F.I.N.を運営する〈未来定番研究所〉は、2017年3月の設立以来、「5年先の未来定番生活を提案する」をテーマに探求を続けてきました。移り変わる社会の中で、何が受け継がれ、どんな価値観が次の時代に根づいていくのか。その問いに向き合い続けてきたからこそ、今改めて「定番」の姿に光を当てます。
時代を越えて信頼され、繰り返し選ばれてきた定番。かつては「みんなの当たり前」として存在してきましたが、生活スタイルや価値観の多様化により、その佇まいは少しずつ変わり始めています。それでもなお、繰り返し選ばれ、長く使われ、日々の中で育まれていくものは、確かに存在します。定番は、どのように生まれ、どう変化し、どこへ向かうのか。F.I.N.では、定番の正体を探りながら、その存在意義を見つめ直します。
今回着目するのは、「流行」と「定番」の境界線。一時のブームで終わるものと、長く暮らしに根づくもの。その違いはどこにあるのでしょうか。生活史研究家・阿古真理さんとともに、私たちの生活に息づく定番化の実例を辿りながら、定番の正体に迫ります。
(文:船橋麻貴/写真:米山典子)
阿古真理さん(あこ・まり)
作家・生活史研究家。1968年兵庫県生まれ。神戸女学院大学文学部卒業。女性の生き方や家族、食、暮らしをテーマに執筆。著書に『平成・令和 食ブーム総ざらい』(集英社インターナショナル)、『日本外食全史』(亜紀書房)、『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた』(幻冬舎)など。月刊誌『青春と読書』(集英社)で、「ウォーカブルでいこう!」を連載中。
ティラミス、ナタデココ、マリトッツォ。
なぜ、「流行」は「定番」になるのか
F.I.N.編集部
今回の特集では、「流行が定番になる」ケースにも注目しています。阿古さんが生活史をご研究されるなかで、流行が定番になることはよく見受けられますか?
阿古さん
ありますね。例えば、ティラミスがそうですよね。元々はイタリアで誕生したデザートですが、ブームの火付け役となったのは雑誌『Hanako』。メーカー側の仕掛けも後押しとなり、1990年代初頭に流行し、イタリアンレストランのデザートとして根付いていきました。今やカフェやケーキ屋さんの定番スイーツとなっていますよね。
F.I.N.編集部
1990年代初頭には、ナタデココも同じように流行りましたよね。でも最近、あまり姿を見ないような……?
阿古さん
ナタデココは今もゼリーの中に入っていたりして、実は定番素材として生き残っているんですよ。でも、ゼリーを買わない人には「もう消えた」と思われているかもしれない(笑)。消えたように見えて生き残っている流行の食品って、意外と多いんですよ。
F.I.N.編集部
大きなブームが去ったあとも、姿を変えて生活に根づいていく、と。流行が定着する要因は、何かあるのでしょうか?
阿古さん
ティラミスでいえば、まとめて仕込めるし、スタイリングに神経質にならなくてもいいからお店側も扱いやすい。それから供給体制が整っているかどうかも大切。ティラミスブームでチーズのマスカルポーネが一時足りなくなったときは、類似品で代替して供給を保ったという話もあります。つまり、どれだけ人々が熱を持っていても供給が追いつかなければ、そこで止まってしまう。反対に、ちょっとブームが去っても供給が安定していれば、細く長く残って定番となりやすいと思います。
F.I.N.編集部
製造工程や供給体制が関係しているのですね。一方で、流行したもののなかで定着しきらなかったものもありますか?
阿古さん
マリトッツォがいい例です。2021年頃に流行したけど、今はあまり見かけなくなりましたよね。その要因は、マリトッツォの独特な食感や形状にあるかもしれません。日本では自由度が高まりすぎたことも大きい。本来、マリトッツォはブリオッシュ生地に生クリームを挟んだものですが、日本では具材や生地をアレンジした「進化系」が多く登場した。「何が本来の姿か」がぼやけてしまったことが、定番化しなかった要因になっているように思います。それに、クリームを挟んだ菓子パンなら、日本にもコッペパンなどいくつもあるので、「別にマリトッツォでなくても」と消費者が飽きてしまったのかもしれません。
F.I.N.編集部
「自由化しすぎて何かわからなくなる」ことが、定番化を遠ざける要因となり得るのですね。
阿古さん
あと、定番化を遠ざける要因となるのは、「時期尚早」。例えばビーツは1950年代に紹介されましたが、その時は一般に受け入れられなかった。だけどカラフルな野菜が増え、サラダブームも経たこの10年で、時代の気分と合って受け入れられています。定番になるかどうかは、時代性と大衆の動向に左右されるんです。
何度か流行することで、定番になるという事例もあります。カヌレやエッグタルトなどは1990年代に「ポスト・ティラミス」として登場したスイーツでしたが、最近またブームが起きて専門店も増えました。流行が2、3回くらい訪れると、定番になっていく傾向があるような気がします。
「家事代行」「ていねいな暮らし」。
ライフスタイルの変化とメディアの力
F.I.N.編集部
ライフスタイルにも定番があると思いますが、阿古さんが最近感じている傾向はありますか?
阿古さん
ここ数年で、「家事代行」サービスが当たり前の存在になりましたよね。昔は家政婦さんの存在がありましたが、高度経済成長期になると所得格差の減少や家電の普及によって、専業主婦が家事を一手に引き受ける家庭が増えていきました。しかし、その専業主婦が当たり前という時代は意外と短くて、1970年代がピークだったんです。そこからは共働き世帯が増えていき、家事を外注するニーズが出てくるんですけど、長らく「自分でやるのが当然」という空気が残っていて、なかなか定着しませんでした。その風向きを変えたのは、2016年に放送されたドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)です。専業主婦の家事の値段を可視化した内閣府の統計を持ち出したり、結婚をビジネスの概念で捉えるなどして話題になりましたが、このドラマがヒットしたから家事代行という選択肢が生活に加わり、一気に浸透していきました。
F.I.N.編集部
家事代行などのサービスも、ドラマやメディアの後押しで定番になっていくのですね。
阿古さん
2017年頃に「伝説の家政婦」としてメディアに登場した、タサン志麻さんの存在も象徴的ですよね。志麻さんの人物像が世の中に受け入れられたことで、「外に頼るのもアリなんだ」という認識が広がっていったんです。メディアやSNSで話題になることで、生活者の新たな選択肢になるという流れは多いです。
阿古さんは食や暮らしのほか、女性の生き方なども題材に執筆している
F.I.N.編集部
やはり、メディアやSNSの力が大きいのですね。
阿古さん
はい。そんなメディアの影響を受け、今新たな局面を迎えているのが「ていねいな暮らし」だと思います。2000年代に登場したライフスタイル誌『ku:nel(クウネル)』『天然生活』『リンネル』などでも、日々の暮らしを大切にするような実践方法を紹介していましたが、『暮しの手帖』の編集長だった松浦弥太郎さんのエッセイ集が大きなきっかけとなり、ブームになりました。ところが、2010年代半ばくらいかな。共働き世帯が増えて、家事を楽にしたいというムードが強くなった時期に、「保存食づくり」や「手仕事」などを取り入れる「ていねいな暮らし」を語るのがはばかられる空気感があったんです。
しかし2025年の今、病気になった主人公が薬膳や周囲の助けによって元気を取り戻していくドラマ『しあわせは食べて寝て待て』(NHK)のヒットもあって、風向きがまた少し変わり始めています。例えば、梅仕事や発酵食といった手仕事は「余裕がある人のもの」ではなくて、身体のために「自然に生活に取り入れたい」という風に捉え直されつつあるように感じます。
F.I.N.編集部
今、「ていねいな暮らし」に対して再評価が起きているのでしょうか?
阿古さん
というより、結局は生活者の気分なんだと思います。私も含め、気まぐれな消費者というか(笑)。何がいいと感じられるかは、その時代の空気感や生活のテンションで変わる。例えば景気が悪いと「手作りで暮らしを大切にしよう」という流れが出てくることもあるし、逆に「少しでも手を抜きたい」という欲望が強まることもある。だから、流行や定番は単に商品やサービスの問題だけじゃなくて、社会的な背景とセットなんです。
皆のものから、自分のものへ。
その人らしい選択が定番になる時代
F.I.N.編集部
阿古さんは生活史を見つめてこられて、「定番」という言葉の意味に変化を感じますか?
阿古真理さん
そうですね。昔の定番って、「誰もが知っていて、皆が持っているもの」だったと思うんです。ボーダーのカットソーとか、ジーンズとか。でも今はメディアが複雑化・多元化しているので、「それぞれが自分の生活に合った定番を持っている」という時代なんじゃないでしょうか。
F.I.N.編集部
個人の定番という考え方ですね。
阿古さん
はい。東京土産にしても、私は「近所のお菓子屋さんのもの」が定番。そこにストーリーがあるし、自分の生活圏と繋がっている。人それぞれの経験や好みによって、定番はどんどん個別化していく。だからこそ、今は「皆が使っているから」という理由では選ばれないんです。
F.I.N.編集部
そうしたなかで、定番になっていくものを見つけるヒントはあるのでしょうか?
阿古さん
実は廃れてしまったもののなかに、定番になる種があることが多いんですよ。例えば着物。私が子供の頃は、祖母の世代の人たちが普段着として着ていましたが、だんだん着られなくなっていった。でも、しばらくしてから再発見されてメディアが後押しすることで、レンタル着物や簡単に着られる工夫が広がった。一度は姿を消してしまうけど、後になって評価が高まる、そんな流れも少なくありません。
F.I.N.編集部
一度忘れられても、改めて出会い直すことがある、と。
阿古さん
そうそう。民藝もそうですよね。元々は日常の雑器だったのに、柳宗悦が「美術品に負けない美しさがある」と言い出したことで、価値が新たに見出された。生活者の民藝の見方も変わりましたね。
F.I.N.編集部
ではこの先、定番はどう変わっていくと思いますか?
阿古さん
今、定番の定義が見えづらくなっていると思うので、この先はもっと自由になっていくんじゃないでしょうか。誰かと共有するものというより、自分にとって大切なものが定番になるような。いわゆる「みんなの定番」じゃなくて、「私の定番」がより当たり前になっていくかもしれませんね。
【編集後記】
過去の実例に基づいたお話を伺い、流行が定番化されるには必要な条件がいくつかあり、また世相に左右されるところもあるということに一筋縄ではいかない面白さを感じました。定番というと時代や世代を超えて共有されるモノというイメージがありましたが、阿古さんのお話のなかで「今後定番の定義がもっと自由になって、『みんなの定番』ではなく『私の定番』がより当たり前になっていくかもしれない」とおっしゃっていたのが印象的でした。ライフスタイルも情報収集の仕方も人それぞれだからこそ、個人の経験や実感を通して私も自分なりの定番を探してみたいと思います。
(未来定番研究所 高林)