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2024.06.12

地元の見る目を変えた47人。

第25回| 復興のシンボル〈三陸鉄道〉が、岩手の希望を乗せて今日も走る。

「うちの地元でこんなおもしろいことやり始めたんだ」「最近、地元で頑張っている人がいる」――。そう地元の人が誇らしく思うような、地元に根付きながら地元のために活動を行っている47都道府県のキーパーソンにお話を伺うこの連載。

 

第25回にご登場いただくのは、岩手県沿岸部の南北を結ぶ「リアス線」の〈三陸鉄道〉。これまで自然災害による被災を幾度となく経験してきましたが、その度に立ち上がる姿は、私たちに勇気と希望を与えてくれます。今回は、入社1期生で旅客営業部長の橋上和司(はしかみ・かずし)さん、今年の4月に入社したばかりの坂本優女(さかもと・ゆめ)さんと佐々木那奈(ささき・なな)さんに三陸鉄道のこれまでとこれから、そして地域との関わり合いについてお話を伺いました。

 

(文:大芦実穂)

Profile

三陸鉄道

1984年に開業した、岩手県の三陸海岸を縦貫する全国初の第三セクター(*)方式の鉄道会社。2011年の東日本大震災で被災するも、2014年には全線開通。2013年にNHK連続テレビ小説『あまちゃん』の舞台になり、一躍有名になる。2019年、盛駅から久慈駅間が全長163kmのレールで繋がり、「リアス線」として再始動した。

 

*…政府または地方公共団体(第一セクター)が民間企業(第二セクター)と共同出資して行う事業組織体(法人)のこと。

 

https://www.sanrikutetsudou.com/

開業40周年を迎えた

全国初の第三セクター鉄道

左から、橋上和司さん、坂本優女さん、佐々木那奈さん

「三陸鉄道は岩手の復興のシンボルです」と話すのは、今年の4月に三陸鉄道に入社したばかりの坂本優女さん。同じく入社した佐々木那奈さんも「沿岸地域の象徴として走り続けてきた三陸鉄道。県外からも愛される企業に入れてうれしい」と話します。そんな三陸鉄道は、入社式と同日の2024年4月1日に開業40周年を迎えました。

 

「40年続けることができたのは、皆さんの支援があってこそ。私、入社した時に、一番列車の車掌をしていまして」そう話すのは、開業前年の1983年に入社した「1期生」でもある橋上和司さんです。

 

「初めて運行した時は、沿線にこんなに人が住んでいたのかっていうくらい、皆さん小旗を持って出てきてくれましてね。三陸沿岸の田野畑村というところは、これまで鉄道がなかったので、熱気といったらものすごかったです。

 

今だから話せるんですが、一番列車が朝の5時に出発すると、着く駅着く駅で予定にはなかった花束や記念品の贈呈があって、終点の宮古駅まで1時間半遅れで着きました。ホームで準備されていた方も、『まだ来ない』と待ちくたびれていたんじゃないかと思います。それに列車の方向を振り分ける機械に不具合があったりして、どんどん遅れて焦ってしまって……。今でもまるで昨日のことのように思い出せます」(橋上さん)

 

一方、今年入社した坂本さんと佐々木さんは、地元で愛され続ける三陸鉄道に魅力を感じ、入社を希望したそう。

 

「たくさんの方から愛されている三陸鉄道の一員になりたいという思いがありました。また、東日本大震災や台風被害を何度も経験しながらも、諦めずにいちからやり直そうとする姿に感銘を受け、入社したいと思いました」(佐々木さん)

 

「地元なので、遊びに行く時などに三陸鉄道を利用していました。その際、外から手を振ってくれる方がたくさんいらっしゃったり、乗車しているお客さんの笑顔をたくさん見てきて。皆を笑顔にしている三陸鉄道って素敵だなと思い、入社を希望しました」(坂本さん)

利用客減少を食い止めるため

ユニークな「企画列車」が運行

三陸鉄道は1984年、盛駅から釜石駅を結ぶ「南リアス線」(36.6km)、宮古駅から久慈間をつなぐ「北リアス線」(71km)の運行開始と同時に開業。また、全国初の第三セクター鉄道として、人々の注目を集めました。

 

しかし、少子高齢化やモータリゼーションの影響で、利用客は年々減少。そしてついに94年度には年間乗客数が200万人を下回り、初の赤字に転落してしまいます。「この状況をなんとかしないと」と打ち出したのが、後に三陸鉄道の顔ともなる「企画列車」です。

ライトアップされた夜桜を見ながら、車内では特製弁当が楽しめる「夜桜列車」

2013年に放送されたNHK連続テレビ小説『あまちゃん』でもおなじみのお座敷列車は、同社が所有する「お座敷列車北三陸号(36-2110形)」で撮影されました。他にも「こたつ列車」や「ワイン列車」「プレミアムランチ列車」など、工夫を凝らした列車を走らせてきました。

『あまちゃん』ラッピング列車「三陸元気!GoGo号」は、ファン有志の方々が実行委員会を立ち上げ寄付を募り実現した。

今年は「生うに丼」や「うに丼(蒸し)」が食べられる「ウニ列車」が運行(2024年5月18日〜6月16日の期間中の土曜・日曜)。企画の発案者は橋上さんです。

 

「生うには5〜6月がシーズンで一番おいしいのですが、天候によって獲れたり獲れなかったり、量の確保に課題がありました。今回、その問題をクリアできて、念願が叶いました」(橋上さん)

 

過去には、あまりに人間が乗らないので、犬や猫を乗せたらどうだということで、「ワンコ列車」「猫列車」(!)など、ユニークなアイデアがたくさん出ていたと橋上さんは振り返ります。社員が自由に企画できるのは、風通しの良い社風だからこそ。

 

「会社がスタートした時には、社員が100名を切るほど規模が小さかったので、社員のアイデアが生かされやすかったですね。40年前から、『チャレンジしてだめだったら、次のことをやればいい』という考え。これまで突拍子のないことを企画したりもしましたが、やりたいことをやらせてくれたことに感謝しています」(橋上さん)

東日本大震災、

そこからの復興を遂げた日々

さまざまな企画列車やイベントを通じて、着実にファンを増やしていた三陸鉄道ですが、2011年3月11日の東日本大震災で壊滅的ともいえる被害を受けました。震災時、2本の列車が運行していましたが、幸い乗員・乗客共に無事。しかし、被害は317カ所にも及び、営業区間の3分の2が被災しました。そんななか、震災5日後には北リアス線の陸中野田―久慈間で復旧。「震災復興支援列車」とし、運賃無料で運行を再開しました。

 

「3月16日から走った3本の臨時列車は、私がダイヤを引きました。まだ震災2日後に、社長から臨時列車を走らせるという話を聞いて、二次災害が一番怖かったです。まだ余震がある状況だったので、安全をどう担保するか不安がありました。試運転を行うにあたり、各駅の様子を視察したのですが、陸中野田駅は何も残っていないくらい被害が大きくて。最北にある久慈駅では、周辺の人たちが歩いて食べ物を調達する姿が見えましたね」(橋上さん)

 

やっとのことで運行を再開しても、電気も止まっていて、住民の方に伝えるすべがありません。しかし、2日、3日経つにつれ利用する乗客が増えてきました。

 

「列車の汽笛が聞こえたそうなんです。それでもしや……と見にきたら、列車が走っていたと。我々にできることはわずかしかなかったのですが、それでもとにかく何かやらなくては、という使命感があった気がします。

 

お客さんたちは朝に乗って、夕方に帰ってくる。泥かきをしに行くから、泥だらけで戻ってくるんですが、そのまま列車に乗るのは悪いから……と、乗車後に列車の掃除を手伝ってくださって。皆さん大変な中、運行してくれてありがとうと言ってくれました。皆とにかく必死でしたよ」(橋上さん)

 

2013年には、朝ドラ『あまちゃん』の舞台にもなり、三陸鉄道はロケ地として有名に。俳優の杉本哲太さんが演じる、北三陸鉄道リアス線の北三陸駅駅長・大吉の名せりふ「第三セクターなめんなよ!」は、なんと橋上さんの発言が元になっているそう。

 

「ドラマの演出をやっていた方に、そうとは知らずに話しかけられて。東京の電車だったら遅れることもあるけれど、こっちは1時間半に1本。おばあちゃんが急いで来たら、発車時刻に少々遅れても待ちますよって言ったんです。急いで来て怪我するよりいいじゃないですか。その時に『第三セクターなめんなよってね』と言ったのが採用されちゃって……」(橋上さん)

 

「あまちゃんブーム」により、2013年度の乗客数は前年度比28%増。翌年2014年4月には全線で運行が再開し、震災からの復興を果たしました。さらに5年後の2019年3月、北リアス線と南リアス線の間の55.4kmを結び、盛―久慈間の全長163kmの「リアス線」として新たに開業。「復興のシンボル」として完全復活を遂げました。

震災学習列車を通して

若い世代に防災の必要性を伝えていく

東日本大震災が起きたとき、まだ5歳だった佐々木さんと坂本さん。だからこそ取り組んでいきたい活動があります。震災の状況を伝える「震災学習列車」です。

 

震災学習列車は、「被災地の今」を見ることで、改めて防災に取り組んでほしいと震災直後よりスタート。主に学生の団体を対象に、貸し切り列車を運行しています。ガイドを務めるのは、三陸鉄道の社員や地域住民の方々。被災状況がわかる場所で一時停止をしたり、黙祷を捧げたりして、当時の状況を伝えています。

震災学習列車は、2022年に1万2000人が利用した(2023年は1万1000人)

「今、震災学習列車に取り組んでいる社員が25歳なので、被災当時は11歳くらい。復興していく様子を見ていますから、自分の体験としてしっかり話せる。地元の人たちも、ここで育った子がガイドをして、県外の方に町のことを知ってもらうのは意味があることだよねと言ってくださっています」(橋上さん)

 

また、今後は震災学習列車のガイドもやってみたいと佐々木さん。

 

「当時5、6歳だったのでほとんど震災の記憶がないのですが、今後は私のような記憶がない世代やまだ生まれていなかった世代が増えてくるので、震災学習列車で被災について伝えていくことは、とても大事なことなんじゃないかなと思っています」(佐々木さん)

地域の人に愛される

三陸鉄道の未来は明るい

シャッターチャンスの大沢橋梁(白井海岸―堀内駅間)。

今年は40周年を記念して、さまざまな企画を実施予定。そのひとつに、「三陸鉄道開業40周年記念400円きっぷ」の発売があります。これは163kmの全線が400円で1日乗り放題になるという夢のような企画。9月〜11月に開かれる「鉄道まつり」の日に合わせて実施を予定しているそう。

 

ユニークな取り組みを通じて、岩手に元気を与えてきた三陸鉄道。最後に、5年先、10年先の展望を伺いました。

 

「若い世代が企画する列車が楽しみで仕方がないですね。三陸鉄道らしさをうまく引き継いで、何年経っても人々に手を振り続けてもらえるような存在でいてほしいです」(橋上さん)

 

今年入社したばかりの佐々木さんと坂本さんは、「観光客にたくさん来ていただけるよう、三陸鉄道でしか味わえない新しくて楽しい企画を出していきたい」と話してくれました。

安家川を渡る安家川橋は絶景ポイント。日中帯であれば橋の上で徐行または停車をしてくれる

車や徒歩では見られない、列車だけで味わえる絶景も三陸鉄道の魅力のひとつ。被災から復興し、人々の希望を乗せて走る列車には、その裏で働く人たちの絶え間ない努力がありました。

【編集後記】

キリリと凛々しい制服姿で登場、終始明るいムードでお話をしていただき、それぞれの個性豊かなお考えを聞けた貴重な時間となりました。

偶然取材日の直前に三陸鉄道の震災後のドキュメンタリーがテレビ放送されていて、再放送含め2回じっくりと観る機会がありました。改めて当時の大変さを直接うかがい、橋上さんが大変な中で臨時列車のダイヤを引かれたお話や、汽笛が聞こえたことで運行再開が始まったのがわかって、乗客の皆さんが少しずつ増えていったお話は特に胸が熱くなりました。

未来の三陸鉄道を、若いパワーが力強く引っぱって走っていく姿が目に浮かびます。素敵なチームワーク&ユニークな企画に、そしてかわいい三鉄オリジナルグッズに今後も注目したいと思います。

(未来定番研究所 内野)

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