2024.11.01

メイドインジャパンを継ぐ人。

第7回| 中量生産品にデザインをかけ合わせて次世代へ。手工業デザイナーの大治将典さん。

近年衰退傾向にあるとされているメイドインジャパンプロダクトの魅力をたずね、それを継ぐ人の価値観を探る連載企画「メイドインジャパンを継ぐ人」。第7回にご登場いただくのは、〈Oji & Design〉代表で手工業デザイナーの大治将典さん。20年近く前から地場産業に向き合い、適量生産のものづくりに取り組んでいます。そんな大治さんに、メイドインジャパンの今とこれからを伺います。

 

(文:船橋麻貴/写真:大崎あゆみ)

Profile

大治将典さん(おおじ・まさのり)

手工業デザイナー・〈Oji & Design〉代表。1974年広島県生まれ。建築設計事務所、グラフィックデザイン事務所を経て、2007年に〈Oji & Design〉を設立。日本のさまざまな手工業品をデザインし、それら製品群のブランディングや付随するグラフィックなどを統合的に手がける。2011年に〈ててて協働組合〉を共同設立、現在は相談役に。手工業品の生い立ちを踏まえ、行く末を見据えながら適量生産のものづくりに取り組んでいる。

https://o-ji.jp/

一過性のものではなく、残り続けるプロダクトを作る

地域に入り込み、そこでものづくりするメーカーや作り手と一緒に、暮らしの道具を生み出している手工業デザイナーの大治将典さん。もともとグラフィックデザインをしていた大治さんがものづくりに関わり始めたのは、今から20年近く前のこと。秋田県の伝統的工芸品「大館曲げわっぱ」を作る〈柴田慶信商店〉との出会いがそのきっかけの1つになります。

 

「カタログなどグラフィックデザインを担当することになっていたんですけど、もともと建築を学んでいたこともあって、平面のその先ばかりが気になってしまって。プロダクトのデザインをどうしてもやりたくて、自分なら曲げわっぱで何を作るかを考え、段ボールや紙で模型を作って工房まで持っていったんです。だけど、実際に曲げわっぱを手にし、社長や職人さんたちと話していたら、僕が持ってきた模型は全く成立するものではなかった。その時に、曲げわっぱの材料になる秋田杉は蒸気を適度に吸い、抗菌作用があることを教わったんです。それで曲げわっぱのおひつの蓋をひっくり返して使えば、パン皿にも応用できるのではと思って、その場で提案しました」

〈柴田慶信商店〉と一緒に作った「マゲワ パン皿」

こうして生まれた「マゲワ パン皿」を発端に、大治さんは日本各地の作り手の思いや意向を聞き、一緒になってものづくりをするように。産地に入り込んで感じた課題は、作り手がデザイナーに抱くある種の不信感でした。

 

「産地にはデザインに対するアレルギーがあるように感じました。おそらく1970〜1980年代頃に、著名なデザイナーが国の事業などで地域のプロダクトを作るのが流行ったことが起因しているのではないかと。アーティスティックな作品は一時的に話題になるけど、継続的な利益には繋がらなかった。デザインに懐疑的になるのは当然ですよね。だから自分は作って終わりの一過性のものじゃなくて、その先も残り続けるようなものづくりをしようと思いました」

ただただ目の前の人を幸せにしたい

産地と一緒にものづくりをする大治さんの名が広く知られるようになったのは、富山県高岡市にある真鍮鋳物メーカー〈二上(ふたがみ)〉との共創。当時、仏具メーカーとして真鍮製仏具を作っていた〈二上〉に大治さんが提案したのは、業界では御法度ともいえる素材感を生かした新たなプロダクトでした。

 

「研磨や着色によってピカピカに仕上げるのが真鍮製仏具の基本でしたが、僕としては型から出した時のザラッとした表面がカッコよかった。表面処理をしないことで起こる色の変化や1個1個の違いに対する懸念はもちろんありましたけど、〈二上〉もそのリスクを取って挑戦する道を選んでくれました」

〈二上〉は2009年より生活用品ブランド〈FUTAGAMI〉をスタート

大治さんが手がけた〈FUTAGAMI〉の栓抜き「三日月」「日食」「枠」

従来では取り入れないような技法を使い、これまでにない新たなプロダクトを生み出せたのは、大治さんが作り手とのいい距離感を築けていたから。

 

「とにかく一緒に飲むんですよ(笑)。僕もそうだけど向こうとしても、話を深く交わせるような気の合う人とだけ仕事をした方がいい。だって、作り手がデザイナーに気を使って異論を唱えられず、この先作り続けられないものを生み出してしまったら、プロダクトはもちろん、素材や技術も残っていかないじゃないですか。僕との関係がなくなったら作るのをやめてしまう可能性も高い。そうならないよう両者で一緒に考え、アイデアを育てていきながら、作り手自身が作り続けたいと思えるようなものづくりをしていきたい。そっちの方がクオリティーも上がるし、思いもこもる。そう考えると、ものづくりって子育てみたいですね」

 

こうして大治さんがメーカーや作り手とタッグを組んで作ったプロダクトは、国内外から大きな反響を呼びます。若手職人を輩出したり、地域の新たな名産を生み出したりと、地域活性化にも貢献。ところが、大治さんは「そんな大それたものじゃないですよ」とやわらかな口調で話します。

 

「地域に可能性を感じたとか、工芸を活性化させたかったとか、そういうことは全く意識していないんです。僕の場合、たまたま出会った人が地域にいただけというか。20年近く前、生産者の代行として販売を行う産地問屋の力が弱くなって、地域のメーカーの仕事も減っていました。自分の目の前にいるそんなメーカーの人たちの力になりたかったし、ただただ幸せにしたかった。結果的に地域の活性化に繋がったのかもしれませんが、人生ってそんなものじゃないですか」

大治さんの自宅兼事務所には、これまで制作したプロダクトが並ぶ

苦境に立たされても、ものづくりの力を信じて

2011年、大治さんは〈ててて協働組合〉を共同設立。それまでクラフト品と呼ばれていた製品を「手工業・中量生産品」と再定義し、翌年に作り手・伝え手・使い手を繋ぐ展示会「ててて見本市」を立ち上げます。当初の出店数は20社ほどでしたが、現在では100社を超えるまでに。

 

「手仕事を大切にしながらマスゾーンに向けたものづくりをしてくれた〈中川政七商店〉さんをはじめ、個々の作り手のこだわりが高い〈ててて〉に関わる人たちのお陰もあって、この10年ほどで日本の手工業的なものが一般化されたと思います。なぜ『手工業・中量生産品』が受け入れられたかと言うと、大量生産の時代を経た今、ものの価値は用が足りるだけではなくなったから。結局、ものには使う人の心が宿るので、買い手側もものが生まれる背景や物語も大切にしたいと思うようになったのだと思います」

大治さんが手がけたメーカーは、〈四十沢木材工芸〉、〈CANO〉、〈JICON〉、〈高橋工芸〉、〈掃印〉など多数

現在ではものの価値が見直されたものの、「手工業・中量生産品」は苦境に立たされていると大治さんは続けます。

 

「大量生産品と比べたら値段は高いし、作家の作品と比べたら希少性も少ない。その中間的な存在である『手工業・中量生産品』はどんどん減ってきています。なかでも深刻なのが、若い作り手の減少。人口が減っているので増やすことは難しいかもしれませんが、現状維持のまま、または微減しながらやっていくには、地域や作り手のコミュニティへの貢献度の高さや楽しさをいかに伝えられるかどうか。それはただお金を稼ぐ仕事ではなく、ものづくりを繋ぐ意義や誇りや仲間との連帯感。こういう魅力を伝えることができたら、作り手の減少を食い止められるような気がします」

今春始動した〈IPPA〉のペンダントライト。井波彫刻の代表的なモチーフ「雲」がデザインされている

地方の伝統産業はどこも危機的状況にある中、2024年春、大治さんは伝統工芸品「井波彫刻」で知られる富山県南砺市井波で職人集団〈IPPA(いっぱ)〉を創設。日本有数の木彫刻の産地で職人たちとコミュニティを形成し、自らもその一員として新たなものづくりに挑んでいます。

 

「大量生産ができない1点ものベースの産業を、デザイナーが関わることでどうにか次世代に残せないかと職人たちと一緒に奮闘しています。この先、メイドインジャパンのプロダクトがどうなるかはわからないですが、僕は日本の工芸に宿る繊細さと力強さの近くにずっといたいし、その一員となってものづくりをしていきたい。どうやったらものを長く愛してもらえて、残していけるか。そういうことを考えながら、ものづくりをする人と一緒に幸せになっていきたいですね」

【編集後記】

今回取材をさせていただき、最も感じたのは大治さんのものと人に対する大きな愛情です。人々に愛されるものづくりをしたい、ただただ目の前の人に幸せになってほしいという大治さんの素敵な人柄に私も引き込まれました。 そして、作り手の方々と共に心の底から作りたいと思えるものを探求し続けていることが、自然と手にした人にも伝わるからこそ、時を経ても色褪せず、愛され続ける魅力的な製品が生まれているのだということを教えていただきました。

(未来定番研究所 榎)

もくじ

関連する記事を見る