未来定番サロンレポート
2021.01.18
佐賀市大和町の名尾(なお)地区で、300年以上の歴史を持つ“名尾和紙”。今回取材に向かったのは、その技術を現代に受け継ぐ唯一の工房〈名尾手すき和紙〉。「昔、この地区には100を超える和紙工房が軒を連ねていたんですが、今ではもう僕らだけになっちゃいました」。そう話すのは7代目の谷口弦さん。古くから伝わる伝統を大切にしながらも、日々作品制作などに精力的に取り組んでいる谷口さんに、和紙業界の未来について、また名尾和紙の未来について、伺いました。
(撮影:中村紀世志)
「家業を継ぐ」ことの意味を模索した、大学時代。
F.I.N編集部
名尾和紙を継承する“最後の一家”に生を受けた谷口さんですが、工房を継ぐことについてもともとポジティブに考えていたんですか?
谷口弦さん(以下、谷口さん)
実は両親には直接的に「継げ」とは言われたことはないんです。ただ、幼いころから近所の人たちが僕のことを「名尾和紙の弦ちゃん」って、漫画のタイトルみたいに呼んでくるんですよね。いい意味で洗脳のような(笑)。僕自身も工房のお手伝いをすれば家族も喜んでもらえるし、ポジティブに捉えていました。だから「いつかは継ぐんだろうな」という想いは、ずっと抱えていましたね。
F.I.N編集部
高校を卒業された後は、1度実家を離れられたとか。
谷口さん
そうなんです。継ぐにしても“今すぐじゃない”というのが、家族と僕の答えでした。まずは和紙から一旦離れて、思うようにやってみようと、大阪の大学に進学しました。卒業後はアパレルの販売員として、2年ほど勤務しました。実家を離れるまでは、家業を継ぐことに対して深く考えたことはなかったんですが、いざ離れてみると“自分が和紙職人になる意味”ってなんだろう……と、すごく葛藤しました。次世代に繋げる、技術を絶やさない、ただそれだけの理由だったら、それは僕以外でもいいわけじゃないですか。
F.I.N編集部
そんな想いはいつごろまで抱えていたんですか?
谷口さん
販売員時代に、上司から「これ見てみ」といって渡されたのが、当時僕が好きだったNYのスケートボーダー兼アーティストのマーク・ゴンザレスと長崎の波佐見焼がコラボしたマグカップだったんです。波佐見はここから車で1時間くらいのところにあるんですけど、ここと同じくらいの規模の地方都市です。その波佐見とNYのアーティストが繋がっているのを見て、「こんなこともやっていいんだ!」と、なんだか一筋の光が見えたんですよね。そして偶然にもその後すぐに、実家の工房からベテラン職人が抜けることになり、急遽実家に戻ることになったんです。
F.I.N編集部
実家に戻り、修行を開始してみていかがでしたか?
谷口さん
丸2年ほどは技術を習得するのにいっぱいいっぱいの毎日でした。うちの工房では代々、和紙の原料となる梶(かじ)の木を自分たちで育てているんですけど、3年目に入ったころ、梶の木畑の肥料をまいていた時のこと。鳥がぴよぴよ〜、蝶がひらひら〜と自分の周りをのんびり舞っていて、ふと「これでいいのだろうか? いや、やばいよな」と、我に返ったんです。技術の習得だけに必死になってしまっていたということに、気づいた瞬間でした。そこから原点に立ち返り、紙にまつわる古い書物などを読み漁りました。そこで出会ったのが、“還魂紙(かんこんし)”という、江戸時代以前に存在した手すきで再生した紙でした。元々は中国語で再生という意味をもつ言葉だったんですが、中国から日本に伝えられた時に、日本人は読んで字のごとく魂もろとも還元されると捉えたといいます。なんとも日本人らしいですよね。鎌倉時代には、弔いのために遺灰を紙に漉き込んだものを還魂紙と呼んだそうですが、江戸時代になるとその風習はなくなりました。代わりに、世の中にある万物には魂が宿っているという、八百万の神の考え方が浸透し、紙にも魂は残ると考えられ、手すきで再生した紙のことを還魂紙と呼ぶようになりました。僕自身、紙を「素材」以上の意味を持ったものにしたいと思っていたので、その思いと重なり還魂紙を作りはじめました。
谷口さんが考える、「還魂紙」と「和紙」。
F.I.N編集部
最初に何を一緒に紙に漉き込んだんですか?
谷口さん
雑誌の『POPEYE』です。それからも、落ち葉やTシャツ、いろんなものでチャレンジしてみました。かつて和紙業界において別の素材を混ぜることは、御法度というか、よく思われていなかったんです。けれど、先々代の祖父はいろんな素材を混ぜて新しい和紙をつくっていましたし、先代の父はタブーとされる色づけを行いました。最後の1軒だからこそ名尾和紙の伝統を守りながらも、その伝統を派生させたり、移行させたりしていくことも大切だと思っています。
F.I.N編集部
そして立ち上げられたのが様々な技法や素材を用いて作品制作するアートコレクティブ『KMNR™』(カミナリ)なんですね。
谷口さん
はい、そうです。コンセプトはずばり「還魂紙」。想い、希望、願い……そのもの自体に宿った魂やストーリーを一緒に漉いて紙にする。そこに、現代に存在する和紙としての新たな価値を見出したんです。
F.I.N編集部
谷口さんが考える、和紙の魅力について教えてください。
谷口さん
過去からの連続性の中で存在し続けていることでしょうか。和紙に代わるものが溢れている現代で今なお誰かに必要とされ、名尾和紙が存在しているということはその連続性に自分のルーツを重ねたり、これからのことを考えるためのヒントになっているのではないかと思います。昔は当たり前にあったものが現代では意味のあるものへと変わってきている…そういうところが和紙の魅力かと思います。
F.I.N編集部
これからの名尾和紙についてはどうお考えですか?
谷口さん
やっぱりどんな新しいことに挑戦しようとも、名尾和紙としての基本というか、軸の部分はしっかり持っておこうと思います。正直、日本の和紙業界の未来!とかには興味がないんですけど、僕にとってのルーツ“名尾和紙”の手綱だけは離さず、新しいことに挑戦しても結局はそこに戻る、そんな循環を目指したいですね。
F.I.N編集部
作品づくりや、『KMNR™』の活動は、どういう位置づけなのでしょうか?
谷口さん
例えば、先代たちが積み上げてきた地層があったとしたら、そこにまったく異なる土で新しい地層を積み上げるようなことはしたくない。ではなく、雑草や花を植えるような感覚で、その花や草が年月をかけて先代の地層と混ざり合い、徐々に厚みを増していくようなイメージ。その作業が面白いんです。
目に見えない物々交換を、盛んに行いたい。
F.I.N編集部
最後に、5年先の未来についてお伺いします。これからの社会はどうなっていると思いますか?
谷口さん
今まさに僕たちは、資本主義社会の終わりのような只中にあります。だからこそこれからは「必要でないもの」に、より価値が見出されると思います。僕の言う「必要でないもの」というのは、本来的に不必要なものではなくて、これまでは必要なものと認識されていなかったもの。それこそ、自分のルーツのような気がします。いろいろな選択肢はもう十分与えられたので、これからは、“これが僕だ”みたいなものを、それぞれが見つけていくことが大切になってくるんじゃないでしょうか。
F.I.N編集部
名尾和紙の5年後はどうなっていると思いますか?
谷口さん
ある意味で名尾和紙の5年先ってもう決められていると思っています。それは梶の木の畑に肥料をまいて、和紙を作って…。そんな普遍性があるからこそ僕はどこへでも行くことができる。そして僕が出会う作品や現象そして人達とお互い刺激し合い、目に見えるものじゃない物々交換がもっと盛んになって僕自身ももっと素敵な作品を生み出せるようになっているのではないでしょうか。これは願いですけどね(笑)。
ただただ伝統を受け継ぐだけではなく、唯一無二のオリジナリティ溢れる活動をしている谷口さん。谷口さんだからこその“意味”を見つけ、名尾和紙の軸の部分は守りながらも、付加価値として追求していく――技術やプロダクトだけではなく、その姿こそが、次世代に受け継がれるべきものなのかもしれません。
谷口弦
1990年生まれ。大学で社会学を学んだ後、アパレル企業の販売員として2年働く。その後実家に戻り、和紙職人としての修行を開始。2019年1月、還魂紙をコンセプトにしたアートコレクティブ「KMNR™」を立ち上げる。
編集後記
「事業の後を継ぐ」ということについて考える際、多くは事業そのものの意義や課題に言及されます。しかし谷口さんのように「なぜ後を継ぐのが他でもなく自分でなければいけないのか?」と、事業を継ぐ個人の意味や意義に真摯に向き合っている方は、案外なかなかいなかったのではないかと思います。しかし、これはきっと家業を継ぐ人に限ったことではありません。企業に所属している人も、フリーランスで活動している人も、その仕事を他でもない自身がやる意味を突き詰めて表現することこそが、これからの未来に輝いていけるヒントのような気がします。翻って自身にも目を向け、自問するところから始めていきたいと思います。
(未来定番研究所 中島)
未来定番サロンレポート
未来定番サロンレポート
地元の見る目を変えた47人。
F.I.N.的新語辞典
未来定番サロンレポート
未来定番サロンレポート
地元の見る目を変えた47人。
F.I.N.的新語辞典