2024.03.07

「働く」の解放

ビジネス書で読み解く、「働くこと」の本質。

「自分にとって“仕事とは何か?”“働きがいとは?”」――「働くこと」の意義や価値について、自問自答したことがある人も多いのではないでしょうか。そんな悩める人に寄り添うビジネス書は、ときに励まし、ときには進むべき道を示す羅針盤になってくれる心強い存在。同時にビジネス書からは、仕事に対する私たちの価値観が浮かび上がってきます。ビジネス書から見えてくる「働くこと」に対する今と未来の価値観について、目利きたちに語り合っていただきます。

 

(文:末吉陽子/デザイン:久保悠香)

Profile

多根由希絵さん(たね・ゆきえ)

神奈川県出身。新卒でプログラマーとして勤務した後、〈日本実業出版社〉にてムック本、雑誌を担当。〈SBクリエイティブ株式会社〉では、『大人の語彙力ノート』(齋藤孝、2017)、『10年後の仕事図鑑』(落合陽一、堀江貴文共著、2018)、『1分で話せ』(伊藤羊一、2018)、『本音で生きる』(堀江貴文、2015)、『22世紀の民主主義』(成田悠輔、2022)など、ビジネス本、自己啓発本の領域で多数のヒット作を手掛ける。2023年3月より〈サンマーク出版〉勤務。

Profile

坂本海さん(さかもと・うみ)

1976年、兵庫県生まれ。同志社大学卒業後、半導体商社にて財務・人事業務に従事した後、ベンチャーキャピタルでベンチャー投資・支援業務に携わる。ビジネス書の書評サイト「bookvinegar」を立ち上げ、これまで3,000冊以上のビジネス書を紹介し、今もその数字を更新中。スタートアップのCFOも2社経験。

Profile

井上慎平さん(いのうえ・しんぺい)

1988年生まれ。京都大学総合人間学部卒業。2011年、〈ディスカヴァー・トゥエンティワン〉に入社。書店営業、広報などを経て編集者に。2017年、〈ダイヤモンド社〉に入社。2019年、ソーシャル経済メディアNewsPicksにて新レーベル「NewsPicksパブリッシング」を立ち上げる。〈NewsPicksパブリッシング〉編集長。代表的な担当書籍に、『シン・ニホン』(安宅和人、2020、NewsPicksパブリッシング)、『「学力」の経済学』(中室牧子、2015、ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『転職の思考法』(北野唯我、2018、ダイヤモンド社)など。

そもそもビジネス書ってどんな本?

多根さん

ビジネス書の領域は幅広いと思います。垂直方向と水平方向に知識を伝達するタイプもあれば、ビジネスパーソンの悩みを解決するカンフル剤のようなタイプもあります。人に与える価値として最も重要なのは、次の世の中を指し示すような役割を担っている書籍かどうかではないでしょうか。

坂本さん

専門書とビジネス書の境界は曖昧で、具体的な定義はない気がします。強いて言えば、「実務に直結する内容の本」は実用書に近く、「一般的で汎用的な範囲の内容をカバーしている本」はビジネス書寄りではないでしょうか。ビジネスに応用可能な情報が含まれていれば、ビジネス書と見なされる傾向はあるかもしれません。

井上さん

最近はビジネス書の定義が広がっていると思います。現在のようにビジネス書が一般的になったのは、勝間和代さんの書籍が登場したあたりからではないかなと。なぜ一般的になったのか、この現象の理由を自分なりに考察してみると、資本主義が広範に行き渡り、ビジネスと私生活の境目が曖昧になったからではないかと思えてくるのです。

 

例えば、「家事が面倒くさい」という感情が資本になり、時短に寄与する商品の開発というビジネスにつながっています。現代を生きる私たちの生活を、資本主義と切り離すことはできず、あらゆるものを市場から調達しなければなりません。

 

この時代において、より良い生活を追求するためには、さまざまなテーマをビジネスの観点から探求することは必然です。こうした変化を受けて、ひと昔前は、書店でもニッチな扱いだったビジネス書は、幅広い人に読まれる書籍へと幅を広げているのだと思います。

「働き方の価値観」を変えるビジネス書の特徴とは?

多根さん

働き方のお悩みに対する処方箋のような書籍や、今考えていることとは異なる視点を提供してくれる書籍ではないでしょうか。とくにコロナ禍以降は、働き方を見直す方も増えたせいか、最近は働き方の本質を追求しようという傾向が強まっていると感じています。

 

ビジネス書の編集をしていて思うのは、最近は「気づきの深さ」が重視されているということです。例えば、ビジネス書ではないですが、一昨年担当させていただいた経済学者・成田悠輔さんの著書『22世紀の民主主義』で、私は「民主主義が手綱を弱めた結果、資本主義が加速している」という着眼点に、ハッとさせられました。

 

社会やビジネスで何が起きているのか、深層部を明らかにすることは、多くの人の心を捉えると思います。働き方についても同様で、その言葉で感動したり心が動いたりと、共感を引き起こすビジネス書は、働き方の価値観にも影響を与えるのではないでしょうか。

『22世紀の民主主義』(成田悠輔、2022、SBクリエイティブ)

坂本さん

働き方に関する代表的なビジネス書を、過去20年間分ほど振り返ってみたところ、2つの主要なテーマが浮かび上がってきました。

 

1つ目は「自由で自分らしく働く」。元祖とも言えるのが、2002年に発刊された『フリーエージェント社会の到来 組織に雇われない新しい働き方』。会社から脱して働くという自由な価値観は、ノマドワーカーやFIRE(早期リタイヤ)などのブームにも継承されているように思います。

 

2つ目は「食えるか食えないか」。これは働き方を考える上で重要な要素です。少し前までは、グローバル化を背景に、コストの低い地域に仕事を取られ「先進国で暮らす人が食えなくなる可能性」に焦点を当てた書籍が多く見られました。一方、最近は「AIで仕事がなくなる」といったテーマが増えています。それと関連してか、リスキリングの必要性を訴える書籍が増えています。

 

この2つのベクトルを縦軸横軸にすると、「自由/自分らしさ・会社員」「食える・食えない」の4象限マトリクスになります。多種多様なビジネス書が存在しますが、その多くはこのマトリクスに分類されると考えられます。

 

しかし、働き方の価値観の多様化に比例するかのように、最近は「自由・自分らしさ」に分類されるビジネス書が多いように感じます。以前は、出世する方法など画一的な目標設定と、その目標を達成するためにどのように仕事をこなすかを示した書籍が売れていました。

 

象徴的なのは『山奥ビジネス 一流の田舎を創造する』です。地方に移住した人がどのようにビジネスをしているかを取材し、事例としてまとめている新書で、読んでみると、さまざまな背景を持つ移住者たちが、普通の会社に入るという一般的な選択肢とは異なる価値観で事業を立ち上げたことが分かります。

左:『フリーエージェント社会の到来 組織に雇われない新しい働き方』(ダニエル・ピンク、2014、ダイヤモンド社)、右:『山奥ビジネス―一流の田舎を創造する―』(藻谷ゆかり、2022、新潮社)

井上さん

ビジネス書は個人の働き方に意味づけをするためにこそ存在する、とも言えるのではないでしょうか。お金の稼ぎ方にはさまざまな方法があり、善い稼ぎ方もあれば悪い稼ぎ方もあります。しかし、お金を単純な数字だと考えれば、善し悪しの区別はつきません。では、自分の給料が数字で返ってくるだけで良いのかというと、満足できない人が多いのではないでしょうか。

 

優秀なビジネスパーソンほど、数字で評価される労働のプロセスに対して「自分の人生に色を添えるものであってほしい」と願うものです。その願望に応えてくれるビジネス書こそ、その人にとっての働き方の価値観を変える存在になり得るのだと思います。一方、意味づけすることの楽しさもあれば、意味づけしなければ、ハードワークできない苦しさを抱えている人もいるでしょう。その苦しさに寄り添うことで、読者の働き方の価値観を変えることも、ビジネス書が存在する意義ではないでしょうか。

自分自身が影響を受けたビジネス書は?

多根由希絵さん

『生き方』(稲盛和夫、2004、サンマーク出版)

2つの世界的大企業――京セラとKDDIを創業し、JALの経営再建を成し遂げた当代随一の経営者である著者が、その成功の礎となった実践哲学をあますところなく語りつくした人生論の〝決定版〟

ビジネス書のバイブルとも言われる書籍です。人間として大事なことと、ビジネスの考え方を結びつけているところが、長く愛されてきた理由だと思います。仕事をする上で「自分のエゴで行動していないか」「本当に世の中に貢献できるかどうか」を考える大切さを教えてくれました。これまで、そのメッセージに背中を押されることがたくさんありました。

坂本海さん

『ネクスト・ソサエティ 歴史が見たことのない未来がはじまる』(ピーター・F・ドラッカー、2002、ダイヤモンド社)

マネジメントの大家、ドラッカーによる未来予測。世界は大きく変貌を遂げようとしていた2002年当時、それまでは経済が社会を動かす原動力だったが、これからは社会の変化が経済を大きく変えると説き、そうした変化によってどんな時代がやってくるのかを描いた。

この本には、知識社会の台頭で個人に知識が帰属する社会が訪れると述べ、すべての人がフリーランスになり、伝統的な組織である「会社」が存在しなくなると予想しています。それから約20年、その予想通りの方向に社会が動いているように感じます。

 

私が社会人デビューした1999年は就職氷河期で、生計を立てるためには手に職をつけなければならないというプレッシャーがありました。それもあって、ドラッカーの予言は実感をともなうもので、影響を受けました。会社に帰属して言われるままに動くのではなく、個人がイノベートしていかないと駄目だというメッセージは、当時の自分に響きました。実際に現在、会社よりも個人がますます力を持つようになった潮流を感じます。

井上慎平さん

『安心社会から信頼社会へ 日本型システムの行方』(山岸俊男、1999、中央公論新社)

リストラ、転職、キレる若者たち。集団主義的な「安心社会」の解体はどのような社会をもたらそうとしているのか。社会心理学の実験手法と進化ゲーム理論を併用し、新しい環境への適応戦略としての社会的知性の展開と、開かれた信頼社会の構築をめざす、社会科学的文明論であり、斬新な「日本文化論」。

私が編集者になったばかりの頃に読んだものです。簡単に説明すると、「安心社会は村社会のようなものであり、身内には優しいが見知らぬ他者は信頼しない構造である。一方で信頼社会は、見知らぬ他者にも信頼を寄せる社会である」と主張した本です。1999年発行の本ですが、「今後、安心社会ではビジネスが成り立たなくなる」という警告も発せられています。

 

現在は転職が比較的カジュアルになっていますが、少し前まで会社を裏切るようなネガティブなことでした。まさに安心社会で起きるようなことが起きていたと思います。私も自分の転職でそのことを実感したので、2018年に『転職の思考法』という本を企画しました。

 

それから、6年経った2023年に『キャリアづくりの教科書』を出版。この本では、年収が上がるか下がるかのような切り口ではなく、会社でどう頑張るのか、プロジェクト型の働き方になったときに、それに合わせて自分を売り込むための手法や、具体的なアプローチについても多くの内容を詳細に紹介しています。長い時間を経て、働き方、少なくともどこの場所で働くかということに関しては、変化していると感じます。

左:『転職の思考法』(北野唯我、2018、ダイヤモンド社)、右:『キャリアづくりの教科書』(徳谷智史、2023、NewsPicksパブリッシング)

5年先の未来、「働く」の価値観はどう変化している?

多根さん

社会が変化するスピードが速いので、5年先を予想するのはかなり難しいです。例えば、2023年12月から2024年1月はお金に関する本が非常に売れました。それは新NISAの影響もあったと思います。では、半年後も同じようにお金に関する本が売れているかというと、分かりません。

 

ある起業家の方と話す機会があり、「『何になりたいかよりも、どういう社会にしたいか』という考えを持っているとよいのではないか」という話になりました。個人を主軸に、働き方や、社会との結びつき方を見直していく流れも出てくるのかもしれません。

坂本さん

働き方の未来は、AIの進化が鍵を握ると予測されています。そうなると、働き方の柔軟性が増す一方で、変化の波に乗れた人と乗れなかった人の格差や、エッセンシャルワーカーのように働かざるを得ない人たちとの二極化が広がる可能性があります。

 

こうした社会の階層化に応じて、波に乗るためのビジネス書、波に乗れなかった時にどうするかを指南するビジネス書など、各個人が置かれているポジションに向けたビジネス書や、そもそも働くことの本質を問うビジネス書が増えるのではないでしょうか。

井上さん

今、〈NewsPicksパブリッシング〉では、労働力の供給が制約されている社会をテーマにしたビジネス書をつくっています。例えば、建築業はAIの関与が限定的で、「釘を打つ」などのアナログな作業には人手が欠かせません。しかし、アナログな作業者が急激に減少しており、需要が高まっている状況です。多くの人はITスキルやリーダーシップマネジメントなどに焦点を当ててリスキリングしている中で、アナログな分野の価値は軽視されがちです。

 

5年先の未来は、このような状況が顕著になるはずです。すでにアナログの価値が上がっていることや、逆にAIがアナログでないものの価値を下げていることを察知しているビジネスパーソンも多いのではないでしょうか。ゆえに、今後はアナログの重要性を再定義し、アナログの価値を見直す書籍が増えていくような気がしています。

※凡例:『書籍名』(著者名、初版)

【編集後記】

この取材を通して、ビジネス書は単なるビジネスのノウハウを得るだけでなく、個人の生活や社会などに対して影響を及ぼしているということ、今後はそもそも働くことについての本質の追求が大切な意味を持ち、書籍にもその役割が広く深く求められてきそうだということが見えてきました。

動画コンテンツなど短い時間にさくっと見ることができるコンテンツは益々増加しているなかではありますが、今回皆様のお話を聞いて、生きていく上での示唆を与えてくれる書籍からの学びの機会は益々増やしたいと思っています。

(未来定番研究所 榎)