2023.02.01

省く

言語は変化していくもの。省かれていく日本語の未来。

F.I.N.編集部が掲げる今回のテーマは、「省く」。「マ(マジ)」「り(了解)」など、時代の移り変わりとともに省略されていく言語があります。どうして私たちは言語を省略するのでしょうか。省かない方が美しい日本語って? 省略されたら言語はこの先どうなる?そんな疑問を慶應大学教授の言語学者・川原繁人さんに投げかけます。

 

(文:船橋麻貴/写真:大崎あゆみ)

Profile

川原繁人さん(かわはら・しげと)

慶応義塾大学言語文化研究所教授、言語学者。

1980年東京生まれ。1998年、国際基督教大学入学。2000年にカリフォルニア大学サンタクルーズ校に交換留学。同大学言語学科、名誉卒業生(2011年)。2002年、マサチューセッツ大学言語学科大学院に入学。2007年、同大学院より博士号取得(言語学)。卒業後、ラトガーズ大学にて教鞭を執りながら、音声研究所を立ち上げる。2013年より慶應義塾大学言語文化研究所に移籍。現在、教授。専門は音声学、音韻論、一般言語学。著作に『音声学者、娘とことばの不思議に飛び込む』( 朝日出版社)、『フリースタイル言語学』(大和書房)など多数。複数の国際雑誌の編集責任者を歴任中。

Twitter:@PhoneticsKeio

省略の背後にあるのは無駄を省く経済性の原理。

F.I.N.編集部

もう古いなんて言われそうですが、ここ数年の間に「マ(マジ)」「り(了解)」といった省略語が若い世代の間で生まれましたよね。とくに若い世代でよく起こる現象な気がしますが、どうして言語を省きたがるのでしょうか。

川原さん

言語を省略するのは、若い世代の間に限ったことではないんです。例えば、「まん坊(まん延防止等重点措置)」「暴対法(暴力団対策法)」など、国会でも言語は省略されていますから。私たちは、その言語を使う共同体の中でよく使われる単語を縮める傾向にあります。 省略形は、日本語だけではなく、英語やドイツ語、イタリア語、中国語などあらゆる言語で見られるんですよ。

F.I.N.編集部

私たち日本人がしゃべるのをめんどくさがっているわけではないのですね。

川原さん

ええ。アメリカの言語学者・ジップが見出したジップの法則というものがあるのですが、テキスト中の単語を頻度の高い順に並べると、「頻度×順位」がほぼ一定になるというおもしろい発見をしたんです。つまり、頻出順位が2位の単語は頻出頻度1位の単語の約2分の1の頻度となり、頻出順位3位の単語は頻出頻度1位の単語の3分の1の頻度となり……と、頻度と順位が反比例していくわけです。

 

そのうえで、ジップは、単語の使用頻度と単語の長さも反比例する、という発見もしています。要するに、使用頻度が高い単語は短い。これを日本語で考えると、例えば「は」「が」「に」といった助詞に顕著に観察されます。もし、頻繁に使われる助詞が長い単語だったら、すごくしゃべりにくいですよね。しかし、短い単語だけでは区別できる単語の数に限りがあるので、使用頻度が低い単語には長めの単語を使う。そういう意味では、使用頻度の高い単語を省略して短くするという現象は理にかなっています。簡単に言えば、よく使う単語は短い方が経済的だということです。

F.I.N.編集部

確かに、無駄な言葉を省略できるから合理的ですね。では、デメリットはあるのでしょうか?

川原さん

言語を省略することに反対する意見はよく耳にしますけど、実際に省略したからってコミュニケーションの齟齬が起こっているとは考えにくいです。省略されていても、共同体の中で通じればいいわけだし、相手に通じるから省略しているわけです。そういう反対をしているたちは、言葉が乱れている、とか、だらしないといった感情的な理由で言っているだけだと思いますよ。省略形が言葉の乱れだという言語学的な根拠はありません。

F.I.N.編集部

てっきり川原さんに、言葉の乱れやだらしなさを指摘されると思っていました……。

川原さん

いえいえ、私たち言語学者は言語を観察対象にしているので、「かくあるべし」という言い方はしないんです。単語が省略されていくならば、「何がどのようにして起きているんだろう」とその事象 を研究するのが私たちの仕事です。だから言語を省略しちゃダメなんて、口が裂けても言えません(笑)。

法則に則り、言語を省略している。

F.I.N.編集部

相手に通じるという確信があるから、私たちは言語を省略するのですね。こうした行動は、昔から行われていたのでしょうか?

川原さん

そうですね。ぱっと思いつくだけで、大正〜昭和初期に流行した洋装の男女を表す「モガ・モボ(モダンガール・モダンボーイ)」という言葉があります。そしてよく考えてみると、身の回りには省略語だらけですよ。「おなら」は「おならし」から来ていますし、「ウザい」は「うざったい」が縮まった単語ですから。省略語が常用化されることは往々に見られますが、基本的に日本語は2音+2音、または2音+1音に縮めるのが好きなんです。さっきの「まん防(まんぼう)」は2音+2音だし、「ウザい」は2音+1音です。

F.I.N.編集部

なるほど!しかし、昨今の「マ」や「り」は1音ですね。

川原さん

これまで言語が1音に縮まることはあまりなかったのですが、発音する時、最後に「っ」が付いていると思うんです。「マッ!?」「りっ!」みたいな感じで。テキスト上は1文字ですが、発音したら2音になっていますよね。ただ、テキストコミュニケーションが増え、1文字でもコミュニケーションが成り立つようになったのは、新しい潮流ではありますけど。

F.I.N.編集部

 

一方で、「それ縮める必要ある?」というような、省かれている文字数が多くない省略語もありますよね。

川原さん

問題なのは削った量ではなく、削った後の形なんです。例えば、韓国ドラマ「冬のソナタ」。「冬ソナ」と略されますが、確かに削ったのは「の」と「タ」だけ。しかし、この例もこれも削った結果が2音+2音の形。やはり私たちはこういう形に縮めるのが好きなんです。

生きている限り、言語は省かれていく。

F.I.N.編集部

私たちが法則に則って、言語を省いていることがよくわかりました。その一方で、省かない方がいい日本語というものは存在するのでしょうか?

川原さん

省略形が使われた場合、その発話に使われるはずだった労力やそれに伴う敬意も省略される可能性があるということは、心に留めておいても良いかもしれません。というのも、年末に、いとこから部下が「了解しました」というスタンプを仕事のやりとりで送ってくることにモヤモヤするという話を聞いたんです。結構あるあるだと思うんですが、なぜだろうと考えたら、スタンプで済ますということは、タイプする労力を惜しんでいることが透けて見えるからだと感じたんですね。私たちは話すときに口や肺を動かさねばならず、多少の労力をかけているわけです。長い単語を発することは非経済的であるけど、発話した背景には投資した労力がある。省略形を使うということは、そういう労力を惜しんだということも相手に伝わることは意識しておくべきかもしれません。それを理解した上で省略するかしないかは個人個人の判断の問題です。私個人としては、新年の挨拶をスタンプで済ませるのも、「あけおめ」「ことよろ」という省略語を使うのも抵抗があります。やっぱり大切な言葉は紡がないといけませんから。これは言語学者ではなく、個人としての意見ですが。

 

そしてもう一つ、お悔やみの言葉は省略できないでしょう。「お悔やみ申し上げます」と伝えようとしている時点で、相手に寄り添うという努力 を前提として成り立っているので、やっぱり省いてしまっては思いは伝わらないのではないでしょうか。

F.I.N.編集部

「あけおめ」「ことよろ」はおめでたいシーンだから省略が許される文脈なのでしょうね。では、言語を省くことはこの先もずっと続いていくのでしょうか。

川原さん

はい。生きている限り、言語は変化していきます。時代によっていろいろな省略語が出てきますが、日本人が作り出し、それを私たちが理解できれば、日本語が間違っているという根拠はどこにもありません。そこに敬意がきちんと乗っていれば、日本語が省かれていっても問題ないでしょうね。それが言語の営みですから。

【編集後記】

言語が省略されるという潮流は最近の事象に限ったことではなく、実に合理的な理由で省略されていました。自分の思いを相手に伝える手段の1つに言語がありますが、そのシーンに応じて相手を思いやる心があれば、大切な言葉はきっと自然に紡がれていくと思います。チャット・通話など簡易的に便利にメッセージを伝えられるようになった今だからこそ改めて言語との付き合い方を見つめなおしてみることが重要なんだと思います。

(未来定番研究所 小林)