地元の見る目を変えた47人。
2024.12.20
満たす
最近「満たされた」と感じたのはいつでしょうか。時代が進むにつれて世の中はモノがあふれ、「贅沢」を味わう手段も増えていきました。一方で、たくさん消費することよりも1点1点の質を重視する人、お金ではなく時間をかけること自体を「贅沢」に感じる人も多いよう。「贅沢」や「豊かさ」の定義が変化する今、私たちを「満たす」ものはどういったものなのでしょうか。目利きたちに自身の経験やアイデアを伺いながら探っていきます。
今回ご登場いただくのは、和歌山県岩出市でレストラン〈villa aida(ヴィラ アイーダ)〉を営む小林寛司シェフ。「Farm to Table」の先駆けとして、20年以上前から自家菜園の野菜を使って魔法のような料理を生み出してきました。豊かな食体験で国内外の食通を魅了する小林シェフは、まさに「満たす」目利き。そんな目利きご自身が「満たされる」瞬間とはどのような時なのでしょうか。
(文:片桐絵都/イラスト:野上/サムネイルデザイン:久保悠香)
小林寛司さん(こばやし・かんじ)
1973年、和歌山県生まれ。辻調理師専門学校卒業後、大阪のイタリア料理店勤務を経て渡伊。トスカーナ州やカンパーニャ州などの名店で働いた後、1998年に帰国して故郷である和歌山県に〈villa aida〉を開業。1日1組限定で、自家菜園の野菜やハーブを使った料理を提供する。「ミシュランガイド京都・大阪+和歌山 2022」にて二つ星とグリーンスター、「2024年 We’re Smart ベストベジタブルレストラン 日本トップ10アワード」では最高位に選ばれるなど、受賞歴も多数。著書に『自然から発想する料理』(柴田書店)がある。
イタリアで触れた新たな食の価値観
昔から何かを作ることが好きで、自然と料理人を志すようになりました。兼業農家で育ち、料理好きな母がよくパンやお菓子を手作りしてくれたのも、ちょっとした原体験なのかもしれません。好奇心旺盛な私は、盆栽を自己流に切って枯らしたりもしていました。
修行先のイタリアで感銘を受けたのは、作りたい料理のために素材を集めるのではなく、そこにある素材で工夫して料理をするという考え方。土地への愛着が強いイタリア人にとっては、無理して取り寄せた高級食材ではなく、地元で手に入るものが一番なんです。
またイタリアには、長い時間をかけて家族や友人と食事を楽しむ文化があります。食事だけを目的に郊外へ出かけることもざらで、車で2時間程度なら近場という感覚。何を食べるかの前に、誰と食べるか、どんな時間を過ごすかを大切にしていました。
故郷の和歌山に店を構え、目の前の菜園で育てた野菜を使い、1組だけをゆっくりともてなす〈villa aida〉のスタイルには、イタリアで触れた価値観が反映されています。
食を通して人を繋ぐハブになりたい
食は人を繋ぐもの。おいしいものを囲めば自然と会話が弾みます。
〈villa aida〉のテーブルには6人まで座れるので、1グループで貸切の時もあれば、同じ日に予約した「はじめまして」同士が一緒に食事をすることも。あの人とこの人、合うかも?とひらめいたら、意図的に引き合わせることもあります。東京のシェフと海外のゲストと地元の農家さんが相席になったりすると、思いもよらない化学反応が生まれるんです。僕はあくまで場を提供するだけ。何が起こるかわからないからこそワクワクします。
〈villa aida〉が20周年を迎えた2019年には、大きな会場を借りてパーティーを開きました。各都道府県のシェフや生産者たちが集まってくださり、500人規模の盛大なイベントに。みんなが祝ってくれたのはもちろんのこと、交流の場を作れたことがすごくうれしくて。悩みや夢を抱く作り手たちを、僕がハブになって繋げられたらといつも思っていたんです。ただその日、全国の著名な店をほぼお休みにさせてしまったのは申し訳なかったです。
自分自身を満たす3つの方法
僕がもっとも満たされるのは、誰かと繋がることができた瞬間。そして、人と人が繋がる瞬間に立ち会えた時です。そのために実践している3つのことがあります。
1つ目、ゲストは1日1組のみ
昔は週6営業で、16席のキャパシティーでランチもディナーもやっていました。でも平日はほぼ空席で、土日も1組入ればいいくらい。空回り状態が続いて、雇っているスタッフともギスギスして。自分が畑の草むしりをしている間、同世代のシェフたちは華々しく活躍している。僕は何をしているんだろう、と疲れてしまいました。もう本当にやめようかなって。
それなら最後に自分のやりたいことをやろうと、テーブルを1つにして、1日1組限定でもてなす今のスタイルに変えました。ゲストとの距離を縮め、食との向き合い方を見直したかったからです。そこから徐々に店の状況も上向いていきました。
営業は一応正午からですが、日没前までならいつ来ていただいても構いません。なぜ日没前かというと、夜だと料理があんまりおいしそうに見えない気がするから。食事が進むにつれて西日が差してくるので、そういう時間の流れも味わってほしいと思っています。
料理はだいたい4〜5時間かけて提供します。長い時間に思えますが、実際に来てみると、むしろ時間が足りないと感じる方が多いようです。お昼に来て夜まで滞在するゲストもいらっしゃるので、僕も一緒にワインを飲みながらゆるゆると過ごします。同じ時間を共有することで、僕の心は満たされていきます。
営業日を減らした分、畑に充てる時間も確保できました。今日は畑日和なのに店の営業があるからいじれないとか、今日しか畑仕事ができないのに雨が降っちゃったとか、これがまあ結構なストレスになるんです。今も毎日忙しくはしていますが、前よりも心の余裕が持てて、満たされているなと実感できます。
2つ目、生産者に会いに行く
夏が終わり、畑の仕事がひと段落すると、まとまった時間を作ってワインや食材の生産者に会いに行くようにしています。ちょうど結婚したくらいの頃に始めたので、もうかれこれ15年以上は続けているでしょうか。ちなみに今年はオーストリアと北海道の余市を訪ねました。
自分がおいしいと思うものの産地に行き、作り手に会い、一緒に食事をする。そこで紹介された別の生産者にも会いに行き、どんどんネットワークが広がっていく。シェフとしての知的好奇心を満たしてくれる大切な旅です。
また、僕自身も年間200種以上の野菜を育てる生産者です。野菜を育てるのって本当に難しいです。親の苦労も見てきたので、正直自分は絶対にやりたくないと思っていました。しかも畑を始めた20年前とは明らかに気候が変動していて、うまく育てるのが年々難しくなっている。それでも野菜を育てているのは、大切なことは全て畑が教えてくれるからです。
畑を始めたばかりの頃、フェンネルとディルとコリアンダーの種をまいたまま放置していたことがありました。そうしたらだんだんと花が咲いて、また種になって。ある時、畑にいたら風が吹いて、ふわっとカレーの香りがしたんです。それぞれの種の香りが混ざって、風に乗ってやって来たんですね。ちょうど夏が近づいていた頃で、なるほど、だから夏にはこういう料理が食べたくなるんだなって。
畑にいると創作意欲が湧いてきます。隣り合って育っている野菜を見つけたら、きっと相性がいいはずだから皿の上で組み合わせてみようとか。何度も修正を重ねて完成するメニューもあれば、その日採れた野菜を見て勢いで生まれる一品もあります。他の産地と同様、自分の畑も知的好奇心を満たしてくれる場所です。
3つ目、自分に嘘はつかない
つかないというか、つけない。よくスーパーの野菜に生産者の写真が貼ってありますが、その人と実際に会ったことはありませんよね。すごく嫌な人だったらどうしますか?僕はどんなに素晴らしい食材だったとしても、嫌いな人が作ったものは使わない主義です。
仕事をする相手の基準は、一緒にお酒が飲める人。そこはもうフィーリングです。だって無理して付き合うのって、理にかなっていないじゃないですか。その土地にない素材を無理して取り寄せる。適当なものを急いで食べてお腹だけ満たす。やりたいことを我慢してストレスが溜まる。理にかなっていないことが続くと、人はどんどん疲れていきます。
自分に嘘をつかずに関係を築けた人は、かけがえのない仲間になります。気心の知れた者同士で過ごす時間も、僕を満たす大切な要素です。休日にふらっと集まり、テーブルを囲んで、ワインを飲んで、展望を語り合う。他愛もない愚痴を言い合っているうちに小腹が空いて、僕が夜な夜なパスタを作る。
そんなゆるい交流の場を、他の地域でも増やしていけたらと画策中です。ワークショップのようなイベントでも、異業種の人とのコラボレーションでも、形は何でもいいと思っています。
その時、みんなの真ん中にある料理はどんなものがいいだろう。おいしければそれでいいのかな。
【編集後記】
幸せなことに、私たちを楽しませようとする情報は世の中に溢れ、選択肢に困ることはありません。しかし本当に満たされるものとは?と考えると、なんだかよりどころのない気持ちになってしまいます。
おいしいと思えるか。フィーリングが合うか。小林さんの選択は淀みなく、シンプル。畑も人も時間をともにしているうちに、新しい表情が見える瞬間が訪れ、その先の景色を見たくなる。そんな風にご自身で感じたことやひらめきから広がっていく世界を心底楽しんでおられるようでした。
遠くに手を伸ばさなくとも、身近なところから私たちを満たすものは生まれてくるのかもしれません。情報の波にあっても、煽られず、急かされず。満たされるために、まずは自分自身でいることからはじめてみようと思います。
(未来定番研究所 高林)
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