もくじ

2025.06.25

第38回| 大磯の風景を未来に遺す。NPO法人〈西湘をあそぶ会〉代表・原大祐さん。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第38回にご登場いただくのは、神奈川県・大磯町でまちづくりに取り組む原大祐さん。昔から心惹かれていた大磯の風景を守りたいという想いから、30歳の時に移住を決意。憧れの地での暮らしを叶えた今も、より豊かに、より楽しく生きていくために常に挑戦を続けています。

 

(文:宮原沙紀)

Profile

原大祐さん(はら・だいすけ)

1978年北海道生まれ。〈株式会社Co.Lab〉代表取締役、NPO法人〈西湘をあそぶ会〉代表理事。小学生の頃、神奈川県平塚市に引越し。大磯町の高校に進学した。その後東京暮らしを経て、2008年から大磯町で生活を始める。地元でのまちづくりに関わるようになり、神奈川県最大の朝市「大磯市」や、森のようちえん併設コワーキングスペース 〈Post-CoWork〉の運営を手掛ける。

歴史と人々の暮らしに彩られた憧れの町、大磯

神奈川県の大磯町で、「楽しく暮らしていくために」まちづくりに取り組んでいる原大祐さん。2008年に東京から大磯に移住した原さんは、憧れだった大磯暮らしを実現。今では畑付きの古民家を自ら改装し、家族とともに野菜や鶏を育てながら暮らしています。高校生の頃から「将来は大磯に住む」と決めていたと話す原さんは、この町のどんなところに惹かれたのでしょうか。

 

「大磯は江戸時代、東海道の宿場町として栄えた歴史があります。明治時代には日本初の海水浴場が開かれ、海水浴発祥の地ともいわれています。その頃には、総理大臣をはじめ、多くの政財界の方々が別荘を構えていたので、僕が子供の頃には当時の趣を残すお屋敷や松林が残っていました。だからこそ、おもたせ用のお菓子屋さんや老舗のお煎餅屋さんなど、改まった場にも持っていけるような品が自然とそろっていたんです。また漁師町としての顔もあるので、小さな魚屋さんなど個人商店も多いんですよね。山手の静かな別荘地の空気と、庶民的な商店が並ぶ町並み。そういう対比のある雰囲気が、僕はすごく好きでした」

貿易商の別荘として建築された建物は〈大磯迎賓館〉として利用されている。

しかし、年月を重ねるうちに大好きだった町並みも少しずつ姿を変えていきました。お屋敷やお店も、年々その数は減っているそうです。

 

「神奈川県のさまざまな地域が、郊外化されていく様子をずっと見てきました。藤沢や茅ヶ崎も、かつては別荘地でしたが、どんどん住宅地へと変わっていったんです。大磯には、今も昔ながらの雰囲気がわずかに残っているかもしれません。しかし、それも確実に失われつつあるのが現実です」

時代が変わっても、変わらず残すべきもの

原さんがこの町の景色を守りたいと強く思ったのは、2003年の旧三井家別荘の解体がきっかけでした。

 

「大磯にあった旧三井家別荘が、マンションの開発のために取り壊されるという話が出ました。大きな反対運動があったので当然残るものと思っていたのですが、解体が決まってしまったんです。お屋敷町のシンボルのような存在として活用がされていくものだと思っていたので、なくなってしまうと聞いてとてもショックでした」

 

思い入れのある景色が少しずつ失われていくことに次第に危機感を覚えるようになった頃、団地再生の仕事を紹介されます。ドイツへの視察を通じて、町の再生に関するさまざまなノウハウを学ぶ機会にも恵まれました。東京で仕事を続けながらも、大磯には定期的に戻って休日を過ごしたり、イベントを企画したりと、地域との関わりを絶やさないようにしていました。

ローカルを楽しむ朝市「大磯市」

海のイメージが強い大磯ですが、実は山が多く平地が少ない地域。町の面積の大半が山林という自然豊かな一面も持っています。里山の再生のために、原さんは農業にも取り組み始めました。

 

「神奈川県西部は、一次産業が盛んで、暮らしのなかに農業や漁業が息づいています。大量消費を前提とした都市の暮らしよりも、自分たちの手でつくりながら生きる生活のほうが、ずっと面白いと前から感じていました。だからこそ、自分の暮らしにも畑を取り入れたいという思いをずっと持っていたんです。そんななか、東京と大磯を行き来している時期に、小田原市でお茶の栽培をしているグループを紹介してもらい参加。それをきっかけに『僕らの酒』というプロジェクトをスタートしました。酒米の栽培と日本酒作りにも取り組むようになり、このタイミングで、NPO法人〈西湘をあそぶ会〉も立ち上げました。今も続いている『大磯農園』では、里山の整備や、荒れた農地の再生を目指しています。農業従事者の高齢化が進むなかで、楽しく美味しい田舎暮らしを送れたら、という思いで続けています」

 

その後、2009年には本格的に大磯へ移住。地域の人とのつながりが深まるにつれ、まちづくりに関する相談を受ける機会も増えていきました。神奈川県内でも最大級の規模を誇る「大磯市(おおいそいち)」は、大磯港が使われていない時間をうまく活用してスタートしたものです。

「大磯市」は第3日曜日に開催。

「『大磯市』は2010年から始まりました。僕は以前から港にポテンシャルを感じていたので、港を中心に町を盛りあげるのは面白いと思ったんです。もともと月1回、魚の市が開かれていたんですが、それを魚だけを売るのではない市場にしようと考えました。その時期、大磯の町中は空き店舗が増えていました。東京へ通勤している人も多く、昼間人口が少ないのでお店の経営が難しいエリア。事業を始めたいと思っている地元の人に、朝市をチャレンジの場として使ってほしいと考えました。まずは市に出店することで、ファンを獲得するなどお店を開業する足掛かりにしてもらえたら。そして『大磯市』を訪れた後には、町も回遊してもらう。今では、市に合わせて器や本のイベントが行われるなど、町の人が自発的に企画をする楽しい催しが行われています」

「大磯市」は地域のPRのためというよりも、地元の人のためのものだと話します。

 

「今では観光客の方も多く訪れますが、基本的には地元のための市として続けています。出店も地元の人に限っているんです。この市は、単に買い物をする場ではなく、地域のコミュニティ形成にも大きな役割を果たしています。子供のダンス教室の発表の場になることもあり、出演する子供の両親や祖父母など、何百人という人が集まります。終わった後は、子供たちは同級生と遊び、親は親同士でそれぞれ楽しんでいる。その場には顔馴染みの地元の人たちもいて、自然と会話が生まれるんです。相談に対して『あそこに商工会の○○さんがいるから、話してみよう』とか、『観光協会の○○さんがいた』なんて声があがったりして、話がスムーズに進むことも。『大磯市』は、地元の人が楽しく、豊かに暮らしていくための場になってほしいんです」

7〜8月は17時〜20時半に夜市を開催している。

楽しい大磯暮らしを続けていくために

空き家や空き店舗の再生にも力を入れている原さん。駅前にあったおよそ築70年の物件が空いていたので、その場所を借りてカフェやベーカリーの運営もスタートしました。2021年には、大磯郵便局内の遊休スペースを活用した、森のようちえん〈もあな・こびとのこや〉と、併設のコワーキングスペース〈Post-CoWork〉がオープン。実は保育園の内装には、旧三井家別荘から譲り受けたステンドグラスや建具が再利用されています。旧三井家別荘の解体をきっかけに始まった原さんの活動が、未来へと繋がった瞬間です。

 

「さすが旧三井家に使われていたものだけあって、屋久杉など、かなり高価な素材も含まれていたんですよ。ステンドグラスも陽が入るととても美しい。そうした過去の遺産が、今の子供たちが育つ場に生かされているのが本当にうれしいんです。それを見て育った子供たちが、『地域の財産を守りたい』って思ってくれたら。30年後に、そんな人が出てきてくれたら、僕としては本当に感無量です」

さまざまな活動は、「町を盛り上げるためにしているわけではない」と原さんは繰り返します。

 

「根底にあるのは、僕が好きな暮らしをしたいということ。それが町のためになっているのはうれしいことです。僕は強要されるのも好きじゃないし、人に押し付けるのも嫌い。好きなことをやっているだけなんです」

 

そんな自然体の原さんに、5年先、10年先の未来に、大磯はどんな町であってほしいか聞きました。

 

「経済的な豊かさももちろん大事だけれど、やっぱり住民が『幸せかどうか』が一番大切だと思うんです。例えばイタリアでは、町の中心に教会があり、その前に広場があって、夕方になると自然と人が集まってきてワイン片手に語り合う風景がよく見られます。ああいう時間って、すごく幸せそうですよね。僕もあんな風に暮らせたらいいなって、ずっと憧れています。そうした暮らしには、やっぱりコミュニティの力が必要だと思うんです。人と関わることは、幸せの根っこではないでしょうか。だからこそ、これからの大磯は、幸せの度合いが高くなるように成熟していけたらいいなと思っています」

「大磯市」

【編集後記】

原さんのリーダーシップは、ご自身でも太極拳の如くと表現されておられましたが、

飄々として、とてもやわらかな印象。大切なのは自身が幸せかどうかであり、できることにしか手を出さないと決めている。この線引きは簡単なようで、とても難しいと感じます。私の尊敬する先輩が大切にしていると教えてくれた言葉「中庸の精神」や「足るを知る」を思いました。名刺も肩書きもないです、と原さん。素敵です!

数年前の夏、大磯へ始発に乗って海を見に行きました。残暑の白っぽく眩しい光の中、大磯駅前の洋館や濃い色の砂浜、輝く海を眺めて写真を撮りました。時間がとてもゆっくりで美しい時間だった記憶がよみがえり、お話を伺って、また大磯へ行ってみたくなりました。

(未来定番研究所 内野)

もくじ

関連する記事を見る

地元の見る目を変えた47人。

第38回| 大磯の風景を未来に遺す。NPO法人〈西湘をあそぶ会〉代表・原大祐さん。