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食、住まい、交通……。私たちの文化や習慣、暮らしの定番は、外国の方から見たら面白く、未来につながるポイントが多くあるようです。この連載では、そんな人たちが見つけ出した「未来の種」にフォーカス。「Seeds of Japan’s future(日本の未来の種)」と題し、日本で働いたり、暮らしたりしている外国出身の目利きに話を伺い、私たちが見えていない・気づいていない日本の魅力を新たに発見していきます。
第2回にご登場いただくのは、日本文学研究家、翻訳家、詩人、作家、イラストレーターとして活躍するディエゴ・マルティーナさん。谷川俊太郎さんの詩をイタリア語に訳し、俳句を自ら詠み、日本の言語と文化を深く掘りさげています。その多才ぶりから「ヘンなイタリア人」ともいわれることも。そんなディエゴさんが考える、日本語の魅力や曖昧な言葉の力、そして「言い切らない日本文学」の未来とは。
(文:船橋麻貴/写真:嶋崎征弘)
ディエゴ・マルティーナさん(Diego Martina)
1986年、イタリア・プーリア州生まれ。ローマ・ラ・サピエンツァ大学東洋研究学部日本学科(日本近現代文学専門)学士課程を卒業後、日本文学を専攻、修士課程を修了。東京外国語大学、東京大学に留学。翻訳家としては谷川俊太郎の『二十億光年の孤独』『minimal』、夏目漱石の俳句集などをイタリア語訳、刊行。詩人としては、日本語で書いた処女詩集『元カノのキスの化け物』(アートダイジェスト)、2021年にエッセイ『誤読のイタリア』(光文社新書)上梓。「藍生俳句会」会員として、俳人の黒田杏子氏に師事していた。
未来の種①
未来を求めてたどり着いた日本語
私の故郷は、イタリア南部にある人口6,000人の小さな村です。本屋が1軒もないほど、本当に小さい村なんですよ(笑)。そんな環境で育ったんですが、幼少期は典型的な文学少年で、友達と遊ぶより、1人で本やマンガを読んでいるほうがずっと好きでした。あまりにも村に文化的な刺激がないものだから、当時は地元に未来を感じられなかったんです。だから、どんな手を使ってでも外の世界に行きたかった。その点、大学進学は地元を飛び出す口実として最高でした。大学に行くためにローマに出る。これなら誰も止められないでしょう。
大学では、なんとなく東洋研究学部を選んで、なんとなく中国語を学び始めました。ところが、授業が朝8時からで、家から大学までは2時間以上。月曜から土曜まで毎日。これはもう苦行です。1週間でギブアップしました(笑)。
それで「日本語でもやってみるか」と思い、日本語の授業を受けてみたら衝撃的だったんです。先生がこう言ったんです。「今日は、『2つ目のアルファベット』を学びましょう」と。「2つ目?アルファベットって普通1種類じゃないの!?」と驚いたのは忘れられません。隣に座っていた学生に、「2つ目ってどういう意味?」とこっそり聞いたら、「先週ひらがなをやったから、今日はカタカナだって」と言われて。さらに、「あと漢字っていうのもある」と。「まだあるの……!?」と絶望しかけました。だって、それまで私が知っていたイタリア語も英語も、アルファベットは1種類。だけど日本語は、ひらがな、カタカナ、漢字、さらにローマ字まである。それぞれ違うの?どう使い分けるの?それを1人で処理するの?と、もう頭の中はパニック状態でした(笑)。
でも、私はこの謎の多い言語に、ものすごく惹かれていきました。特に感動したのが、漢字です。元々絵を描くのが好きだったので、「意味を持つ絵」としての漢字が、まるでアートのように思えました。
例えば、「未来」という漢字。「未だ来ていない」で未来になっているんですよね。文字を見れば、それがどんな意味なのか一目瞭然。これには感動しました。イタリア語で「未来」を意味する「futuro(フトゥーロ)」には、そんな視覚的なヒントはありません。ただの音であり、ただの記号です。でも日本語の漢字は、意味と文字が結びついている。こんなに奥行きのある言葉、他にあるだろうかと思いました。
あとは、「猫」という字もびっくりでしたね。「けものへん」に「苗」と書いて猫。つまり、ちょっとした獣ってことですよね? なんか絶妙に正しい(笑)。そして「犬」という漢字には人が入っている。「人に一番近い動物だから?」と思わず膝を打つことばかりで、毎日が発見の連続でした。それからは読んで、意味を考えて、形も楽しんで。学べば学ぶほど、「これはただの言語じゃない」と思うようになっていきました。
未来の種②
日常の言葉で届く、谷川俊太郎さんの詩の力
日本の大学に留学し、日本文学を学んでいくなかで、ある日、書店でふと手に取ったのが谷川俊太郎さんの詩集『二十億光年の孤独』でした。それまで私は、日本の現代詩というと、難解な言葉が使われているイメージがありました。だけど、谷川さんの詩はまったく違いました。使われている言葉はとても日常的でやさしい。それなのに、心の奥に静かに届く。まるで、ふっと風が吹いたように感情が揺れる。こんな詩があるのかと、本当に感激しました。
谷川さんの詩をイタリアの人たちにも届けたい。そう思った私は、自分で翻訳を始めることにしました。当時、私はまだ23歳。日本語の文法も知識も完璧ではありませんでしたが、それでも伝えたいという気持ちが強かったんです。それで谷川さんのご了承も得て、3年後に『二十億光年の孤独』をイタリア語に訳し、1冊の詩集として出版しました。
ディエゴさんは、谷川さんの『二十億光年の孤独』と『minimal』をイタリア語に翻訳している
イタリアの詩は、難しい言葉や抽象的なイメージを好む傾向があります。でも、私は、詩はもっと生活に近くて、誰の心にも触れられるものだと思っています。谷川さんの作品にはそれがある。彼の言葉を読むことで、「詩って難しくなくていいんだ」と思えるようになったんです。
未来の種③
言い切らないから伝わる、俳句の余白
俳句との出会いも偶然でした。バリスタとして働いていたカフェの向かいに、俳人の黒田杏子さんが主宰する「藍生俳句会」の事務所があったんです。たまたまお客さんと話していたら、「イタリア人で日本語ができるなら、俳句をやってみない?」と声をかけられて、流れるようにその世界に入りました。
最初の印象は正直、「俳句って詩なの?」でした(笑)。でも、それは過去に読んだイタリア語訳の俳句が言葉の選び方もリズムもバラバラで、あまり響いてこなかったからです。今思えば、翻訳の問題が大きかったと思います。
本来俳句には季語があり、リズムがあり、そして「言い切らない余白」があります。日本語の俳句を自分で詠むようになって、その「言い切らなさ」が魅力だとわかりました。読み手の想像力にゆだね、語りすぎない。その姿勢は、まさに日本語そのものにも通じているようにも思います。
今では私自身も俳句を詠み、イタリア語に翻訳する活動もしています。ただ単に訳すのではなく、五・七・五のリズムや季語の意味合いを保ちながら翻訳する。そこに心を砕いています。俳句は日本語と同じように、未来にも残っていくべき文学だと信じています。
ディエゴさんがイタリア語への翻訳を行った黒田さんの句集『水のにほひ』
未来の種④
曖昧が生み出す、思いやりのコミュニケーション
日本で暮らし始めて、最初に戸惑ったのが「社交辞令」でした。まだ日本語を勉強中だった頃、会う人みんなが「日本語お上手ですね」と言ってくれる。でも、それがお世辞だとは気づかなかったんです。だから本気で「自分って、けっこう日本語が上手いのかも」と思っていました(笑)。でもある時、「本当に上手だったら、誰もそんなこと言わないんじゃ……?」と気づいて、ちょっと落ち込みました。
イタリアでは、良いものは良い、ダメなものはダメと、はっきり言います。でも日本では、意思や言葉を「曖昧」で包むことで人間関係をスムーズに保つ文化がある。最初はその「言い切らなさ」に戸惑いましたが、今ではそれもまた深いコミュニケーションの1つだと感じています。
なぜなら、曖昧だからこそ、相手を思いやる余地が生まれると思うからです。俳句と同じように、伝えすぎないからこそ伝わるものもある。日本語が持つ「間」の美学は、これからの社会にも必要な価値なのではないかと思います。
未来の種⑤
言葉を耕し、感情を育てる。そして日本文学を世界へ
日本に暮らして20年ほど。気づけば「ヤバい」1つで、うれしいも悲しいも済ませてしまうような会話が増えてきた気がします。でも、本当にそれで気持ちは伝わっているのでしょうか。自分自身の感情を理解し、向き合えているのでしょうか。
「悲しい」にも、憂いや哀愁、寂しさ、やるせなさなど、いろいろな種類があります。とくに日本語はその表現が多様です。それを使わずに生きていくなんてもったいない。日本語の奥深さを知れば知るほど、自分の感情をより正確に理解し、相手に伝わるように表現できるようになると思うんです。そして、それができれば、人との関係ももっと豊かになるはずです。
私が詩を書き、俳句を詠み、翻訳を通して日本語と向き合い続けるのは、そうした「言葉の可能性」を信じているからです。言葉を耕すことは、未来を育てること。そう思いながら、私はこれからも日本語という不思議で奥深い宝箱と向き合っていきたいです。
そして、俳句や詩などの日本文学にも、まだまだ世界に広がる余地があると感じています。それこそ未来の種となるものというか。イタリアでは詩は詩人にしか訳せないといわれています。だから詩人でもある私が作者の思いや意図を汲みながら翻訳し、日本文学の魅力を世界中の人たちに届けていけたらと考えています。
【編集後記】
この取材でディエゴさんに知らなかった日本語を教わりました。冬の季語で「竈猫(かまどねこ)」。なんともかわいいです。語彙があまりなくとも生活はできる、それはそうなのですが、自分で自分の感情や状況、考えを適切に表現する、できることは、生きていくうえで豊かでありとても大切なことだと思いました。「言葉を大事にしなければ。文化も言葉によりますから」。日本語と出会った喜びをストレートに表現される、ディエゴさんが紡ぐ言葉にすっかり魅了されました。最後に日本のおすすめスポットを伺うと「谷中霊園」とのこと。桜の頃は本当に華やかで美しく、でもお墓。という異世界感がお気に入りだそうです。
(未来定番研究所 内野)
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Seeds of Japan’s future
第2回| 曖昧さが宿る言語や文学は、可能性を秘めた宝箱。日本文学研究家のディエゴ・マルティーナさん。
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