「私たちを満たすものとは?」の特集で見えてきたのは、目利きの方々は「物質的なもの」ではなく、「無形のこと」に満たされているということ。今、幸せの尺度はより多様化しているように感じられます。そこで気になるのが、「幸せのためにお金を使うなら、何に使いたいと思うのか」。それこそが、5年先の「満たされる価値観」につながると考え、探っていきます。
これまでたくさんの雑誌や書籍を編集、執筆してきた編集者の藤本智士さんは、新作の著書を自費出版し「Culti Pay(カルチペイ)」という仕組みを本に取り入れました。これは、本の奥付に印刷されたQRコードを読み込んでメッセージと共に送金ができる仕組み。著者を読者が直接応援できる「Culti Pay」によってどんな未来が期待できるのでしょうか?そして藤本さんが考える「豊かさ」とは?
(文:宮原沙紀)
藤本智士さん(ふじもと・さとし)
藤本智士さん(ふじもと・さとし)
編集者。兵庫県在住。有限会社りす代表。2006年以降、雑誌『Re:S』、秋田県のフリーマガジン『のんびり』、WEBマガジン『なんも大学』の編集長を務める。自著に『魔法をかける編集』(インプレス)、『風と土の秋田』(リトルモア)など。編集を軸にした商品や展覧会などのプロデュースも多数手掛け、2020年より、地域編集を学びあうオンラインスクール『Re:School(りスクール)』を主宰している。
「Culti Pay」が生まれた理由とは?
F.I.N.編集部
藤本さんのお仕事について教えてください。
藤本さん
20代の頃にフリーペーパーを作ったことをきっかけに、それからずっと編集の仕事をしています。これまで出版社や編集プロダクションに所属することなくやってきました。社名でもある「Re:S(りす)」とは「Re:Standard」を意味し、新しい“ふつう”を提案することを掲げています。僕は本や雑誌を作ることだけが編集者の仕事だとは思っていなくて、プロダクトを作ったり、オンラインのコミュニティを主宰したりするなど、「Re:S」を旗印としていろんな活動をしています。
F.I.N.編集部
たくさんの著書を出版している藤本さんは、2024年に『取り戻す旅』という著書を自費出版されたんですよね?
藤本さん
東北を旅した記録をnoteで発信していて、それを1冊の本にまとめました。今回は、出版社を通さず自分で出版レーベルを立ち上げ、発行したんです。
F.I.N.編集部
なぜご自身で出版されたんですか?
藤本さん
今は社会のシステムが変わっていく過渡期であると感じています。昔は雑誌がすごく売れていました。どんなに田舎に住んでいても、毎月新刊が届いていた時代。でも時代が移り変わり、大量生産・大量消費のシステムがだんだん機能しなくなってきました。そんななかで、マイクロブルワリーや小さなワイナリーなど、小規模でも丁寧にものづくりをして消費者に届けている人たちも増えてきましたよね。彼らのやり方をお手本に、自分の本しか出さない出版レーベルを作ってみようかと思ったんです。「今年のワインができました」という感じで本を作れたらいいなと思っているし、1冊作ったら、それをちゃんと売って、また新しい旅に出て1冊を作る。そんな出版のサイクルができたらいいなと思っています。またそのためにも、この本には「Culti Pay」という仕組みを実装しました。
F.I.N.編集部
それはどんな仕組みですか?
藤本さん
奥付にQR コードが記載してあって、このQRコードを読み込むとデジタルバンク「みんなの銀行」の個人口座に繋がり、本を読んだ人が著者に直接お金とメッセージを送ることができます。
F.I.N.編集部
それは新しい試みですね。
藤本さん
本を作るには著者はもちろん、デザイナーや印刷会社など多くの人が関わってくれていて、その人たちへきちんと支払いをすることを前提に定価が決められています。しかし著者の印税もその中に含まれていることに、前から疑問を持っていました。著者の印税は本体価格とは別にした方がいい。なぜなら著者への印税は新刊を買ってもらった時にしか入らないからです。でも、本との出会いが新刊書店ではなく古本屋や図書館、友達との回し読みだったりという方も増えています。「Culti Pay」を使えば、どんなシチュエーションやタイミングでも著者に気持ちとお金を送れますし、そのことによって読者も新刊以外で本に出会ったことに後ろめたさを感じる必要がなくなります。
「Culti Pay」の使用例。QRコードを差し替えれば、誰でも使用することができる。
F.I.N.編集部
とても画期的なシステムですね!反響はいかがですか?
藤本さん
友人や以前から応援してくれる人はもちろん、面識のない人もメッセージと共にお金を送ってくれます。「友人に借りて読みました」と声援を送ってくれることも。取り組みに共感してくれる人もすごく多くて、「著者を直接応援したい」という思いは多くの人が持っているんだなと感じます。
社会とともに変化していかなければならない、出版業界のシステム
F.I.N.編集部
出版のシステムはこれから変化していくと思いますか?
藤本さん
出版に限らずどの業界にもいえることですが、昔のように皆が毎日同じテレビ番組を見るのではなく、それぞれがYouTubeやサブスクなど好きな動画を見て過ごす時代になり、「共通認識」といえるものが少なくなっているんです。日本の人口の変化や、広がっていく経済格差を考えると、これからは小さな商いが多様にある方が幸せな社会になるというフェーズに入っていくんだろうと思っています。今は、インバウンドだとか海外のマーケットなんて話を聞くことが多いですが、より多くのものを売るよりも、もう少し手前で豊かに暮らせる選択肢に人は向かうべきなのではないでしょうか。
F.I.N.編集部
皆が同じ本を読むというのも少なくなっていくかもしれませんね。
藤本さん
もちろん、ベストセラーの本があることも1つの幸せ。皆が読んでいる本を読みたくなるのもとても自然なことです。でも、そもそも世の中に流通している本は刷りすぎなんです。たくさん印刷されて廃棄される本がある現状よりも、少数でも多様な本がある方がいいと思っています。
F.I.N.編集部
今後、「Culti Pay」をどのように使っていきたいですか?
藤本さん
「Culti Pay」を多くの人に使ってほしいので、誰でも自分の製作物にQRコードを入れられるように無料でロゴマークをダウンロードできるようにしました。文学フリマでも「Culti Pay」を利用してくれる人たちがいてうれしかったです。
さらに、「Culti Pay」を本に限らず、いろんなものづくりに活かしてほしい。例えば、映画の上映後にエンドロールで監督やスタッフのクレジットが流れている時に、「Culti Pay」のQRコードも映し出され「この映画2,000円じゃ安いな。もっと払いたい」と思って払う人がいる。そんな世界が来るといいなと思います。
「満たされよう」とすればするほど、人は満たされない
F.I.N.編集部
藤本さんにとって「満たされる」とはどういうことですか?
藤本さん
「満たされる」なんてことは、果たしてあるのでしょうか?満たされた気になったら、また次に満たされたくなるというように、常に「満たされる状態」を追い続けるしかありません。そうやってひたすら消費させる仕組みが現代にはあると思います。「満たされなきゃ幸せじゃない」というのは、恐ろしいことかもしれません。自分を満たしてくれるのは、自分以外の何かじゃない。それを外に求めてしまうとお金が必要になるんです。自分で考えたり、行動したりした先にしか満たされることはないんだと思います。
F.I.N.編集部
たしかにそうですね。本は藤本さんにとって、自分を満たしてくれる存在ではないんですか?
藤本さん
しんどい時に救われることはあるかもしれないけど、本を読んだから満たされるわけではなく、ましてやたくさん読んだから満たされるなんてことはありません。でも1冊の本が視点を変えてくれたり、視野を広げてくれたり、ある人にとってはすごく大きな出会いになることもあります。
F.I.N.編集部
だからこそ、本との出会いを大切にされているんですね。
藤本さん
はい。必要な本と出会えるためにも、本の売り場は大事だと思っています。売り場はメディア。たくさん売るための場所ではなくて、出会いの場であってほしいんです。
F.I.N.編集部
「Culti Pay」でつながる著者と読者は、お金だけではない気持ちのやりとりをしていますよね。
藤本さん
たくさん売ることだけが幸せではなくて、届くべき人に届いた実感とか、応援してもらっているんだなといううれしさのような、数値にできない幸せが、今の世の中にもちゃんとたくさんあるんだなと感じています。
「Culti Pay」がつくる未来
F.I.N.編集部
5年先、10年先の未来ではお金の使い方は変わっていくと思いますか?
藤本さん
はい。そのために「Culti Pay」を始めました。最近お金の使い方として良かったなと思った例を挙げます。僕が主宰している『Re:School』というオンラインスクールにとある男性のメンバーがいるのですが、僕の本『魔法をかける編集』を読んで、メールをくれたことが彼との出会いでした。彼は当時14歳で心臓に病気を抱えていて、その病気の平均寿命が15歳なんだと。近くに住んでいることがわかったので、すぐに会いに行ったんです。一見、病気だとはわからないんだけど、外に出ることも体力的に辛いと話してくれました。そんな彼がこの間20歳の誕生日を迎えたんです。それは僕らの想像を超えて、すごいことだと思います。
そんな日を普通の誕生日と同じようにお祝いしていいものか悩んだんです。もともと彼は、Xで世の中に対しての疑問をストレートにつぶやいていて、時には心無い人たちに叩かれたりすることもありました。SNSの嫌な面を感じながらも発信を続けているのを見て、そのアクションは素晴らしいと思っていました。それが経済につながればいいと思い、彼のXでのつぶやきをまとめてPDFにして、オンラインスクールのメンバーに買ってもらったんです。それが3万円くらいの売り上げになり、それをそっくりそのまま出版印税のようなものだからと、彼に渡しました。今の世の中、彼のような病気を抱える人がお金を稼ぐことはなかなか難しい。でもこんなふうに経済活動ができる可能性もあるし、それを応援したいという人も多いことに気づきました。
オンラインスクールのメンバー、TKタケヒロさんのXでのポストをまとめたブック。
F.I.N.編集部
素敵なエピソードです。誰かを応援するためにお金を使いたいと思っている人は多いんですね。
藤本さん
なんとなく、そういう気持ちは誰もが持っているものだと感じています。でも世の中には消費スイッチを押す仕組みが多すぎる。消費者という意識になった途端、少しでも安く済ませようとか、得をしようという考えになります。本来皆が持っている利他的な喜びのためにお金を払うということが、隅においやられているように感じます。
F.I.N.編集部
自分が得をしたい気持ちはあっても、同時に「誰かのためにお金を使いたい」という気持ちもある。「Culti Pay」のように、そんな思いを表現できる仕組みが世の中にたくさんあったらいいですね。
※QRコードはデンソーウェーブの登録商標です。
【編集後記】
いつでも買えること、どこでも買えること、誰がつくったかわからないこと……お金で何かを手に入れるときにはそんな状態が当たり前になっています。藤本さんのお話を聞いて、自分なりに探索をし、自分の気持ちやこだわりをもってお金を使う体験がもっと増えるといいなと率直に感じました。
「お金を払いたいと思える人やものを自分で見つけたい」という価値観はきっと広がっていくはずです。ただそれには消費活動が大きく変化することも必要だと考えたとき、お金を払うことが気持ちの表現になる「Culti Pay」のような仕組みはその未来を支える存在になりうるのではないでしょうか。
(未来定番研究所 渡邉)