2018.10.23

未来の暮らしに必要なのは、あたらしい「しきたり」

スペースX社の創設者であるイーロン・マスク氏は、2060年代までに100万人を火星に移住させると宣言。火星移住は遠い未来の話ではなくなってきました。そうしたなかで、「地球にある火星」と呼ばれるアメリカ・ユタ州の砂漠で、将来の有人火星探査に必要な環境観測及び地形データ観測技術実証を行っている実験施設が、MDRS(火星砂漠研究基地)。そしてその閉鎖環境で長期の居住実験を行なったのが、極地建築家の村上祐資さん。過去には極地域観測隊の越冬隊員やエベレスト登山隊にも帯同するなど様々な極地での経験を活かし、建築や暮らしの原点を探る“いま最も未来の暮らしを知るひと”です。果たして、人類は火星に移住できるのか。そこで必要となるスキルは? 極地で得たスキルは現在の暮らしにも役立つのかなど、未来の暮らしについて幅広く伺います。

(画像提供:村上祐資)

Profile

村上祐資/極地建築家

 

1978年生まれ。南極やヒマラヤなど、極地とよばれる厳しい環境にある美しい暮らし方を探すために、様々な極地の生活を踏査してきた。2008年には、第50次日本南極地域観測隊に越冬隊員として参加し、昭和基地に15ヶ月間滞在。The Mars Societyが計画を発表した長期の模擬火星実験「Mars160」では副隊長に選ばれ、2017年には、地球にある二つの模擬火星環境、米ユタ州ウェイネ砂漠のMDRS基地および北極圏デヴォン島のFMARS基地で計160日間の実験生活を完遂した。続く2018年のMDRS Crew191 TEAM ASIAでは隊長を務めるなど、これまでに積み重ねてきた極地での生活経験は1000日を越える。

宇宙飛行士でも耐えられない生活

F.I.N.編集部

現在、宇宙環境での暮らしはどこまで進んでいるのでしょう。

村上さん

期間で言えば、まず地球を周って帰ってくるところから始まり、スペースシャトルのなかで約二週間の滞在。そして、宇宙ステーションで半年くらいのミッションを行えるまでになりました。ただ、NASAや大学の研究室が扱うのはどれくらいの温度変化や気密に耐えられるのかといったスペック面がメインで、いまだ暮らしに対する考え方は変わっていないんです。宇宙で生きる一番ミニマムな方法は宇宙服を着ることですが、だからといってそれが人間らしいかどうかは別問題ですからね。

 

また、過酷な環境に耐えられることを基準に選んだはずの宇宙飛行士が、半年の宇宙ステーション滞在に耐えられないという結果も出てきている。むしろ、一回でも心が折れると回復しないケースも起きたりしているんです。これは火星に行くにしても、なにか見落としていることがあるんじゃないかと、やっと関係者も思い始めたところです。

F.I.N.編集部

行くことよりも、そこでどう生きるかが抜け落ちていた、と。

村上さん

そのためにも宇宙飛行士と同じようにクルーを選考し、火星に近い環境で実験的に暮らしてみようというプロジェクトの公募が2013年に始まり、2016年から17年の2年またぎで実施されました。ぼくは唯一の日本人メンバーとして選ばれて、いまはようやく一区切りついたところです。

 

実は、ぼく自身は火星移住を目指していないんですよ。たまたまこの時代だから、人間の暮らしの原点が見られるのは火星だろうというだけの話で。むしろ、ちょっと怖いから行きたくないなっていう気持ちもあるくらい。

所作から生まれる“しきたり”の重要性

F.I.N.編集部

村上さん自身は、宇宙に行きたくないんですか!

村上さん

南極越冬隊に参加したのも、極地生活を体験したかったからです。ただ、火星の模擬実験に参加したことで、日本人の暮らしの所作みたいなものがすごく大事なんだということは、あらためて感じました。

 

建築家の原点ってかっこいいものをつくることでもなんでもなくて、人の命を背負うことに尽きると思うんです。これまでにリーダーも副隊長もヒラも全部やりましたし、自分が隊の一員として参加することで彼らの命を背負ってきた自負もある。でも、ぼくは宇宙に行きたくない。じゃあ、彼らの命を託せるものはなにかと言えば、日本人の持つ暮らしの所作なんです。これは火星移住だけではなく、普段の生活にも通じることですが、所作から生まれる“しきたり”がすごく大事になってくると思います。

F.I.N.編集部

なんだか“しきたり”と言われると、古臭い考え方にも思えてしまいます。

村上さん

良い悪いはともかく、これまでは代々受け継がれてきた“しきたり”を守らないとコミュニティからは爪弾きにされましたよね。それがいまやコミュニティの枠も取っ払われ、いろんな概念が入ってきたことで“しきたり”がどんどん崩されている。パワハラもある種の“しきたり”だったかもしれないし、そういう負の面を持ったものが取り払われていくことは、いいことなのかもしれない。だけど、やっぱり人間は“しきたり”がないと生きていけない生き物でもあるんです。

F.I.N.編集部

なんでも自由だからいいというわけでもないんですね。

村上さん

たった6人のメンバーでも、ぞれぞれの正義と不安を押し付けあえば、生活はめちゃくちゃになりますからね。そもそも、なぜ“しきたり”を求めるのかと言えば、不安だから。それを回避するために、自分よりもうまくやっている人がいたら真似ることが大事です。

 

日本人はそうした所作を“しきたり”やグラフィックに落とし込むのがうまい。例えば、畳のデザインは製造効率に沿ったモジュールでもあるのですが、茶席に行くと目地が「あなたはここに座りなさい」というガイドラインの役目も果たしてくれる。それを、わざわざ言葉にしないじゃないですか。

F.I.N.編集部

その曖昧さが、日本語や日本人の魅力でもあると。

村上さん

逆に、殿様が「良きに計らえ」みたいに明確な指示を出していないのに命令が成立してしまう言語でもあるので、いつまでたっても有人ロケットは打ちあがらないですけどね。そういう意味では、英語のような言語体系のほうが宇宙ミッションには向いています。ぼくも国際チームとのミッション中は英語を使わざるを得ないんですけど、今度は言語が変わることで性格も変わってきちゃって。性格が変わるっていうことは、考え方や動作、判断に至るすべてが変わってくるわけですよ。

 

火星ミッションに限って言えば、行くことまでしか見ていないので、いざ着いた瞬間にどうしようとなってしまう。そこから先は、アジア全般ではないですけど、いくつかのアジアの言語体系から生まれた所作を持っている人たちが活躍すると思います。

二極化する社会に必要な暮らしのポイント

F.I.N.編集部

そうして人類が火星移住を目指す一方で、「人生100年時代」がくるとも言われています。とは言え、地球全体が極地になり得る可能性だってありますよね。そうなったとき、社会はどう変化すると思いますか?

村上さん

東日本大震災が起こるまでは津波対策でものすごく高い壁をつくろうという意見が出ても、「なに言ってんの。その考え方はどうなのよ」って感じでしたよね。でも、実際に起きてしまったことで本当に必要かもっていう議論もされ始めている。いま、津波のような不安に対抗する術を「壁」って言いましたけど、それを高い壁だっていう人もいれば、カプセルに入るっていう人もいるわけです。

 

一方で「そんな極端な世界になるんだったら、わたしは抗わずに死ぬわ」っていう傾向も生まれるかもしれない。中間でいることは許されなくて、二極化した考えがぶつかり合うようになる。というか、すでに大なり小なりなっているんです。ただ、こだわり過ぎる人もすべてを諦めてしまう人も、どちらも物事の一面しか捉えられていない。偏ることを求めてる人に「それは極端だよ」って言ってもしょうがないので、日常のなかにポイントを増やしていくしかないですね。

F.I.N.編集部

ポイントを増やすとは、どういうことでしょう?

村上さん

たとえば宇宙建築でいうと、運べる重量も物量も限られているので自ずと建物の大きさが決まります。そうすると、なにもない巨大なオープンスペースをつくることが正義になりがちです。でも部屋の真ん中に柱を置くだけで、実はすべてを取っ払った空間よりも心理的にも広く使えるし、奥行きも生まれる。

日本の茶室で言えば、掛け軸があるだけで正面が決まりますよね。正面が決まるってことは想像力のなかに、もうひとつのベクトルができるってこと。畳の目じゃないですけど、物事の捉え方にひとつ線を引いてあげることで、はじめて想像力は刺激されるんです。

防災グッズを見つめ直す

F.I.N.編集部

なるほど。極端な方に寄らず、考え方の方向性を増やす。それが日常のポイントになるということですね。

村上さん

みんな不安感が強くなると一個に解を絞りたがるんだけど、そうじゃないんですよね。最近の防災グッズはその考えがよく出ています。いまの主流は災害が発生してから72時間の生存確率を高めるためだけのもの。でも、一番しんどいのはそれ以降ですよ。

 

顔は見たことあるけど話したこともない近所の人たちと避難所で共同生活するとなった時のしんどさを、今の防災グッズは解決できない。それに、みんなの視線のある中で自分だけが食糧を食べるなんて絶対に無理です(笑)。それだったら、トランプを1セットでも持って行ったほうが絶対にいい。

F.I.N.編集部

防災グッズに誰かを楽しませるモノを持つという考えはなかったです。

村上さん

極地でも普段の生活でもベースは一緒で、よく寝て、よく食べて、よく笑うこと。暮らしの基本って、その3つしかないんです。非日常の様々なことが起きていくなかで、当たり前に思っていたことが当たり前にできなくなる。じゃあ、一回崩れた睡眠や笑いをどうやって回復させていくかといえば、ちょっとでも自分よりうまくできている人を真似るしかない。自分の意思で直すぞっていうのは無理なので、誰かに同調していかないと直りません。

F.I.N.編集部

そうして、新たな“しきたり”という形で受け継がれていくと。古い考え方には不備もあったけれど、そこには誰しもが感じられる快適さも持ち合わせていたからこそ、現代まで残ってきたわけですね。

村上さん

そうですね。“しきたり”は一概に悪いものではなく、必要なことでもある。ほかにも、“遠慮の塊”というのも同じですよ。極地はリソースが限られているので、みんなに物資を行き渡らせるにはきっちり分配しないといけない。そこで「さっきまでこの人が一生懸命仕事を頑張ってくれたから、自分は遠慮して残そう」ということをやっていくと、最後には遠慮の塊が残ってしまう。極地においてはリソースの無駄でしかないんですけど、これって本当は素晴らしいことなんです。なぜなら、均等に分配しないで相手と共有している証ですから。なので、遠慮の塊は素晴らしいものだって考えがもっと広まってほしいですね。

地球の暮らしで活用できるスキルは? という問いに対して、意外だったのが「これからは“しきたり”が大切になっていくだろう」という村上さんの回答。“しきたり”といえば、掛け紙のルールや冠婚葬祭のマナーなど、百貨店の十八番の分野です。しかし、これからはこの“しきたり”を、引き継いでいくだけでなく、自分たちでつくることが必要になってくるのでしょう。新たな暮らしの〈しきたり〉をつくり、新たな定番を生み出していく。これからの百貨店にはそんな役割が求められているのかもしれません。

 

(未来定番研究所 菊田)