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2025.07.14

第39回| 秋田弁で地域を笑顔に。ご当地ヒーロー・超神ネイガー。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第39回にご登場いただくのは、2025年で20周年を迎えた秋田県の人気者「超神ネイガー」です。ご当地ヒーローの先駆けとしても知られ、地元・にかほ市の「にかほ市ふるさと宣伝大使」を務めるほか、農業や交通安全教室など、地域の貢献活動にも積極的に取り組んできました。今回は、そんな超神ネイガーの中の人・佐藤智隆さん、史崇さん兄弟と設計者・髙橋大さんの3人に話を伺いました。

 

(文:大芦実穂)

Profile

超神ネイガー

日本海沿岸に伝わる歳神行事「ナモミハギ(ナマハゲ)」をモチーフとした、秋田県発の地産地消型ヒーロー。ナマハゲのお馴染みのセリフ「泣ぐ子はいねえがぁ」が名前の由来。農業青年アキタ・ケンが変身した姿であり、県民に怠惰をもたらす悪の組織「だじゃく組合」の怪人たちと日夜戦う。ヒーローショーのほか、地域イベントへの参加、地域貢献活動などを行っている。

https://chojin-neiger.com/

身近な有名人、超神ネイガー

日本海に面し、岩牡蠣の産地として知られる秋田県にかほ市を歩くと、駅やデパートなど、あらゆる場所で「超神ネイガー」のポスターが目に留まります。ポスターに書かれているのは、オレオレ詐欺の注意喚起や火災報知器の設置促進などのメッセージ。

これを作ったのは、秋田県立仁賀保高等学校の情報メディア科の生徒たちです。毎年、超神ネイガーの写真をフリー素材として使用し、地域ポスターを制作するという課題があるそう。「ネイガーが街のインフラとして機能しているのがうれしい」と超神ネイガーの設計を担当した髙橋さんは話します。

 

超神ネイガーとは、秋田県を人口減少や少子高齢化に陥れる悪の組織「だじゃく*組合」と戦う正義のヒーロー。時にはトラクターにまたがり稲作作業、またある時は幼稚園や保育園を訪問し、園児たちに交通安全を呼びかけることもあります。超神ネイガーが県内を歩く姿は、地元の子供たちにとっては見慣れた景色です。

 

*秋田弁で「乱暴」「横暴」の意。

 

「東京で特撮ヒーローが小学校の校門前に立っていたら子供たちは驚くでしょうが、秋田の小学校では、校門の前にネイガーがいて『おはよう』と言うと、『あ、おはよう』と返すだけの自然な反応(笑)。地域のちょっとした人気者くらいの感覚で受け入れられています。テレビで見るヒーローとは違う、身近な存在として認識されているのはありがたいことです」(髙橋さん)

 

最近は秋田県内に留まらず、東京のイベントなどにも出席している超神ネイガー。すると、会場に集まった県外在住の秋田県出身者たちが、ネイガーに触発されて自然と秋田弁で話し始めるのだとか。こうしたイベントは、同郷の人々が再会する場にもなっており、超神ネイガーは秋田出身者同士を繋ぐ存在としても機能しています。

ただの“ごっこ遊び”から、秋田県の人気者へ

今でこそ秋田県を代表するご当地ヒーローとなり、地域の活性化に一役買っている超神ネイガーですが、始めたきっかけは、「大人のごっこ遊びだった」と髙橋さんはいいます。

 

「超神ネイガーの原案者は、私の幼なじみの海老名保。22年前、海老名君から『ヒーローをやりたいから、デザインと設定をお願いしたい』と言われたのがきっかけです。その時は、ナマハゲがモチーフであること、きりたんぽを振り回すこと、ハタハタの銃を撃つことくらいしか決まっていなくてね。そこで、特撮ヒーローを見て勉強したり、『ナマハゲ伝導士』の資格を取りに行ったりして、コンセプトをイチから練っていきました」(髙橋さん)

 

ネイガーの衣装や小道具などはすべて自前で制作し、中には海老名さんが入ることで、2005年6月12日にデビュー。地元の「秋田こまちプロレス」の余興タイムが初お披露目の場となりました。当時はまだSNSが普及しておらず、超神ネイガーを知ってもらうためにホームページを立ちあげて情報を発信。その結果、ヒーロー好きの間で次第に噂が広まり、注目を集めるようになっていきました。

しかし、発足から5年ほど経ち、海老名さんの脱退が決定。残ったのは、初期の頃からスーツアクターをしていた佐藤智隆さん・史崇さん兄弟、そして髙橋さんの3名だけに。主役が抜けてしまい、これからどんな活動をしていけばいいのか?捻り出した答えが、「ただ街を歩く」ことでした。

 

「俺たちはまだ死んでないぞ、という思いで、ネイガーの衣装を着て街を歩くことにしたんです。ちょうどその頃、Twitter(現:X)が広まり始めていて、ネイガーがにかほ市を歩く様子を発信しました。地元の子供たちと交流する姿や、農作業を手伝っている様子を撮影して投稿したところ、ものすごい反響があったんです。それがきっかけで、次第に地元の方々にも認められるようになっていったと思います」(髙橋さん)

 

その頃からヒーローショーがメインだった活動も、段々と社会貢献活動へとシフト。秋田県からもお声が掛かり、ご当地ヒーローとして認められるようになりました。

秋田弁を通して、地元に誇りを持てるように

お客さんの前に登場する時は、「おめだぢ」(あなたたち)と話しかけ、舞台から去る時には「へばな!」(またね!)と一言。流暢な秋田弁も人気の秘密です。超神ネイガーを始めたことで感じる周囲の変化は、「秋田弁へのリスペクトが芽生えたことだと思う」と髙橋さん。

 

「秋田弁はなまっているし、にごっているし、あまりいいイメージがなかったように思います。でも、平安時代の京言葉がまだ残っているなど、歴史のある方言なんです。例えば、『寂しい』や『辛い』を意味する『とじぇねぇ』は、徒然草の『徒然(とぜん)なり』が元になっているといわれています」(髙橋さん)

 

秋田弁で話し、秋田弁の素晴らしさをアピールしてきた超神ネイガー。その影響もあってか、最近では県内で流れるテレビCMでも秋田弁を使うところが増えてきたそう。

 

超神ネイガーが一貫して秋田弁を話してきたのには、海老名さんや髙橋さんのある想いがありました。

 

「秋田弁で話されたら、県外の人には何を言っているかわからないと思うんですが、それで構わないと思っていました。なぜなら、地元の人に喜んでほしいという気持ちでスタートしたからです。内側の連中で楽しもうという気持ちがどこかあったんですね。結果的に、秋田のシンボルとして取りあげられる機会が増えていきました」(髙橋さん)

 

また、秋田県のネガティブなイメージを逆手に取った自虐ネタも超神ネイガーの十八番です。

 

「秋田は『ワースト〇〇』というのが多い県。出生率や婚姻率、死亡率、人口減少率など、たくさん社会課題はあるのですが、それを笑いに変えてしまおうと。これまで秋田県出身であることに自信が持てなかったり、方言を隠したりした人も、ネイガーが自虐ネタにすることで『秋田でも別にいいじゃん』と開き直ることができたと。そんなふうに言ってくださる方もいました」(髙橋さん)

20年続けてきたからこそ、見える景色

これまでの20年間を振り返ると、うれしかったことや大変だったことなど、さまざまなエピソードが。例えば、ブームの過渡期で多忙を極めた時期には、忘れ物事件が多発。

 

「怪人がマスクを忘れてしまって、パーカーのフードをかぶって出たこともありました。体は怪人なのにおかしいですよね(笑)」(髙橋さん)

 

「『タロンペソード』という敵が使う、つららの武器があるのですが、その武器を忘れてきてしまって、代わりに透明のビニール傘を振り回したこともあったっすね」(智隆さん)

 

「でも見ている人たちは『今日のネイガーはどうしたの?忘れちゃったの?』と許してくれるんです」(髙橋さん)

 

その背景には、ネイガーの中には人がいることをきちんとわかってくれているからだと髙橋さん。

 

「ナマハゲは秋田の地元の人たちが変身するのですが、ネイガーも地元の人が変身するという感覚がちゃんとあるんでしょうね」。

 

ネイガーを20年に渡り演じてきた佐藤兄弟には、長く続けてきたからこそ得られた喜びがあるといいます。

 

「活動を始めた当時5歳だった子が、25歳になって、自分の子供を連れてくるようになりました。2世代、3世代で見に来てくれる人もいます。これまでもらった手紙も大切に宝箱に取っていて、子供たちの成長も活動のなかで一緒に見てきました。同時に、自分も成長させてもらったなと思います」(史崇さん)

超神ネイガーをツールとして使ってほしい

とにかく辞めないこと、続けることを意識してきたという超神ネイガー。今後の目標について聞いてみました。

 

「100年、200年レベルで継続していきたいです。ナマハゲは400年くらい続いている行事らしいのですが、逆にいえば400年前に始めた誰かがいるということですよね。我々も400年続けられたら、地域の重要無形文化財になるかもしれません(笑)。

 

また、ナマハゲは言うことを聞かない子を脅して習慣を改めさせるという教育的な存在。ネイガーもナマハゲのようなツールとして使ってほしいと思っています。『そんなんじゃヒーローになれないぞ』とか。そういう意味では、身近にいるんだけれど、ちょっと人間とは距離を置いた、地域のお地蔵さんみたいな、そんな位置付けになっていったらうれしいですよね」(髙橋さん)

 

「子供たちのお手本になりたいっすね。ネイガーが挑戦してたから自分もやってみようとか。例えば『俺もネギ作ってみっかな』だったり、『米作ってみっかな』だったり、ネイガーが誰かの何かを始めるきっかけになったらうれしいですね。秋田のために役に立つ活動がこれからもできればなと思います」(史崇さん)

 

20年経って、ますますパワーアップしている超神ネイガー。秋田の人々を支える守り神のような存在になる日もそう遠くないのかもしれません。

【編集後記】

まさに「地元の見る目を変えた」ヒーロー・超神ネイガー。髙橋さんと佐藤智隆さん、史崇さん兄弟の、愛と夢と情熱あふれるアツいお話は、笑いと感動の素晴らしい時間でした。ネイガーは身近なところで活動をしながら、地元の今と人を大切にし、視線は未来を見つめていて、こんなに血が通ったヒーローだったのか!と改めて知ることができました。方言についても興味深く、髙橋さんと佐藤智隆さん、史崇さんが話される秋田弁のイントネーションや言葉遣いがとても心地よく、あたたかな気持ちになりました。これからも続けられていく活動にずっと注目したいと思います。そしていつか本物に会える日を心から楽しみにしています。

(未来定番研究所 内野)

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