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2025.12.01

第44回| イタリア出身の俳人 ディエゴ・マルティーナさんと一緒に、俳句と季語さがしを楽しむ。

街の木々が微かに色づいてきた10月26日(日)、第44回目の未来定番サロンが開催されました。未来定番サロンは未来の暮らしのヒントやタネを、ゲストと参加者の皆さんが一緒に考え、意見交換する場です。

 

第43回に続いてお呼びしたのはイタリア出身の日本文学研究家で俳人・詩人であり、翻訳家としても活躍するディエゴ・マルティーナさん。今回は、暮らしのなかの季語さがし、そして俳句の奥深さをお話ししていただきます。秋から冬へと移ろう季節の美しさを皆で味わいました。

 

(文:大芦実穂/写真:西谷玖美)

Profile

ディエゴ・マルティーナさん(Diego Martina)

1986年、イタリア・プーリア州生まれ。ローマ・ラ・サピエンツァ大学東洋研究学部日本学科(日本近現代文学専門)学士課程を卒業後、日本文学を専攻、修士課程を修了。東京外国語大学、東京大学に留学。翻訳家としては谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』『minimal』、夏目漱石の俳句集などをイタリア語訳、刊行。詩人としては、日本語で書いた処女詩集『元カノのキスの化け物』(アートダイジェスト)、2021年にエッセイ『誤読のイタリア』(光文社新書)上梓。「藍生俳句会」会員として、俳人の黒田杏子氏に師事。

https://www.diegomartina.online/

Instagram:@diegozeno

俳句の「季語」は暮らしに溶け込んでいるもの

夏の終わりに開催されたディエゴさんの前回の未来定番文芸会では、日本語「詩」を皆で味わう、がテーマでした。[記事はこちら]

今回のテーマは、ディエゴさんと一緒に、日頃の生活のなかから季語を見つける「季語さがし」、そして俳句です。会場には、前回から引き続き参加してくださった方がいらっしゃいました。

 

まずは俳句についてお話ししてくださいました。

「俳句というのは、ご存じの通り、五・七・五の十七音から成り立っています。例えば、海に石を投げると、水面に波紋が少しずつ広がっていきますよね。この波紋こそが俳句です。俳句を詠むときは、最初の五、次の七、最後の五と、波紋のように情景が広がっていくのが理想です。そのイメージをどれだけ豊かに広げられるかが、上手さの評価につながります。また、俳句は短歌のように人の感情を直接詠むものではなく、むしろ自然の心を詠むものです。特に季節を描くことが重視され、季節感を表す言葉、つまり季語を取り入れるのが基本とされています」

偶然の出会いが、ディエゴさんを俳句の道へ

ディエゴさんが俳句と出会ったのは、神保町でアルバイトをしていた頃のことでした。

 

「2017年頃、神保町のコーヒースタンドでアルバイトをしていました。ある日、年配の方が私に、『あなたは外国人ですか?日本語は大丈夫ですか?俳句はわかりますか?』と声をかけてきたのです。私が『わかります。一応、日本文学の研究家です』と答えると、その方は『向かいのビルの7階に〈藍生〉という俳句会があるので、ぜひいらしてください』と誘ってくれました」

「そこを訪ねてみると、俳人の黒田杏子先生が主宰する俳句会だと知りました。その後、黒田先生の弟子となり、2018年頃から本格的に俳句を詠むようになったのです。先生は2023年に亡くなられましたが、その直前には先生の俳句をイタリア語に翻訳して出版する機会にも恵まれました。

 

それまで俳句という存在は知っていたものの、自分で詠む機会はありませんでした。あの出会いがなかったら、今も俳句をやっていなかったかもしれません」

日々の暮らしのなかに季語をさがす

続いて、「季語」について話は進みます。季語とはどんなものなのでしょうか。

 

「俳句には季語があり、その季語から季節感が広がっていきます。ですから、季語を知らずに俳句は詠めません。実は『10月』も季語です。これは晩秋を指すものなんですね。10月の別称『神無月』も季語です。神無月の由来は、神々が出雲へ集まるため、他の土地には神がいなくなるからですよね。つまり、日本全国では『神無月』と呼ばれますが、神々が集う島根県では反対に『神在月(かみありづき)』と呼ぶのです。そしてまた、『神在月』は『神無月』の子季語ですね」

そして、ディエゴさんが部屋や庭にあるものから季語を見つけていきます。

まず、庭にはまだ緑でしたが、紅葉が見つかりました。

「いろいろの紅葉の中の銀杏哉」 正岡子規

「この中での季語は紅葉(もみじ)です。紅葉は秋の季語ですね。紅葉というと赤いイメージがありますが、赤といっても木によって色のバリエーションがありますよね。だから子規は『いろいろの』と言っています。しかもそのなかに黄色いイチョウの木があると気がついているんですね。カラフルなイメージが伝わってきて、その観察力がさすが子規だなと思います」

「あたりまであかるき漆紅葉かな」 高浜虚子

「こちらも紅葉の句です。漆というと赤や黒など色が濃くて暗いイメージがありますが、これは漆の木について詠んでいます。漆の木が紅葉して、その鮮やかさが辺り一面を明るく照らしているという情景を表しているんですね」

「手の皺を引きのばし見る火鉢哉」 正岡子規

「ここでの季語は火鉢で、冬の季語です。描写力が素晴らしいですね。皺と言っていますが、子規は 30代で亡くなってしまったので歳を取ってできる皺ではないですよ。ここでの皺は、かじかんだ手を擦り合わせて、少しでも暖かくしようとしてできる手の皺のことです。でも火鉢があったらすでに暖かいですよね。だから手を広げて皺を伸ばせるという、そういう句ですね」

 

さて、部屋には魅力的な奈良のお酒の瓶が置いてありました。

「ある時は新酒に酔うて悔多き」 夏目漱石

「新酒は秋の季語ですね。『吾輩は猫である』に迷亭という常に酔っ払っているようなキャラクターが出てきます。その小説の1ページを読んでいるかのような漱石らしい句ですね。ちなみに、漱石という名前は俳人として付けた俳号です。小説を書く前は俳句活動に励んでいたわけなんですが、奇想天外な俳句が多くて、小説の方が人気が出ました」

お酒のラベルは未来定番研究所の襖絵を手掛けたイマタニタカコさんによるもの

ここで紹介した以外にも、さまざまな季語が存在します。意外かもしれませんが、外来語も季語になるそう。

 

「今日私が着てきたこのセーター、衣桁にかかっているマフラー、あなたがつけているマスクも冬の季語なんですよ。マフラーという言葉は、昔はなかったのですが、襟巻はありました。用途が同じなので、マフラーも季語として扱われています。マスクは日本だと皆、冬に着用しますよね。イタリアではコロナ禍になるまでマスクをする人がほとんどいなかったので、なぜマスクが冬の季語なのかさっぱりわからなかったんです(笑)。日本に住んでからその意味がわかるようになりました」

ディエゴさんに伝えたい日本語を贈る

最後に、参加者の皆さんがディエゴさんに、自分が好きな日本語の言葉や歌詞などを贈りました。

言葉を書いた葉っぱの形の紙は、台東区にある箔押し・ホットスタンプ・エンボス加工が専門の会社〈エヌ・ケイ・エス〉によるもの。捨てられるはずだった紙を加工した、サステナブルな葉っぱです

「私は『いなせ』を紹介したいです。江戸っ子の褒め言葉で、『かっこいい』を意味します。ただし、若者に向けてしか使えない。『粋』よりもちょっとやんちゃな雰囲気があります」

 

「『小焼け』ってご存知ですか。童謡の『夕焼小焼』に出てくる小焼けです。夕焼けは太陽がまだ地上に残っている間の明るい空、小焼けは太陽が沈んだ後もしばらく明るい空がある状態を指します。僕は写真を撮るから、この小焼けの状態がすごく好きなんです。童謡では、『日が暮れて、山のお寺の鐘が鳴る』と続きますが、鐘が鳴るのは大体夕方5時くらい。すでに日が暮れているということは、秋の情景を指しているんだと思います」

 

他にも端唄『京の四季』の一説、「春は花 いざ見にごんせ 東山」や、漢字の読みに「んぱ」とあるのが珍しい、と「慮る(おもんぱかる)」など、それぞれが思いを寄せたたくさんの言葉が集まりました。

午前の部、午後の部ともに満員御礼となった、深まる秋の未来定番文芸会はこれにてお開き。ディエゴさんの幅広い知識とユーモアに満ちた言葉の数々に、会場全体が温かく包まれる素敵な時間となりました。

 

最後に、参加者の皆さんにはディエゴさん作の俳句を記念にプレゼント。こちらも〈エヌ・ケイ・エス〉による廃棄予定だった箔と紙を使い、ポストカードサイズに箔押し印刷した特別なものです。

いつもの日々に俳句を飾って、俳句や季語が皆さんの暮らしの彩りとなるよう、あたたかな思いをこめた、深まる秋の未来定番文芸会でした。

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