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2020.05.05

谷中日記

第56回| 瞑想 or 座禅

NHK特集で「今の危機をいかにして乗り越えるか?」という質問に、国際政治学者のイアン・ブレマーさんが「犬を飼うか、瞑想するか」とおっしゃっていらっしゃいました。
犬はずっと前から飼いたいのですが、小1の時に飼っていたシェットランドのジョンを病気で失った悲しみから未だ抜け出せず、犬を飼うことは、たとえパンデミック下でも難しいので瞑想をする事にしました。
谷中に郵便物チェックと町内会の報告を聞きに行き、昼食後の時間を使って庭に向かって胡坐をかき、眼をつぶりました。

 

瞑想に入ってしばらくして、これは瞑想か?これは座禅ではないか?という雑念にとらわれました。
そもそもこの2つは違うのか?ルールはあるのか?
もはや我慢できず、瞑想を中断し、調べました。

ネットで調べた結果によりますと、
瞑想と坐禅の違いは、瞑想は手段であり、坐禅はそれ自体が目的である、ということでした。

瞑想は、人間の基本能力を底上げします。
・ストレスを減らす
・免疫を高める
・恐怖心を乗り越える、
などなど、コロナ不安な現在に、瞑想という手段はとても有効な効用が感じられます。

 

一方、坐禅は全く違います。坐禅はなんにもならないでいい。なんの効果があろうとなかろうと関係なし。
坐禅は存在そのものであり、在り方である、という事です。

よくわからないが、何となく、自分には、座禅の方が向いているのではないか?、と思い
事務所の近くの座禅で有名な「全生庵」を訪れる事にしました。

全生庵は、幕末の三舟として知らえる山岡鉄舟が多くの人に座禅を親しんでもらうために明治16年に建立した寺院です。
町内会の先輩の話では、早朝座禅会なども開催しているという事で、座禅体験ができるかもと思いましたが、今は一切の座禅会を中止されているとの事で、座禅をする事は出来ませんでした。

天気が良く、仕方なくお寺を散策していると谷中大観音が青空に浮かび上がっていらっしゃるお姿を見つけました。

観音さま(観世音菩薩)とは世間の人々の悩みや苦しみの声を聞いて、直ちにこれを救済して下さる仏様ということだそうです。

谷中大観音様に、早くコロナが収束することをお祈りしつつ、また今、自分に起こっている様々な事を思い描きました。

 

しばらく手を合わせていて、ふと、別に足を組んで座っていなくとも、瞑想に入らなくても、こういった時間もいわゆる座禅ではないか、と感じました。

「坐禅はなんにもならないでいい。坐禅は存在そのものであり、在り方である。」

自分が世界の中心ではないということを改めて見つめ直し、人間として当たり前のことを当たり前にやる平常心こそ大切であり、日々の生活の中にも、そういう時間をつくる事を意識していく。

 

瞑想も犬を飼うことも、座禅も大切です。

(未来定番研究 出井)

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