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2025.09.15

第41回| 人を運び、人を繋ぎ、そして福島の魅力を届ける。〈孫の手トラベル〉山口松之進さん。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第41回にご登場いただくのは、福島県郡山市で旅行会社〈孫の手トラベル〉を経営する山口松之進さん。家業であるタクシー会社に入社後、介護タクシーや観光事業などにも挑戦。タクシー会社ならではの知見と経験を生かし、地元の課題解決に取り組んでいます。2016年からスタートした、地元の生産者の畑を舞台に、その場で採れた食材を使った料理を楽しむ青空レストラン「FoodCamp」も注目を集めています。

 

(文:宮原沙紀)

Profile

山口松之進さん(やまぐち・しょうのしん)

1970年福島県生まれ。〈孫の手トラベル〉代表取締役。福島県立安積高校を卒業後、早稲田大学に進学。大学卒業後に東京の不動産会社に5年勤務する。その後、福島県に戻り実家の〈山口タクシーグループ〉に入社。地域密着型の旅行会社〈孫の手トラベル〉を立ち上げ、タクシー送迎付きのバスツアーや、福島を丸ごと味わうアウトドアレストランツアー「FoodCamp」 を企画する。2018年には、『「新しい東北」産業復興事例 復興大臣顕彰』を受賞。

Uターンで直面した、タクシー経営の難しさ

福島県郡山市で生まれ育った山口松之進さん。実家はタクシー会社や不動産業、コンビニなどさまざまな事業を展開するグループ企業を営んでいました。幼い頃から会社が遊び場だった山口さんにとって、事業を継ぐことはとても自然なことだったといいます。

 

「大学を出て東京の会社で5年働き、27歳の時に実家の会社へ戻りました。バブルが弾けて数年経ち、景気は悪くなる一方だったあの頃はまさに『失われた30年』の始まりの時期。会社はグループ全体で14社あったのですが、そのうち12社が赤字という状況で、まさか会社がそんな状況だったとはまったく知りませんでした」

 

会社の基盤でもあったタクシーの会社も赤字だったため、なんとか策を講じなければと考えている時に介護タクシーの存在を知りました。

 

「2002年にタクシーの規制緩和が始まることが決まっていました。条件さえそろえば誰でも参入ができるようになるという状況のなかで、なんとかしなければという危機感がありました。その時に知ったのが介護タクシーです。私たちのお客さんにはご高齢の方が多かったので、その方たちが喜んでいただけることはないか、と思いました」

 

これからの高齢化社会において、介護タクシーは社会的な必要性がますます高まっていくと感じた山口さん。交通のプロとして自分たちが担うべき仕事だと確信し、40名の社員とともに介護ヘルパー2級の資格を取得。介護タクシー事業を立ち上げました。

なかなか旅行に行けない人のためのツアー会社〈孫の手トラベル〉

当時、介護保険の契約業務を担当していた山口さんは、毎日のように地域の家庭を訪問していました。

 

「家に入ると、その人の趣味や暮らしぶりが見えてきます。なかには家族同士でもまったく会話がない家庭や、殺伐とした雰囲気の家庭も多くありました。旅行に行きたい気持ちはあっても足がなかったり、家族に頼めなかったりして諦めてしまっている人がたくさんいると気づいたんです。春に桜を見に行きたいと思っても、それが叶わない人が地域には数多くいるという現実を知りました」

 

その経験から生まれたのが、旅行に行きたくても行けない人を外へ連れ出すツアーでした。郡山市内にお住まいなら、タクシーで自宅へ迎えに行き、自宅へ送り届ける日帰りバス旅行ツアーの仕組み。介護タクシーの経験があったからこそ思いついたアイデアです。そのために2008年に立ち上げたのが旅行会社〈孫の手トラベル〉です。

 

「私たちは毎日街を走るタクシー会社。だからこそ、おいしいお店や楽しいスポットをよく知っています。そんな自分たちの人脈や情報網を生かしてツアーをつくれば、きっと喜んでもらえると思いました。自分たちが実際に食べておいしいと感じたもの、見てよかったと感じた場所を伝えることを心がけました」

 

「送迎付きのサービスが助かる」「ツアーの内容が楽しい」「毎回食事がおいしい」「1人でも気軽に参加できる」と参加者からの声も多く、今ではリピーター率は約70%にも達しています。利用回数が最も多い人は、これまでに180回もツアーに参加しているというから驚きです。

福島県の食のおいしさと安全を実感してもらう「FoodCamp」

2011年、東日本大震災と原子力発電所の事故により、福島県は深刻な風評被害に苦しみました。農作物も「汚染されているのではないか」と疑われ、多くの生産者が打撃を受けます。

 

「福島の農家の方々と親しくしているので、震災以降の苦労をずっと見てきました。お話を伺うと、食の安全について本当に真剣に考えていて、科学的な知見に基づき安全性を立証されていたんです。地元には素晴らしい生産者がたくさんいて、おいしい食材も豊富にある。生産者の話を聞きながら実際に畑で食べたとうもろこしの甘さ、ナスのみずみずしさに感動しました。その体験を多くの人に伝えたいと思ったんです。生産者の声を直接聞き、味わってもらうことで、安全への理解が深まり安心して、生産者との距離も縮まるはず。それを実現したいと考えました」

 

そこで始めた取り組みが「FoodCamp」です。福島県内の生産者の畑に行って、お話を聞き、シェフに採れたての食材を使って料理してもらう。その日限りのアウトドアレストランです。他のツアーと同じように、郡山市内在住の方は自宅まで、それ以外の方は郡山駅までタクシーで送迎します。

 

「一度でも福島に来たことがある人や福島を応援したいと思ってくれている人ときちんと繋がり、その意識をより深めてファンになっていただければ、時間はかかるかもしれませんがいずれ風評はなくなるのではないか。そう考え、自分たちにできる一歩は何なのかを模索しました」

 

立ち上げ当初は、協力してくれる農家さんやシェフを探すのも難航し、参加者もなかなか集まらなかったといいます。しかし回を重ねるにつれ、たくさんの出会いがあり、今年で8年目を迎えます。他のツアーと同じくリピートして参加してくれる方も多く、福島の魅力を伝えられている手応えを感じているそうです。

福島県を、世界に誇る共生都市へ

さまざまな活動のなかで、山口さんが常に気を配っていること。それは環境への配慮です。「FoodCamp」で使用するキッチンカーにも、水素発電を取り入れました。

 

「福島県は水素モビリティーの先進地として、〈トヨタ自動車株式会社〉さんと福島県がさまざまな実証実験を行っています。私たちもその取り組みに賛同し、水素燃料電池のキッチンカーを導入し、実証実験に取り組んでいます。水素で発電しているので、CO2を出さずに調理ができます。音もとても静かです」

地球環境を大切にする思いは、大震災を経験したからこそ強くなったもの。いくら科学が進歩して人間の暮らしが便利になっても、自然の力には敵わないという実感が山口さんの原点となっています。

 

「原発事故は、誰が悪いという一言で片づけられません。津波を予測できなかったように、人間の想像の範囲には限界があります。自然は簡単にそれを超えてくるのです。私たち人間は自然の上に成り立っているのに、その順番を忘れ、人間中心にルールや基準を設定してきました。超えることのできない自然を超えようとする無謀なことを繰り返してきたんです。そんな考えも原発事故を引き起こしてしまった1つの要因なのではないでしょうか」

 

震災の大きさを未来に語り継ぐための試みも「FoodCamp」で取り組んでいます。

 

「福島県では、事故を起こした福島第一原子力発電所や原発事故被害の状況、津波で流された施設などを実際に見ることができます。今後は、「自然の怒り」の結果としての東日本大震災・原発事故の被害を知っていただく体験と合わせて、「自然の恵み」として海釣りで海の大切さを感じたり、森林に入って森林セラピーを行ったり自然と向き合うプログラムを組み込み、オーダーメイドツアーを企画提案していく予定です。震災の傷跡をきちんと見てもらい、そのうえで、おいしいものを食べる体験を重ねることで、『この恵みをこれからも守っていきたい』という自然への畏敬と感謝を同時に感じてもらえるのではないでしょうか。福島は、その自然の恵みと自然の怒りを同時に伝えることができる場所。その手段として『FoodCamp』を活用していきたいと思っています」

 

これからもますます活動の幅を広げていきたいと語る山口さん。福島を、自然と人が共に生きることを学べる場所として世界に伝えていくことが目標だと教えてくれました。

 

「広島や長崎は、第二次世界大戦で原爆が投下され、もう人が住めないといわれた都市。それが今や世界中から人が訪れ、原爆ドームなどを見て戦争や原爆の悲惨さを感じ取り、そこから何かを学んで帰っていきます。福島も100年後には、『世界中の人が一度は訪れるべき場所だ』と言われる地域になってほしいと思っています。もちろん、震災が残した傷はあまりにも深く、今はそれを肯定することはできません。ですが、いつか震災から学びを得られる日が来ることを願っています」

 

福島の良さを伝えることは、結果的に東北の良さ、日本の良さを伝えることになると考えています。

 

「街づくりは、郡山市さえ良ければいい、福島県さえ良ければいいという考えでは成り立ちません。ふるさと納税の取り合いや観光客の奪い合いをしているだけでは、本質を見失ってしまう。日本には全国にすばらしいものがあるのだから、一緒に豊かになっていくことが大切だと思います。そのうえで、福島だからこそ伝えられる価値を、これからも発信していきたいです」

〈孫の手トラベル〉

【編集後記】

山口さんのお話のあちらこちらに垣間見えた「運転のプロとしての誇り」が、さまざまな発想に繋がっているように感じました。介護タクシーの送迎の場で、お客様からの「ありがとう」の言葉が励みとなりドライバーさんたちが生き生きと働くようになった、というエピソードには胸が熱くなりました。接客の場でのお客様と心が通うやりとりには、何ものにも代えがたい喜びがあり、やり甲斐となることに共感を覚えます。

自分たちにはタクシーがあり、バスがあり、ドライバーがいることで、旅行が難しいと感じている人も旅をすることができる。孫の手トラベルは優しさと共に運転のプロならではの発想と熱意が、お客さんに直接響いているのだと感じました。山口さんが大切にしている今の福島県、そして未来の福島県を、ぜひ訪ねてみたいです。

(未来定番研究所 内野)

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