2022.05.11

47人に聞く、地元の見る目を変えた人。

第1回| 故郷は自分を映す鏡。徳島のイベントスペース〈OLUYO〉福岡晃子さん。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第1回目にご登場いただくのは、ロックバンド・チャットモンチーのメンバーとして活躍した福岡晃子さん。現在は地元の徳島に完全に拠点を移し、イベントスペース<OLUYO>で県内外の人と人をつなげ、地元の魅力を発信しています。そんな徳島愛があふれる福岡さんに、地元で活動を続ける意図をお聞きします。さらに、福岡さんが思う「地元の見る目を変えた人」のご紹介も。

 

(文:船橋麻貴/撮影:米山典子)

Profile

福岡晃子

イベントスペース「OLUYO」社長、作詞作曲家、演奏家。徳島県徳島市出身。

2002年よりチャットモンチーのメンバーとして活動し、2016年に徳島にイベントスペース<OLUYO>を開設。バンド活動に並行して、毎月さまざまなイベントを企画・開催する。2018年にチャットモンチーを完結した後、2020年より徳島に完全移住。2021年からYouTubeチャンネル「福岡晃子AkikoFukuoka」を開設し、徳島での生活や音楽活動の様子を発信している。

OLUYO:https://oluyo2016.wixsite.com/tokushima

YouTubeチャンネル「福岡晃子AkikoFukuoka」:

https://www.youtube.com/channel/UCudaxme1AtRRmLhu3Y_mkiQ/featured

徳島を好きになってもらえるなら、

チャットモンチーが入り口でもいい。

ロックバンド・チャットモンチーのメンバーとして活動していた福岡さんが、2016年に徳島市内に立ち上げたイベントスペース<OLUYO>。誕生のきっかけは、チャットモンチーがデビュー10周年を迎えるタイミングで、「東京や徳島で出会った人たちと何かできる場所を作りたい」と思ったことからでした。

 

「当時のマネージャーさんから『チャットモンチーのお店が地元の徳島にあったらおもしろいよね』と提案されたんです。その時ちょうどデビュー10周年に向けて、フェスの開催など徳島で何か楽しいことができないか考えていた時期で。それですぐに、バンドのグッズを販売したり、県内の人気店が出店したりする<チャット商店>を計画したんです。<チャット商店>は期間限定オープンだったんですけど、ファンの方や地元の人たちが楽しんでくれただけでなく、ここで出会った県内外のファン同士がつながって、徳島の観光地めぐりをしたりしていて。そういう姿を見ていたら、徳島でできることはまだまだあるし、<チャット商店>が閉店した後も徳島でおもしろいことを続けていきたいと思ったんです」

こうして県内外のお客さんが徳島を気軽に楽しめるスペースとして誕生した<OLUYO>。福岡さんはバンド活動の傍ら、木工作家や藍染作家など徳島で活動する人たちとトークショーを開催したりと、東京と徳島を行き来しながら地元での活動を深めていきます。

 

そんな中、2018年にチャットモンチーが完結。それでも福岡さんは<OLUYO>の運営を継続する道を選びます。

 

「チャットモンチーを完結した後、2019年に自然が豊かな那賀町にキャンプしにいくという、<OLUYO>初のバスツアーを開催したんです。参加者の9割がチャットモンチーのファンの方でしたが、みんな翌年以降も<OLUYO>関係なく、普通に徳島に遊びに来てくれて。入口はチャットモンチーだったかもしれませんが、徳島を気に入ってもらえるのはやっぱりめちゃくちゃ嬉しかったですね」

徳島に完全移住をしたことが、

地元の人と深くつながるきっかけに。

チャットモンチー完結後も、徳島と東京の二拠点生活で<OLUYO>の活動を行う福岡さんは、コロナ禍の2020年に子供を出産。緊急事態宣言の解除後、初めて子供を連れて里帰りしたことが、徳島への完全移住のきっかけになります。

 

「緊急事態宣言の解除後、実家に帰ってきたけど、やはりどこへも出かけられませんでした。それで気分転換に海を見に行こうと、県南の方にドライブに行ったんです。あまりにも気持ちのいい場所だったので、『ここに住みたい』とぼんやりつぶやいていたら、夫がその場ですぐに役場に電話して空き家を探してくれて。実際に内見したらすごく気に入ってしまって、だったらもうここで暮らそうと2人で決めました」

ふと思い立って訪れた土地に移住を決めた福岡さん。それが必然だったかのように、<OLUYO>での活動はさらに濃度が増していきます。

 

「完全に移住した後の<OLUYO>の活動のなかで思い出深いのは、特別支援学校の阿南支援学校の生徒さんと一緒に行ったチャリティバザーと学校祭です。生徒さんが制作した作品を一緒に販売し、その利益を県内の動物福祉団体やNPO法人のフードバンクに寄付しに行ったりして。これまで交流のなかった学校と団体がつながり、それがいい循環となって県内をぐるぐる巡っていく。微力ながら<OLUYO>がそのきっかけをつくれたことがとても嬉しいですし、そもそも徳島に完全移住しなかったらできなかったことだと思います」

<OLUYO>のチャリティーバザーでは、阿南支援学校の生徒が作った陶器や手作り小物が販売された

社会的な活動で地域に貢献していきますが、こうした活動に寄与できたのは、徳島の人と深くつながれたからこそ。

 

「阿南支援学校とつながったのは、私の友人の子供が通っていたことがきっかけなんです。チャットモンチー時代、フェスで徳島に帰郷していたときに、学校でライブしてほしいと言っていただいて。それでシークレットでライブを行ってから、阿南支援学校には何回か訪問させてもらって生徒さんとおしゃべりしたり、一緒に作品を作ったりしていました。そういう交流を重ねていくと、生徒さんはもちろん、親御さんや先生とも意見交換したり、発信する場所を作っていくことが大事なんじゃないかって考えるようになって。社会的な活動がしたい、貢献したいというより、阿南支援学校のみなさんと仲良くさせてもらってから、お互いのことをもっと知りたいと思うようになりました」

阿南支援学校の生徒と一緒に作った箸置きやカップの販売利益の一部は、NPO法人のフードバンクに寄付された

自分の暮らす土地の魅力を再発見。

県内の全市町村の名物をイラストに。

<OLUYO>での活動前から、チャットモンチーのMVに徳島のマスコットキャラクター「すだちくん」を登場させたり、ツアーで必ず凱旋したり、主催するフェスの開催地にも選んだりと、福岡さんの徳島愛は人一倍強いように思えます。そこまで故郷を大切に思える理由が気になるところ。

 

「それが私にもよくわからないんですよね(笑)。だけどやっぱり徳島は生まれ育った土地でもあり、大好きなチャットモンチーが誕生した大切な場所。チャットモンチー最後のライブもここ徳島でした。メンバーのえっちゃん(橋本絵莉子さん)とも当然の認識としてありましたし、自分たちにとってもそれが一番しっくり来たんです」

東京で暮らしながらも大切にしてきた故郷には、帰郷するたびに新しい発見がいっぱいあったとも。

 

「学生の時まで徳島市内で暮らしたんですが、とくに何もない街だなぁくらいに感じていました。だけど離れた状態でいざ訪れてみると、この土地特有の風土や習慣が間違いなく漂っているし、なによりも徳島にはエネルギーあふれる人が多い。そんな徳島の人と一緒に<OLUYO>でイベントを開催すると、また徳島のおもしろい人たちとつながっていけて、私自身もいい刺激を受けられるんです」

 

そんな徳島愛があふれる福岡さんは、昨年、徳島にある24の市町村の名産・名所をイラストにし、「とくしま全市町村勝手に応援プロジェクト」というプロジェクトを発足させます。

 

「コロナの影響で<OLUYO>でもイベントを中止にせざるえなくなり、県内のお店もどんどんなくなっていきました。その様子を目の当たりにしたら、大好きな徳島の景色や姿をなんとか残したいと強く思って。イラストレーター&デザイナーの友人と一緒に、徳島の全市町村を回ってイラストとして残すことにしました。記憶だけでなく、イラストとして残すことで、徳島の人たちを少しでも元気にし、自分たちの暮らす街を誇りに思ってくれるかもしれないって」

「とくしま全市町村勝手に応援プロジェクト」で制作した徳島の全市町村の名物を描いたイラスト

3日間という少ないスケジュールで巡った徳島の全市町村。那賀町では木頭ゆずやもち米の粒を残したおはぎ“はんごろし”、サーフィンのメッカ・海陽町ではサーフボードといったように、各市町村の名物・名産を描いたイラストは、<OLUYO>の展示会で地元の人にお披露目したそう。

 

「90歳くらいのおじいちゃんがイベントの告知が載った新聞の切り抜きを持って来てくれたりと、老若男女たくさんの人が訪れてくれました。来てくださった人は『こんな名産があるんだ』『うちの街の名物は別のものがいいんじゃない?』なんて、イラストをおもしろがってくださって。それでみんな、自分が住んでいる土地のこと大好きなんだなって改めて思いました。

 

私自身も県内の市町村を回ることで、今まで以上にめちゃくちゃ徳島を好きになりましたし、それに暮らしている土地を深掘りすることで、自分自身を知れるきっかけにもなりました。そこでの思い出が蘇ったり、誰かの顔が浮かんだりして、地元を通して自分自身を見つめられたような気がします」

チャットモンチーで燃え尽きたからこそ、

全力で徳島の魅力を届けていきたい。

地元での活動をスタートさせて6年、徳島に拠点を移して2年が経った今、福岡さんの中で<OLUYO>への思いにも変化が。

 

「最初はおもしろいことをやりたい人が集まる場所になればいいという、わりとふわっとした感じでしたが、今は徳島の人が喜んでくれることが何よりも嬉しいんです。

 

そうした気持ちの変化は作詞作曲家としての活動にも影響を与えていて、例えば、お店のBGMを依頼されて曲を作るとき、海の音や雨の音、電車の音など徳島の日常を入れたりして。どんだけ徳島が好きなんや?って感じですけどね(笑)」

さらに、<OLUYO>が自分にとってもなくてはならない存在になっているとも。

 

「こういったらなんですが、チャットモンチーが完結したとき、私は1回死んだと思っていて。大袈裟かもしれませんが、もう灰も残らないくらい燃え尽きたんですよね。『チャットモンチーは完結しても、音楽は消えないからファンなのは変わらない』と言ってくれる方もいますし、私自身もチャットモンチーが大好きだけど、チャットモンチーとしての人生はあの時に完結したんですよね。だから、今は第二の人生を歩んでいる感じです。

 

これまでは音楽活動で自分の作品を世に出すというのが一つのゴールでしたが、今の私には<OLUYO>が最高のアウトプット場所。私と副社長の2人で運営しているので、やれることは限られてしまいますが、県内の人はもちろん、徳島に訪れた人にも、徳島を全力で楽しんでもらえるような場所にしていきたいです」

■福岡さんが見染める徳島の見る目を変えた人

ここからは福岡さんが思う「地元の見る目を変えた人」をご紹介。推薦いただいたのは、知人を介して出会い、「徳島の文化だけでなく、人と人を繋ぐのも上手」と福岡さんが話す、藍染プロデューサー・フリーサーファーの永原レキさんです。永原さんは徳島の最南端に位置する海陽町で、自身のアイデンティティのサーフィンに徳島の伝統文化「阿波藍」を掛け合わせたプロダクトなどを開発し、その魅力を発信しています。

Profile

藍染プロデューサー・フリーサーファー 永原レキさん

1982年 徳島県海部郡海陽町生まれ。

城西国際大学国際交流学科に在学中、全日本学生サーフィン選手権大会で4連覇達成。卒業後は東京・米国・オーストラリアなど国内外で働きながらサーフィンと音楽と芸術を学ぶ。2010年 地元徳島にUターン、衣料メーカー株式会社トータスに入社し、海部藍プロジェクトの主任として主に染色や広報を担当する。2016年 徳島の伝統文化とサーフカルチャーを繋ぐプロダクト開発を目的に、<in Between Blues>を設立。空海藍を軸に行政やメディア、福祉、医療、アパレル、音楽など異業種との交流を重ね、ThinkGlobal,ActLocalの理念のもと伝統と革新を織り交ぜ、故郷や日本が誇る自然や歴史・文化の魅力を世界に向けて発信している。

Photo:Shumpei Ohsugi

 

in Between Blue:https://inbetweenblues.jp

自然の大切さを、藍染文化とサーフカルチャーで伝えていく

日本一の生産量を誇る徳島の藍。藍染めの原料・蒅(すくも)づくりの本場として知られ、今でも藍農家や職人たちによってその文化が受け継がれています。

 

海陽町で生まれ育ち、少年時代からサーフィンに親しんできた永原さんが、そんな阿波藍の魅力に惹かれたのは、15年ほど前。アメリカやオーストラリアで暮らす中で、サーフィンに音楽やアートを掛け合わせた自然に沿った生活と出会ったことからでした。

 

「オーストラリアから帰国して、東京の展示会のブースで阿波藍に偶然出会ったことがきっかけです。たまたま目にした藍でしたが、そこに出展していた会社の人が文化や歴史を教えてくれて。日本ってすごいなんて思っていたら、最後にその会社が地元の海陽町にあるって知ったんです。それから即座に地元に戻って、その会社に入社して藍の栽培や染色を学んでいきました」

自身が運営する<in Between Blues>で、海を目の前に藍染の作業を行う永原さん/Photo:Shumpei Ohsugi

阿波藍の存在は知っていたものの、江戸時代から続き、地球環境に配慮したエシカルな衣服を作る技術や文化そのものであることに改めて気づいたという永原さん。海外で暮らす中で、環境問題を意識していたからこそ、持続可能な暮らしに貢献する藍をもっと広めたいと思うように。

 

「僕のアイデンティティであるサーフィンもそうですが、自然があるからこそ、人間は豊かな衣食住遊文化を生み出すことができ、幸せに生きていけるんです。僕は10代の頃から自然の大切さを意識して生きてきましたが、藍染はまさにそうした持続可能な暮らしを象徴する文化や技術そのもの。だから、藍を栽培する農家さん、それを発酵させ蒅(すくも)をつくる藍師と呼ばれる職人さんなど、阿波藍の文化と技術を継承し後世に伝えるため尽力されている方々の存在やその想いを、日本だけでなく世界に向けて届けたいと強く思いました」

<in Between Blues>では阿波藍で染めたサーフボード、ベビー用品、Tシャツ、キャップなどを制作している/Photo Daisuke Kobayashi

現在、藍染スタジオ&カフェ<in Between Blues(イン・ビトゥイーン・ブルース)>を運営し、サーフカルチャーと阿波藍の魅力を地元・海陽町から発信する永原さん。人生をかけて地域や産業を守る活動を行うのは、ある種、地元への反骨精神もあるのだとか。

 

「サーフィンをやっているからって、学生時代は不良扱いをされて嫌な思いをすることも多かったんです。髪の毛も染めてないし、ピアスも開けてないし、タバコだって吸っていないのに、日焼けして茶髪だったからか、学校の先生や地元の一部の人たちにはサーファー=“不良・遊び”というイメージをもたれていて…。

 

そもそも自然で遊んで何が悪いねんとも思いつつも、それに反抗する手段として、勉強を頑張って成績一番をキープしたりと、なるべく波風を立てないように気をつけて、そうした周りの大人の偏ったものの見方といつも戦ってきたように思います(笑)。そうした中で僕が思うのは、サーフィンが他所から入ってきた文化だからって、それを突っぱねるのはもったいないということ。もちろん、なかには素行の悪い方もいるかもしれませんが、それはあくまでも個人の問題。サーフィン自体の本質や価値は、海や自然の魅力、そしてその脅威を五感で学ばせてくれる貴重な体験であること、また自然そのものと自然に恵まれた故郷に対する畏敬の念を育んでくれることにあります。

 

都市や世界とつながるきっかけがなく衰退していく地方が多い中、日本有数のサーフスポットがある徳島県や海陽町は、サーフィンをハブに世界とつながるチャンスはもちろん、地元を愛し誇る子供たちを育てる環境もつくっていけるはずです」

 

一方、阿波藍文化については、永原さんはこう語ります。

 

「サーフィンと違って毛嫌いされているわけでなく、むしろ藍で染まった僕の青い手を見たおじいちゃんおばあちゃん世代からは褒められたりするほど、永きに渡り先人の暮らしを支えてきたからこそ、徳島の人たちから信頼され敬われていることを強く感じます。にも関わらず、その文化が衰退してしまっている現状です…。それぞれ状況は異なりますが、要はサーフィンも藍染も、偏見や時代の流れを理由に地元の人たちがその真の価値を忘れたり、その可能性に気づかずいかせていない。それが本当にもったいないと思います。

 

そうした偏見や時代の流れを理由に大事なものが失われていくのは是が非でも避けたいので、とにかく僕は、サーフィンや阿波藍文化が現代社会、地域と融合していける道を模索し、それぞれを掛け合わせてその本当の価値や可能性を世界と地元に向けて発信し、一つ一つ結果を出していけるよう日々奮闘しています」

 

さらに、地元の文化を大切に思う若い世代同士が繋がることが、自然と人が共存する社会実現を叶えていく一歩になると永原さん。

 

「今回ありがたくもこの企画に僕を紹介してくれたあっこちゃん(福岡晃子さん)は、現代の音楽世界の最先端を駆け抜け、故郷に戻ってきた著名かつ超希少な逸材です。そんな彼女が自らの経験とネットワークを徳島を代表する文化である阿波踊りなど、さまざまな文化に繋げる大切な役割を果たされていることは本当に素晴らしく感じます。そんなあっこちゃんから熱い刺激と励みをもらいながら頑張っている同世代同郷の仲間たちも周りにたくさんいます。

 

徳島や全国各地の僕ら世代の活動が、それぞれの故郷や自然を大切に思う若者の育成に繋がり、自然と人が共存しみんなが幸せに生きてけるような社会の実現に貢献できるよう、引き続き僕もあっこちゃんや仲間たちとともに、国内外、そして地元における探究と発信をここ徳島県海陽町から続けていきたいと思います」

Photo:Daisuke Kobayashi

【編集後記】

編集部内では、誰もが聞いたことのあるチャットモンチーが、素敵な活動をされてるのを聞いて、知らず知らずバンドのファンから徳島のファンになっているような感覚でした。

福岡さん、藍染の永原さんのお二人に共通しているのが、一度地元から離れて、改めて、地元を見つめていることだと思います。人も地元も、視点が変わると、新しい可能性を導き出せるのかもしれません。

 

(未来定番研究所 窪)