2026.05.01

おいしさは、目指すものではない。杜氏・石川達也さんの、生命を呼び覚ます酒造り。

おいしさはさまざまな要素が重なり、複合的な感覚として私たちは判断しています。何をおいしいと捉えるかは人それぞれのため、主観的でありながらどこか曖昧な感覚だともいえます。目利きたちが思う「おいしい」とは何か、これから「おいしさ」はどうなっていくのか。F.I.N.では、食と向き合う目利きとともに、5年先のおいしいのその先の価値観を探っていきます。

 

「おいしさは、目指していないんです」。そう語るのは、広島杜氏組合長であり、伝統的な「生酛(きもと)造り」に精通する杜氏・石川達也さん。あえて味の設計をせず、不確定要素を受け入れ、自然の力を信頼しながらお酒のあるべき姿を追い求めています。味や香りを整え、「おいしさ」を追い求めるのが主流とされる現代において、石川さんはなぜそれを目的としないのでしょうか。石川さんの言葉を通して、「おいしさ」の価値観を見つめ直します。

 

(文:船橋麻貴)

Profile

石川達也さん(いしかわ・たつや)

杜氏。広島杜氏組合長。日本酒造杜氏組合連合会会長。日本の伝統的なこうじ菌を使った酒造り技術の保存会副会長。1964年広島県西条町生まれ。大学在学中より埼玉県の〈神亀酒造〉にて修業を始める。1994年に広島県の〈竹鶴酒造〉に入り、1996酒造年度から2019酒造年度まで杜氏を務める。2020酒造年度より、茨城県の〈月の井酒造店〉で杜氏として蔵の改革に取り組んだ後、2026年春に退任。伝統的な技法の造り手として知られ、杜氏としては初の文化庁長官表彰を受ける。2026酒造年度より広島県の〈福美人酒造〉で、人を育てる酒造りに取り組むべく準備中。

お酒は体と心に作用する、とんでもないもの

石川さんとお酒の出会いは、いわゆる「酒蔵の息子」としての宿命的なものではなく、一人の「酒オタク」としての熱狂から始まります。広島の酒蔵が遊び場という環境で育ちながらも、お酒そのものに開眼したのは、大学進学で上京し、地酒ブームに沸く東京でのことでした。

 

「大学時代は本当にひどい生活でした(笑)。風呂もない四畳半のアパートに住んで、服もずっと着たきり雀。たまに違う服を着ていくと友人に驚かれるほどでしたが、酒にだけは財布の紐が緩かった。部屋には冷蔵庫が2台あったのですが、1台は自分の食料用、もう1台はすべて日本酒を保管するためのもの。当時は『酒オタク』なんて言葉はありませんでしたが、バイト代のほとんどを酒につぎ込んでいました」

お酒の魅力に開眼した大学時代の石川さん(右)

お酒を飲む時は常に、香りを嗅ぎ、口に含み、酸味や甘みを分析。まるで品評会の審査員のようにお酒を解釈し、評価していたそう。そんな石川さんの価値観を根底から覆したのが、埼玉県の〈神亀酒造〉の純米酒「ひこ孫」との出会いでした。

 

「最初に口に含んだ時は、特別なものという感じはしませんでした。すごい香りがあるわけでもないし、味にインパクトがあるわけでもない。生意気にも筋はいいかなくらいに思っていたんです。だけど、ふと気がつくと、緊張していたはずの体の力が抜けてリラックスしている。あれ、おかしいなと思って慌てて姿勢を正し、もう一度飲んでもまた同じことが起こるんです。頭で理解する前に、酒という液体が私の体と心に直接作用していた。この時、酒はおいしいだけではなく、人間の肉体と精神にまで影響を及ぼす、とんでもないものなんじゃないかと思ったんです」

お酒は「嗜好品」ではなく、「必需品」だった

この体験を機に〈神亀酒造〉の門を叩き、酒造りの道に身を置いて30数年。石川さんの哲学は、今も「おいしさ」を至上命題とする現代の価値観を静かに揺さぶります。

 

「おいしさは、あまり気にしていない。こんなことを話すと、『石川はまずい酒を造って開き直っている』といわれるんですが、本意としてはもっと大切なものがあるだろうということなんです」

 

石川さんが酒造りで重視するのは、「醗酵しきらせること」。米と水の命を、醗酵という自然の力によって酒という新たな命にきっちり生まれ変わらせる。それが酒造りの本質だといいます。

 

「醗酵しきった酒を飲むと、『食欲』が湧き、誰かと『会話』をしたくなります。お腹が空くのは、生命力が目覚めるということ。人と話したくなるのは、社会のなかで繋がろうとすること。個の生きものとして、社会的な動物として、生きようとする力が湧く。そういう力を人に与えられるのが、酒の根源的な役割だと思っています」

現代においてお酒は、あってもなくても困らない「嗜好品」とされがちです。しかし、歴史を紐解けば、「必需品」であったと石川さんは語ります。

 

「江戸時代までは、酒は人々が生きる力を回復させるための必需品でした。ところが明治以降、酒造りの技術が近代化し、きれいでおいしい酒が誰でも造れるようになると、酒は『おいしさ』を追求する嗜好品へと変化していきました。江戸時代の酒と今の酒を比べれば、圧倒的に今の方がおいしいでしょう。しかし、冠婚葬祭でさえ酒が出ないことが珍しくなくなり、人々にとって『なくてもいいもの』になってしまった。嗜好品は、より強い刺激や別の娯楽が現れれば簡単に捨てられます。選ばれなくなったら終わり。だからこそ、酒はかつてのように、生活の必需品を目指すべきなんです」

酒は設計するものではなく、育つもの

石川さんの酒造りには、いわゆる「味の設計図」が存在しません。目標とする数値や、特定の流行の味を狙って微生物をコントロールするのではなく、自然の営みに全幅の信頼を置くスタイルです。

 

「多くの造り手は『こういう味にしよう』とゴールを決め、逆算して酵母を選び、温度制御で醗酵をコントロールしていきます。しかし私は、酒造りを子育てと同じだと思っているんです。米を蒸し、麹を育て、仕込むまでは、親としての『しつけ』の段階。そこまでは徹底的に、丁寧に手を尽くします。しかし、そこから先は、微生物たちの生命力に委ねる。彼らがその年の環境のなかでどう育ち、どんな酒になりたいのかに任せる。私はただそれが全うできるよう環境を整え、見守るだけです」

 

ゴールをあらかじめ決めてしまうことは、時として造り手のエゴになりかねないと石川さんは続けます。

 

「もし私がゴールを決めて微生物をコントロールしてしまったら、それは我欲を込めた作品になってしまう。ゴールを設定しないからこそ、毎度、想像もつかないようなエネルギーを持った酒に恵まれる。現代ではデータやAIを使えば、万人が好むような『おいしい味』は再現できるでしょう。しかし、不確定要素を受け入れ、自然の力を信じて待つというプロセスから生まれる生命の輝きは、計算式からは決して生まれません。私の杜氏としての命題は、体と心に訴えられる酒を造ること。そのためには、おいしさを狙っていくんじゃなくて、ただひたすらに醗酵しきらせるために手を尽くす。狙わないからこそ、狙いを超えた酒ができると思うんです」

 

そもそも「おいしさ」とは、驚くほど曖昧なものだとも。

 

「深い井戸から汲み上げた水は、年間を通じて17〜18℃で一定です。でも真冬に触れたら温かく感じ、真夏に触れたら冷たく感じる。同じ温度なのに、人間の感覚はこれほどブレます。同じ料理でも、上司に説教されながら食べるのと、大好きな人とくつろいで食べるのとでは、まったく別物になる。つまり、酒の味は造り手が100%決めることはできない。どんなに精魂込めて造った酒でも、飲む人の状況や気持ちによって完成するんです」

石川さんが〈竹鶴酒造〉や〈月の井酒造店〉時代に造ったお酒

酵母が目覚める瞬間を待つという覚悟

そんな石川さんの酒造りを体現する製法の1つが「生酛造り」。江戸時代から受け継がれるこの手法は、空気中の乳酸菌を呼び込み、蔵に住み着く酵母の力だけでお酒を醸す、最も原始的でありながら最もダイナミックな製法です。一般的には乳酸菌や酵母を添加しても生酛造りと呼ばれますが、石川さんは乳酸菌も酵母も添加しない。柱や天井、空気中に棲みつく乳酸菌や酵母だけの力で醗酵させる、まさに生粋の生酛造りです。

 

「微生物の存在すら知られていなかった時代に、なぜこんな完璧な手法にたどり着けたのか。毎度感心しますし、今でも不思議でしかない。もちろん現代では人工的に培養された酵母を入れれば、確実に醗酵は始まります。しかし、本来の生酛造りでは、蔵にいる酵母がその年の環境のなかで増殖、醗酵するまでをただ待ち続けます」

その待つ時間は、杜氏としての感性が研ぎ澄まされる時間でもあります。液体の表面に浮かぶ小さな泡の動き、わずかな匂いの変化。そこから微生物の鼓動を感じ取ります。

 

「『醗酵しきらせる』ということは、米と水が持っていたポテンシャルを、余すことなく酒へと溶かし込むことです。そのためには、人間が余計な欲を出して小細工をしてはいけない。生酛造りは、人間を自然の大きなサイクルのなかに立ち戻らせてくれる、1つの教えのようなものかもしれません。米と水の命を酒という別の命へ変換する。そのプロセスを邪魔せず、最後まで見届けることこそが、杜氏としての責任だと思っています」

自然の醗酵に全てを委ねる。その覚悟の根拠を、石川さんはこう語ります。

 

「自分への自信なんてなくていいし、私が何者でなくたってかまわない。そこには、先人の知恵と精神、つまり伝統というものに全幅の信頼があるだけ。それを踏み外さなければ大丈夫という揺るぎない確信があるんです」

百何十年のずれを、少しだけ戻す

「伝統」という言葉を口にするとき、私たちはつい「古い形式を守ること」を想像してしまいます。しかし、石川さんは「伝統は古いものではなく、最先端である」と言い切ります。その理由は実にシンプル。今始まったものは今から古びていく。しかし伝統は10年後でも通用し、さらにその10年後でも通用する。つまり、常に先でも通用するものこそが本当の新しさだと考えています。

 

「伝統とは、ただ古いことを守ることではありません。『過去、現在、未来を通じて通用する、普遍性を持ったもの』こそが伝統です。必需品であったはずの酒が伝統の道からずれ始めたのは、明治時代。その後百何十年、嗜好品への道を歩み続けてきた。自分一代で元に戻すことは不可能ですが、方向をほんのちょっとだけでも伝統の側へ向け直したい。そうすれば、これから百何十年かかるかもしれないけど、いずれ真っ当な酒の世界に戻るかもしれない。それが今、自分が生きている役割だと思っています」

 

2026年春、石川さんは茨城県の〈月の井酒造店〉を卒業し、故郷である広島県の〈福美人酒造〉へ。新たな場所で酒造りを続けていきますが、その軸になるのは人を育てること。

 

「後進となる造り手たちに伝えたいのは、単なる技術のハウツーではありません。酒という命にどう向き合うかという姿勢です。これからの未来、世界がどれほどデジタル化し、便利になったとしても、私たちの体は相変わらず有機的な生命体のままです。だからこそ、細胞が喜ぶような、生きる力が湧きあがってくる酒や、人と人を繋ぐ酒であれば、いつの世でも欠かせないものとして求められるでしょう。1杯の酒を飲んで、『ああ、生きていてよかった』と思える。そんな普遍的な価値を、次世代へ伝えていきたいです」

【編集後記】

石川さんがお酒を造るうえで大切にされている「醗酵しきらせること」。通常にはない概念で作られていることがとにかく驚愕でした。ふだんの暮らしでコンポストで生ごみを堆肥化しているのですが、図らずも微生物の偉大さと人との関わりをここでも感じました。江戸時代に文献や研究資料などもないなかで、醸された酒により人々は時に酒を嗜み、生きる力が与えられていたのかと思うと、ああ江戸の酒を飲んでみたい。でもたぶんおいしくないのです。おいしいはあやふやなもの、でも確かに感じるもの。一緒に食べる人との繋がりや作った人への感謝の気持ち、場所や器などがすべて合わさるからこそ、おいしいを感じられるのですね。伝統は過去、現在、未来を通じて通用する普遍性を持ったもの、古びないものという視点がとても印象深く心に響きました。日本酒はどう飲んでもいい、どう味わってもいい。ただでさえ好きな日本酒をますます身近に感じました。

(未来定番研究所 内野)

晩酌に月の井をいただきました。おおらかかつ刺激的な味わいでした