未来定番サロンレポート
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2018.09.06
未来を仕掛ける日本全国の47人。
毎週、F.I.N.編集部が1都道府県ずつ巡って、未来は世の中の定番になるかもしれない“もの”や“こと”、そしてそれを仕掛ける“人”を見つけていきます。今回向かったのは、愛知県の名古屋市。編集者の川村庸子さんが教えてくれた、アートコーディネーターの吉田有里さんをご紹介します。
この連載企画にご登場いただく47名は、F.I.N.編集部が信頼する、各地にネットワークを持つ方々にご推薦いただき、選出しています。
港まちに多彩なアートの場を作り、まちづくりの種を蒔く人。
かつて物流の拠点として栄えた名古屋の港町で展開されているのは、アートプログラム「Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]」。吉田さんは、ディレクターとして、Minatomachi POTLUCK BUILDINGを拠点に、現代美術の展示やスクールプログラム、空き家や空き施設を使って、アーティストが独自の表現活動をする「WAKE UP ! PROJECT」など様々なプロジェクトを仕掛けています。推薦してくださった川村さんは、「アートとまちづくりの両方に身を置きながら、絶妙なバランスで双方との関係性を育み、新たな技術を開発しようとしているところに未来の可能性を感じます」と太鼓判。吉田さんにお話を聞いてみました。
F.I.N.編集部
吉田さん、こんにちは。
吉田さん
はじめまして。
F.I.N.編集部
本日はいろいろお話を聞かせてください。 吉田さんは、もともとは東京のご出身だそうですが、名古屋のどんなところに魅力を感じますか?
吉田さん
日本全国で見ても、結構大きな都市のひとつですが、コンパクトにぎゅっといろんな要素が凝縮していて、すごく住みやすい街です。名古屋で生活するようになってから、もちろん自分が育った東京という大都市の良さもわかれば、逆に、常に電車が混んでいたりとか、人が多かったりとか、身体的に都市からのストレスを受けていたんだということにも気づきました。あとは、他の地域へのアクセスの良さも魅力かな。美術の仕事をしていると、国内、海外問わず、いろんな展覧会を見て回ることが多い中、名古屋はすごく便利。東京や関西に出やすいだけでなく、都心部から空港が割と近く、飛行機にも乗りやすいことですごく助かっています。
F.I.N.編集部
名古屋にはアーティストの方は多いんですか?
吉田さん
アーティストも結構いっぱい住んでいます。美大が複数あるため、美術人口も多いし、美術館もギャラリーも割と多い。そこで働いている皆さんとも距離が近いというか、顔が見える範囲でコミュニケーションをとることができるので、助け合ってお仕事ができています。
F.I.N.編集部
あらゆる面において動きやすさが魅力的な街なんですね。吉田さんはこれまでどんなお仕事をされてきたんでしょうか。
吉田さん
高校を卒業した後は美大に入り、芸術学を勉強しました。学芸員やキュレーターと呼ばれる人たちの仕事を連想してもらえるかと分かりやすいかと思うのですが、美術の歴史を学んだり、展覧会を作ったり、アーティストのマネジメントをしたり……、制作ではなくて、芸術を裏で支えていくための勉強をしていました。また、ちょうど私が大学生の頃、2000年代初めは、トリエンナーレやビエンナーレと呼ばれる大きな芸術祭が始まった時期でもあったので、海外から来たアーティストの制作の現場や、キュレーター、コーディネーターとか、アートマネジメントをやっている方々が動いている現場をボランティアでお手伝いしに行ったりもしていました。
F.I.N.編集部
学生時代から精力的にご活動されていたんですね。
吉田さん
卒業する頃、横浜で、歴史的建造物などを文化芸術に活用し、都心部再生の起点にするというプロジェクト「BankART1929」が始まり、5年間ほど、そこでアーティストの制作環境をサポートしたりとか、展覧会やパフォーマンスなど、実験的なことをしたりとか、若手の作家たちと一緒に仕事をしたりとか、そういうような活動をしていました。
F.I.N.編集部
なるほど。名古屋に来られたのはどんなきっかけだったんですか?
吉田さん
「あいちトリエンナーレ」がきっかけです。トリエンナーレとは、3年に一度開かれる国際芸術展で、それが2010年に始めて愛知県で行われるということで、2009年に移り住みました。トリエンナーレでは、美術館やギャラリーといった、すでに美術のために作られた場所ではなくて、空き家とか空き店舗とか、空き地とか、都市の中にある隙間のようなところに、アーティストと一緒に作品を作っていくという現場を担当していました。
アーティストとも、街の人ともコミュニケーションを密に取らないとできない仕事で、大変でしたがすごく貴重な経験ができて面白かったです。結果的には、2013年のトリエンナーレも合わせて2回、約5年間お仕事をさせていただきました。
F.I.N.編集部
そうだったんですね。そこから港まちでアートプログラムの展開に携わるようになったのは、どんな経緯だったんでしょうか?
吉田さん
トリエンナーレのお仕事を終えた後、名古屋の港町のまちづくりを考えている「港まちづくり協議会」が新しい事業としてアートプログラムを取り入れたいということで、お声がけいただきました。「港まちづくり協議会」とは、名古屋市営地下鉄「名古屋港駅」から「築地口駅」の2駅を結ぶ約1km圏内のエリアのまちづくりを行う団体です。2000年代中頃、このエリアに「ボートピア」という競艇のチケット売り場ができることになり、行政と地域住民とで協議の結果、その売り上げの1%を地域に還元することになり、その活用と運営を考えるためにスタートしました。最初は街のために様々な活動を行ってきたのですが、約10年の節目に合わせて、新しい事業を始めたいということでした。
F.I.N.編集部
そもそも、なぜ”アートでのまちづくり”に白刃の矢が立ったのでしょうか?
吉田さん
もともとこのエリアにはアートの素地がありました。名古屋港は約110年前に埋め立てられたエリアで、物流の拠点となる産業港として1970年代頃までは人の出入りが盛んな賑やかな街だったそうです。その後、船の大型化やオートメーション化によって、船員たちの出入りが減り、少しずつ街から活気が失われていきました。
そうした中、90年代後半から2000年代初めまで、港町の空き倉庫を活用したアートウロジェクト「アートポート」や、ギャラリーがありました。現在は、それらは無くなってしまっていますが、そもそも港町というのは、人やものが色々と行き交う場所であり、まれびとを受け入れてきた場所でもあったので、アーティストの活動も受け入れる街だったのだと思います。
F.I.N.編集部
なるほど。「港まちづくり協議会」の新事業として始まったアートプログラム「MAT, Nagoya」とは、どんな取り組みなんですか?
吉田さん
このプログラムでは、街の中にある空き家や空き地を資源と捉え、現代芸術の制作場所、展示場所、ギャラリーとして新たに場所を開いています。場所はもちろんのこと、人々のネットワークや関係性、歴史といったすでにあるものをすべて資源として、大切にしながら、よそからやってきたアーティストが作品を制作したり、発表をしたりしています。特に現代美術は、社会にある課題を核にして表現していくことが多いので、まちをフィールドにしてアウトプットするというのはある意味で相性がいいのかなと考えています。
F.I.N.編集部
既存の街を舞台に展開していくものなのですね。MAT, Nagoyaは「アートそのものは、まちを変えるためには存在していません」というスタンスを掲げているかと思いますが、そこにはどんな思いが込められているんですか?
吉田さん
例えば、あるニットアーティストが港にスタジオを構えています。彼女の生み出す作品は、直接的に街全体を変えるようなアクションではないかもしれませんが、彼女の存在によって手芸好きのおばさまたちの新しいコミュニティやネットワークが生まれ、手芸部っていうような活動のきっかけになっています。つまり、アートとしての表現は、そのまま何か街に影響を及ぼすようなものではないのですが、ささやかながらも結果的に重要な変化を生むきっかけになるのではないかということ。まちづくりの視点だけで無理やり考えるのではなくて、アートの制作過程で、新しい環境や関係性みたいなものが自然と副産物的に生まれていく。その中には、街に長く残していけるものがたくさんあると思っています。芸術家や音楽家、デザイナーなど、クリエイティブな活動をしている人たちにとって居心地が良く、それと同時に彼らを受け入れられる街というのは、多様性に寛容な街だと思うので、最終的にはいろんな人々が過ごしやすい街になっていくんじゃないかと考えています。
F.I.N.編集部
あくまでもきっかけを作り出しているんですね。
吉田さん
そうですね。アートは人の心を揺さぶったり、例えば私にはこの景色は美しいとは見えていなかったけど、美しく見える人もいるのだとか、他者との考え方の違いを共有したりできるメディアで、誰にでもフラットなものだと思います。だから、同じ街にいてもなかなか混じり合うポイントがないもの同士をつなぐことができるのではないでしょうか。「MAT」とは「Minatomachi Art Table」の略で、テーブルという言葉には、議論したり、集ったりする場所という意味を込めています。誰でも平等に集えるテーブルでアートがありたいという風に思っています。
F.I.N.編集部
押し付けではない、自然な活動が各所で生まれていきそうですね。アート文脈で活躍してこられた吉田さんが、まちづくりの分野で活動をしていく中で、難しいと感じた点や、何か新しい発見はありましたか?
吉田さん
アートの現場では、何かを作り出すという目標に向けて、矢印が前に向かっていくディレクション型の進め方が多いんです。一方でまちづくりは、いろんな人たちにとって良い街にするためにどうしたらいいかということを、複数の視点で考えます。例えば、商売をやっている人にとっては、人がいっぱい来てくれた方が嬉しいけど、静かに暮らしたいと思っている人にとっては外からの人が増えない方がいい。そういう色々な意見をまとめていかないといけないので、まっすぐ矢印が進むというよりは、ひとつの円の中に矢印をまとめていく、ファシリテーション型の進め方が必要です。方向性の違いを踏まえ、どうやって折り合いつけていくかを考えるのは、私にとっては新しい経験で、良い勉強になっています。
あとは、美術館などは、チケットを買って見に来るものですよね。つまり、美術を見ようっていう心持ちの人たちに向けて展覧会を見せているのですが、街中に展示空間を作るというのは、美術を見ようと思っていない人に対しても作品を見せる環境です。だから、美術だけのルールに捉われないように意識しながら、アーティストと対話して展示を作っています。プログラム自体はまだ3年目で、いろいろな意見を言われることもありますが、トライ&エラーを繰り返しながら進めています。
F.I.N.編集部
あらゆる立場の人のことを考えなければいけないというところが、公共性のある取り組みの難しいところなんですね。これから、吉田さんはどんな活動をしていきたいとお考えですか?
吉田さん
芸術に出会うきっかけを、より多くの人に対して作っていきたいです。もしかしたら、一生美術館に行かないで終わるような人もいると思いますが、芸術はいろんなことを考えさせてくれるものです。自分自身、中学生の時に初めて現代美術を見て、人生を通しての考え方が変わった経験があります。現代美術は、難しい、よく分からない、と言われることも多いですが、逆に今の世の中はわかりやすすぎるとも思います。テレビを見ていても、すごく大きな字幕で「ここが笑うところですよ」とポイントが指示されたり、インターネットでなんでも検索できて分かった気になったり、私たちはわかりやすくされることに慣れてしまっている。でも、それは危ないと思っていて、自分とは全く環境や状況が違う人たちの気持ちを想像することができない社会にもなりかねないと思うんです。美術作品を見ることは、自らの頭で考えるトレーニングにもなる。わかりにくいことや、答えのないことを考える楽しさを肯定をしていけたらいいですね。
また、アートに触れると、感情を揺さぶられたり、なんでこれを作ったんだろう、なんでこんな表現になるんだろうとかいろいろ想像したりしますよね。同じ作品を見ても、人によって全く違う感想が出てくると思うし、自分の人生の経験によっても違う。失恋してみないと分からない感情、親になってみないと分からない感情、大切な人が亡くなって初めて分かる感情……。自分の経験値が変わっていくと、美術作品は変わってなくても感じることが変わる、答えがないものだからこそ、とても面白いなと思っていて、それを多くの人に味わってもらいたいです。
だから、街のおじさんがフラっと展示を見にきて、「よく分からんな」と言うのも、対話のきっかけになるので、実は心の中でシメシメと思っています(笑)。「分からないことってたくさんありますよね~」と言ったり、「どう見えますか?」「私はこう見えます」「みんな意見が違うというのもすごく面白くないですか?」と言ったりしながら、コミュニケーションが生まれたりするのも楽しい。ささやかではありますが、芸術の裾野を広げるような活動を地道に続けていきたいです。
F.I.N.編集部
街を舞台にしたアートプログラムをきっかけに、様々な人々の間でコミュニケーションやネットワークが生まれ、多彩で寛容な街を作っていくのかもしれませんね。今後のご活動も楽しみです。貴重なお話をありがとうございました。
Minatomachi Art Table, Nagoya[MAT, Nagoya]
Minatomachi POTLUCK BUILDING(港まちづくり協議会事務局内)
〒455-0037 名古屋市港区名港1-19-23
TEL:052-654-8911
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