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2023.09.06
F.I.N.的新語辞典
F.I.N.編集部が未来の定番になると予想する言葉を取り上げて、その言葉に精通するプロの見解と合わせながら、新しい未来の考え方を紐解いていきます。今回は「食客論」をご紹介します。
(文:大芦実穂)
食客論【しょっかくろん/Parasitology】
人はみな誰かに寄生しており、食客であるという考え。美学者の星野太(ほしの・ふとし)氏の著書『食客論』(講談社)にて提唱。近年よく耳にする「共生」という言葉を再定義したことから生まれた。
ここで言う「食客」とは、英語で「パラサイト(parasite)」のこと。日本語ではパラサイトする者が「食客」、パラサイトをする行為が「寄生」となる。
韓国映画で初めてアカデミー賞作品賞を受賞した映画『パラサイト 半地下の家族』(2019年)で描かれる、暗く狭い地下で暮らす下層の家族のように、「パラサイト=寄生」について、私たちはどこかネガティブなイメージを持っています。この寄生について別の視点から論じたのが、美学者の星野太さん。なぜ食客に着目したのか、話を伺いました。
「食客を論じるにあたり、まず考えていたのは『共生』という言葉です。多文化共生、共生社会など、ここ20年ほどよく聞かれるようになり、スローガンとしてはあちこちで叫ばれるものの、表層的にしか使われていないのではないか、という疑問を持っていました。つまり本質的に共生の問題が考えられているとは思えなかったんです」
共生には、自立した存在同士が共に生きているというイメージがありますが、実際には共生における「包摂者」と「被包摂者」を対立させるような考え方が、暗黙の前提になっているのではないか、と星野さんは続けます。
「包摂者と被包摂者というかたちではなく、互いが互いに寄り合って生きているという状態を言い表すために、『共生』を『寄生(パラサイト)』として捉えるという発想に至りました。
なぜなら、我々の生の様態はすべて「寄生」に他ならないからです。動植物の生を喰らって生きること、あるいは誰かにつくってもらった食事を食べることもそうですし、社会のインフラの中で生活しているのも一種の寄生です。強調したいのは、ここに立場や貧富の差はないということです。経営者は従業員の労働力に寄生して大きな利益を得ているわけですし、先進国が謳歌している豊かさは、グローバルサウスや自然環境に寄生することによって享受されているものです。
従来の寄生やパラサイトに対する考え方は、『貧しい者が豊かな者に寄生している』というものでしたが、そうではなくて、実は豊かな者が逆に貧しい者に寄生しているとも見ることもできます」
また、食客を論じようと思ったもう一つの理由があると言います。
「演劇・文学・映画などに登場する食客の存在に昔から興味がありました。彼らは一般的に共同体の内/外の境界線上にいるような他者です。それは敵/味方の境界線上にいると言ってもいいのですが、そうした胡乱(うろん)な他者のありようを論じてみたいと思ったのもひとつきっかけとしてあります。
そんな共同体の内と外の間にいる存在だからこそできることがあるとも思っています。
食客はコミュニティ内のルールや常識を変えるポテンシャルを持った存在だと思います。外からよそ者が来ると、そのコミュニティの常識は一旦疑われて、場合によっては新しいルールができたり、あるいは逆に拒絶されることもあったりします。いずれにしても、外部の人が入ってくることによって、一度かき回されると思うんですよ。そういう意味では、食客のような存在は、新しいものをもたらす人材だと言えるのかなと思いますね」
さらに社会の中での食客の在り方について、次のように続けます。
「共生社会とか多文化共生という言葉には、もっと互いに優しくしていこう、配慮していこうといった意味があると思います。一方で、私が食客に感じているのが、放っておくことの重要性です。あまり過度に干渉せずに、しかし差別するわけでなく、そこにいるという状態をいかに維持するか。それは私自身のパーソナリティに関係することかもしれませんが、盛り上がっている場が苦手で、みんなで一緒に楽しもうという雰囲気に辟易してしまうんですね。そっちは楽しくやっていていいから、片隅でお酒を飲ませてくれ、そこに巻き込まないでくれと。放っておくということは、ある種それぞれの在り方を尊重するということでもあるなと思っています」
さて、将来「共生」ではなく、私たち一人ひとりが「食客」であるという認知が広まったら、今よりも他者に対して寛容な世界になるかもしれません。そして、私たちがパラサイトであることに抗えないのだとしたら、他者に対してどう振舞うべきなのでしょうか。星野さんは次のように教えてくれました。
「おそらく一般的に、食客は唾棄すべき卑しい存在だと思われています。日本語でも『パラサイト・シングル』(親元で生活する独身者)とか『穀潰し(ごくつぶし)』といった侮蔑的な表現がありますが、私の目から見ると人はみなパラサイトなので、そこに立場や貧富の差で人間を切り分けるような発想は生じえません。そのような考え方が一般的になれば、たとえば失業して生活保護を受けている人などに対しても、侮辱的な言葉を投げかけるということは、相対的に減ってくるのではないかと思っています。そのためには、いま自分が享受していることが、どういう犠牲の上に成り立っているのか。この問いを絶えず考えていくしかないと私は思います」。
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