地元の見る目を変えた47人。
2024.03.29
挑戦し続ける大人
3月の特集は、「挑戦し続ける大人」。新たな価値観に挑む人の中でも、近年注目を集めているのが、75歳以上のおばあちゃんたちが働く会社〈うきはの宝〉代表の大熊充(おおくま・みつる)さん。おばあちゃんたちの特技と特性をいかした「食」と「料理」で、過疎化が進むこの地域を元気にしています。
おばあちゃんたちが挑戦する場を次々とつくり、その姿を間近で見てきた大熊さん自身も挑戦者と言えます。そんな大熊さんを挑戦に駆り立てるものは何か。通称「みっちゃん」として地域の人たちに親しまれている大熊さんにお話を伺います。
(文:船橋麻貴)
大熊充さん(おおくま・みつる)
うきはの宝株式会社 代表取締役・デザイナー。
1980年福岡県うきは市出身。2014年にデザイン会社を創業。2017年に専門学校〈日本デザイナー学院九州校〉に入学し、グラフィックデザインとソーシャルデザインを学ぶ。在学中に、社会起業家育成のボーダレスジャパン主宰のボーダレスアカデミー二期福岡校を修了。2019年に、75歳以上のおばあちゃんたちが働ける会社〈うきはの宝株式会社〉を設立。2021年、農水省主催の「INACOMEビジネスコンテスト」で最優秀賞に選出される。第20回福岡県男女共同参画表彰「社会における女性の活躍推進部門」受賞。 2023年9月 ICCサミット KYOTO 2023「ソーシャルグッド・カタパルト」に選出。2024年福岡県「6次化コレクション」県知事賞を受賞。
〈うきはの宝〉:https://ukihanotakara.com/
どん底から救い上げてくれた
おばあちゃんたちの好奇心と根気
「『99.9%うまくいくはずがない』。創業前、いろいろな人からそう言われていたんですよ」。会うや否や、真っ直ぐにそう語ってくれた〈うきはの宝〉代表の大熊充さん。周りから否定的な意見があったにも関わらず、3人に1人が65歳以上の高齢化が進む福岡県うきは市で、地域課題と向き合いながら挑戦を続けてきました。
大熊さんの挑戦をずっと支えてきたのは、20代の頃にバイク業界に従事していた時の師匠の言葉。20年近く前に贈ってもらったこの言葉が、今の大熊さんのスローガンにもなっているそう。
「『みっちゃん、これからも探究心を持ってトライアンドエラーを大切にしてね』って、師匠から言われたんです。元々僕は挑戦しては失敗してばかりの人間だったんですが、この言葉を贈ってもらってからは、なおさら挑戦する人間でありたいと思うようになりました」
ところがバイク屋さんになるという夢を抱いていた25歳の時に、大熊さんはバイク事故を起こします。頚椎捻挫(けいついねんざ)や右鎖骨粉砕、外傷性くも膜下など、全身を大けがするほどの大きな事故。4年もの入院生活を余儀なくされ、自暴自棄に陥っていきます。
「最初のうちは、家族や友達が頻繁にお見舞いに来てくれていました。だけど、半年くらい経つとそれが落ち着き、存在自体を忘れられているような気がして。社会から断絶され、孤立していく感じというか。後遺症が残ることからバイク屋になるという夢を諦めなければならず、働き盛りの20代の時間を入院やリハビリに費やさないといけない。そんな現実を前にし、絶望感でいっぱいでした」
もうこれ以上、生きていけない。そう思うほどどん底にいたという大熊さん。再起のきっかけは、入院生活を共にしていたおばあちゃんたちでした。
「正直、死んでしまいたいとすら思っていました。一人にすると危ないということで、ナースステーションで見守られていたんですが、そこには同じようにばあちゃんたちもいたんです。僕は落ち込んでいてしゃべることもできなくなっていたんだけど、ばあちゃんたちがひたすら話しかけてくるんですよ。『なんで事故に遭ったん?』『そのけが、どうしたん?』って、一番聞いてほしくないことを聞いてきて。最初の1週間くらいは無視していたんですが、ばあちゃんたちはそれでもめげない。僕を励まそうなんて気は1ミリもなく、気になってしょうがないんですよ。あまりにしつこくて、2週間目になると僕はもう笑ってしまっていました」
おばあちゃんたちの好奇心と根気に負け、笑顔や明るさを次第に取り戻していった大熊さん。人生を生き直そうと思ったのもまた、おばあちゃんたちの存在が大きかったと言います。
「ある日、一人のばあちゃんが突然いなくなったんです。看護師さんに聞いたら容体が急変し亡くなったと。よくよく考えると、長期入院をしていたのだから体調は良くなかっただろうに、そんなのこっちが気づかないくらいずっと話しかけてくれたんですよね。ばあちゃんの生と死に直面し、僕は自分の人生をちゃんと生きようと思いました。このまま死んだように生きるのはやめようって」
「ばあちゃんたちに恩返しをしたい」。
その一心で地域課題に挑んでいく
退院後、就職活動をスタートし、20社以上の面接を受けるもすべて不採用。再び挫折を味わいながらも大熊さんは、一人で会社を創設する道を選びます。金属の装飾品やバイクの部品などをネットで販売したり、ホームページを作ったり、ECサイトを立ち上げたりと、いつの間にかマーケティングやデザインを受注する会社に。事業は順調そのものでしたが、12年経った頃、ある種の虚しさと対峙することに。
「とにかく誰かに必要とされていることがうれしかったのですが、広告の仕事を多くやるようになると、心がすり減っていくような感覚になったんです。目先の課題ばかりを解決し、ものごとの本質に向き合えてないような気がして。
それから、都会の仕事ばかり受け、全く地域に関わりを持てていない自分に嫌気が差してもいました。地元のうきは市を見渡してみたら、高齢化や産業の少なさなど、解決すべき課題がたくさんあった。それが次第にわかると、自分を支えてくれたばあちゃんたちに恩返したいという気持ちが強くなっていきました」
ソーシャルデザインを学び始めた大熊さんは、いよいよ地域課題の解決に挑んでいきます。まずは当事者たちから話を聞くため、高齢者の無料送迎サービス〈ジーバー うきは〉をスタート。病院や市役所、スーパーまで送迎する日々で見えてきたのは、高齢者が抱える「孤立」と「生きがいのなさ」という社会課題でした。
「ばあちゃんやじいちゃんたちは、誰かに世話になりたいなんて思っていないんです。むしろ、すべてのことをお世話されるたび、生きている感覚がなくなっていくと。じゃあ、何に生きがいを感じるのかを聞いたら、お手伝いをして誰かに『ありがとう』と言われた時だと言うんです。この思いって、バイク事故に遭って退院した時の自分と一緒なんですよね。自分ではなく、人の役に立つことに喜びを感じていた時の僕と。だから、まずは僕を救ってくれたばあちゃんたちに恩返しをするため、生きがいとなるような働く場をつくろうと思いました」
生き生きと働き、新しい挑戦をする。
笑いと涙のおばあちゃんとの日々
2019年に〈うきはの宝〉を立ち上げた大熊さん。人材不足の場所におばあちゃんたちを配置するのではなく、食やものづくりなどおばあちゃんたちが得意なことを軸に事業を展開しています。そのため、おばあちゃんたちは生き生きと仕事をしているそうですが、大熊さんと世代も価値観も違うことから、楽しくもハプニングの多い日々が続いていると言います。
「うちの人気商品に干し芋があるのですが、一人のばあちゃんがミスをしてしまって、一部の商品をダメにしちゃったんです。誰だってミスはあるから仕方ないと伝えたんですが、『会社に大損害を与えてしまった』と大きなショックを受けてしまって。最終的に切腹する勢いの手紙をくれて、その中にはお金も入っていたんですよ。これにはさすがにびっくりしましたが、『トライアンドエラーはしていいんだからね』と諭してなんとか納得してもらえました。ばあちゃんも僕も楽しく働いていますが、本当にもうドラマのような毎日なんですよ(笑)」
おばあちゃんたちは真面目で謙虚。ビジネスの経験も失敗への耐性も少ないけれど、新しい挑戦をして成功体験を積んでもらうことで、より生き生きと働けるようになったと大熊さんは続けます。
「自分に自信がないと言っていたばあちゃんが頼んでもいないおやつを新たに考案し、作って持ってきてくれたんです。他のメンバーからも評判になって、最終的には商品化をしました。お客さんからもおいしいと好評をいただいて、考案したばあちゃんはそんなお客さんの様子を見て本当に嬉しそうにしていましたね」
おばあちゃんたちの生きる知恵や体験談が詰まった「ばあちゃん新聞」やYouTubeチャンネル「ユーチュー婆」という自らが出演するメディア発信もまた、おばあちゃんたちを自然と挑戦に導いています。
「最初は『出たくない』『恥ずかしい』とみんなに嫌がられました(笑)。だけど続けてみると慣れてくるもので、今はかなり自然体でやってくれています。最近は遠方に住んでいる子どもや孫たちが喜んでくれたと喜びの声もある。苦手なことでも挑戦してみると、良いことも起きるものなんですよね」
挑戦する場が地域にあれば、
未来の可能性が広がる
おばあちゃんたちが活躍する場を新たにつくった大熊さん。地域に挑戦する場があることは、過疎化や高齢化が進む社会の希望になると話します。
「地域を活性化させるには、まずはそこに暮らす人たちが元気でないと難しいと思うんです。人材は地域の宝。人が元気になると、地域も経済も明るくなっていきます。だから、〈うきはの宝〉のばあちゃんたちが新たな挑戦をしつつ、楽しく働いている姿を見ていると、未来への可能性を感じるんですよね。地域課題の解決の糸口になるんじゃないかって」
構想から7年、会社創設から5年。人生をかけて地域課題と向き合ってきた大熊さんは、こんな5年先の未来を思い描いています。
「直近の目標としては、ばあちゃんたちが作ったというストーリーありきではなく、シンプルに『おいしいから』『面白いから』という理由でうちの商品やサービスを選んでもらうこと。当然、応援していただけるのは非常にありがたいしうれしいのですが、地域課題を解決するにはそれだけでは足りない。一過性のものになってしまっては、事業として続けるのも難しいと思うんです。
そういう課題を少しずつクリアにしていき、これからはばあちゃんたちが輝く場所を未来の定番にしていきたいですね。そうなると僕たちの会社が不要になるかもしれない。だけど、それは地域課題を減らすという目的を達成した証なので」
失敗を恐れず、挑戦を続けてきた大熊さん。「それでも失敗は怖くないですか?」とたずねると、ふふっと笑ってこう返してくれます。
「もちろん怖いですよ。だけど僕の場合、新しい挑戦をしない方がもっと怖い。可能性が少しでもあるならば、どんどん挑んでいきたいんですよね。やりすぎた場合はばあちゃんたちに叱ってもらって、これからもトライアンドエラーを続けていきます」
【編集後記】
おばあちゃんだからこそ生み出せる価値をつくり、挑戦し続ける大熊さんから「失敗は怖い。でもどんどん挑戦していきたい」というとても正直なお声を伺い、勇気をいただいた気がしました。また、大熊さんのお話で印象的だったのは「ばあちゃんと結構話し合って……」「ばあちゃんと2時間かけて話して……」など、おばあちゃんたちと頻繁、かつ丁寧にコミュニケーションをされていること。大熊さんの挑戦が周囲の方々や地域に幸せをもたらし、次の挑戦へ繋がっていくのは、大熊さんとおばあちゃんたちとの強い信頼関係があってこそなのだろうなと、改めてうかがい知ることができました。
(未来定番研究所 中島)
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