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    大塚町長が語る、土祭ができるまで

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2018.10.22

土地の風土と暮らしを見つめ直すー益子・土祭をひもときました〈全2回〉

第1回 大塚町長が語る、土祭ができるまで

古くから、焼き物の産地として名高い栃木県益子町。

豊かな自然に加え、多くのクリエイターたちが制作の拠点を置くこの土地では、伝統的な風土と新しい要素が混ざり合った独特の文化が育まれ、地域内外の多くの人々を惹きつけています。

そんな益子で、3年に1度行なわれるのが「土祭」。単なるアートフェスティバルや、集客のための観光まちおこしでもない。この土地で暮らす豊かさや意義を、地域の人たち自身が捉え直す機会として始まり、今年で第4回目を迎えました。では、この唯一無二の祭りは、一体どんな意味を持ち、まちにどんな変化をもたらしているのでしょう? 行政やアーティスト、住民など、土祭を取り巻く様々な人々の声を頼りに、土祭、ひいては益子町の今と未来を掘り下げます。

(撮影:豊田和志)

2018年9月、第4回目の土祭「土と益子—この土地で共に生きる—」が開催されました。“益子の風土、先人の知恵に感謝し、この町で暮らす幸せと意味をわかち合い、未来につなぐ”をコンセプトに、2週間にわたって、地域の各拠点で、多彩なアート展示や催しが繰り広げられました。

まずは、土祭の実行委員長で、土祭のきっかけを作った益子町の大塚朋之町長に、これまでの経緯や今年の土祭のこと、そして土祭を通して見据える益子の未来についてお話を伺いました。

Profile

大塚朋之

1965年益子町生まれ。1989年明治大学政治経済学部政治学科卒業。1995年(株)もえぎ代表取締役に就任。益子町商工会青年部部長、益子町消防団部長などを歴任し、2006年益子町長就任。「祭」が好きで、益子の和太鼓グループ「天人疾風の会」にも所属している。

まちを元気にするために見出した、”文化”という切り口

 

土祭の構想は、2006年に策定された財政・行政改革「ましこ再生計画」にまで遡ります。当時、日本全国で市町村合併が盛んに行われていた中、益子町が選んだのは単独での町政運営。厳しい財政状況に加え、益子町のリーディングカンパニーだったPENTAXの撤退が重なり、益子の経済は苦しい時期を迎えていました。

「厳しい状況とはいえ、あんまりしょげかえっていてもしょうがない。既存の資源を使って、街を元気にする取り組みができないかと模索をしました。そこで行き着いたのが『ましこ再生計画』だったんです」。

この再生計画で、柱となったのが、環境、健康に加え、文化。民藝のまちとして長らく発展してきた益子の文化的土壌に注目し、文化を核に、地域を盛り上げようと考えたのだそう。 核となる精神性があり、益子だからこそできる文化の企画を実施したいと検討を重ねていった大塚町長でしたが、なかなかしっくり来る方法が見つかりませんでした。考えあぐねた大塚町長は、ギャラリー&カフェ〈starnet〉のオーナーであった故・馬場浩史さんに相談に行きました。

「もともと益子で盛んだった民藝運動は、ある意味”美しく健康的な暮らし”の提案でもあります。でも、〈starnet〉ができる前の益子からは、すでに民藝の色は消え、焼き物を作って、それを単純に販売していくだけの町になっていました。一方で馬場さんは、益子を民藝のまちと捉え、〈starnet〉という場を通してライフスタイルを提案していた。益子にすでにあるもので、みんなに自慢出来るような暮らしができるんだ、ということを馬場さんは表現していたんです。そこに私は強く共感していました。今回の文化の企画を、一過性の催しではなく、長期的に益子での暮らしを考える一端としていくには、馬場さんの知恵を借りるしかないと感じていました」

 

大塚町長からの相談を受け、馬場さんは、繋がりのある様々なアーティストの方と、じっくり議論を重ねたのだそう。益子のものづくりの象徴でもある“土”を主役に、現代アートの様々な表現がなされる祭典の骨格が徐々に出来上がっていきました。

「ここでいう“土”とは、“命のゆりかご”とも表現されていて、焼き物に使う粘土や、農業としての土だけではなく、土地や郷土など、我々が暮らす環境全体をも意味します。この“土”に、感謝の心を持って、私たちを取り巻く環境そのものを捉え直す機会として、新しい祭を作っていきました」

この土地で暮らす豊かさを捉え直す”まちづくり”の一端として

 

そして2009年9月、馬場さんを総合プロデューサーに、第1回目の土祭が開催されました。「土祭は、単なる”お祭り”ではなく、祭事であり神事。楽しいイベントにするだけでなく、私たちが暮らす環境や風土を見つめ直し、未来に向けて何ができるかを考えていく機会なんです」。しかし、ふたを開けてみると、地域の人々の反応は賛否両論。「批判もいっぱいありましたね。『町長、これはなんなんだ!』と(笑)。そんな金があるなら、無駄をなくして、暮らしに投資すべきと。それはそれで一理ある。今の世の中、即効性が求められますからね。しかも、難解な現代アートの展示が繰り広げられるわけですから、理解に苦しむのにも無理はないと思います」。この祭りで核となるのは、表現手段ではなく、その根本にある精神なのだということを、時間をかけて丁寧に地域の方たちに伝えていったのだそう。回を追うごとに、少しずつ理解を示す方が増えていきました。

そして、4回目の今回は、開催エリアを従来までの益子地区だけでなく、田野地区、七井地区も含めた三地区に範囲を広げました。回を経るごとに、行政主体から地域住民主体の祭りへ、少しずつ変わってきたと言います。

「今回も名目上、私が実行委員長ではありますが、これはあくまでも責任を取る役割であって、本当の実行委員長は各地区のリーダーたち。地域内外のアーティストの方たちにも知恵を借りながら、リーダーを中心に、地域の人たち自身が様々な企画を進めていく。それをバックアップするのが役場の仕事だと思っています。今回から広がった田野地区、七井地区の皆さんも、自主的に動いてくれてとても頼もしい。土祭の骨格や精神性についてはしっかり理解してもらえるようキャッチボールをしつつも、あとはどんどん町民の皆さんにお任せしていきたいです」。

ゆくゆくは、町民全員が”祭衆”として土祭に主体的に関わってくれることが理想形なのだ、と大塚町長は笑顔を見せます。

土祭は、”益子の日常”に結びついてこそ意味を持つ。

 

そして、大塚町長は、今後の展望についてこう続けました。

「土祭をきっかけにして、アートや音楽、食など、この土地で様々な活動をする人が増えればいいですよね。かつて益子で活躍した濱田庄司も神奈川県の出身であるように、よく、”益子には、よそ者を柔軟に受け入れる空気がある”と言われます。この”受け入れる”役割を果たすものが”土”で、外から来る人は”種”。土が悪ければ芽は出ないので、土祭を通して、きちんと花を咲かせられる益子の豊かな土を作っていきたい。まちを元気にしていくためには、心や絆と合わせて、懐具合も大切。益子だったら、『食べていける』と思ってもらえる土壌を作っていけたら、土祭を続けていることのひとつの成果になると思います。土祭は、あくまでもまちづくりの一部。『土祭をやっている時だけ楽しい!』ということでは意味がないので、まちの日常にも波及効果が出るように仕組みを作っていきたいと思います」。

 

次回は、実際に運営してきた町役場の職員、そして参加したクリエイターたちの視点から、土祭の今と未来をひもときます。

土地の風土と暮らしを見つめ直すー益子・土祭をひもときました〈全2回〉

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