地元の見る目を変えた47人。
2023.05.01
未来工芸調査隊
器やかご、布など、日本各地にあふれる工芸の数々。F.I.N.編集部では、そういった工芸を愛してやまないメンバーで「未来工芸調査隊」を結成し、その歴史や変遷、さらなる可能性を探っていきます。
今回は、NHKアナウンサーから伊勢根付職人に転身したという異色のキャリアを持つ梶浦明日香さんのもとへ。三重県にある工房を訪れると、作務衣をキリリと身にまとい、笑顔で迎えてくださった梶浦さん。師匠に弟子入りした経緯や根付の魅力、10年ほど前から力を入れている若手職人グループの活動について語っていただきました。伝統工芸の未来を常に想い、挑戦を恐れず邁進する姿には、多くの人が勇気をもらえるはずです。
(文:川端美穂/写真:大崎あゆみ)
梶浦明日香さん
伊勢根付職人。
岐阜県中津川市生まれ。元NHK名古屋放送局・津放送局キャスター。
NHK時代、情報番組内の「東海の技」というコーナーを担当し、全国のさまざまな職人を取材。伝統工芸の素晴らしさやそこに込められた思いに感銘を受けるとともに、このままでは多くの伝統工芸が後継者不足のため失われてしまうと危機感を感じる。2010年、27歳で退職し職人の世界へ。2018年、ロンドンの日本美術展で大賞を受賞。また、三重県内の若手職人によるグループ〈常若(とこわか)〉を結成。中部地方の女性職人9人によるグループ〈凛九(リンク)〉の代表を務め、国内外で伝統工芸のPRに励んでいる。
職人自らが発信しなければ未来は変わらない。
だから、アナウンサーを辞めた。
F.I.N.編集部
梶浦さんは、NHK名古屋放送局や津放送局でアナウンサーとして活躍された後、伊勢根付職人に転身されたという異色のキャリアの持ち主です。なぜ、伝統工芸の道に進まれたのでしょうか?
梶浦さん
NHK津放送局でアナウンサーをしていた頃、情報番組内の「東海の技」というコーナーを担当し、全国のさまざまな職人さんを取材していたんです。お話を聞くと、大半の職人さんが後継者がいないことを悩まれていて、「このままでは伝統工芸が失われてしまう」と危機感を持つようになりました。私は大学で観光学を学んでいたこともあって、伝統工芸はその地域の宝であり、未来に残す必要があるという思いが強く、多くの人に伝統工芸の魅力を伝えるために取材に励んでいました。
そんな中、「伊勢湾台風以来、約50年ぶりに若い職人が入った」と聞き、ご本人に取材を申し込んだのですが、断られてしまいました。理由は「職人なんて恥ずかしい仕事をしていることを、同級生に知られたくないから」。今や身近に伝統工芸の職人がいない若者にとって、そのすごさは実感しにくいんです。そうした状況を変えるためには、マスコミなどの第三者ではなく、職人自らが伝統工芸や職人の生き方のすばらしさを発信しなければならない。そう思ったのですが、人前に出たがらない職人さんが多く、「それならば私が」と職人の道に進むことを決意。2010年、27歳で伊勢根付職人の中川忠峰師匠に弟子入りしました。
F.I.N.編集部
情報の発信者というご自身のキャリアを活かせると考え、職人という新しい道に進まれたのでしょうか?
梶浦さん
職人になると決めたときは、「キャリアを活かす」という甘い考えはありませんでした。職人として、ゼロからのスタートです。でも、異業種を経験してきた自分がこの世界に入って、ほんの少しでも変化の兆しがつくれたらいいなとは思っていましたね。当時、伊勢根付も他の伝統工芸と同様に後継者不足は深刻でした。専業の職人が2〜3人いるという状況だったんです。
F.I.N.編集部
根付にはどんな歴史や文化があるのか、改めて教えていただけますか?
梶浦さん
根付は江戸時代に大きく発展したと言われています。もともとは男性が巾着や煙草入れ、印籠などを持ち歩く際、帯に提げるための留め具として使われていました。当初は簡素なものでしたが、徐々に凝ったデザインの根付が作られるように。というのも、8代将軍・徳川吉宗の質素倹約令の発令で、目立つおしゃれができない代わりに、根付や着物の裏地に工夫を凝らすようになったんです。その後、芸者さんや芸子さんに根付を贈るようになって女性の帯飾りにも使われ、ますます発展したと言われています。
F.I.N.編集部
とても興味深いですね。
梶浦さん
明治時代に入ると根付は海外で高く評価され、その大半が輸出されたため、当時のものは日本にあまり残ってないんです。根付は日本の4大伝統工芸の1つとして大英博物館など世界の大きな博物館で紹介されています。浮世絵、刀、漆と並び、日本で生まれ発展した工芸なんです。
F.I.N.編集部
梶浦さんは、根付のどんなところに惹かれたんですか?
梶浦さん
彫刻の美しさはもちろん、作る人と使う人の知恵くらべができるところに魅力を感じました。根付は、古くからのとんちや言葉遊び、駄洒落などを取り入れて作られています。落語や歌舞伎のある演目を知っている人には、デザインの意味がわかるという根付もあります。共通認識で話が盛り上がったり、意味を知って感心したりできるんです。例えば、栗の中にネズミを彫った「リス」という作品があるのですが、このデザインの意味はわかりますか?
F.I.N.編集部
うーん……、わかりません!
梶浦さん
ふふふ。正解は、リスは漢字で「栗鼠」と書くから!クイズみたいで面白いですよね。
根付を作ることは生活の一部。
アイデアを練ることも楽しい。
F.I.N.編集部
梶浦さんはどういった想いで、師匠の中川さんに弟子入りしたんでしょうか?
梶浦さん
私は番組で取材した各地の職人の方の工房に、よく遊びに行っていたんです。師匠の工房には4回ほど訪れ、体験教室で根付のペンダントトップを制作しました。木を彫っているとあっという間に時間が経ち、終わると頭がスッキリして充実した気持ちになる。すごく贅沢な時間だと感じました。また、師匠のもとには近所の人から海外の人まで、老若男女が引っ切りなしに訪れ、常にお互いを気遣い、助け合う温かい暮らしがありました。人間力あふれる師匠のもとで技術だけでなく、生きていく上で大事なことを学びたいと思ったんです。
F.I.N.編集部
花形のアナウンサーを辞めるという一大決心をしてまで、職人の世界に惹きつけられた理由は何なのでしょうか?
梶浦さん
当時、女性アナウンサーは若さに価値が置かれていて、「この先なくなるものを価値として生きていくのはしんどい」と感じていたんです。一方、職人の世界は、「死ぬまで一生成長するもの」という考え方をする。いろいろな経験を積むとそれが作品に表れ、深みが増すので、歳を重ねることはむしろプラスになるんです。こうした考えに感銘を受けたのが、職人になった理由ですね。76歳の師匠ですら「俺はまだ若手」と言っているので、私なんてまだまだひよっこ。この先、どんな成長ができるかワクワクしています。
F.I.N.編集部
弟子入り後、修行期間にはどんなことをされたんですか?
梶浦さん
まずは、まん丸の球体を彫る練習をします。木の繊維の方向を理解して彫る必要があるので、苦心して彫りながらそれを覚えます。師匠に見てもらい10個合格したら、次は栗を彫ります。栗10個合格できると、ようやく売り物を作ることができますが、私はそこに至るまでに苦戦し、1年半もかかってしまいました。もう指は傷だらけで……。何個栗を試作したかわかりません。そもそもお寺の孫に生まれて「女性があぐらをかくのはみっともない」と言われて育ったので、あぐらがかけるようになることも大変で。基礎を習得するまでの間、自分の不出来さに落ち込み、1カ月ほど根付から離れたこともありました。
F.I.N.編集部
そういった大変な経験を経て、楽しさや喜びを感じられるようになったのはいつ頃ですか?
梶浦さん
3〜4年経つと、動物や人など顔のあるものも彫れるようになり、5年目以降は自分なりに題材を考え、オリジナルの作品を作れるように。産みの苦しみはありますが、お客様からさまざまな反響をいただけて喜びを感じられるようになりましたね。落語みたいに、古典落語もやりながら、独自の新作落語もつくるという感じです。
F.I.N.編集部
どの作品もとても細やかですが、やはり手先が器用でないと習得できないのでしょうか?
梶浦さん
不器用でも修行を積むうちに手先は器用になっていくと思いますよ。必要なのは、飽きずに続けられる才能です。何年も同じ作業を続けることで上達するので。私は用事があるとき以外は、常に根付を彫ったり磨いたりしています。もう生活の一部という感じですね。アナウンサー時代はスタジオでニュースを読むよりも、アクティブに取材をしたいタイプでした。「コツコツ」とは正反対の人間だったんです。でも、こうして職人を続けてこられたのは、作ることに喜びが見出せたからですね。彫っている時間だけでなく、日々自然を見たり、四季を感じながら「これは根付にできるかな」と考えるのが楽しいんです。
伝統工芸の楽しさを伝えるため、
各地の若手職人とグループを発足。
F.I.N.編集部
アナウンサーという経験が職人の仕事に活きたと感じることはありますか?
梶浦さん
たくさんありますね。職人を取材する仕事では、取材先をリサーチして、アポを取り、カメラマンを発注するといった業務をすべて自分でこなしていました。そのため、見ず知らずの人にアポを取ることはへっちゃらです。今、他の若手職人に「職人グループを作ろう」と声かけたり、美術館への交渉も躊躇なくできる。他の職人さんは「絶対考えられない」と言うんですけど、何でも先陣を切って、未来につながる種まきをすることが私の役割だと思っています。
F.I.N.編集部
職人によるグループでは、どういった活動をされているんですか?
梶浦さん
2012年に発足した三重県内の若手職人によるグループ〈常若(とこわか)〉は、漆芸や伊勢型紙、伊勢一刀彫などの伝統工芸を広める展示や販売をしたところ成功し、その活動は海外にまで広がりました。1人では達成できないことも、グループで力を合わせるとできる。若手職人にとって、生きる道はまだまだあるんだと希望が湧きましたね。
その後、愛知県と岐阜県の女性の若手職人と知り合いになり、新たに女性だけの職人グループをつくろうと思いつきました。男性の高齢者が多い職人の世界で、女性若手職人のグループをつくったら、きっと注目が集まるはずだと、元マスコミの人間としてピンときたんです。2017年に私が代表となり、中部地方の女性職人9人で〈凛九(リンク)〉というグループを結成しました。今の職人文化に足りないのは、職人が前に出て、自ら伝統工芸の魅力を伝えること。メンバーにみんなで発信しようと呼びかけました。
F.I.N.編集部
梶浦さんが職人になった当初に抱いていた未来像に近づくための活動なんですね。
梶浦さん
そうですね。最初は人前に出ることに抵抗感を持つメンバーもいましたが、師匠たちがやらなかったことをやらないと、環境は永遠に変わらない。伝統工芸は、価格や効率性では機械による大量生産品に敵いません。それでも伝統工芸が今も必要とされる理由は、歴史やストーリー、他の地域にはない伝統技術があるから。それをちゃんと発信していけば、伝統工芸はもっと生きるんです。こういった話をしたら、ありがたいことにみんな納得してくれて、今では積極的にイベントやSNSなどで各自発信しています。
F.I.N.編集部
梶浦さんの特技だとしても、メンバーをまとめ上げるのはすごく大変だと思います。どういったモチベーションで取り組んでいらっしゃるんでしょうか?
梶浦さん
そもそも私は「伝統工芸を守っていきたい」というモチベーションでこの世界に入ったので、職人の輪を広げる活動のために自然と体が動いちゃうんです。それに、経済的な苦労が少なくない伝統工芸をあえて選んだメンバーたちはそれぞれ強い覚悟があるから、とても心強く、刺激もたくさん受けます。いい仲間に恵まれたという点では、今は良い時代だなと感じますね。これまで、尾張七宝や伊賀組紐の職人とコラボして根付のループタイを作るなど、グループのおかげで貴重な経験がたくさんできています。
F.I.N.編集部
職人の道に進んで13年。今、どんな想いで仕事に向き合っていますか?
梶浦さん
歴史の一端を背負い、次の世代に受け継いでいくというすごく大切な役割を担っていると日々感じています。私でなければできないという、仕事に対する誇りも自覚するようになりましたね。もちろん苦しい面もありますが、挑戦を恐れなければ活路はある。日本の技術や精神性などに関心が高いインバウンドに積極的にアピールしたり、NFT(*)を取り入れるなど、伝統工芸の可能性はまだまだあると思っています。
そんな未来にするため、まずは私自身が伊勢根付職人として技術を鍛え、師匠と同じ年齢になったとき、同等の作品を生み出せるようになること。ここを疎かにせず、日々精進していきたいですね。その上で、さまざまな伝統工芸の職人たちと一緒に、伝統工芸の世界で働くことはこんなにも楽しく、やりがいが大きいということを発信し、後継者を増やしていきたいです。インターネットやSNSが普及し、世界中で生活が均一化するなか、その国独自のアイデンティティや精神性の価値は今後ますます高まるはず。伝統工芸を大事に守り発展させていくという活動は、日本の未来にとって有益なこと。そういった意識を持ってたくさんの仲間とともに、前向きに力を尽くしていきたいです。
*NFT・・・偽造不可能な鑑定書や所有証明書付きのデジタルデータのこと。
F.I.N.編集部
では最後に、梶浦さんのように異業種から職人を目指したり、職人になりたいという若者にアドバイスをお願いします。
梶浦さん
興味を持った職人のもとを積極的に訪れて話を聞いてほしいなと思います。工房だけでなく百貨店の催事など、意外と職人と交流できる機会は多いので。長く続けるためには師匠の人柄や自分との相性が一番大事。たくさんの職人と会って「この人のもとで学びたい」という師匠を見つけてください。また、国指定の伝統的工芸品だけでなく、県や市指定の伝統工芸品にもぜひ目を向けてほしいですね。三重県指定の伊勢根付もそうですが、国指定に比べて注目度が低いために後継者不足が深刻なことが多い。まずは副業から始めるなど、気になったら一歩を踏み出してほしいなと思います。
【編集後記】
これが第4回目となる未来工芸調査隊ですが、今回は工芸の未来を考えながら実際に工芸品の制作に取り組む職人さんにお話を聞いてみたいというところから梶浦さんに取材を依頼しました。
あまり表に出ていくことを好まない職人さんが多いと言う話はこれまでも耳にしていましたが、良いものを作っていれば誰かが買ってくれるということがない時代にあって、梶浦さんのように職人自身が積極的に活動を伝えていくことはとても大切だと思いました。
また、大英博物館では根付が日本の4大伝統工芸の1つになっているということを皆さんは知っていたでしょうか。少し調べてみると今はアンティークなものからポップなものまで幅広く存在しているようです。海外においてはアートとして欲しくなる方が沢山いると言うのも納得しました。本来の実用的な使い方をしなくても良いと思うと、意外と良いと思うものが見つかるのかもしません。根付が持つ魅力の奥深さをひしひしと感じる取材となりました。
(未来定番研究所 榎)
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