2023.03.29

未来工芸調査隊

第3回| 関美工堂の関昌邦さん、漆工芸を次世代に繋ぐ場をつくったのはなぜですか?

器やかご、布など、日本各地にあふれる工芸の数々。F.I.N.編集部では、そういった工芸を愛してやまないメンバーで「未来工芸調査隊」を結成し、その歴史や変遷、さらなる可能性を探っていきます。

 

第3回、私たちは福島県・会津若松に向かいました。約430年以上前の安土桃山時代に始まり、明治時代には完全分業制によって隆盛を極めた漆器・会津塗。時代の変化で漆器の需要が減る中、漆工芸の継承と普及のために立ち上がった関美工堂の代表・関昌邦さんにお話を聞きました。漆工芸を次世代に繋ぐ場として〈ヒューマンハブ天寧寺倉庫〉をつくった理由、そして関さんが描く未来とは。

 

(文:川端美穂/写真:嶋崎征弘)

Profile

関昌邦さん

株式会社関美工堂 代表取締役。

1967年福島県出身。明治学院大学法学部卒。1992年、衛星通信・放送事業を行う現スカパーJSAT株式会社に入社。2000年、JAXAで次世代衛星の開発に従事。2003年、関美工堂に入社。2005年、産地ブランド〈BITOWA〉を立ち上げ、地域や国内外の手仕事・デザインを提案するライフスタイルショップ〈美工堂〉の運営開始。2007年に三代目就任後、漆の機能に焦点を当てたアウトドア漆製品〈NODATE〉、暮らしの道具〈urushiol〉を発表し、国内外で支持を集める。近年は仕事の領域を拡げ、職人の手仕事、地域の素材・技術・コミュニティを活かして空間デザイン・衣類プロデュースなども手掛ける。2022年11月、本社兼倉庫だった建物を改装し、漆器制作のシェア工房、コワーキングオフィス、シェアキッチンを兼ね備えた〈ヒューマンハブ天寧寺倉庫〉をオープン。

漆工芸の衰退を目の当たりにし、

時代に合ったものづくりを決意。

F.I.N.編集部

関さんは、会津若松で漆製品を手がける関美工堂の三代目として、さまざまなブランドを立ち上げ、漆の新しい価値を創造し続けています。幼少期から今まで見てきた、漆器業の移り変わりについて教えていただけますか?

関さん

関美工堂は、1946年に私の祖父が創業しました。表彰記念品として会津塗の楯を開発し、エンターテインメントやスポーツ、教育など多くの場で必要とされ、受注に追われていました。当時、従業員100人規模の地元資本の会社は、会津若松内でもごくわずかだったと思います。会社のすぐ横に実家があり、幼い私にとってここは遊び場。漆工芸の活気を肌で感じながら大きくなりました。その後、大学進学と就職でしばらく首都圏で暮らしていましたが、35歳の頃、二代目の父が病に倒れ、家業を継ぐために会津若松に戻りました。

関美工堂で製作された楯

F.I.N.編集部

会津若松に戻ってきた2000年代、漆器業界はどんな状況だったのでしょうか?

関さん

表彰記念品事業も漆器業も需要が減って会社の従業員は3分の1になり、業績は右肩下がりでした。ただ、「会津塗業界の落ち込みがひどい」といった声はあちこちで聞くものの、その根拠となるデータを示す人はいなかった。エビデンスとなる数字を示す重要性をサラリーマン時代に叩き込まれていた私は、市役所を訪ねました。すると、昭和40年代から取り続けた漆製品の年間出荷額の統計データがありました。そのデータを伝統的な漆工芸に絞って精査すると、右肩上がりだった出荷額が平成元年(1989年)頃にピークを迎えてから徐々に減少。2000年代半ばに7分の1に激減して以降は、横ばいとなっていることがわかり、愕然としました。漆器は、木地(きじ)師・塗(ぬり)師・蒔絵(まきえ)師といった職人の分業から成り立っていますが、中でも木地は13分の1、漆塗が32分の1にまで市場規模が減少。400年続く会津塗の伝統工芸や技術が失われてしまうという危機感を覚えました。

F.I.N.編集部

漆器業が衰退してしまった原因は何だとお考えですか?

関さん

平成に入って、安くて便利な陶器やプラスチック製品が浸透したこと。さらに、食事や暮らしのスタイルが和から洋に切り替わったことが原因だと考えています。急速な時代の変化によって、お椀やお盆、お重といった漆器の需要の減少は防ぎようがありませんでした。でも、だからこそ「時代に合ったものづくりをするしかない」という考えに行き着きました。そして、試行錯誤の末、2005年に生まれたのが〈BITOWA〉という会津塗のブランドです。会津若松で漆器業を営むメンバーを中心にチームを組んで、外部からデザイナーを招き、現代の美意識や生活スタイルを反映させたプロダクトを国内外の展示会で発表。高く評価していただき、地域経済や漆職人たちに新たな風を吹き込むことができました。〈BITOWA〉は形を変えながら、今も新たな価値を追求し続けています。

アウトドアグッズとしての、

漆器の新たな可能性を発見。

F.I.N.編集部

新しい挑戦をすることで、伝統工芸である漆器が現代の人々に受け入れられたのですね。

関さん

この経験を糧にして、2010年に漆器ブランド〈NODATE〉を立ち上げました。キャンプやフェスなどのアウトドアで使える漆のマグやお皿、ちゃぶ台などを発売し、ファッション業界からアウトドア業界まで、さまざまなメディアで取り上げていただきました。でも、最初の頃は、「外遊びの場で使いたおせるようなカジュアルな漆器があったらいいな」という私個人の願望から生まれたプロダクトだったので、弊社の定番軸になるほどまでお客さまからご支持をいただけるとは思ってもいませんでした。

 

誕生のきっかけは、初めてテント泊で参加した野外フェス。アウトドアギアはプラスチックや金属、化学繊維のものばかりでしたが、木のカップを持ち歩いている人もちらほらいたんです。気になって調べてみると、それは白樺のコブをくり抜いて作られた「ククサ」というフィンランドの伝統的なマグでした。価格も高価なのにとくに女性を中心に愛されている製品でした。水分の浸透を防ぐためにオイル塗装がされている「ククサ」を見て、漆ならより実用性に優れたプロダクトを生み出せるのではないかと思いました。

F.I.N.編集部

漆のどんな性能を、実用に生かせると感じたのですか?

関さん

漆の性能は、さまざまな研究機関による実験で科学的に実証されています。たとえば、漆の木から採取した樹液の主成分のウルシオールには、高い殺菌効果があります。この生漆(きうるし)を精製した漆液を塗って漆器は作られる。そのため、漆器は抗菌作用があるのです。また、酸やアルカリ、油に強く、非常に軽くて丈夫なのも特長です。

漆器は古くから、野外で茶を立てる野点(のだて)で用いられてきた。そのことから、ブランド名を〈NODATE〉に

F.I.N.編集部

漆にそんなに多くの性能があるとは、知りませんでした。

関さん

歴史をさかのぼると、1万2600年前の縄文時代に人々が漆を使っていたことがわかっています。獲物を狩るために使う矢じりの接着剤や土器や木器の塗料として使っていたようです。ただ、漆の主成分のウルシオールは直接触れると皮膚がかぶれることが多い。当時、皮膚を掻いた傷口から細菌が侵入し、感染症を引き起こし、命を落とすリスクすらあったはず。縄文の人々がそんなリスクを冒してまで、生活のために漆を取り入れる価値に気付き、暮らしの中に取り入れ、以降の時代の変化にさらされながらも使い続けてきてくれた先人たちがいたからこそ今があるのだと思います。

F.I.N.編集部

アウトドアで気軽に使える漆器として〈NODATE〉が消費者に喜ばれるなか、発売当時、漆器業界の人たちの反応はどうでしたか?

関さん

「何か変なことをしている」というネガティブな声も一部からは聞こえてきました。まぁ、当然ですよね。表面に穴を空け、革紐を通した漆のカップなんて、今までにありませんでしたから。ただ、前向きに取り組んでくれる職人さんもたくさんいたのがありがたかったです。

〈NODATE〉は、漆を塗り重ねる「塗立て」という一般的な技法ではなく、木地に漆を塗っては布で拭き取る作業を繰り返し、木目を見せる「拭き漆(摺り漆)」という技法を採用しています。漆芸の中では最も初歩的な技法です。

F.I.N.編集部

なぜ「拭き漆」を選ばれたんでしょうか?

関さん

海外の展示会で、いわゆる漆器らしいイメージの堅牢で艶のあるものは海外の人に魅力が伝わりにくいという経験をたくさんしたからです。欧米の暮らしに漆は存在しないため、艶っとした漆器はプラスチックの器だと思う人が多く、石油化学系塗料であるウレタン塗装との違いも伝わりにくく、苦戦し続けていました。一方、他のブースの南部鉄器や薄張ガラス、西陣織などは多くの人に注目され、高い評価を得ていました。なぜなら、鉄もガラスも絹も欧米の暮らしの中にある素材だからです。比較対象によって、日本の伝統工芸の素晴らしさを理解できたのでしょう。その気付きのおかげで、世界共通の素材である木を際立たせた、木目が見える技法である「拭き漆」を推した漆器をつくってみると、興味をもってくれるバイヤーも増え、漆器の本質を伝えやすい環境になりました。

F.I.N.編集部

漆器が少し遠い存在になってしまった私たち日本人にとっても、〈NODATE〉は気軽に使えそうですね。

関さん

いくら漆は丈夫で使いやすいと言っても、従来の艶々の漆器はすごいオーラがありますから、「大事にしなきゃ」という意識が強くなり、気軽に使えない人も多い。まずは〈NODATE〉をゲートウェイとして気軽に使って漆の魅力を実感し、ステップバイステップでさまざまな技法の漆器に興味を広げていただきたいですね。たとえば会津塗なら、錆漆(さびうるし)で鋳物のような渋みを表現した「鉄錆塗(てつさびぬり)」、漆の絵の上に金粉や銀粉、色粉を施した「蒔絵」など、さまざまな技法の漆器があり、それぞれがとても魅力的で暮らしの中で心を豊かに彩ってくれます。

若い職人のステップの場として、

シェア工房をオープン。

F.I.N.編集部

〈NODATE〉は、地域に雇用を生み出すことにも成功したのでしょうか?

関さん

とくに若い職人たちにチャンスをたくさん与えることができました。なぜなら「拭き漆」は、塗師にとって基礎的な技法だから、学校や師匠のもとである程度の技術を学べば、どんな技量の人でも仕上げることができるんです。駆け出しの職人向けの仕事をたくさん生み出すことは、彼らのモチベーションを上げるだけでなく、後継者不足の改善にもつながる。漆器の未来にとって重要なことです。この〈ヒューマンハブ天寧寺倉庫〉(以下、HHT)を昨年オープンした経緯にはそういった背景があります。

F.I.N.編集部

ぜひ〈HHT〉をオープンした経緯を詳しく教えてください。

関さん

〈HHT〉はもともと本社兼倉庫だった場を改修し、次世代に繋がるモノづくりとコトづくりを国内外に発信する場としてオープンしました。1階には主に木地師、塗師、蒔絵師として自立を目指す職人向けのシェア工房、地域の飲食店や料理人をサポートするシェアキッチンとカフェ。さらに、会津塗や会津木綿をはじめ、地域食材など、国内外のローカルな価値を基準にセレクトしたストアがあります。2階は、短時間利用から長期利用まで使えるコワーキングオフィスになっています。

〈HHT〉をつくった一番の理由は、職人の後継者不足という社会課題を解決するため。今、会津塗の職人になるには、木地師は製造業の会社に就職する、塗師と蒔絵師は会津漆器技術後継者訓練校に入学するといった方法があります。訓練校は、塗専攻と蒔絵専攻の研修生を約4名ずつ隔年で募集しています。2年の履修を経て、師匠に弟子入りする人もいますが、それが叶わない人もいる。なぜかというと職人が高齢化し、弟子を取る余裕がないから。弟子に技術や営みを教えている間は生産効率が落ちてしまうことも理由の1つ。昭和の頃は一時的に効率が下がっても次々に発注があり、弟子が成長と共に師弟でたくさん漆器を作れば、右肩上がりの需要に応じて売上を伸ばすこともできましたが、今は需要がそこまでありません。訓練校に入学し、弟子入りし、独り立ちする、この流れを「ホップ・ステップ・ジャンプ」で例えれば、ステップを踏む場が減り続ければ、漆器業が衰退してしまう。このままではいけないと、漆器業に必要な設備を備えたシェア工房を、ステップを踏む場としてつくりました。漆器に限らず、工芸を生業にしたいと思っている全国の希望者に使っていただけます。当社や他社の仕事を受けながら、設備投資に必要な資金を蓄え、安心してジャンプできるようになってほしいと思っています。

〈HHT〉で漆器業全体の生産基盤の修復・再生を目指し、クラウドファンディングを実施。多くの人の支援で約1200万円を調達した

〈HHT〉のリノベーションは、長坂常氏が代表を務める〈スキーマ建築計画〉が行った

F.I.N.編集部

通常は交わる機会の少ない職人たちが、シェア工房という同じ空間で切磋琢磨するのは斬新な試みですね。

関さん

そうですね。訓練校では塗と蒔絵の研究生は1年しかかぶらないですし、弟子入りした人は環境によってさまざまですが、他の職人との交流はあまり多くありません。その点、シェア工房は木地、塗、蒔絵の工房がドア1枚を隔てて、横につながっています。自然と職人たちに交流が生まれ、ものづくりに新たな刺激が生まれるのではないかと期待しています。会津塗は完全分業制によって発展しましたが、このシェア工房によって1人でマルチタスクをこなせる職人が現れる可能性もありますね(笑)。たとえば木地師は、お椀などの丸いものを成形する「丸物師」と重箱などの四角いものを成形する「板物師」に分かれ、扱う機械や技術が全く異なります。シェア工房にはそれらの機械が一室にあるので、やる気があれば両方の技術をマスターすることが可能です。

また、従来にない新しい環境として、工房をガラス張りにしています。一般の来場者でも作り手たちの作業風景を見学できるので、見られることを前提にした仕事との向き合い方が作り手の中で育まれます。これは、産業観光の視点からも、作り手にあこがれる子どもたちへの教育の視点からも、大切なことだと思っています。

木地工房には現在主流の「手挽きろくろ」だけでなく、明治時代初期に会津で発明され大量生産を実現した「鈴木式ろくろ」も揃っている

蒔絵工房ではクラウドファンディングのリターンの1つ、倉庫の廃材を使った漆のテーブルを製作中。漆を固めるのに最適な温度と湿度に保ち、左右の工房からゴミが入らないよう空調も管理している

塗工房には、漆の塗膜を均一に固めるための回転室(むろ)が。一般来場者が見学できるよう、通常の木の扉ではなくガラス扉を採用した。「昔は弟子が夜中に起きて回転させていましたが、今は自動で回転させています」と関さん

F.I.N.編集部

実際に利用されている職人さんはどんな方がいらっしゃるんですか?

関さん

シェア工房は今年の4月から本格スタートなので、今(2023年3月時点)はお試しで利用していただいています。たとえば、日中は仏具製造会社で働き、仕事終わりにシェア工房に来て、自分の好きなものを作ったり技を磨いている職人がいます。私は、人の幸福感は、人と人との良好な関係性が一番大切な要素だと思っています。〈HHT〉は、同じ目的を持った職人たちが出会い、互譲互助な関係性が育まれるような場所にしたい。そして一つの屋根の下でものづくりをした関係性は、独り立ちして各地に散り散りになっても産地を跨いだ取組みに発展させられるかもしれません。そうやって、工芸の輪が全国に広がる一助にこの場がなれたら嬉しいですね。

F.I.N.編集部

漆器業やあらゆる工芸の職人の未来のために、関さんはどのような使命を持っていらっしゃいますか?

関さん

〈NODATE〉をはじめとしたプロダクトによって、世界中に漆器の需要があることを実感できました。このバトンを次の世代に繋げ、ものづくりを絶やさないことが私の使命だと思っています。漆は一定の温度と湿度で固まるため、四季によって漆液の混ぜ方や塗り方を微妙に変える必要があります。20歳で職人になって60歳まで続けるとして、経験できる四季はたった40回しかない。この40回の中で、試行錯誤しながら漆や環境と向き合い、技を磨かなければいけないのです。農業従事者と同じように、「地球のリズム」と深く関わっている仕事なんです。私たちにできるのは、「一代で大きな何かを成し遂げること」ではなく「先人たちから繋がれてきたバトンを少しでも良い状態のバトンに修復再生して次に繋ぐこと」です。「自分のリズム」でトライアンドエラーを繰り返せる職種とは営み方も違うのだと思います。人と人、技術と技術を繋ぎ、さまざまなバトンを橋渡しする場として、〈HHT〉を活用していただけたら。まだまだ課題は山積みですが、壊れかけた漆器業のregeneration(リジェネレイション/修復・再生)に貢献できたらと思っています。

 

そして、漆器業だけに関わらず、この地域にずっと繋げられてきた衣食住のローカルカルチャーを、次世代がワクワクするようなものに変換して繋ぐ役割の一部を担えたらと考えています。

【編集後記】

漆器業も他の工芸と同じく生産額や職人さんの減少に苦しんでおられるようですが、ただ現状を嘆くのではなく、こうやって職人育成の場づくりに真摯に取り組まれる方がいるということは、会津塗だけでなく、日本の工芸に携わる方にとっても刺激のある行動ではないかと思いました。

また職人さんにとっても従来は木地師、塗師、蒔絵師のいずれかの道に進むことが当たり前とされてきた中で、どの技術も学べる環境に身を置けるというのは特別な体験なのではないでしょうか。

シェア工房は今年4月に正式にオープンするようですが、ここで培った技術が会津塗の伝統のバトンを繋ぐと共に、日本全国に波及していく未来を想像するととてもワクワクする取材となりました。

(未来定番研究所 榎)

もくじ

関連する記事を見る