2025.06.17

「ドレス・コード」の謎に迫る8の問い。〈京都服飾文化研究財団〉石関亮さん。

「装う」という行為は、時代や社会、ライフスタイルの変化と密接に関わりながら、その姿を変えてきました。同時に、私たち自身の意識やふるまいもまた、「装う」ことの意味やあり方に影響を与え、そのかたちを変えてきたように思います。そして今、機能性やデザイン、トレンドにとどまらず、「なぜそれを装うのか」を問う意識が広がっています。「装う」ことは、自分自身や社会の見方を問い直し、価値観に変化をもたらしているのかもしれません。F.I.N.では、「装う」ことと私たちの間にある相互作用に目を向け、その可能性を探っていきます。

 

結婚式では白い服装を避け、得意先の打ち合わせには襟付きのシャツを着る。しかし、ビジネスシーンでパーカーを着る人が増えたように、かつて常識とされた「ドレス・コード」が、変わりつつあるように感じます。今回は〈京都服飾文化財団〉のキュレーター・石関亮さんに、ドレス・コードの変遷や、そこから見える5年先の装いについて聞きました。

 

(文:大芦実穂/サムネイル:『ドレス・コード?——着る人たちのゲーム』[2019年8月9日-10月14日]京都国立近代美術館、福永一夫、京都服飾文化研究財団所蔵)

Profile

石関亮さん(いしぜき・まこと)

〈公益財団法人 京都服飾文化研究財団〉キュレーター。京都大学大学院修士課程修了。2001年より〈京都服飾文化研究財団〉に勤務。2011年よりキュレーター。2015年より、学芸課課長を兼務。展覧会「LOVEファッション―私を着がえるとき」「ドレス・コード?―着る人たちのゲーム」の共同企画のほか、「Fashion in Colors」「ラグジュアリー」「Future Beauty」などのファッション展の企画・運営に参画。研究誌『Fashion Talks…』編集、現代ファッションを担当。

https://www.kci.or.jp/

Q1.「ドレス・コード」の起源は?

A1. 人間が社会性を持った時、集団と集団を区別するために生まれた。

辞書で「ドレス・コード」を引いてみると、「特定の場所や場面で身につける服のこと」とあります。つまり、服や外見によって、ある集団とある集団を区別するために使われるものです。その歴史は非常に古く、人間が社会性を持った時からと考えられます。例えば、宗教的な指導者や集団のリーダーは、その権威を示すためや、仲間を見分けやすくするために、集団の外の人々とは異なる装いをしていました。現代でも儀式や祭事において、普段と違う服装を身につけるのは、日常と非日常を区別するためです。これらは有史以来ずっと続いてきたものだと考えられます。

 

そのなかでも、ドレス・コードの意識が一層際立ってきたのが、中世ヨーロッパです。社会階層の固定化が進み、階級や職業によって着る服が異なるようになりました。それは色や模様によっても区別されていたのです。例えば、紫は皇帝や最高権力者のみが着用を許される一方、黄色は裏切り者の色として忌み嫌われていました。そのため、キリストを裏切り、ユダヤの指導者に引き渡したといわれている弟子のユダは、黄色の服を着て描かれていることが多いのです。また、日本においても色による階級の区別がありました。604年に聖徳太子が制定した冠位十二階は、12の官位を色で区別するというものでした。

『ドレス・コード?——着る人たちのゲーム』(2019年8月9日-10月14日/京都国立近代美術館)にて展示された、格の違いを見せつける、18世紀の男女の豪華な宮廷服。(撮影:福永一夫/©京都服飾文化研究財団)

Q2. すでに廃れた「ドレス・コード」は?

A2. 男・女、フォーマル・カジュアルを区別するためのドレス・コード。

まず、男女を分けるドレス・コードがなくなってきていることが大きな変化です。アメリカやヨーロッパで女性が公の場でズボンやパンツをはけるようになったのは、1960年代のこと。それまではスカートをはく以外は考えられませんでした。しかし現代では、制服やスーツでもパンツスタイルの女性が目立つようになってきています。

 

それから、フォーマルとカジュアルの境界も曖昧になってきていると思います。クールビズの導入などで、ネクタイなしで出社する人も多くなりました。また、スティーブ・ジョブズ(Appleの共同創業者の1人)のタートルネックにジーンズのスタイルが注目を集めてからは、オフィスにカジュアルな服を着ていくことも一般的になってきましたよね。

 

そういえば、最近面白いなと思ったのは、京都府警でサングラス着用がOKになったというニュース。今まで着用してはダメだったんだ、という驚きもありました。

 

ドレス・コードがカジュアル化してきている要因としては、社会が流動的になってきているからだと考えられます。ドレス・コードはある集団とある集団を分けるものだと先ほどいいましたが、場面や状況を区別するものでもあって、今はカジュアルとフォーマルで着る場面を分ける必要がなくなってきているということだと思います。

〈イヴ・サンローラン〉のデザインによる女性用のパンツ・スーツ。左は、1967年秋冬コレクションの「シティ・パンツ」(久田尚子氏寄贈)。右は、1968年春夏コレクションの「サファリ・スーツ」(撮影:畠山崇/©京都服飾文化研究財団)

Q3. 歴史のなかでも新しい「ドレス・コード」は?

A3. 就活で使う「リクルートスーツ」や「着回し」。

私が就職活動をしていた90年代は、リクルートスーツといっても今ほど画一的ではありませんでした。その証拠に、80年代の雑誌などを見ていると、リクルートスーツがものすごく個性的なんですよ。この多様化している時代に、なぜリクルートスーツといえば無地で黒一択のようになっているかというと、本質で勝負するために外見を画一的にする「リクルートスーツ」という新しいドレス・コードが生まれているからだと思います。

 

それから、「着回し」もドレス・コードの1つかもしれませんね。例えば、オフィスに出社する時に、毎日同じコーディネートではなく、どこかを少しずつ変えていく。季節や曜日、業種などで、変化にある種のルールが生まれて、雑誌やサイトの記事、スマホのアプリでそれが提案される。これまでとやや違った見方かもしれませんが、これもドレス・コードの一種ではないかと考えられます。

Q4. 「ドレス・コード」に反していると判断するのは誰?

A4. 集団がジャッジする。

自分が入りたい集団がジャッジするものだと思います。集団のなかでいろんな人がその服装について批判するうちに、だいたいこの辺りで線引きできるかなと落ち着くところがあって、暗黙のルールができていく。ただ、きちんと言語化されているわけでもなければ、そもそも明確な基準もないので、すごくわかりにくい。だからこそ皆、マナー本を求めるのだと思います。マナー本が出始めるということは、裏を返せばマナーがわからない人が多いということです。

 

19世紀のヨーロッパでは、マナー本がたくさん出版されました。中世までの階級社会が完全に崩壊して、法律上では貴族も平民も平等ということになったのがこの頃。どんな職業を選んでもいい、お金があれば誰だって贅沢ができる。そうなったときに、いい趣味やいい服装って何なのか、皆わからなくなったわけです。そこで出てきたのがマナー本なんです。集団の中で、ジャッジする人、できる人がいなくなってくると、ドレス・コードが揺らいでくるのです。

1839年に発行された女性雑誌『Le Bon Ton / Journal des Modes』(京都服飾文化研究財団所蔵)。当時の女性たちは雑誌から流行だけでなく服装のマナーを学んでいた。

Q5. 「ドレス・コード」を破ったらどうなる?

A5. 破った人たちの中で、新しいドレス・コードが生まれる。

ドレス・コードはゲームのルールと一緒で、守る人と守らない人、知らずに踏み越えてしまう人もいます。でも「そっちのほうがいいね」となったら、ルールの変換がグッと一気に進みます。つまり新しいルールができるということ。このように装いのルールって厳しいようで厳しくないというのが、我々が2019年に開催した展覧会『ドレス・コード?——着る人たちのゲーム』のテーマでもありました。

 

なぜ皆と同じ格好がしたいのか、つまり流行とはなんだろうというのは、20世紀のドイツの哲学者ゲオルク・ジンメルがまさに考えていたことです。人間に2つの衝動があって、1つは皆と同じことがしたいという「模倣」の衝動、もう1つはそこから外れて個性的でいたいという「差異化」の衝動。その2つが内在することが流行を生み出す動力になっていると。私はそこに、人間は飽きる生き物だという考えを重ねています。飽きるからこそ次のものに夢中になることができる。模倣し、差異化し、飽きて別のことに興味を持つ。その繰り返しがファッションの流動性へと繋がるのではないでしょうか。

1976年に〈SEX〉(ヴィヴィアン・ウエストウッド)が発表したTシャツ。1970年代後期、引き裂いた服に安全ピン、異様な色の髪を逆立てたパンク・ファッションが若者たちに流行した。(撮影:畠山崇/©︎京都服飾文化研究財団)

Q6. TPOファッションとドレス・コードの違いは?

A6.ほとんど変わらないが、TPOファッションは日本発の表現。

TPOとは、Time・Place・Occasionの頭文字を取ったもので、「いつ・どこで・何を着るか」を意識した日本生まれの表現です。これは、1960年代に日本の男性ファッションを牽引したファッションデザイナーの石津謙介が提唱したもの。日本人の洋装の歴史はまだ150年ほどと浅く、特に昭和初期でもどんな服をどこで着ればいいか皆わからなかった。第二次世界大戦後、服装のカジュアル化が進む中で、石津さんが「こんな服を着たらいいよ」と提案していったのです。

 

TPOファッションとドレス・コードの違いとは、正直あまりないというのが答えだと思います。そもそも、ドレス・コードが、男性と女性、公的な場とプライベート、フォーマルとカジュアルなど、まさに「いつ・どこで・何を着るか」の約束事(コード)です。そして石津さんは「TPOに合わせて服を選ぶ」というコードを戦後の男性ファッションに根付かせました。そして今日、その約束ごと自体が揺らいできているのだと思います。

Q7. ドレス・コードはこれからも必要?

A7. 必要かどうかというより、必然的に存在していくもの。

人は何かしらの線引きや区別をするものなので、ドレス・コードという考え方がなくなることはないと思います。50年前のドレス・コードが機能しなくなったとしても、また新しいドレス・コードが生まれる。もしかしたらその線引きによってはTPO(時間・場所・場面)じゃなくなるかもしれませんね。それを探す、わざとつくるというのも面白いのではないでしょうか。

Q8. 5年先の未来、ドレス・コードはどう変わる?

A8. バーチャルでの装いに移っていく可能性。

これまでリアルなドレス・コードについてお話ししてきましたが、これからの未来、リアルとバーチャルの融合がここでも進んでいくのではないかと推測します。極端な例ですが、バーチャルな世界で生活する比重が増えたら、リアルな世界で人は服を着なくてもよくなるかもしれません。または、リアルでは皆と同じ画一的な服装でよくなって、AR(拡張現実)のメガネやコンタクトレンズをつければバーチャルがリアルと融合し、着たい服装を見せたい人にだけ表示させることができる、とか。今はまだ物理的な身体があって、その上に服を着ているわけですが、バーチャルであれば顔も変えられるし、体型や性別も自由に選択できる。違う生物や物体にだってなることができてしまう。その時には、何が奇麗で何がそうでないのか、価値観自体も変わってくるでしょう。ドレス・コードは、消えゆく旧体制的な産物に思われがちですが、これからの私たちがどのように装うかを考え、実践するためのひとつの拠り所であり続けるように思います。

美しさの価値観を揺るがした〈コム デ ギャルソン〉の2020年春夏コレクション。リアルな世界で着用すると目を引くが、バーチャル空間であれば違和感がないかもしれない。(「LOVE ファッション─私を着がえるとき」展/2024年9月13日-11月24日/京都国立近代美術館/撮影:福永一夫/©︎京都服飾文化研究財団)

【編集後記】

百貨店の売場にいると、お客様からドレス・コードについてご相談いただくことがしばしばあります。昔からのしきたりが重んじられる場面に関しては、百貨店としてご提案はできるものの、場合によってはお答えするのが難しいと感じることもありました。時代のスピードが早まり、大衆性が薄れコミュニティの細分化が進む今、その場その場でのルールを見極めるのは簡単なことではないと思います。石関さんのお話を伺い、なぜルールが存在しているのか、立ち返って考えることができ、自分のなかでのドレス・コードの概念が柔軟になった気がします。百貨店に勤める身として、社会の装いのあり方を観察し続けていきたいと思います。

(未来定番研究所 高林)

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