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2025.05.21

第37回| 対馬の文化や自然を、次世代が誇れるように。〈対馬里山繋営塾〉代表・川口幹子さん。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第37回にご登場いただくのは、長崎県対馬市で都市農村交流や環境教育に取り組んでいる川口幹子さん。生態学の研究をしていた川口さんは、2011年に対馬に移住しグリーンツーリズムや環境保全に関する仕事に従事。子供たちに美しい海を残し、将来の子供たちが対馬の文化を誇れるように、さまざまな挑戦をしています。

 

(文:宮原沙紀)

Profile

川口幹子さん(かわぐち・もとこ)

1979年青森県生まれ。一般社団法人対馬里山繋営塾(つしまさとやまけいえいじゅく)代表理事。〈対馬グリーン・ブルーツーリズム協会〉事務局長。〈株式会社ブルーオーシャン対馬〉代表取締役。北海道大学大学院環境科学院生物圏科学専攻博士後期課程修了(環境科学博士)。2011年6月、対馬市島おこし協働隊(地域おこし協力隊)として対馬に移住。任期を終えてからも対馬で生活を続け、農林漁業体験民宿を軸にした観光・教育事業や、海洋プラスチック問題に取り組んでいる。

生物多様性を守るため

対馬へ移住

長崎県にある対馬市は、九州と韓国の間の対馬海峡に浮かぶ島。韓国までは直線距離で約50kmという立地のため、昔から朝鮮半島との交流や貿易の拠点となってきました。仏教や稲作、漢字などたくさんの文化が大陸から対馬を経由して日本へ。原始林が今も残る豊かな自然も対馬の特徴です。豊かな生態系も残っていて、ツシマヤマネコなど対馬だけに生息する動物もたくさんいます。

2011年、当時生態学の研究者だった川口幹子さんは、生態学の知識や、最先端の研究成果を現実の社会に実装していきたいと考えていました。ちょうどその頃、対馬市島おこし協働隊の募集が行われていることを知ります。

 

「ツシマヤマネコの保全につながる地域づくりを担う生態学の専門家を募集していたんです。野生生物を保全するために、人間社会のあり方を考えている自治体はすごく素敵だなと思いましたし、この場所で自分の研究を生かしてみたいと思いました」

 

そうして対馬市島おこし協働隊として対馬に移住。新天地での生活を始めて、驚いたことがありました。

 

「対馬の人たちは、さまざまな仕事をしながら生きています。専業の農家さんや漁師さんはとても少なく、周囲にある自然を余すところなく利用する暮らしを今でも続けています。田植えの時期には田んぼで田植えをし、その後はイカが獲れる時期になるのでイカを釣る。冬は椎茸を育て、裏山では養蜂をする。そして平日は電気屋さんを営んでいるなどマルチタスクな人がとても多いんです。その時期の自然の恵みをいただきながら自分の得意分野も生かしている。実はこの暮らし方は、次世代的だなと感じました」

旅することで触れる

対馬の人々の暮らし

対馬に移住してまず始めに川口さんは、対馬市島おこし協働隊として、ツシマヤマネコの保全につながる地域づくりに着手しました。

 

「ツシマヤマネコが好む生息環境は、人間の暮らしが生み出しているものなんです。例えば稲作のために水田を作ることによって、普通はできない湿地ができます。そして山は人の手が入らなければ、鬱蒼としたジャングルのようになってしまいますが、椎茸の栽培や炭焼き、木を切ることによって明るい雑木林ができるんです。ツシマヤマネコは、そういう環境を好みます。私が対馬に来て驚いた『あるものを余すところなく使う暮らし』自体が生物の生息環境をつくっていることに気づいたんです」

 

経験を通して得た気づきから、農村の活性化にも取り組むようになります。

 

「まずは生態学を学ぶ学生や、環境保全に関心のある学生に対馬に来てもらいました。ヤマネコの生息環境と農業の関係について学んだり、耕作放棄の増加による環境悪化を解決しようと実際に開墾に取り組んだり。過疎化の問題についても話し合い、そのための合宿も行いました。滞在時には近隣にホテルがないので地元の農家さんの自宅に泊めていただくことにしたのですが、それがすごく学生たちに好評だったんです。農家さんのお家に泊まって、農家さんが作ったものをいただく。その体験が、地元の人たちの暮らしに触れるきっかけになり、何よりの学びになることに気づかされました」

伝統的な暮らしをもっと多くの方に体験してもらおうと、〈対馬グリーン・ブルーツーリズム協会〉の事務局に就任し、〈対馬里山繋営塾〉という旅行会社を立ち上げます。学生たちはもちろん、観光で来たお客さんも地元の人の家に泊まり、農業や林業、漁業を体験し、農家さんや猟師さんが生産したものを一緒にいただきます。

 

「夕飯に出てくる食材がすべて自家製ということも多く、来ていただいた方は大変喜んでくれます。リピーターの方もすごく多いんです」

 

地域の豊かな自然と人の温かさに触れて、対馬を再訪するファンも増加。しかし、その一方で見過ごせない問題も抱えています。

対馬から海洋ごみ問題を世界に発信

対馬が直面している課題は、人口減少による過疎化だけにとどまりません。今、深刻な問題となっているのが、海岸に大量に流れ着く海洋プラスチックごみです。その量は、年間およそ3〜4万立方メートルにも上ります。

 

「地形、海流、風の影響が重なり、対馬暖流に乗って漂ってきたごみが、対馬に打ち上げられてしまうのです。中国や韓国からのものが多くを占めますが、近年では東南アジアからのごみも、現地の経済成長とともに急増しています。

 

対馬市では約20年前から、漁業組合に依頼して海岸に漂着したごみの回収を開始しました。しかし年々ごみは増え続けています。漁をしている船のスクリューにごみが絡まり操縦ができなくなるケースや、定置網の中に魚と混じってごみが入ってしまうなど、漁業にも深刻な影響が出ているんです。

 

島の子供たちには、美しい海で思い切り遊んでほしい。しかし子供たちにとって、ごみだらけの海が故郷の風景になっています。それが本当に残念でなりません」

2024年、衛生・環境・健康に関わるサービスを提供し、環境問題にも取り組んでいる〈サラヤ株式会社〉は、子会社の〈株式会社ブルーオーシャン対馬〉を設立。川口さんは代表取締役に就任しました。〈ブルーオーシャン対馬〉では、ごみ問題の解決に向けた3つの柱を掲げています。

 

「1つ目は、ごみの再資源化。海洋プラスチックは石油由来の素材なので、しっかりと圧縮すれば石炭のように熱量の高い燃料として使えます。ごみを燃料として使うことで、ほぼ100%再資源化が可能になります。化石代替燃料として、鉄鋼、製紙などの企業に使っていただこうと考えています」

 

2つ目がごみの回収体制の整備です。

 

「今は漁協に委託をして回収していますが、アクセスしづらい海岸も多く、波によって破砕されたごみはマイクロプラスチックとなって、人の手では回収できません。そこで重機を載せてごみを回収する船の開発に取り組んでいます。漁業従事者の高齢化や減少も背景にあり、回収自体を事業として成り立たせる仕組みもつくろうとしています」

 

そして3つ目が、川口さんが最も重視するごみの発生抑制です。

 

「流れてくるものをいくら再資源化しても根本的な解決にはなりません。製品の設計段階でリサイクルしやすい素材や、分解される素材を使用するなど、使用後を想定した製品作りをしていくための普及・啓発やコンサルティング事業を始めました。どのような製品設計をするべきかをメーカーさんと一緒に考えていく活動をしています」

 

川口さんは、この取り組みを対馬という小さな島から始めること自体に大きな意味があると語ります。

 

「都市部ではごみの量が多いため、ごみの再資源化が1つの産業として成り立ちます。しかし対馬のような規模の小さな地域では、ごみの量が事業として成り立つほどではありません。そのため、埋め立てや焼却処理をするしかないのが現状。世界の海洋ごみの多くを排出している国々、例えばフィリピンやインドネシアなどの島国でも、同様の課題を抱えています。だからこそ、ここ対馬で小規模でも機能する処理技術や仕組みを開発し、それ自体を海外に輸出することを目指しているんです」

豊かな自然や暮らしを

子供たちに伝えていく

川口さんは、2年前から学童保育の運営も始め子供の教育にも力を入れています。

 

「私の息子やその友人たちを見ていると、周りにこれだけ豊かな自然やユニークな暮らしがありながら、その豊かさに気づくきっかけが少ないんです。子供の数があまりにも少なくて、子供同士で山を駆け回るような経験ができない。共働きの家庭も多く、放課後は結局ゲームやYouTubeが中心になってしまう。心に残る楽しかった原体験がないまま育ったら、この島に愛着を持てるのでしょうか」

 

だからこそ川口さんは、子供たちに島の自然や文化に触れ、誇りを持てる体験を提供したいと考えています。

 

「自分たちの暮らしや自然、文化の面白さを実際に体験することで、『この島でできることを生かして、世界に発信していきたい』と思えるようになるはずです。そんなきっかけを育む島づくりに、これからも力を入れていきたいです」

 

対馬のために、多方面で事業を手掛ける川口さん。対馬の未来についても話してくれました。

 

「対馬は歴史的にも、人や技術、文化の最先端が集まる島でした。この島が再び、さまざまな国から人や知恵が集まる場所になり、活発なディスカッションが生まれ、次の時代を切り開くハブのような場所になったらいいなと思っています」

〈対馬里山繋営塾〉

【編集後記】

以前ランドセルの仕事をした際、スクールリュックの原材料に使われている廃棄漁網のことを知りました。以降海洋ごみが気になり、川口さんのお話を伺う機会を得たのは自分にとってとても貴重な体験となりました。実際に対峙されている方の生の話は、本を読んだり調べたりするのと格段に違って血が通う現実味があり、広くさまざまな人にこのことを知ってほしいと心から思います。日本の海の現実と向き合うことはまったくもって他人事ではなく、おのおのが考えなければならない重要なことで、個人でのマルチタスクのお話も興味深く、何をもって生活が豊かとするのかをいろんな人に聞いたり話してみたいと思いました。

(未来定番研究所 内野)

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