2023.02.02

省く

手放した本来の機能を取り戻す。「省く」ことで気づく新たな価値。

今回、F.I.N.編集部が掲げるテーマは、「省く」。昨今では家具量販店での商品の組み立てや運搬など、さまざまなサービスや慣習を省こうとする動きが見られます。こうした潮流は私たちにどんな変化をもたらすのでしょうか。心理学を実生活にいかす活動を行っているMP人間科学研究所代表で、心理学博士の榎本博明さんに聞きました。

 

(文:船橋麻貴/写真:大崎あゆみ)

Profile

榎本博明さん

MP人間科学研究所代表、心理学博士。

1955年東京生まれ。東京大学教育心理学科卒。東芝市場調査課勤務の後、東京都立大学大学院心理学専攻博士課程中退。川村短期大学講師、カリフォルニア大学客員研究員、大阪大学助教授などを経て、現職。著書に『「上から目線」の構造<完全版>』(日経ビジネス人文庫)、『「おもてなし」という残酷社会』(平凡社新書)、『他人を引きずりおろすのに必死な人』(SB新書)、『イクメンの罠』(新潮新書)など多数。

MP人間科学研究所:http://mphuman.blog96.fc2.com/

サービスが省かれることで、

人が本来の機能を取り戻す。

F.I.N.編集部

榎本さんはご著書の『「おもてなし」という残酷社会』(平凡社新書)で、近年の過剰なおもてなしの問題点を説いていらっしゃいます。そういう潮流があるなか、家具量販店では商品の組み立てや運搬を購入側が担うなど、今まで提供側が行っていたおもてなしともいえるサービスが省かれ始めているような気がします。こういった動きについて、どう捉えていらっしゃいますか?

榎本さん

おもてなしとはまた違う文脈になりますが、私が研究している家族心理学の視点で考えることができると思います。昨今は外食や中食が気軽にできるようになったり、家事をアウトソーシングできるようになったりと、これまで家族が担っていた機能がどんどん外部化されていますよね。食事や家事に関してお金さえ払えば、家族の機能を果たすことができる。しかし、どんどん手間が省かれ、便利になっていく一方で、危険もはらんでいるんです。

F.I.N.編集部

どんな危険があるのでしょうか?

榎本さん

自分で何かを生み出す力が著しく低下していく危険性があると思います。最近では手作りのものが価値を持つようになってきていますよね。そう考えると、この先はこれまでのようにお金で消費するという動きではなく、自分で何かを生み出す力が大切になってくる。テクノロジーが発達し、私たちは一度それらを手放してしまったけど、もう一度取り戻す動きが起きてくると考えています。

F.I.N.編集部

 

今、私たちは消費し続けることに飽きている状態、ということなのでしょうか?

榎本さん

そうですね。私の仕事仲間の一人は、自らの手でものづくりをしている他のメンバーの姿を見て、自分の趣味に疑問を持ち始めたんです。アイドルを追いかけたり、舞台観劇に訪れたりと、ただ消費しているだけの自分の趣味を虚しく感じたみたいで。それで、お金で買える趣味ではなく、自分で何かを生み出したいと。

F.I.N.編集部

さまざまなサービスが省かれ始めたことによって、私たち消費者側が生み出す力の大事さに気づき始めたのですね。では、自分の本来の機能を取り戻したいという気持ちが芽生えるのはなぜでしょうか?

榎本さん

消費生活が満たされると、自己実現欲求のひとつ、創造欲や表現欲が芽生えるからです。自分の中に溜め込んだものを社会にアウトプットしたい、表現したい、そんな欲求が出てくるんです。最近はSNSで発信することでそれを満たしていると誤認しがちですが、これは自己実現の手前にある承認欲求を満たしているだけ。人の目を気にすることなく、自分の中にあるものを表現したいと思うことが自己実現欲求。それができると、すごくいい充足になります。省くという事象が起きることで、自己実現に向かっていく。家具量販店での商品の組み立てや運搬もそうですが、一度外部化しちゃうと取り戻すのはなかなか大変。だけど、自己実現に向けて自ら手を動かして作るという文化がもう一度、ひとつの潮流になれば人間らしく生きられるのではと思います。

F.I.N.編集部

人間らしさを取り戻すことが大切なのですね。今回「省く」をテーマに掲げるにあたり、小学校の教員が丸付けを廃止するというニュースも浮かびました。これもおもてなしとは違う文脈だと思いますが、この「省く」という事象についてはいかがでしょうか。

榎本さん

この「省く」問題については少し疑問に感じています。なぜなら、家族心理学では親から子へと伝わる世代間伝達という現象があって、これまで教員が担っていた丸付けを問題への理解が乏しい親が行うことで、親の学力が子どもにも伝わってしまう場合があるからです。教員が採点し、解説も生徒たちに同様に行っていたから、親の学力が低くても子どもの学力が高くなることも期待できました。しかし教員の丸付けの排除によって、それが叶わなくなってしまうかもしれませんし、親御さんも丸付けまで担当するとなると疲弊してしまう。だから、私たち教員が省くべきことは、そこではないと思います。

便利さが加速する今こそ、

考える力を失わないように。

F.I.N.編集部

煩わしいことが省かれ、便利になっていく中で、「これは省かない方がいい」というような事柄はありますか?

榎本さん

便利さってある意味、問題があるんですよね。例えば、オンラインなどで旅行に行くこと。実際に足を運ばなくても、現地に行った気になってしまいますよね。座ったり、寝たりしながら楽しめるのは、とても危険だと思います。スポーツや恋愛もそう。結局、めんどくさいと思うことを省き、擬似体験として消化していくのは、人のあり方として良い状態とは言えません。やっぱり現実に戻ったとき、虚しいですから。

F.I.N.編集部

省きすぎには注意が必要と。では、この先も省かれていく状態が進むのでしょうか?

榎本さん

現実の制約を超えて、さまざまなことが省かれ、便利さが加速していくでしょうね。だけど、そういう世界の中でも、やはり自分の機能を取り戻すことが大切です。テクノロジーは利便性を与えてくれましたが、それに頼りすぎるがゆえ、私たちから考える力を奪われてしまったように思います。スマホさえあればすぐに答えが出てしまう。便利だからといって頭を使わなければどんどん退化してしまうし、人間に元から備わっている直感力や勘も衰えてしまう。そういった意味で、家具量販店で商品の組み立てや運搬を消費者側に委ねるのは、自分の機能を回復させるには良策。省くことが当たり前になる中で、これはいい潮流だと感じます。

F.I.N.編集部

なるほど。今後、省くことが進んでいくと、私たちにさらなる変化は起こりますか?

榎本さん

自分で考えて理解して動きたい人、便利さに身を委ねて楽を手に入れたい人、この二極化が進むのではないでしょうか。この間を埋めるのは難しいですが、生きるうえで大事な考える力を取り戻すには、どこかで創作の仕方を教えたり、ある程度の手引きをすればその距離を縮めることができるかもしれません。

■F.I.N.編集部が感じた、未来の定番になりそうなポイント

世の中が益々便利になっていく一方で、生活者はより一層、創造欲や表現欲の充足を求めるようになる。

【編集後記】

三省堂の辞書を編む人が選ぶ今年の新語2022大賞は「タイパ」でした。時間を更に有効活用したい、無駄にしたくないという思いの高まりなのかなと思います。そういう意味では、便利であることがより一層追求されていくのは当然の流れと言えます。

しかし、榎本さんも取材で仰っていましたが、テクノロジーが益々進化し、便利が当たり前になることで怖いのは、自分で考えなくても答えがすぐに出てしまうこと、またそれでわかった気になってしまうことではないでしょうか。

世の中がどんどん便利になっていく時代だからこそ、敢えて便利を避け、手間を掛けることで得られる体験を楽しんでいきたいと改めて感じた取材となりました。

(未来定番研究所 榎)