「私たちを満たすものとは?」の特集で見えてきたのは、目利きの方々は「物質的なもの」ではなく、「無形のこと」に満たされているということ。今、幸せの尺度はより多様化しているように感じられます。そこで気になるのが、「幸せのためにお金を使うなら、何に使いたいと思うのか」。それこそが5年先の「満たされる価値観」につながると考え、探っていきます。
今回着目するのは、富や豊かさの象徴とされてきた「ラグジュアリー」。服飾史家の中野香織さんによると、誇示的消費、他者に対する優越、外に対してどう見られるかという「見せびらかしの消費」だったというこれまでのラグジュアリーに対し、近年は自分や地球に意識を向ける「コンシャス・ラグジュアリー」に変わってきているといいます。さらに今ラグジュアリーは転換期を迎えているのだとか。ラグジュアリー研究を行ってきた中野さんに、これまでとこれからのラグジュアリーについて伺います。
(文:船橋麻貴/サムネイル:〈suzusan〉提供)
中野香織さん(なかの・かおり)
服飾史家、著述家、〈株式会社Kaori Nakano〉代表取締役。
ラグジュアリー領域を中心に著述・講演・教育を行うほか、企業のアドバイザーを務める。東京大学文学部・教養学部卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得。ケンブリッジ大学客員研究員、明治大学特任教授、昭和女子大学客員教授などを歴任。2025年後期、青山学院大学客員教授。著書に2025年6月刊行の『「イノベーター」で読むアパレル全史 増補改訂版』(日本実業出版社)、共著に『新・ラグジュアリー文化が生み出す経済10の講義』(クロスメディア・パブリッシング)などがある。
40年にわたって君臨してきた
高度資本主義下のラグジュアリー
F.I.N.編集部
そもそもラグジュアリーとは一体何なのでしょうか?
中野さん
辞書の定義、個人的なポエム、ファッション誌的な語りなど、さまざまな見方がありますが、私は人文学的な視点からマーケティング上のカテゴリーとしてのラグジュアリーを分析・研究しています。とはいったものの、実はラグジュアリーは生きた概念で確たる定義がないんです。なぜなら、ラグジュアリーは押し付けるものではなく、受け手が知覚するものなので。そのため、文化によっても時代によっても、ラグジュアリーの捉え方は変わってきます。特に時代の変わり目に、大きな変化が起こるのもラグジュアリーの特徴の1つ。ハイブランドや高級品など皆さんの多くが想起するような、ここ40年くらいの高度資本主義下で発達したラグジュアリービジネスが今まさに転換期を迎えているのです。
F.I.N.編集部
私たちがイメージするようなハイブランドや高級品といったラグジュアリーは、40年も前に登場したのですね。
中野さん
「40年も」というか、ほんの40年の歴史しかない、というか。その大きなきっかけとなったのは、1984年にフランスの実業家であるベルナール・アルノーさんが、〈クリスチャン・ディオール〉などを擁する〈マルセル・ブサック・グループ〉を買収して、コングロマリット(*)を作り出したこと。今では〈LVMH モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン〉として、〈ルイ・ヴィトン〉〈ブルガリ〉〈ゲラン〉などを筆頭に、ファッション・レザーグッズやワイン・スピリッツ、ビューティー、宝飾など70以上のブランドを保有しています。こうした高度資本主義下のラグジュアリーは富裕層向けの高付加価値ビジネスとして成長してきたもので、アパレルだけでなく、自動車やアートなども含み、文化や歴史を武器にできるヨーロッパが支配力を持って40年に渡って歴史をつくってきたんです。
*異なる産業や業種の会社などを吸収・統合した巨大企業のこと。日本語では「複合企業体」とも訳される。
F.I.N.編集部
それ以前にも、ラグジュアリーという概念は存在したのでしょうか?
中野さん
例えば中世・ルネサンス時代は、王侯貴族や教会が権威や特権を示すためにラグジュアリーを利用していました。そして近世になると、莫大な財力を保有する有閑階級は恋愛のために、自分の資産を投じ始めます。婚外恋愛のために気に入った女性に、最新のファッションアイテムや、美しいインテリアなどを渡すようになるんです。そんな愛妾経済がラグジュアリーと結びついていました。
19世紀にイギリスで起きた産業革命の頃には、紳士の世界で「新しい」ラグジュアリーがつくられていきます。これまでの富や財力だけでなく、紳士にふさわしい教養や知識、マナーなどが重視されるようになるんです。
つまり、ラグジュアリーは時代の最先端であり、これでもかというくらいにお金や知恵、そして人間の欲望が込められた最高級のものであったといえます。
F.I.N.編集部
ラグジュアリーは人類の歴史とともにあるものなのですね。では、ここ40年で成長した高度資本主義下のラグジュアリーが変わり始めているのはなぜですか?
中野さん
これまでの西洋中心主義からの脱却を求めているからだと思います。時代や社会の変容によってヨーロッパが憧れの対象ではなくなったことや、アジアやアフリカの国々が力をつけてきたことなども要因として考えられます。
また、近年のラグジュアリー変動の大きなきっかけはコロナ。消費が落ち込んだコロナ禍が明けると、その反動のリベンジ消費でハイブランドや高級品が多く買われましたが、2024年に「ラグジュアリークラッシュ」が起こったんです。それまでの数年は、ラグジュアリー消費の多くを中国が担っていましたが、自国の経済が停滞したこともあり、消費に対する思考や行動にも変化が起きて、ハイブランドや高級品をステータスとして所有することが恥ずかしいという「ラグジュアリー・シェイム」という言葉まで聞かれました。
本当の心の豊かさとは何か。世界的にもそう考え方にシフトするなかで、2015年から潮流となっている自分や地球に意識を向ける「コンシャス・ラグジュアリー」の影響もあり、多くの人々が希少性を大量生産してきたこれまでのラグジュアリーに疑問を持ち始めたんです。そして、ラグジュアリーブランドの下請け工場が不法移民を雇い労働をさせていたというニュースや製品の値上がりなどに加え、インフルエンサーやセレブのニュースに振り回されるのもうんざりした消費者は、これまでのラグジュアリービジネスに疲れ切ってしまった。ここ1、2年はそうした状況が続き、今まさにラグジュアリーは転換期を迎えているわけです。
時代の転換期に登場し始めた
「主体性」を伴う新しいかたち
F.I.N.編集部
これまでのラグジュアリーが制度疲労を起こすなか、ラグジュアリーの現在地はどうなっているのでしょうか?
中野さん
自分の文化やアイデンティティーに根差したラグジュアリーをつくろうという動きが、世界各地で生まれ始めています。なかでも新しいラグジュアリーを体現している最たる例が、世界最高水準のカシミア製品を発信するイタリアのブランド〈ブルネロ クチネリ〉。創業者のクチネリさんは、職人にイタリアの平均賃金よりも高い給料を支払ったり、光が差し込むような美しい環境を用意したりと、働く人の尊厳を大切にする「人間主義的経営」を実現しています。そうすることで職人が責任感を抱き、創造力が発揮されて、ブランドとしても発展しています。また、人口500人ほどのソロメオ村に本社を置くことで雇用を生み出し、地域も発展。劇場や職人学校、公園なども作り出し、自身のブランドに留まらず村全体を活性化させています。
中世の雰囲気を残すソロメロ村に拠点を置く〈ブルネロ クチネリ〉。古城を購入・修復して本社にしたことで、村の産業や活気が戻った/提供:〈ブルネロ クチネリ〉
中野さん
それから最近の傾向として興味深いのが、フランス発のジュエリー・メゾン〈Gemmyo(ジェミオ)〉。創業者のポリーヌ・レニョーさんが婚約指輪を探しにパリのジュエリーショップに行った際、ネガティブな買い物経験をしたことをきっかけに創設されたブランドです。テクノロジーを駆使して受注生産を行い、フランス製にこだわったジュエリーを適正価格で届けています。本陣のフランスにおいてもこうしたラグジュアリーの多様化が進んだことで、東欧、アジア、中東をはじめ世界各地で起きている新たなラグジュアリーにも説得力が生まれます。
2011年に立ち上がった〈Gemmyo〉。売上の50%以上は、オンラインによるもの/提供:〈Gemmyo〉
F.I.N.編集部
日本でも新しいラグジュアリーの動きはあるのでしょうか?
中野さん
すでに権威になりつつありますが、ドイツ・デュッセルドルフでスタートした〈suzusan(スズサン)〉は、国内の新しいラグジュアリーを語るうえでは欠かせない存在です。CEOの村瀬弘行さんは、5代続く家業である有松鳴海絞りの技術を生かし、衣服やインテリアアイテムなどを世界20カ国以上で展開。日本の伝統工芸の逆輸入の模範例でもありますが、ご自身の地元で地域創生を目指し、新たなツーリズムの可能性も探究しています。
〈suzusan〉では、名古屋の有松・鳴海地区で400年以上受け継がれている伝統技術・有松鳴海絞りを生かしたものづくりを行っている/提供:〈suzusan〉
F.I.N.編集部
まさに今、国内外でラグジュアリーの捉え方が変わってきているのですね。
中野さん
やはり、ハイブランドとされるものや高級品で、他者と差別化を図りたい、マウントを取りたいと思うこと自体が時代とそぐわなくなっているのではないでしょうか。心からブランドのクリエイティビティを愛しているケースは除きますが、そうした記号的なもので自分を格上げされたと錯覚するのはもの悲しい。私は、本来のラグジュアリーには「Lust=誘惑」「Luxus=豊かさ」「Lux=光」という3つの要素からなる原イメージを持っています。もちろん、「豊かさ」や「誘惑」の解釈は時代や文化、人によっても異なりますが、人の虚栄心や自信のなさを利用するようなやり方はもう通用しない。これから私たちが豊かに幸せに生きていくためには、提供する側にも受け取る側にも、ラグジュアリーは「主体性」を伴う必要があるのではないかと思います。
文化を醸成し、世の中をいい方向へ。
新たなラグジュアリーの可能性
F.I.N.編集部
主体性を伴ってラグジュアリーを提供する場合、大切にすべきことは何でしょうか?
中野さん
いかにビジョンや意思を持てるかどうかではないでしょうか。そのためには、徹底的に細部まで意思をいきわたらせる必要があります。たくさんの人たちの意見を取り入れて平均的なものを作るのではなく、主体性を持ってものづくりを遂行していく。価格なんてもう忘れてしまうくらい、そこに考え抜かれたビジョンや意思を反映させることが、これからのラグジュアリーには必要だと思います。
F.I.N.編集部
現時点で、これからのラグジュアリーになり得るもので、中野さんが期待を寄せているものはありますか。
中野さん
これからは産地そのものがラグジュアリーに直結するのではないかと考えています。私自身も産地に赴くことが多いのですが、そのなかで面白いなと感じたことの1つに、沖縄県宮古島で作られている麻織物「宮古上布(みやこじょうふ)」があります。家族の世話を終えた60代の人が習い始めて、手の感覚が鈍くなった90代で職人として大成するという話を聞いて、年を重ねることが肯定的に捉えられる世界があることに衝撃を受けました。こういう話は地元の人に話を聞かないとなかなか出てきません。地域に眠るようなものづくりの背景や物語をしっかりと翻訳し世界に向けて発信することが、新たなラグジュアリーの進出を後押しすると感じています。
600年の歴史を誇る「宮古上布」。島の「おばあ」たちによって苧麻(ちょま)という麻の繊維で糸が作られ、それを織ることで「宮古上布」になる/写真:KAKIPHOTO / PIXTA(ピクスタ)
F.I.N.編集部
ラグジュアリーは新たな可能性をたくさん秘めているのですね。
中野さん
元来ラグジュアリーは文化を醸成する力があるものです。わかりやすい例としては、1960年代のアメリカの宇宙開発。当時は貧困層が食うに困る状況にあるのになぜ宇宙開発に大金を投じるのかと疑問視されていたのですが、結果的にテクノロジーを開発・発達させる一因となり、私たちの生活を豊かにした。それに人種差別が激しかった時代に、能力があれば誰でも力を発揮できることが知れ渡り、これまでの価値観を覆す契機となりました。最高峰のラグジュアリーをつくり出すためにはお金も時間もかかります。ですが、世の中をいい方向に動かす力があると実感しています。
F.I.N.編集部
やはり私たちにはラグジュアリーは必要なのでしょうか? 人々を満たす力はあるものですか?
中野さん
ラグジュアリーは新しい視点をもたらすものであると思うんです。昨日と同じ今日が繰り返されると思うと息が詰まりますが、新しい視点を獲得できて、ものの見方が少し変われば、生きる希望が沸いてくる気がしませんか。そういう視点を持てる自分であること自体が豊かだと感じますし、自らを満たすきっかけにもなり得る気がします。
F.I.N.編集部
今、中野さんがラグジュアリーに感じているモノやコトは何でしょうか?
中野さん
自分の世界が広がるような、新しい体験をすることです。ラグジュアリーを研究するにあたり、さまざまな地域に取材に訪れますが、唯一無二のことをしている人に会ってお話を伺うという体験はなんて贅沢なのだろうと常々思います。もちろんモノを所有することから生まれる幸せもありますが、そのモノを通してこの先どんな自分になっていくか。そういう自分の新たな成長につながる視点を得られるような体験が、自分にとって豊かさになる1つの基準になっています。
F.I.N.編集部
ではこの先、ラグジュアリーはどうなっていくのでしょうか?
中野さん
この40年で発達してきた高度資本主義下のラグジュアリーは、この先もなくならないとは思います。生き残りをかけて超ハイエンド領域に特化したプロダクトを作ったり、ブランドのレガシーを武器に市場への参入をより深めていったりすると考えます。
一方で、ここ最近登場した新しいラグジュアリーは、その勢いが強くなっていくと見ています。サステナブルやエシカルに特化したものづくりや、さらなる体験価値の醸成、ストーリーテリングの強化、ローカルに根差すテクノロジーを駆使した新たなラグジュアリーは、さらに拡大・進化していくと感じています。
高品質の特別感や希少性、心や社会を満たしながら輝かせる本質的な価値の提供、その両立がこの先のラグジュアリーの鍵になると思っています。
【編集後記】
ラグジュアリーというと特権的なイメージが先行し、自分にとっては遠い存在として敬遠してしまう感覚がありました。しかし、新しい視点を得られる体験が豊かさにつながるという中野さんの価値観や、新しいラグジュアリーの動向を知り、そのイメージが一変しました。ラグジュアリーは特定の人が獲得できる特別な品だけでなく、動き方次第で生み出せる個々人の感覚にも宿るものなのかもしれません。
今回のお話を伺い、豪華絢爛な舞台で知られる劇団のトップスターが「生花を毎日生けたりして、日々の変化に気づきときめくことが、舞台で輝くための糧となる」とおっしゃっていたことを思い出しました。私も気枯れしてしまわないように、1日1日を新鮮な気持ちで楽しむことで自分自身を満たしつつ、いつか人が「満たされた」という気持ちになれる提案ができる人になれたら、と思います。
(未来定番研究所 高林)