もくじ

2026.04.20

人は「文脈」を食べている。文脈デザイン研究者・玉利康延さんと紐解く和食人類学。

おいしさはさまざまな要素が重なり、複合的な感覚として私たちは判断しています。何をおいしいと捉えるかは人それぞれのため、主観的でありながらどこか曖昧な感覚だともいえます。目利きたちが思う「おいしい」とは何か、これから「おいしさ」はどうなっていくのか。F.I.N.では、食と向き合う目利きとともに、5年先のおいしいのその先の価値観を探っていきます。

 

今回お話を伺うのは、文脈デザイン研究者・玉利康延さん。「和食はどこからどうやって日本列島にやってきたのか?」をテーマに研究を続け、その成果をまとめた書籍『和食人類学』を独立出版しました。私たちが普段口にしている和食とは、どこから来たものなのでしょうか。和食のルーツについて玉利さんに伺いながら、「おいしい」の正体を考えます。

 

(文:船橋麻貴)

Profile

玉利康延さん(たまり・やすのぶ)

文脈デザイン研究者、ブランドコンサルタント。1979年東京生まれ。2000年代には新しい概念を社会に実装するプロジェクトに多数携わる。文化人類学者・竹村眞一氏らと環境・社会問題に取り組み、岡山県西粟倉村では地方創生の黎明期にブランディングを手がけた。2013年『東北食べる通信』創刊に参画し、グッドデザイン賞金賞を受賞。文脈デザインの手法を確立し、〈文脈デザイン研究所〉を設立。現在は「和食人類学」をテーマに、執筆・講演・研究を行っている。今後は、日本各地に眠る風土や知恵を、次世代に繋ぐ物語として再編集する活動を構想中。効率化によって切断された文脈を繋ぎ直した事業やプロダクトを各地で広げ、人々がどう生きていくのかを問い直すきっかけをつくっている。

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私たちは何を食べている?

F.I.N.編集部

そもそも玉利さんが「和食人類学」というテーマで食を捉え直そうと思ったのは、なぜですか?

玉利さん

2010年代に『東北食べる通信』という、食べ物と生産者のストーリーをセットで届ける雑誌に携わっていたんです。私はアートディレクションとデザインと写真、編集の担当でしたが、毎月東北の農家さんや漁師さんのところに必ず取材に行っていました。それを70号まで続けたので、東北に100往復くらいはしました。

 

東北6県を巡るうちに、地域ごとの食が立体的に見えるようになってきました。例えば秋田の魚醤である「しょっつる」を取材していた時、そのルーツが東南アジアの「ナンプラー」と繋がっていることに気がついたり。和食は日本という枠に閉じたものではなく、人類学、言語学、遺伝学といった領域を横断して捉えると、人類の移動や文明の積み重ねそのものなのだとわかってきたのです。だからこそ、和食という枠だけではなく、人類そのものを捉え直す視点で食を研究しています。

玉利さんが執筆から編集、デザインまで手がけた『和食人類学』。詳細はこちら

F.I.N.編集部

そうした食を探求するなかで、「おいしい」という感覚は何によって構成されていると感じますか?

玉利さん

「おいしい」は、大きく3つの要素で構成されていると思います。1つ目は遺伝的要因、2つ目はこれまでの経験、そして3つ目が文脈や物語です。まず1つ目の遺伝的要因は、先天的なものです。味覚の傾向はある程度ここで決まっていて、変えにくい部分です。2つ目の経験は、その反対で後天的な要因。これまで何を食べてきたか、どんな体験をしてきたかによって変わります。苦手だったものが好きになることもあるでしょう。そして3つ目の文脈や物語は、誰かの体験を追体験することや、情報として知ることによって変わるもの。例えば、作り手の背景や物語を知ることで「おいしい」と感じる。特にこの3つ目が最もおいしさに紐づいているのではないかと考えています。

F.I.N.編集部

たしかに、背景を知った後に食べると、感じ方が変わることがありますよね。

玉利さん

そうですね。例えばテレビで料理を見て「おいしそう」と思うこと自体が、すでに1つのおいしい体験なんです。いわば実際に食べていなくても、物語を追体験している状態ですよね。情報は先に知る場合もあれば、食べた後に知ることもありますが、順番はどちらでもいい。一度その情報を知ると、次に食べる時には必ずその文脈込みで味わうことになります。

F.I.N.編集部

では人は、実際には「何を食べている」といえるのでしょうか?

玉利さん

遺伝という観点ではご先祖の記憶を食べているともいえますし、経験という意味では自分がこれまで積み重ねてきた好みで選んでいるともいえる。そして文脈や物語の観点でいえば、人は味だけでなく、その背景にある文脈を食べているのだと思います。つまり私たちは、食材や料理そのものだけでなく、記憶や関係性も含めて「おいしい」と感じているのです。

武蔵野台地の湧水ルートを辿るフィールドワークでの1枚

和食は「足し算」でかたちづくられてきた

F.I.N.編集部

ここからは、和食のルーツについて伺わせてください。私たちが和食と呼んでいるものは、どのようにかたちづくられてきたのでしょうか?

玉利さん

「和食=日本列島の中で完結したもの」と考えられがちですが、実際はそうではありません。日本人の遺伝子の多くは大陸から渡ってきた人たちによって構成されていて、その時に食文化も一緒に持ち込まれています。例えば、東南アジアから米と魚醤、中国から麺がやってきています。味噌文化の原点なのではないかと思われる豆味噌も、朝鮮半島の「甜醤(テンジャン)」に由来すると考えられ、現在は八丁味噌という姿で残っています。もともとは大陸から伝わった発酵技術ですが、奈良時代以降に麦を使った麹の技術が伝来し、その後、日本の風土に適応して米を使った糀の技術へと変化していきました。つまり味噌は、外から来た技術をその土地に合わせて編集し続けた結果ともいえます。さまざまな地域の食文化がこの日本列島に流れ着き、技術や文化が混ざり合いながらかたちづくられてきたものが和食なのです。

『和食人類学』に掲載されている味噌の変遷図

F.I.N.編集部

歴史のなかで、和食のあり方を大きく変えた転換点はありますか?

玉利さん

いくつかありますが、鎌倉時代に広まった禅宗の存在は大きい。精進料理に代表されるような調理方法や、出汁を生かす考え方が広がっていきました。それまでは、貴族が豊富な食材や高いカロリーに支えられた食生活を送っていたのに対し、庶民は雑穀やお粥を中心とした非常に質素な食生活だったと考えられています。そうしたなかで、禅宗の広がりを契機として、食のあり方そのものが庶民へと開かれていったのです。

 

それから、江戸時代の流通の発達もそうですね。北前船に代表される物流によって、それまで半径30 kmほどの範囲で完結していた食が、全国規模で行き来するようになります。つまり流通は、単に物を運ぶだけでなく、味覚や文化そのものを運ぶ役割を果たしていたのです。原材料が長距離を移動し、各地の特産品が生まれ、食文化同士が混ざり合っていった。そしてこの流れは、現代の百貨店や流通の原型にも繋がっていきます。こうした変化を経て、現在私たちが認識している和食の姿がかたちづくられていきました。

 

和食は「引き算の美学」とよくいわれますが、私はむしろ「足し算」だと思っています。外から来たものを、この土地の風土に合わせて編集し続けてきた文化ともいえるのです。実際、「和」という字は、調和や合わせるといった意味を持ちますし。外から入ってきたものを、日本の気候や風土に合わせて最適化していく。その積み重ねで和食はできています。明治時代以降に登場したカレーやとんかつのように、海外の料理が日本で独自に変化してきたのも、その一例です。

F.I.N.編集部

私たちは外からの文化を取り入れて、自分たちなりに変化させてきたのですね。

玉利さん

そうですね。なぜそうなるかといったら、さまざまな食や文化、人間がユーラシア大陸からやって来た際、その先に太平洋がある日本列島はこれ以上進むことができない終点だったという地理的な条件が大きい。西から日本列島に流れ着いた知恵や文化が、姿を変えながらも蓄積され続けてきたのです。

食は土地で生き抜くための「生存戦略」

F.I.N.編集部

日本列島において、地域ごとの食文化はどのように生まれていったのでしょうか?

玉利さん

土地の環境と深く関係していると思います。例えば寒い地域では、身体を温めるための温かい料理や、冬は食料がなくなってしまうので保存のきく発酵食品が発達していきます。逆に温暖な地域では、暑さによって腐らないための保存という、また違った食文化になる。つまり食は、その土地でどう生きるかという生存戦略と強く結びついているのです。

 

例えば味噌や魚醤も、その代表的な例です。もともとは大陸から伝わった発酵食品ですが、日本の環境のなかで独自に発展してきました。山間部のように食料が限られる地域では、保存がきき、栄養を補える味噌は欠かせない存在でしたが、小魚が豊富に獲れる地域ではそれを生かした魚醤作りが発達した。発酵食品は、その土地でどう生きるかという条件に応じてかたちづくられてきたものなのです。

岐阜県郡上市の郡上味噌が漬け込まれている様子

F.I.N.編集部

そういった地域性も含めて、日本の食文化はとても多様だと感じます。その背景には何があるのでしょうか?

玉利さん

やはり四季の存在、そして家庭料理の積み重ねが大きいと思います。春夏秋冬があり、日々どんどん変わる気温のなかで、「どう食べるか」を家庭内でずっと試行錯誤し続けてきた。何世代にも渡って続いてきた日々の食卓が、今の和食の多様性をつくっているのだと思います。

「おいしい」は、これからどう変わっていくのか

F.I.N.編集部

現代は、和食だけでなく世界中の料理が食べられるようになりました。「おいしい」という価値観は、これからどのように変わっていくと思いますか。

玉利さん

どうしても「おいしい」というと味覚の話に寄りがちですが、これからは環境や文化との関係性も含めたものになっていくのではないかと思っています。その食がどの土地から来たのか、どのような循環のなかで生まれたものなのか。これからの「おいしい」は、味覚だけでなく、そのような文脈ごと味わう方向へと確実に移行していくはずです。これまで私たちは、そうした文脈を知らないまま食べてきた部分も大きい。しかし、背景や文脈を知ったうえで食事を楽しむと、同じものを食べたとしてもまったく違う感覚が得られるはずです。

F.I.N.編集部

その背景や文脈を知るためには、どんな方法があるのでしょうか。

玉利さん

例えば、1人でもいいので農家さんや漁師さんと関係を持つことは、大きなきっかけになると思います。私も神奈川県の足柄の農家さんのところに月に1〜2回ほど通っていて、一緒に農作業をすることもあります。そうすると、その季節に何が採れるのか、今何がおいしいのかが、自然と身体でわかるようになってくるのです。

 

都市にいると、食の季節感はどうしても見えにくくなります。流通に乗ったものを、ただ選んで食べる感覚になりがちです。しかし、誰かとの関係性のなかで食べ物と向き合うことで、「今はこれが旬だよね」という感覚、いわば食のカレンダーが取り戻されていきます。春は山菜や新芽、夏は身体を冷やす野菜、秋冬になると根菜が増えていく。そうした季節ごとの流れも、実感として理解できるようになる。最近は四季そのものが揺らいできていますが、それに引っ張られて食の感覚まで失われていくのは、少しもったいないですよね。背景や文脈を理解していれば、その変化のなかでも自分なりに食のあり方を再構築していくことができるはずです。

玉利さんが2016年より通い続けている、神奈川県足柄平野にある「コンコントフィールド」での田植え

【編集後記】

書籍『和食人類学』のみどころの1つは、玉利さんによる「強烈な食の記憶」と題されたエッセイです。それを読むと、食べるとは味覚や知識という次元をはるかに超えて、人の記憶や内なる感覚を強く揺さぶるものなのだと実感せずにはいられませんでした。

そのような個人的感覚が国境を越えた文化の蓄積であり、食べることを通じてさまざまな時代や地域にアクセスできると考えるとその壮大さに呆然としてしまいそうです。しかし同時に、文化との繋がりを誰もが発見できるという意味で、それは大きな希望かもしれないと感じました。

(未来定番研究所 渡邉)