もくじ

2026.02.04

私たちはなぜ美しいと感じるのか。神経美学・石津智大さんに聞く、「美の正体」への手がかり。

古くから人は心惹かれるものを美しいとしてきました。しかし、そのあり方は時代や文化によって変化しています。古代から現代に至るまで、科学や哲学、美学などさまざまな領域で「美とは何か」を探る試みが続いています。私たちはなぜ彫刻や絵画に心を動かされるのでしょう。また夕陽を美しいと感じるのは、どんな理由からなのでしょうか。こうした問いを通じて、自分では思いもしなかった美に触れることで、新しいものの見方を取り入れられるかもしれません。今後も移り変わっていくであろう「美」に対する価値観や意識について考えます。

 

「美」という極めて主観的な心の動きを、脳科学という客観的な物差しで解き明かす「神経美学」。この新しい学問のフロントランナーとして研究を続けるのが、関西大学教授の石津智大さんです。私たちの脳はなぜ美しさを感じ、時には悲しみや無のなかにさえ「美」を見出すのでしょうか。神経美学の観点から「美」を探るため、石津先生にいくつかの問いを投げかけます。

 

(文:船橋麻貴/イラスト:Aki Ishibashi)

Profile

石津智大さん(いしづ・ともひろ)

関西大学文学部心理学専修教授。慶應義塾大学大学院心理学専攻を修了後、ウィーン大学心理学部研究員・客員講師、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジ生命科学部上級研究員などを経て現職。幼少期からアートや音楽に親しみ、言葉にならない感情が生まれる瞬間に強い関心を抱く。そうした体験を出発点に、主観的な「美」や「感動」を脳科学の手法で解き明かす神経美学の研究に取り組んできた。アートや広告、映画など、人の心を揺さぶる表現や体験を分析し、感情のメカニズムを明らかにしている。脳の働きと心の動きをつなぐ研究は、マーケティングや商品開発の現場からも注目を集めている。著書に、『神経美学―美と芸術の脳科学―』(共立出版)、『泣ける消費 人はモノではなく「感情」を買っている』(サンマーク出版)がある。

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Q.神経美学とは、どんな学問ですか?

A.「美しい」という感覚を、脳の側から問い直す学問です。

神経美学とは、絵画や音楽、映画といった芸術作品そのものを分析するのだけでなく、それらに触れた時、人の心や脳のなかでどのような反応が起きているのかを、心理学実験や脳計測を用いて明らかにしようとする学問です。2004年頃に生まれた比較的新しい分野で、美しさだけでなく、ユーモアや感動、さらには、悲しみや苦しみ、恐れ、醜さといったネガティブな感情も含めた「美的感性」を研究対象としています。

Q.私たちが美しいと感じる時、脳では何が起きているのですか?

A.生きるために必要なものとして、処理されている可能性があります。

絵を見る時と音楽を聴く時では、使われる感覚器官も脳の処理経路も異なります。しかし、面白いことに神経美学の研究で、脳が「美しい」と反応する場所が共通していることがわかってきました。それが、眉間の奥にある内側眼窩前頭皮質(ないそくがんかぜんとうひしつ)と呼ばれる場所。ここは、おいしいものを食べた時や、喉の渇きを潤した時など、自分にとっていいことが起きた時に「快感」を生み出す場所。専門的には「報酬系」と呼ばれ、いわば脳にとっての「ご褒美」を受け取るスイッチのような役割を果たしています。

 

本来、芸術や数式のような美は、食べ物のように直接的に生存を助けるものではありません。それにも関わらず私たちの脳は、美を食事と同じレベルの「生きる喜び(報酬)」として受け取っている。つまり、私たちの生命を維持するために不可欠な価値として脳に処理されている可能性があるのです。

Q.「美の基準」は、個人や文化によって違うものですか?

A.人類に共通する美と、経験によって育つ美があります。

神経美学では、少なくとも2つの美があると考えられています。1つは、顔や身体、自然、みずみずしい果物など、生存や繁殖、身体の安全に関係する「生物的な美」。これは個人や文化による差が比較的小さいとされています。もう1つは、悲しみのなかに見出される美や数学の定理の美しさ、道徳的な行為に感じる美など、直接的に生きることに結びつかない「人間らしい美」です。

 

現時点の仮説ですが、この2つの美は、脳のなかで主に使われる回路も異なる可能性が示唆されています。「生物的な美」では、ほかの動物でもおそらく共通して働く側坐核(そくざかく)と呼ばれる報酬系の領域が強く関与しやすい。一方で、人間らしい美では、価値判断や意味づけに深く関わる内側眼窩前頭皮質がより強く活動すると考えられています。どちらも同じ「美しい」という言葉が使われますが、どの回路がより優位に働くかによって、私たちは美を感じ分けている。こうした違いが、文化や経験、学習によって育まれる個人差や美意識の多様性に繋がっていると考えています。

Q.「慣れ」と「驚き」、どんな瞬間に「美」は宿りますか?

A.「驚き」が、予測を少しだけ上回った時です。

脳は基本的に、予測できる状態を好みます。慣れているものや見慣れたものは処理がしやすく、安心感をもたらす。だからこそ、「慣れ」は美しさの土台になりやすい。まったく未知のものよりも、どこかで見たことがあるものの方が、私たちは受け取りやすいのです。ただ、予測が当たり続ける状態は、次第に退屈を生みます。脳は省エネを好む一方で、新しい情報を求める性質も持っています。自分の予測がわずかに裏切られた時、脳は「何が起きたのか」を理解しようとして活発に働き始めます。

 

一方で、予測から大きく外れすぎる「驚き」は、理解が追いつかず、負荷が高くなりすぎてしまう。アートやクリエイティブの世界で、あまりにも新しすぎる表現が、「美」として受け取られにくいのはそのためです。

 

予測が外れる「驚き」が、予測が通じる安心を上回った時、自分の世界が少し広がる。私たちは、その過程そのものを価値ある体験として受け取っているのだと思います。

Q.悲しみや苦しみを含んだものを、美しいと感じるのはなぜでしょうか。

A.欠落しているからこそ、脳が自ら意味を埋めようとするからです。

物悲しい音楽や悲劇的な作品に心を打たれる経験は、多くの人に覚えがありますよね。神経美学では、こうしたネガティブな感情と美は、同時に成立し得ると考えます。悲しみや不安、喪失などに触れた時、私たちの脳は共感や他者理解に関わる社会的な回路が強く働き、他者を慮る想像力を発揮させます。たとえ劇中の虚構の人物だとしても、人はそこに悲しみを通じた繋がりを感じ取れるのです。悲しい作品が美しいのは、「悲しみ」そのものより、そこから立ちあがる「繋がり」を想像できる精神の振る舞いが美しいのではないでしょうか。

Q.日本人は古くから「余白」「無」のなかに美を見出してきたように思います。それはなぜですか?

A.すべての情報が与えられないことで、想像力が強く働くからです。

 

能楽の祖・世阿弥の教えに「心は10割動かしても、体は7割しか動かさない」という趣旨の言葉があります。あえて3割の余裕や余白を残すことで、観客はその「動いていない部分」を自分の想像力で埋めようとします。完璧に埋め尽くされたものより、少しの「足りなさ」があるものの方が、私たちの脳はアクティブに動き、深い感動を覚えるのです。

Q.AIが美しい画像を簡単に作れる今、人間の感性は退化してしまうのでしょうか?

A.AIは「完璧」は作れますが、「隙」を生み出すのは苦手です。

AIは過去の膨大なデータを足し合わせて、ある意味「完璧」な正解を作るのが得意です。しかし、あえて情報を引く、あえて何も描かないといった「引き算の美」「余白」「無」は、人間側の判断が大きい領域だと思います。情報過多な時代だからこそ、これらを選び取る感性が、より重要になってくると思います。

 

最近は、「完璧ではないもの」「整っていないもの」に美しさを感じる感覚が広がっているように感じます。例えば、インスタグラムでは、完璧に整えられた写真よりも、食べかけの料理や、制作途中の様子、あえて加工しない画像のほうが強く反応されることがあります。こうした画像は、情報がすべて与えられているわけではありません。見る側は、「この続きを想像する」「この人の状況を補う」といった形で、無意識のうちに関与することになります。脳の立場から見ると、これは予測と現実のあいだに、ほどよいズレが生まれている状態です。完全に予測通りでもなく、かといって理解不能でもない。その中間にあるからこそ、見る側が補いながら受け取ることになるので、「面白い」「惹かれる」と感じやすくなります。

Q.神経美学を知ることで、私たちの日常はどう変わりますか?

A.世界をより「細かく」見ることができるようになります。

神経美学を学んだからといって、急に感性が豊かになるわけではありません。しかし、これまでなんとなくで受け取っていたものの違いに、言葉を与えられるようになります。脳の仕組みや美の背景を知ることで、今まで見過ごしていた道具の造形や、街路樹の影、静かな空間のなかに、自分なりの価値を見出せるようになります。それは、人生をより細やかに、豊かに楽しむための知恵になるかもしれません。

Q.これからの時代、私たちは「美」とどう向き合っていけばいいでしょうか。

A.他人の評価と、自分の感覚を切り分けること。

私たちは無意識に、他人の評価に自分の評価を合わせてしまう社会的な脳を持っています。SNSで「いいね」が多いものを見ると、自分の脳内でも「価値がある」という信号が働きやすくなります。これを「同調バイアス」と呼びます。自分の純粋な感覚だと思っていても、実は社会的な評価に脳がジャックされている可能性がある。だからこそ、意識的に「自分は本当にこれを美しいと思っているか?」と問い直すことが、自分だけの美の感覚を守る第一歩になります。

 

そのうえで、情報があふれ出てくる現代において大切だと思うのが、「何を選び、どう並べるか」というキュレーションの力です。誰でも何かを作れる時代だからこそ、ゼロから生み出す力と同じくらい、既存のもののなかから価値を見極め、繋ぎ直す力が問われるようになると思います。私はこれを「キュレーションの価値化」と呼んでいます。

 

そしてもう1つ大切なのが、効率や正解を急がないこと。脳が最も活性化し、新しい世界が開けるのは、自分の予測が心地よく裏切られた時です。自分の「好き」を大切にしながらも、あえて「よくわからないもの」や「違和感」に触れてみる。そこで脳が受ける刺激を疲れではなく、更新として楽しむ。そんなしなやかさこそが、変化し続ける時代のなかで自分らしく生きていくための、大切な指針になると思います。

【編集後記】

取材を通じて、これまでつかみどころのない存在だと思っていた「美しさ」が、脳の働きという視点を通して、わずかばかりですが形を帯びたように感じられました。「余白」や「わずかな不足」に惹かれる理由、予測が少しだけ裏切られた瞬間に心が動くこと。そういった話を通じて、自分が何に反応し、何を面白いと感じているのか、見つめるための視点をいただいたように思います。

さらに、取材のなかで印象に残ったのは、「体験価値を考えるうえでは、アナログであることの意味が、これからよりはっきりしてくるのではないか」という言葉でした。整ったものがAIによって容易に再現できる時代だからこそ、触れる、選ぶ、迷うといった人間的な行為そのものに、感性が働く余地が残されている。小売業に携わる立場として、その余地に対してどのように向き合っていくか。これからの仕事を考えるうえでも大切な視点だと感じています。

(未来定番研究所 榎)