「装う」という行為は、時代や社会、ライフスタイルの変化と密接に関わりながら、その姿を変えてきました。同時に、私たち自身の意識やふるまいもまた、「装う」ことの意味やあり方に影響を与え、そのかたちを変えてきたように思います。そして今、機能性やデザイン、トレンドにとどまらず、「なぜそれを装うのか」を問う意識が広がっています。「装う」ことは、自分自身や社会の見方を問い直し、価値観に変化をもたらしているのかもしれません。F.I.N.では、「装う」ことと私たちの間にある相互作用に目を向け、その可能性を探っていきます。
「着たい服があるのに、着られない」。そんな現実があることを目の当たりにし、大手アパレル企業を退職してまで、新しい選択肢を生み出そうとした人がいます。それが、既製服のお直しを気軽に依頼できるオンラインサービス〈キヤスク〉を立ち上げた前田哲平さん。障害や病気など身体的な制約があっても、「自分の好き」を基準に服を選べる社会の実現を目指しています。そんな前田さんに、「装う」ことの意味、服が人にもたらす影響と変化、そして「普通」の選択肢を広げるこれからの可能性について伺います。
(文:船橋麻貴/写真:米山典子)
前田哲平さん(まえだ・てっぺい)
1975年生まれ、福岡県出身。大学卒業後、銀行勤務を経て、2000年に〈ファーストリテイリング〉に入社。「ユニクロ」の店長として勤務したのち、本部にて生産計画、販売計画、経営計画、EC運営などに従事。2020年12月に同社を退職し、2021年1月に〈コワードローブ〉を設立。2022年3月より、障害や病気のある人のために既製服をカスタマイズするオンラインサービス〈キヤスク〉をスタート。
「装う」ことは、誰かとつながること
大手アパレル企業の〈ファーストリテイリング〉を経て、2022年に〈キヤスク〉を立ち上げた前田さん。既製服のお直しをオーダーできるオンラインサービスを提供し、身体的な制約のある方々が「着たい服を着る」選択肢を広げる活動を続けています。
20年以上もの間、「装う」ことを見つめ続けてきた前田さんの価値観に変化が訪れたのは、〈キヤスク〉をスタートしてから。「装う」ことに人生をかけているからこそ、「今では重要な意味を持つようになった」と語ります。
「正直、〈ファーストリテイリング〉に勤めていたときは、『装う』こと自体を強く意識したことはありませんでした。だけど、〈キヤスク〉を始めてからは、それを深く考えるようになったんです。『装う』ことは、外見を整えたり、着飾ったりするためだけのものではない。社会の中でどう見られたいか、自分がどうありたいか、何を表現したいか。自分と社会をつなぐ翻訳的な役割があると感じるようになりました」
「着たいのに、着られない」。社会的な構造を変えるために
あらゆる人に手頃な値段で良い服を届ける。〈ファーストリテイリング〉での仕事を通じて、「装う」ことの意味をそう捉えていたという前田さん。しかし、聴覚障害を持つ同僚との出会いがその常識を覆すことに。
「その同僚のまわりには、着たい服があるのに着られなくて困っている身体に障害のある友人がたくさんいたんです。デザインを気に入っていても着脱のしやすさを優先し大きなサイズの服を選ばなければならない方だったり、スカートの裾が巻き込まれてしまう危険性があるため、短い丈のスカートやズボンを選ぶ必要がある車椅子の方だったり。自分1人ではボタンを留めることが難しい方もいらっしゃいました。『着たいけど着られない服』を前に、『仕方なく選ぶ』『周囲の介助のしやすさ』を優先しなければならない現実を目の当たりにし、『装う』ことに対する認識が根底から揺さぶられました」
「自分の好み」を後回しにしなければならず、服選びは介助者の利便性や着やすさに左右される。そんな現実に疑問を抱いた前田さんは、「装う自由」を取り戻すために新たな選択肢を模索し始めます。
そして自ら800人以上にインタビューを重ねた結果、たどり着いたのが既製服の「お直し」というアプローチ。誰もが自分の身体に合った「着たい服」を着られるようにする仕組みを提供し始めます。
「既製服は一般的な体型を基準に大量生産されるため、仕組み上すべての人に合った服を提供できないのは仕方ないことかもしれません。だけど、それでは選択肢が限られてしまう人たちがいます。僕は、そういう人たちを誰一人として社会に取り残したくない。なぜなら、そもそも『装う』ことは、人を幸せにするためにあるものだと思うから。だから既製服の『お直し』を通して、その人たちの好きを叶えていきたいんです」
「着たい服」は、心を動かし、行動を変える
〈キヤスク〉ではボタン留めをマジックテープに変えたりと、着る人に合わせて既製服をお直ししている
肩にファスナーを取り付けて「肩開き」にしたり、ボタン留めをマジックテープに変更したり。〈キヤスク〉では既製服を本人の身体に合わせて着やすくしているけど、どれも「お直し」したことがわかりにくいのが特徴的です。そうした工夫があるからこそ、「この服で外に出かけたい」「これなら安心して行ける」と、着る人の行動に変化が起きているそう。
「病気やケガなどが原因で障害を負ってしまうと、外出をためらい、気持ちがふさぎ込んでしまう方も少なくありません。なかでも印象深いのは、身体が不自由になったことから娘さんの結婚式に出席するかどうか悩んでいたお父さん。実際に〈キヤスク〉で礼服をお直ししたところ、『安心して参列できる』とおっしゃってくださったんです。装う自由が得られると、気分が前向きに変わるだけでなく、外出頻度や会話量が増えたりして行動や人間関係にも変化が生まれていくんです」
寝たきりの方でも着脱しやすいよう、背面に大きな切り込みを入れ、首の後ろ側にマジックテープを施したフリース
推しのツアーグッズのパーカーを着てライブに参加した車椅子ユーザーの方や、同級生と同じ制服を着て登校できるようになった高校生など、すでにある服に「お直し」を加えることで「自分らしく装うこと」をサポートしてきた前田さん。依頼者たちは「服を通して、自分の人生に一歩踏み出そうとしている」といいます。
「装いが変わると、その人の日常も変わるんです。行く場所から出会う人、会話の中身まで。たかが服かもしれませんが、その人の人生の場面転換を後押ししている。そんな感覚が確かにありますし、装いには人を動かす力が宿っていると感じています」
「装う自由」が当たり前の社会へ
「装いが変わると、日常が変わる」。そうした変化を見つめてきた前田さんが強く感じているのは、「着たい服を着る自由は、本来すべての人が持つべきもの」ということ。その言葉の背景には、「誰もが自由に装える社会」に立ち返ろうとする強い意志が込められています。
「着たい服を着ることは特別なことじゃなくて、みんなが当たり前にやっていること。だから〈キヤスク〉のようなサービスを特別なものとするのではなく、日常の一部として流通させていきたい。障害や病気を抱える人の服はこうあるべきというデザインではなく、ファッションとして成立する服を『お直し』という手段で届けたいと思っています」
そして前田さんは、どんな些細な声も「例外」として切り捨てず、社会の中で「普通」のこととして捉えていきたいと強調します。
「僕がこういうサービスを提供することを、いい話で終わらせてほしくないんです。これは今ある社会の課題として、みんなで一緒に考えていけたらいいのではないかと。みんな違うカタチの普通を持っていて、そのどれもが大切。だから、誰かの普通を守るための社会を実現させていきたいです」
社会的に少数派だから、商売的なニーズに合わないから。そんな理由で切り捨てられる「装う自由」。誰かの普通を守るためには、「自分ごととして捉えること」と「小さくても続けていくこと」が大切だと前田さん。
「着たいという思いを、自分ごととして捉えてほしい。そのために、SNSやメディアなどを通じて、ユーザーの声を丁寧に届けていきたいと思っています。ないことにされがちな声を可視化することで、『自分にも関係あるかもしれない』と感じてもらえるかもしれない。アパレル企業とも連携しながら、自分にできることをこれからも一歩ずつ重ねていきます。そうした価値観が僕たちの日常に根付いていけば、『装う自由』はきっと当たり前のものとして社会に根付いていくはずです」
「独立したことを後悔したことは一度もありません。むしろ、この取り組みに関われない方が耐えられないです」と前田さん
【編集後記】
誰にも「着る自由」があるべきだという前田さんの思いに触れ、深く心を動かされました。日常的に「服を選ぶ」ことは当たり前のように感じますが、身体的な制約があると、その選択肢が狭まってしまう現実があります。〈キヤスク〉の活動は、既成概念を打ち破り、誰もが自分の好きな服を着られる社会を目指す取り組みそのものだと感じました。
服装にはマナーや常識といった面もありますが、今回のお話のように個性を尊重し、自由を感じるための手段にもなるということから、「装う」ことが私たちの心や行動に大きな影響を与える力を持っていることを実感しました。
(未来定番研究所 榎)