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2024.10.09

地元の見る目を変えた47人。

第30回| 愛媛の魚のおいしさを全国に知らしめる。漁師・藤本純一さん。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第30回にご登場いただくのは、愛媛県今治市の大島を拠点にしている漁師、藤本純一さん。代々漁業を営む家に生まれ、自身も4代目として漁師になりました。小さい頃から家族と一緒に漁に出て魚をさばいて食べていた経験から、魚を見分ける目が培われ、今では全国のトップシェフから藤本さんの魚を使いたいとオファーが殺到しています。カリスマ漁師と呼ばれるようになった今、もっと多くの人においしい魚を食べてほしいと販路の拡大にも注力。藤本さんの魚が食べられるレストランのプロジェクトも立ち上げ、愛媛県の魅力のPRや後進の育成にも力を入れています。

 

(文:宮原沙紀)

Profile

藤本純一さん(ふじもと・じゅんいち)

愛媛県今治市生まれ。幼い頃から釣りを始め、高校卒業後に漁師になる。その目利きが話題となり有名レストランと直接取引を始め、漁だけではなく魚の鮮度を保つための技術にも注目が集まる。2021年にはレストランガイド『ゴ・エ・ミヨ2021』が、食材を通じて独自の挑戦を試みている生産者や料理人を表彰する「テロワール賞」を受賞。今治市の伯方島でシェフとコラボレーションした間借りレストラン〈虹吉〉を開いた。2026年にはレストランと宿泊施設を備えたオーベルジュを開業予定。

愛媛県のカリスマ漁師

愛媛県今治市は、実は隠れた魚の名産地。今、全国のトップシェフから熱い視線が注がれている土地なのです。なんでも、有名レストランのシェフがこぞってある漁師から魚を購入しているそう。それが、「カリスマ漁師」と呼ばれている藤本純一さんです。彼がカリスマと呼ばれるゆえんは、その目利きと技術、妥協しない姿勢にあります。代々が漁師の一家の4代目として生まれた藤本さんは、小さい頃から船に乗ることが楽しかったと語ります。

 

「物心ついた頃には漁師の祖父や父と一緒に船に乗って、魚を釣ることがすごく好きでした。大人になっても、ずっとあの頃のまま好きなことを仕事にしている感覚ですね。小学生になった時に、自分が釣った魚の分をお小遣いとしてもらえる歩合制のような仕組みになったんです。やりがいがあり、ますます魚を捕るのが楽しくなっていきました」

大島の宮窪漁港から出港する藤本さんの船

たくさんの魚を釣ることで名前を覚え、料理をすることで味を覚えていきました。

 

「通常の漁師の家庭だと高級な魚は市場に出して、値段がつかないような魚を家で食べることが多いと聞きます。しかし僕の家では、釣った魚はどれでも1匹は好きなものを食べていいというルールでした。僕の場合は毎日のようにおいしい魚を選んで食べていたので、舌が肥えていったんでしょう。その経験が今の仕事に生きていると思います。小学校3年生くらいになると、自分で魚を料理するようになりました。とにかく食べることが大好きだったので、どうやったら一番おいしく食べられるのか研究していたんです」

 

義務教育を終えたら、すぐにでも漁師になりたいと願っていた藤本さん。しかし両親の強い勧めもあり今治市内の高校に進学。楽しい高校生活を送っていましたが、藤本さんの心を高揚させたのは、どんな娯楽や勉強よりも「漁」でした。高校を卒業後、本格的に漁師として働き始めました。

幼少期の藤本さん

鮮度とおいしさをそのまま食卓へ届ける

22歳の時には、船長になった藤本さん。とにかくたくさんの量を捕ることに力を入れていました。

 

「20代の頃は、他の人の3倍の魚を捕ることを自分に課して働いていました。働く時間は人の2倍。しかも作業効率を良くすることで、3倍の量を捕ることが可能になっていたんです」

 

しかし、30代になるととにかく大漁を目指すことに限界を感じる日もありました。そんな時に藤本さんの転機となったのが、あるシェフとの出会いだったのです。

 

「ある時、大阪のレストランのシェフから魚を送ってほしいと依頼をいただきました。下準備をして魚を送ったらとても喜んでもらえたんです。僕の魚を気に入ってくださって、そこから他のシェフの方にも紹介していただき直接依頼がくるようになりました」

 

今までは市場に卸していた魚を、料理店やシェフと直接取引をするようになりました。そして漁師の仕事だけではなく、魚の直販も手掛けるようになったのです。

 

「本来、漁師は魚を捕るのが仕事で、魚を締めたり、箱詰めして送ったりするのは鮮魚店の仕事。直接取引をするようになってから僕は全部自分でやるようになり、どうしたら100点の魚を100点のまま届けられるのかを考えました」

 

捕った魚はすぐに締めずに半日〜1日ほど生簀(いけす)に入れてストレスのない状態にします。それからなるべく苦痛を与えずに締める「神経締め」を行い、すみやかに血抜きをします。こうした工夫と藤本さんの高い技術によって、本来のおいしさを日本全国に届けることができるようになっていきました。

神経締めをする藤本さん

「直接取引が始まるとシェフから魚の値段をつけるように言われて、自分の魚の価値を考えたんです。最初は相場も全然わからなかったので、他の鮮魚店の魚を見て勉強することにしました。魚屋さんを紹介してもらったり、気になる魚屋さんにSNSを通じてメッセージを送ったりして、会いにいくことを繰り返しました。人気の鮮魚店のものは欲しいと言えば買えるわけではなく、皆が欲しがっているのでなかなか回ってこないんです。良いものを買うためには直接会いに行って、お願いするしかありません。30歳から35歳くらいまでの間は、年間500万円以上を使っていろんな産地の魚を買って比べることをしていました」

 

そうして自分の商品の価値がだんだんわかっていったという藤本さん。今治市の魚の価値はどこに出しても恥ずかしくないものだと自信をつけていきました。そして料理として出されるまで魚の品質とおいしさに責任を持ちたいと思った藤本さんは、魚を使ってくれている店舗には必ず足を運び料理を食べると決めています。

今治産の魚をブランド化するために

藤本さんは、今治産の魚をブランドとして全国の人に知ってほしいと願っています。

 

「僕ひとりがこの技術を持っていても、ここの魚のおいしさはなかなか伝わらない。だから流通量を増やすことを目的にしています。そこで、同じ漁師の仲間が獲った魚をうちの生簀に持ってきてくれたら適正価格で買い取り、僕達が売るという仕組みをつくりました。県内の他の地域の人にも処理の仕方を教え、質の良い魚を生産できる体制を整えました。その上で、一度にたくさん獲れすぎたりして地域の市場で値崩れをおこしている時は、僕が適正価格で買わせてもらっています。愛媛の他の地域の人にもおいしい魚を食べてもらいたいという思いを持っていたので、一昨年から松山市内のスーパーマーケットで鮮魚店を始めました。愛媛の中心である松山市にハブになる地点ができたことで、県内の良質な魚が集められるようになりました」

おいしいものがたくさんある街、愛媛を発信する

愛媛ではおいしい魚がたくさん捕れる一方で、その価値を知る人はまだまだ少数です。そこで魚のおいしさを知ってもらえる場所、レストランと宿泊施設を備えたオーベルジュをつくるプロジェクトがスタートしました。

 

「泊まりがけで訪ねてくるシェフたちに『僕が朝ごはんをつくるから、あなたたちは夜ごはんをつくってね』というゲームをしていたんです。僕の作るものよりおいしいものができなかったら魚を送らないという勝負。僕が作るのは、特別なものではなく、家でいつも食べている刺身や炊き込みご飯など僕自身がおいしいと思っているもの。そうしたら皆さん、僕の朝ごはんを絶賛してくれるので、漁師の朝ごはんと僕の魚を使ったシェフの料理が食べられる場所があったらいいよね、という会話からこのプロジェクトが始まりました。賛同してくれるシェフも何名か名乗りをあげてくれ、それも日本のトップレストランの方たちばかり。そんな人たちが何人も腕を振るってくれる場所なんて、ここでしか実現できないと思いました」

〈虹吉〉に集うトップシェフ

場所は、大島の隣にある島、伯方島。藤本さんの友人が営む〈赤吉〉というレストランがあり、現在はそこで間借りレストラン〈虹吉〉として営業しています。2026年には、宿泊もできるオーベルジュとしてオープンの準備を進めています。

〈虹吉〉で提供した「赤貝の冷製フェデリーニ」

「愛媛県の飲食店はレベルが高いのに、あまり知られていないのが現状。だから全国のグルメな人たちが一度この土地に足を運んでくれたら、僕のお店の他にもこんなにたくさんおいしいお店があることに驚いてくれると思います。実際に海を見てもらったら、潮の流れの速さを体感して『こういうところだからおいしい魚が育つ』ということもわかる。このお店が、愛媛の魅力を知ってもらうきっかけになったらと思います」

未来の漁業の活性化のために

最後に、未来の漁業への希望を聞いてみました。

 

「地元では僕の少し上の世代までは漁師になる人も多かったのですが、僕と同世代やそれより下はとても少なくなってしまいました。漁師では儲からないから、やる人がいないというのが現状。収入が少ない状態で、親も子供たちに仕事を継いでほしいとは絶対言わないですよね。僕は子供たちに漁師って面白いよと伝えていきたいし、ちゃんと生活できるという状況になったらいいと思っています」

 

オーベルジュでは食を楽しむだけではなく、藤本さんの漁の技術を体験できるような施設にしたいと考えているそうです。島の高校とも連携し、社会見学や実習先になることで、次世代に新時代の漁の姿を伝え、漁師になりたいと思ってくれる子供たちを増やすための構想も考えています。地域だけでなく、全国的にも産地として有名になっていけば、漁師のなり手も増えていくと藤本さんは考えます。実際、すでに藤本さんの元で学んでいる弟子もいるそう。

 

「今僕のところには、神奈川県から来た32歳の弟子が修行しています。彼が移住してきて、一緒に漁をし始めて2年目。5年後に独立したいと目標を持ち毎日頑張っています。僕は、仕事のノウハウは全部オープンにして、知りたいと言われたことはすべて教えています。こうやってたくさんの人と一緒に仕事をして、もっともっといろんなことが実現していければいいと思っています」

 

個人の技術を広く伝えていくことで、地域に貢献している藤本さん。「おいしい魚を食べたければ、今治市に行こう」となるのが当たり前になる日は近そうです。

オーベルジュ藤本

【編集後記】

小さい頃からの、魚が好き・捕るのが楽しい!の気持ちそのままに、漁師になられた藤本さん。「好きなことだけやってたどり着いたのがここだった。」とおっしゃったのが特に印象的でした。子供ながらに魚をさばいたり、漁師の範疇を超えて締め方や運び方を研究したり、名産地をおとずれて食べ比べたり、やりたいことの前後も考えるその姿勢は一貫されていたのだなと思います。我が家では晩ご飯のメインを刺身で固定しており、さくを買ってくるのが常なのですが、入手できる魚のバリエーションが多くなく、お話を聞きながら、いったい愛媛県ではどんなお刺身に出会えるのだろう…とわくわくしてしまいました。料理のプロでもそうでなくても分け隔てなく、「おいしいのはこれ!」と即座に教えていただけそうです。

(未来定番研究所 内野)

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