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2024.05.15

地元の見る目を変えた47人。

第24回| 小さな積み重ねが、その町らしさに繋がっていく。〈PEOPLE〉店主・柳瀬武彦さん。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第24回にご登場いただくのは、埼玉県比企郡小川町にある複合的喫茶〈PEOPLE〉を営む柳瀬武彦さん。生まれ育った東京から小川町に移住し、本業であるプランナーやコピーライターとして働く傍ら、飲食店や本屋を立ち上げて、小さな町に新たな変化を与えています。柳瀬さんが思い描く理想の暮らしや、町との関係性についてお話を伺いました。

 

(文:對馬杏衣)

Profile

柳瀬武彦さん(やなせ・たけひこ)

1986年東京都練馬区生まれ。早稲田大学スポーツ科学部卒業後、東京都の広告会社に就職し、イベントプロデューサーやコピーライターとして勤務。30歳で独立、埼玉県小川町と出会ったことをきっかけに複合的喫茶〈PEOPLE〉をオープン。その後2拠点生活、完全移住を経て、本屋〈BOTABOOKS〉やクリエイティブスタジオ〈UNE STUDIO〉などを立ち上げる。

町の歴史を受け継ぐ

石蔵をリノベーションした複合的喫茶

東京都内から車で1時間半ほど、埼玉県のちょうど中央付近に位置する 小川町。山々に囲まれた緑豊かな町は、かつて和紙や絹織産業によって栄え、今もなお歴史的建造物が点在しています。現在人口28,000人ほどになった町に、2021年に石蔵を継承した複合的喫茶〈PEOPLE〉がオープンしました。

大谷石の蔵を改装した〈PEOPLE〉の内観。 写真:HaoModa

店主の柳瀬さんは東京生まれ東京育ち。東京で働きながらも、いつか田舎暮らしを経験してみたいと考えていたタイミングで小川町と出会います。そして、週末だけ通う生活を始めた頃にとあるプロジェクトが始まりました。

 

「元々〈PEOPLE〉がある石蔵と隣の家屋には、持ち主のおばあちゃんが暮らしていましたが、築130年以上経っていたこともあり取り壊そうと考えていたそうです。でも、養蚕という小川町の産業の拠点だったことや、町の歴史を感じられる価値のある建物だからうまく残そうと。町の有志たちが集まって再生プロジェクトが始まりました。そこで僕にも、何かやらないか?と声をかけてもらったことが〈PEOPLE〉のはじまりです」

 

それからその建物は「人と文化の交遊拠点」として生まれ変わり、飲食店や雑貨店など4店舗が入る〈玉成舎(ぎょくせいしゃ)〉が誕生しました。柳瀬さんはその一角にある石蔵を借りて、〈PEOPLE〉を週2日営業しています。

 

「小川町は昔から有機農法が盛んで、魅力的な農家さんがたくさんいる町です。東京で買えない野菜もあって食材の宝庫なので、料理を提供するお店をやるのが面白そうだなと思っていました」

 

カフェで働いた経験がある妻の菜摘さんが調理を担当。地元農家さんから仕入れたものや、自分達の畑で採れた有機野菜をふんだんに使用した地産地消のランチプレートを提供しています。さらに、2023年には2階のロフト部分を活用して、植物に関する書物を中心に取り扱う小さな本屋〈BOTABOOKS〉も始めました。

小川町産の有機野菜をたっぷり使ったランチプレート

「僕が小川町に通い始めた頃から、町の人たちはよく『パン屋さんと本屋さんと、銭湯があったらいいな』と話していたんです。たしかに、暮らしを突き詰めていくと、そういったカルチャーを感じるお店があって仲のいい友達がいれば、小さな町でも十分楽しく暮らせるだろうなと思って。僕はパンも焼けないし、銭湯もできないけど、本屋なら小さく始められるかなと思ったことがきっかけです」

週末、2拠点、移住……

模索しながら歩む、理想の暮らし

現在は本業の企画やコピーライターなどの仕事と両立しながら、週2日だけ〈PEOPLE〉を営業するスタイルで暮らしている柳瀬さんですが、最初に移住を考えたのは、広告会社で働いていた会社員時代の頃でした。

 

「より人と人が密接なコミュニティで仕事や暮らしを共有したり、食べるものをできるだけ自分で作れたり……そういった暮らしのあり方の方が自然なのではないかと思っていました。でも、すごく離れた場所に移住するというよりは、東京から近くて自然がある場所に、将来的に引っ越したいと思っていました」

 

30歳で会社を退職し独立した柳瀬さんは、当時住んでいた自宅から通いやすい田舎を探し始めました。そして、いつか畑をやってみたいという夢もあり、小さな盆地で山に囲まれた小川町に興味を持ちました。

写真:HaoModa

「電車や車でもアクセスが良くて、家から1時間もかからない場所なのに、自然がたくさんあって面白そうだなというのが第一印象でした。僕が通い始めた時は小川町の人口は約30,000人、それから年に500人ずつほど減っている状況でしたが、それでも自分だったらここで何をしたいかを考えられる余白を感じました。東京だったらたくさんの資金が必要ですし、物件を探すのも大変で、現実的ではないですからね」

 

平日は東京、週末は小川町に通う生活スタイルをスタートさせ、有機野菜の育て方などを学ぶ畑の塾にも参加しました。現在は仕事メンバーやその家族と共に農家〈SOU FARM〉の畑の一角を借りて、不耕起、無農薬、無肥料での野菜作りに挑戦しています。

 

「僕らはまだまだ自給自足なんて難しいと思いますけど、ふだん食べる数パーセントでも自分たちで作るのは結構気持ちがいいことだなと感じます。これから高齢化が進んで使わなくなった畑がどんどん増えていくと思うので、会社や小さなコミュニティで畑作業を分担して食べる物を作るというのは、すごくいい活用方法だと思っています。コミュニケーションも増えるし、外の空気を吸って体を動かすいい時間になっていますね」

その後、コロナ禍をきっかけにリモートワークが増えた柳瀬さんは、小川町にも家を借り2拠点生活を始めました。愛娘も誕生したこともきっかけとなり、2022年には家族3人で完全移住に至りました。

やりたいことができる町に人が集まってくる

小川町で新しい価値を生み出し続ける柳瀬さんは、移住後にはクリエイティブスタジオ〈UNE STUDIO〉を立ち上げ、小川町で活動するフリーランスのクリエイター5人と事務所をシェアして活動しています。本業や喫茶や本屋、畑活動のみならず、町に開けたイベントを企画するなど、日々地域に貢献し続けています。

 

「小川町の行政や仲間とともに立ち上げたコワーキングロビー〈NESTo(ネスト)〉という場で、埼玉の食をテーマにしたイベントの企画プロデュースを〈UNE STUDIO〉メンバーで担当させてもらいました。東京や他の地域から料理人を招いて、小川町の農家さんを案内すると、みんなテンションが上がるんです(笑)。これは何ていう野菜?どう食べるの?とか、日々さまざまな食材を見ているプロですら驚くようなものがいっぱいあるみたいで。料理人は新しい食材と出会えるし、それを料理して地元の人に振る舞うと、普段食べているものがこんな味になるんだ!という驚きがあり、双方にとっての発見をもたらす機会になりました」

食のイベント『山と鮨』の様子。小川町の食材をベースにした、浜松の料理人によるメニューを地元の方へふるまう

その他にも、一定期間町に滞在しながら制作活動を支援する「アーティストインレジデンス」を企画するなど活動は多岐に渡ります。そんな日々の活動が輪を広げ、小川町に現代アーティストチームがアトリエを構えたり、柳瀬さんの友人が引っ越してきてカフェを始めたりと、少しずつ町にも変化が訪れています。

 

「自分で何かやることが楽しい人、やりたいことがある人にとって、小川町はすごく楽しい町だと思います。町の人たちも喜んでくれるし、場所もある。お金も東京に比べてかからない。競争にさらされることも少ないですし、すぐに行動に移しやすい環境だと思います。

 

たとえば、これが1,000人の村だと人がいなすぎて、お店をやっても1人もお客さんが来ないなどあるかもしれませんけど、小川町にはそれなりに人がいるし、東京から友達が遊びに来てくれます。そういう意味でも東京郊外の小さな町は、まだまだ可能性があると思います」

 

5年先、10年先は、小川町で暮らす子供から大人までやりたいことが実現する町になり、地域活性化モデルになれたらうれしいと柳瀬さんは語ります。

柳瀬さんご夫婦と2021年に生まれた娘さん

「例えばお店の経営が未経験で、いきなり大きく始めるのは不安だとしても、家賃が月4万円で、仲間4人で月1万円ずつなら出せそうじゃないですか。1人1日ずつ、週4日の小さい立ち飲みでもやりましょう!みたいなことが成立する。将来、そういうお店がコンビニの数くらいある町になったら面白いだろうし、移住人口も増えるんじゃないかなと思います」

町を「換気」しながら、つながりをつくる存在に

全体人口は減少傾向にある小川町ですが、コロナ禍を経て移住先として人気が高まり、10数年ぶりに転入が転出を上回りました。そんな中、家不足という課題が見えてきたと話す柳瀬さん。

 

「町には空き家が3,000件くらいあると聞きますが、不動産マーケットに出てこないという問題があります。使っていない古民家があっても、貸したくない、売りたくないとか、いつか息子が帰ってきて住むかもしれないとか。僕としては、人と人のマッチングを促進することで、そんな状況を少しでもいい方向へ解決できるんじゃないかと思っています。話せばわかるみたいなこともあると思うんです。たしかに怪しい人に貸したくないし、自分の実家が雑に使われたら嫌じゃないですか。でも、話してみるといい人でぜひ使ってほしい!ということもありえるので。人柄のマッチングのような仕組みをつくりたいなと思っています」

 

さらに、人と人が繋がるきっかけを増やしたいと考える柳瀬さんは、Podcastでラジオ番組『おがわのね』を始めました。月に2名くらいのペースで、小川町で暮らすキーパーソンたちとのインタビューを配信しています。なぜラジオ番組を始めたのでしょうか?

 

「僕がお店をやっていることもあると思いますが、小川町に住んでいると勝手に知り合いが増えるんですよ(笑)。なんとなくよく見る人、SNSで繋がっている人……スーパーや町を歩いているだけでも、まるで大学のキャンパスみたいにばったり会うんです。でも、その人がどんな仕事をしているとか、サッカーチームはどこのファンなのかまでは知らない。移住者の場合は、どうして小川町に来たのかもわからない人がいっぱいいて。

共に畑作業をする小川町の仲間たち

僕は一人ひとりの物語に興味があるので、単純に話を聞きたいと思うし、話すことで意外な共通点が見つかるんです。そうやって深く仲良くなるきっかけは、生活しているだけだと意外となかったりするので、そのきっかけになったらいいなという思いがあります。あと、地元の学生たちにもPodcastで『おがわのね』を聞いてもらって、自分が暮らす町にこんな大人がいるんだと知ってもらいたいです」

 

最後に、町の人と関わるうえで大事にされていることはなんですか?と聞いてみました。

 

「挨拶をすることですね。挨拶は人間関係の風通しを良くする入口になる、小さな町で仲良くやっていくうえで大事なことだと思います。僕らがやっている〈PEOPLE〉も、何十年も使われていない蔵だったけれど、窓を開けて換気をして埃を払ってやると、空気が変わって人が集まる場所になりました。挨拶は精神的な換気だと思っています。町のみんながやっていけば人間関係はいいものになるんじゃないかな」

写真:DaisukeHashihara

〈PEOPLE〉

埼玉県比企郡小川町小川197 玉成舎の石蔵

Instagram:https://www.instagram.com/people.jp/

【編集後記】

今回の取材の中で一番印象に残ったのは、柳瀬さんご自身が小川町に暮らす一生活者として思い描く「こうあったらいいな」を実現していくことで、その取組みに興味をもった人々が町に集まってきたというお話でした。そこに暮らす人々が生き生きと活動する姿そのものが、その町自体の魅力につながり、自然と場が活性化していくプロセスは、人口減少が進む地域において、とても希望を感じられる事例なのではないかと思います。

また、「オルタナティブな場所をもつことで、一極集中の東京を緩めていくことができる」といったお話もしていただきましたが、関東近郊における小川町のようなモデルは、これからの首都圏の在り方を考える1つのヒントになりそうです。

(未来定番研究所 岡田)

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