2023.10.26

わかりあう

「あたりまえの違いを感じた瞬間、その時どうしますか?」目利き5人の向き合い方。

環境、文化が違えば「普通」「常識」も違います。しかし、私たちはつい似た価値観の人たちとのコミュニティに身を置いてしまうため、自分の当たり前を疑うことをおろそかにしがちです。

 

自分と「普通」「常識」「当たり前」が異なる人に出会った時、わかりあえなさを感じた時、私たちは自分がマイノリティになり得ることを痛感します。しかし、それは世の中が多様な価値観で成り立っていることを知るチャンスでもあるのではないかとも考えました。

 

今回、さまざまな分野で活躍する目利き5人に「当たり前の違いを感じた瞬間」、そして「その違いとどう向き合っているのか」を教えてもらいました。みなさんの回答から多様な価値観と対峙するヒントを探っていきます。

 

(文:花沢亜衣)

コピーライター・阿部広太郎さん

「言葉にすることを諦めない」

Profile

阿部広太郎さん(あべ・こうたろう)

コピーライター。連続講座〈企画でメシを食っていく〉主宰。自らの仕事を「言葉の企画」と定義し、広告クリエーティブの力を拡張し、社会と向き合う「クリエーティブディレクター」を目指す。著書に『それ、勝手な決めつけかもよ? だれかの正解にしばられない「解釈」の練習』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『あの日、選ばれなかった君へ 新しい自分に生まれ変わるための7枚のメモ』(ダイヤモンド社)など。

Twitter:@KotaroA

私は、コピーライターという、言葉を生業とする仕事をしています。アウトプットするのは「言葉」です。ギリギリまで粘ることが可能といえば可能で、どこまでクオリティを追求するかは悩みどころです。とことんやりたい、検証したい、可能性を模索したい気持ちがあるものの、納期が迫る中で仕事仲間から「え、ここで言葉の修正は勘弁してほしい」という視線を感じることがあります。「むむ」と思いつつ、良くしたいという自分の気持ちが空回りしているのではないかと不安に駆られることがあります。

 

その時、私は「意図」に注目します。なぜ修正したいのか、それにより何がどう良くなるのか、その数文字の修正にどんな思いがあるのか。自分の意図を丁寧に伝えることを心がけます。「わかってくれ」という態度で接するのではなく、身近な仲間にこそ誠実に向き合い、言葉にして伝える。コピーライターとして、商品やサービスを言葉にするのはもちろん、自分の中にある思いを言葉にすることをおろそかにせずに周囲に伝え続ける。それが私にとってブレークスルーでした。

 

「人は大体わかりあえない」という思いが前提にあります。けど、たまにびっくりするくらいに繋がれることがあります。その奇跡みたいな瞬間、いわば一体感を目指すためには、すごく当たり前のことですが、感謝を伝えること。遠く離れた人だけではなく、近くの人に対してこそ言葉にすることを諦めない。丁寧に、根気強く、そして笑顔で。仕事の荒波に揉まれた時こそ、これに尽きると思っています。

歌人・上坂あゆ美さん

「そもそも世界の中心なんて存在しない」

Profile

上坂あゆ美さん(うえさか・あゆみ)

歌人、エッセイスト。1991年生まれ、静岡県出身。東京都在住。2022年2月に第一歌集『老人ホームで死ぬほどモテたい』(書肆侃侃房)を上梓。ニッポン放送『オールナイトニッポン0』で単独パーソナリティを務めるなど、メディア出演歴も多数。

以前付き合っていた恋人に「靴下を裏返しのまま洗濯するな」と注意されたことがあります。理由を聞いたら、「普通はそうするでしょ」「汚れがちゃんと落ちないから」と言われて、喧嘩になりました。

 

正直、靴下を表にして洗濯機に入れることくらいすぐできるけど、彼の言う理由がとにかく納得できなかった。「俺のこだわりで絶対に裏返しにしないでほしい」だったらすぐ納得したのに、「普通は」とか言われると途端に納得できない。本当に表に返した方が、汚れが落ちるならまだ良いけど、肉体に接してるのは靴下の内側なので本来そっちの方が汚いから裏返しのまま入れるべきなんじゃないか……と、科学的根拠のない靴下論争に発展。その他の場面でも「普通はそうするでしょ」という言葉には敏感に反論してしまいがちです。

 

自分の中にある色々な偏見や思い込みと日々闘っているから偉そうなことは言えないけど、友人がセクシャルマイノリティと世の中を繋ぐ「やる気あり美」という活動をしていて、その人が言っていた、「みんな違ってみんなキショい」という言葉はずっと心に刻まれています。「少数派の意見も大事にしよう」とかではなく「そもそも世界の中心なんて存在しないんだ」というふうに最近は思うようになってきました。「多数派」を定義するから「少数派」が生まれる。私もあなたも世界の中心にはいない。全員世界の隅っこにいる。全員キモくて、全員愛しい。それで良いじゃないかって。

〈Backpackers’ Japan〉Founder・本間貴裕さん

「三択目を見つけられた時、対立する二者は笑う」

Profile

本間貴裕さん(ほんま・たかひろ)

2010年に「あらゆる境界線を越えて、人々が集える場所を」を理念に掲げ、ゲストハウス・ホテルを運営する〈Backpackers’ Japan〉を創業。〈toco.〉〈Nui. HOSTEL & BAR LOUNGE〉〈Len〉〈CITAN〉〈K5〉をプロデュース。2019年に〈SANU〉を創業、同社Founderに就任。サーフィン、スノーボード、フライフィッシングがライフワーク。

健全に運営されるべき「会社」という組織において、タイムラインを守る・予算を守る・目標を達成するというのは当たり前に努力されるべきものです。一方で、長年空間をつくるという「ものづくり」を最優先に考えてきた自分にとって、タイムラインも予算も、誤解を恐れずに言えば二の次というもの。ただただ、良いものをつくりたい。人生を鼓舞するような、今までの世界になかったようなものをつくり出したい。常にこの葛藤が、日常の仕事の隣にあります。もっと良くしたい。しかし、時間が足りない。予算も足りない。ではここで妥協するのだろうか。資本主義、そして会社という組織と共に動くからこその大きな悩みです。

 

スピードと経済を取るか、はたまた美しさとクオリティを取るのか。一見すると二項対立に陥りやすいこの課題には、実は第三の回答が準備されています。それは、「どちらも」取ることなんじゃないかと。言うは易し。クオリティを求めるには当然ながら潤沢な時間と、その間の生活を支える資金が必要です。しかし、あえて両者を取りに行くんです。スピードもある、経済性も申し分ない。しかし、つくるプロダクトはクオリティが高く、つくり手の魂がこもっている。それを実現させるのは、もちろん簡単ではありません。しかし、チーム皆の頑張りに敬意を表しながら、両者を諦めずに取り続ける決意をする。それを継続することで、スピードと経済、そして美しさとクオリティの両立を達成する未来に、チーム全体で少しずつ近づいていくと信じています。

 

一見異なる二者、または二つの考え方が合わさる場所に、新しい時代の予感が生まれるのではないかと僕は思っています。混じるはずのなかった二者こそが、新しい未来を生む。だからこそ、意見の対立はチャンス。面倒だし、体力を使います。しかし二択の右斜め上、三択目を見つけられた時こそ、対立する二者はどちらも笑うのではないでしょうか。

Diva・ゆっきゅん

「他人は他人、そして他人からすれば自分は他人」

Profile

ゆっきゅん

1995年、岡山県生まれ。青山学院大学文学研究科比較芸術学専攻修了。サントラ系アヴァンポップユニット〈電影と少年CQ〉のメンバー。2021年よりセルフプロデュースでのソロ活動〈DIVA Project〉を本格始動。でんぱ組.incやWEST.の作詞提供、コラム執筆や映画批評、TBS Podcast『Y2K新書』出演など、あふれるJ-POP歌姫愛と自由な審美眼で活躍の幅を広げている。

私の人生や活動についてインタビューや質問を受ける時に、何か世間的にわかりやすい葛藤や乗り越え物語を期待されることがあります。私自身の実際の感情や経験とは別に、正解が存在しているような感覚。あれには、いつも困惑します。

 

とはいえ、知らない人と話すのは好きなので、その場では嘘をつかず愛想良く、そして釘を刺すように発言し、終わってから反省か後悔なんかをします。基本的に他人は他人だと思っているので、自分の普通とその人の普通が違うのはそれこそ当たり前のことと考えています。でも自分が疲れるのは良くないので、自分の今くらいの規模の知られ方でこうなら、これからもずっとこうなんだろうなあ……と半ば諦めながら、インタビュー記事に赤字で訂正を入れ続けています。

 

他者からしてみれば、相対する私自身が他者です。その想像力が大切なんだろうなと思います。他人は他人、そして他人からすれば自分は他人。と、同時に、価値観というのは、その人自身によってのみ形成されたものではないということも考えます。私は自分自身がある程度刺激的な存在であることを自覚して、人と接していきたいと思います。

作家/編集者・友田とんさん

「今、旅しているとしたらと考えれば、わかりあえなさも土産話」

Profile

友田とんさん(とんだ・とん)

作家・編集者。京都府出身、博士(理学)。自主制作書籍『『百年の孤独』を代わりに読む』を手に全国を行商したのをきっかけに、ひとり出版社〈代わりに読む人〉を立ち上げ、独立。自著『パリのガイドブックで東京の町を闊歩する1・2』のほか、『うろん紀行』、『アドルムコ会全史』、文芸雑誌『代わりに読む人』を編集・刊行。 著書に『ナンセンスな問い』(エイチアンドエスカンパニー刊)、『ふたりのアフタースクール ZINEを作って届けて、楽しく巻き込む』(共著、双子のライオン堂刊)がある。

前職で企業の研究所に勤務していた頃、初めて出席した研究発表会で質問をする際に名前と所属を名乗らずに質問したところ、「名前や所属を述べてから質問するものだよ」と周りから言われました。もともと研究していた数学の分野ではそうした慣習がなく、指摘されるまでそうしたことを疑問に思ったこともありませんでした。

 

数学の分野では、どこの「だれが」質問しているかよりも、「何を」質問していることの方が、議論を深めるためにはるかに重要だったんです。ただ、「だれが」質問しているかが重要な場面もあるのだと知った瞬間でした。分野や職を越境している者にとっては、行く先々で当たり前のカルチャーの違いに驚かされることがよくあるのです。時にはひどく叱られることもあります。最近はある程度それは仕方のないこと、すべてが自分自身の責任ではないというふうにも考えるようにしています。

 

「異なる当たり前」に直面した時は、「今、旅しているとしたら」と思うようにしています。当たり前が通じないことにこそ旅の醍醐味があります。アクシデントも面白い土産話として受け止められたりします。目の前の問題については簡単にはそうは思えないこともありますが、「これは旅だ」と考えることで、自分が何にこだわっているのかということも明らかになるような気がします。

 

もう一つの方法としては、即効性はないかもしれませんが小説(とくに外国文学)を読むことではないでしょうか?現代の日本で暮らす私には全く理解不能な人々が出てきます。そうした理解不能な人々を詳しく描写した小説を読むことは、価値観の異なる人々を理解せずに、そのまま受け止め、愛でる力をつけてくれるような気がします。