未来工芸調査隊
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2024.02.15
地元の見る目を変えた47人。
「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。
第21回にご登場いただくのは、三重県尾鷲市の九鬼町にある書店〈トンガ坂文庫〉を運営する本沢結香さん。2016年の秋に尾鷲市に移住し、2018年にオープンした書店〈トンガ坂文庫〉で店主を務め選書も担当しています。本沢さんがなぜ尾鷲市に住むことになったのか、書店をオープンしたきっかけ、今後尾鷲市をどんな町にしていきたいのか、お話をお聞きしました。
(文:宮原沙紀)
本沢結香さん(ほんざわ・ゆか)
長野県松本市生まれ。大学進学を機に上京。大学卒業後は東京で化粧品のPRやアパレル企業のストアプランニングの部署などで働く。2016年に三重県尾鷲市に移住し、2018年にオープンした書店〈トンガ坂文庫〉の立ち上げから参加。週末にこの書店を開いている。
迷路のような町の中にある
小さな書店
三重県の尾鷲市にある九鬼町は、熊野灘に面した小さな漁村です。人口300人ほどの、この小さな町に2018年夏に書店〈トンガ坂文庫〉がオープンしました。
店主を務める本沢結香さんは、長野県松本市の出身。東京の大学に進学し卒業後も東京で働いていました。都会で忙しく生活するなかで、本沢さんは東京のNPO法人が運営する地域課題を解決するプログラムに参加。その際に尾鷲市を知ったと言います。
「20代から30代になる時に、自分の生き方を改めて考えていました。頑張って仕事をして稼いで、家賃のために働いて。でも欲しいものが無限にある。そんな東京での生活に少し疲れていたんです。東京以外の場所に住んでみたいという気持ちが少しずつ湧き上がってきていました。そんな時に参加したこのプログラムは、関東に住んでいる社会人を対象にしたもの。関東チームと地元のチームでタッグを組み、一緒に地域の課題を解決しようというプログラムです。全国に9か所ほど候補地があり、その中に尾鷲市がありました。それまで地名を聞いたこともなかったので、この機会を逃したら一生行くことがないかもしれない。実はそんな消極的な理由で選びました」
林業と漁業を主な産業としている尾鷲市の後継者問題などに取り組んだ半年間。プログラムの中で現地のフィールドワークもあり、2回ほど尾鷲市を訪れました。
「海のない松本市と東京にしか住んだことがなかったので、尾鷲は別世界のように感じました。海が広がっていて山もすごく近く、昔ながらの漁村の風景が残っている。今まで見たことがなかった景色で、魅力的な場所だと感じました」
すっかりここを気に入った本沢さんは、半年のプログラムを終えた後も足繁く尾鷲市に通っていました。
「2年ほど通ううちに働き口も見つかり、住みやすそうな家も見つかりましたし、じゃあ引っ越してみようと決めました」
引っ越して仕事を始めたものの、勤め先が3ヶ月ほどで休業。本沢さんは東京に帰るか、関西方面で仕事を探そうかとも考えましたが、その後も尾鷲市に住み続けました。
人とのつながりで生活ができる
尾鷲市の魅力
仕事が見つからなかった時も、尾鷲市の人の優しさに救われたと本沢さんは言います。
「小さな町なので、私が仕事がなくてフラフラとしていると聞きつけた町の人たちが『こんな仕事があるんだけど少し働いてみないか』と声をかけてくれました。障害者の方の就労支援の仕事や、海外から熊野古道に来たアーティストのアテンド、喫茶、食堂の手伝いなど紹介してもらったさまざまな仕事をしながら生活ができたんです。初めてここに来た時も、引っ越してからも、町の人は気にかけてすごく世話をしてくれました」
そんななか、九鬼町に住む仲間から書店を開く夢を聞きます。
「このお店のアイデアは、今一緒に運営をしている豊田宙也さんによるものです。彼は東京出身で地域おこし協力隊の制度で九鬼町に来ていました。地域おこし協力隊の3年の任期を終え、この町に住み続けるにあたって長く暮らすためには近くに書店が欲しいと話していました。構想はあったものの、なかなか手をつけられずにいたところ、ホテルの内装などを手掛けている友人が遊びに来てくれたんです。書店のための物件は確保していたのでそこを見せると、面白がって内装のデザインラフを描いてくれました。そうしたら地元の友人が大工仕事をやると引き受けてくれて。そして私にも一緒に店舗を運営しないかと声がかかりました」
そこからトントンと話は進み、2018年の夏に古本を扱う書店〈トンガ坂文庫〉をオープン。
「普通は店を構える場所ではないような、ちょっと辺ぴな場所にあります。市街地から車で20分ほどの場所ですが、九鬼町は車が通れる道が一本しかありません。そこから先は、狭い路地を歩いて来てもらうしかないんです。坂を登った石段の上に店が立っています。偶然に前を通りかかって、誰かが入ってくることはほぼあり得ない立地です」
店名にもなっているトンガ坂の「トンガ」とは、九鬼町の言葉で大風呂敷を広げる人という意味。書店が立つこの場所に、釣れた魚の大きさを大げさに言って自慢するトンガな漁師たちがたくさん住んでいたことから、トンガ坂と呼ばれていました。もう今はあまり使われない言葉だということで、土地の文化を残すためにも屋号に使いました。
「九鬼町は古本屋がない場所だったので、古本というものに馴染みのない人は多かったのですが、書店のオープンをとても喜んでくれている人たちもいます。例えば、独自にフランス革命などの研究をしている80代のお客さま。その方は今、マルクスやルソーにはまっているので、その関連の本を取り寄せてほしいと言われます。日本語の本はもちろん、英語の文献も取り寄せてお渡ししています。その方に『この本屋のおかげで私の人生はすごく素晴らしいものになった』と言っていただき、とても嬉しかったです」
わざわざ来てくれるお客さまの
心に刺さる一冊を提供
古本に加え、今では新刊も全体の3〜4割ほど扱っている〈トンガ坂文庫〉。本沢さんはその選書も担当しています。
「私の個人的な興味もあり、ジェンダーや、マイノリティ、フェミニズム、最近はパレスチナ関連の本が多めに並んでいるかもしれません。多様な価値観の本を並べることは、良い社会をつくるための種まきだと思っています。〈トンガ坂文庫〉が存在しなかったら、この地域に入ってこなかった本もきっとあるでしょう。そんな本を買うためにわざわざ訪れてくれるお客さまがいたり、店頭で手に取ってくれる方を見ていると、なりゆきで始めたことだけれど、求めてくれている人がいるんだと少しずつ思えてきました」
しかし、店主のこだわりの本だけを集めた書店にはしようと思わないと言います。
「何年か書店を運営してきて、お客さまの顔が見えてくると『あの人、この本も好きだろうな』と思い浮かんで本を仕入れることも。先ほど話したように立地の面もあり、お客さまはここを目掛けて来てくれる方がほとんどです。せっかく来てくれたのに店主のこだわりが強すぎて一冊も興味を引く本がなかったら悲しい。できるだけお客さまの心に刺さるものがあるといいなと思って本棚をつくっています」
書店を始めたことによって、本沢さんにも新しい発見がありました。
「尾鷲市内には本好きな人が集まって、最近読んだ本を紹介しあう会があります。本好きな人が集まるサークルです。書店を立ち上げるにあたって、私も何回か参加させてもらいました。他にも私たちが主催しているわけではないのですが『熊野古道一箱古本市』という、誰でも自分が持っている本を売ることができるイベントがあります。そういった会やイベントに参加すると、人口が少ない田舎でもこんなに本が好きな人がいるんだということがわかります。本が好きという共通点を持っている人が、想像以上にたくさんいるというのが嬉しい発見でした。
〈トンガ坂文庫〉には、県外からわざわざ足を運んでくれるお客さまもいらっしゃいます。最近だと名古屋や大阪、京都からもネットで情報を見て来てくださるんです。本を買うという目的以外でも、子どもたちがお菓子を食べたり宿題をしにきてくれたりするのが嬉しいですね。だんだんとお客さまにとっての出会いの場になっていったらと思います。来てくれるお客さまに本との出会いや、人との出会い、そんな場所を提供できるように。週末だけのお店ではありますが、緩やかに続けていけたらと思っています」
環境を変えたことで起こった
価値観の変化
本沢さんはお店が休みの平日は、カメラマンの友人のマネジメント業務をリモートで行ったり、文章を書く仕事をしたり、子どもに勉強を教えたり。いろいろな仕事をしながら生活をしています。尾鷲市に引っ越してから、価値観ががらりと変わったと話してくれました。
「昔は一般的なレールのようなものに乗らないといけないという思い込みに縛られていたと思います。一般的なレールとは、企業に就職して働かなければいけないとか、結婚や出産をしなければいけないという思い込み。今、全然考えていないわけではないんですが、そういうものに縛られるのはやめようと決めたんです」
そんな価値観の変化を踏まえて若い世代の生き方を見ると、感じることがあるそうです。
「尾鷲市出身の若い方は、今は大学進学で町を出ていたり、都市部で働いていたりする人が多いです。しかし話を聞いてみると『本当は尾鷲で働きたい、尾鷲に住みたい』という人がけっこういる。そういう人たちが、住みたいところに住めるといいなと常に思っています。人口がこれだけ減っているため、市としても一生懸命移住を進めていて、関係人口の創出に力を入れていても全然追いついていません。住みたいところに住める環境が整えば、市にとっても住む人にとっても良いことです」
思い込みに縛られず、やってみたら案外できるということを〈トンガ坂文庫〉でも、本沢さんの暮らし方でも示していきたいと言います。
「東京で生活していた時の私がそうだったように、若い方達にとって企業に就職して働く生き方が当たり前という価値観がインストールされているのかもしれません。だから『そうじゃなくても生きていける』という姿を若い世代に見せていけたらいい、書店を訪れてくれた方にすこしでもお伝えできたらいいと思っています。私は特別なスキルがあるわけではありません。そんな私も楽しく生活しているのだから、やりたい人はやってみたらどうでしょう?と提案したい。地方での生活は基本的な生活にかかるお金は東京に比べると安いので、そんなにたくさん稼がなくても生きていくことができます。こういう暮らしもどうですか?という一つの選択肢を、身を持って勧めていきたいと思っています」
〈トンガ坂文庫〉
【編集後記】
私は最近、あるきっかけから本を読む機会が増えていて、書店が偶然の出会いをもたらしてくれる大切な存在だと感じています。しかし、実際に書店の無い自治体は2022年時点で26%もあるそうです。小さな町だからこそ、1つ町に書店があるのとないのでは住民にとって大きな差が生まれるのではないでしょうか。
近頃は市内のみならず、市外からの訪問者も増えているようです。〈トンガ坂文庫〉が観光のスポットとして地域の魅力の一部を担っている存在だと思います。
またレールに敷かれた東京の生活から、自然に囲まれた別世界の生活を始めることはとても勇気がいることだと思いますが、踏み出したことで本沢さんや町の方も幸せになる姿を若い世代に見せてくれることは、とても励みになるお話であると感じました。
(未来定番研究所 榎)
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