売していたんです。そうしたら客単価200円弱になってしまって、とてもじゃないけど生活が成り立たない。私がどうにか乗り越えたとしても持続可能な事業に変えないと、その次の世代の人に継ぎたいと思ってもらえないじゃないですか。それで地元の農家さんや企業さんと一緒に、持ち帰りOKのワンウェイ瓶のサイダーを開発することにしました」

こうして森本さんは、尾道市瀬戸田町で育ったレモンの果汁を使った「怪獣サイダー」や、尾道ゆかりの作家・林芙美子の小説の一節を再現した「尾道文学サイダー」など、新たな商品を開発。地元に眠っていた可能性を掘り起こし、お客さんに届けていきます。

 

「私たちのビジョンは、『地域の宝を、地域の力に。』です。地域のものをいかしてものづくりをすれば、そこで暮らす人たちや町が元気になれると信じています。実際に農家さんも、自分が作った農作物が商品になるとすごく喜んでくれて、『今年もやろう!』とおっしゃってくれる。4代目としてはまだまだ未熟ですが、そんな姿を見ると私自身も元気になれる気がするんです」

1ヶ月の休業を経て、一歩ずつ前進していく

観光客の姿が少しずつ戻った今、〈後藤鉱泉所〉はたくさんの人で賑わっています。事業承継後も人や町を元気にしてきましたが、今年6月、予期せぬ事態が森本さんを襲います。機械のオーバーホールによって、1ヶ月の休業が余儀なくされたのでした。

 

「機械を修理しようにも部品がなく、代わりのもので何度も試したのですが、うまくいかず……。思った以上に、営業再開までに時間がかかってしまいました。正直、廃業が頭をよぎりましたが、修理を担当してくれた業者の方々、そしてお客さんたちに何度も何度も励ましと心配の言葉をかけていただきました。お客さんの笑顔がもう一度見たい。その一心でどうにか乗り越えることができました」

〈後藤鉱泉所〉を受け継いでから2年ほど。大きなトラブルを乗り越えた今、森本さん少し先の未来を見つめてこう話します。

 

「先細りの事業だと言われたとしても、歴史が続いている以上は何かしらの理由が必ずあるはず。事業を引き継ぎ、辞めることよりも続けることの方がはるかに難しいこともわかりましたが、それでもやっぱりこんな素敵な事業を辞めてしまうなんてもったいない。〈後藤鉱泉所〉を受け継いでから私は、たくさんの人から元気と勇気をもらいましたから。

 

この先何十年、この仕事を続けられるのかはわかりませんが、ちゃんと承継している姿を見せ、自分がそのロールモデルになることで、後継者不足で辞めざるを得ない事業を少しでも減らしていけたらと思っています」

【編集後記】

深刻化の一途を辿っている後継者問題。既に2022年の倒産理由の中で最も多かったのが後継者不足とのこと。森本さんのお話にもあるとおり、「事業を引き継ぎ、辞めることよりも続けることの方がはるかに難しい」というのが実情なのだと思います。

しかし、そんな中でも歴史の火を絶やしたくない。地域の賑わいに貢献したいという想いから引き継いだ森本さんの行動は非常に参考になる部分が多いかと思います。

この場所を残したい。けど、一歩踏み出せない。そんな方の光になるような活動だと感じました。

ここは訪れた人をノスタルジックな気持ちにさせたり、ゆったりとした時間を与えたりすることができる何ものにも代えがたい場所であるようです。実際に訪れてみてわずかではありますが、なぜこの場所で、そして昔ながらの製造方法で作り続けているのかがわかったような気がします。

(未来定番研究所 榎)

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